もっと食べたい②
態はまだ終わらない。
石崎先輩の消失した血溜まりが黒々しく染まり、まるで映画のCGかなにかのように独りでに浮き始め一つのある形を作り上げていった。
それは子犬ほどのサイズもある蛙だった。
「ひっ!」
食われる。
そう萎縮した私の目線を蛙は、まるでかわしていくようにすり抜けていった。
「……助かった?」
今のは何だったかと、危機が去れば今度は脱力感だけが残る。訳の分からない事の連続に、靄が私の頭の中で渦巻いていた、ちょうどそんな時だ。
「どうしたの!? なんか声が聞こえたけど!」
私の声を聞きつけて、乃愛先輩と音黒さんが駆けつけてきた。
「……今、石崎先輩が」
「石崎先輩がどうかしたの?」
「え……あ」
振り返れば、あれだけあった血溜まりはどこにも見当たらない。石崎先輩がいた形跡すらも。
「凄い汗だよ、気分悪くなりました? 少し外の風に当たります?」
私は、言われるがままで外へと連れ出されていく。
食堂を出てすぐ、二号棟とを繋ぐ吹き抜けの廊下を外れた中庭がある。
そこでは、丸ベンチや芝生があるくらいで特に目立った物はないけれど、外の風に晒されて少しは落ち着いてきた。
「なんだったの、さっきの」
『さぁ。人間界の現象でないのは確かだけど、少なくとも私の知る範囲にないわね』
ミコトも知らないなら、私だって知るはずもない。
乃愛さんや音黒さんに相談しても、あまり信じては貰える話しではない。
いくらオカルト好きと言っても、人が消えたなんて不謹慎な話を受け入れられる筈もない。
私は、また。こんなことが身の回りで降りかかりだしたことへやり場のない憤りに見を押しつぶされそうになる。
「乃愛!? なにやってんの、汚いよ」
異変は、程なくして起き始めた。
乃愛さんがいきなり指をくわえている。
「え? わ、私……痛っ! なんで私、指なんて噛んでたの?」
ただ咥えていただけに留まらず、指の先からは薄っすらと血がにじみ出し、皮が向けて爪が捲れかかっている。
まさかと、私の脳裏に次々とフラッシュバッグする石崎先輩の最後と、謎の蛙。
ー「いずれ乃愛さんも、同じ末路になるのではないか」
私は、喉の奥につっかえて出かかった言葉を吐き出そうとしてるのに、どうしても中々出てこない。
「あんた、呪われてるんじゃないか」
するとそんな私の気持ちを代弁してくれたみたく助け舟を出す声があった。
「だ、誰ですか貴方」
「俺は2年生で精神医学部の土夜 特男」
青いワイシャツにハンドポケット。丸まった背中に、サングラスの下でニヤニヤと薄ら笑みを浮かべた青年。
「同じく1年の神日 志野です」
反対に、彼の数歩後ろで付き従う柔和で優しそうな印象を受ける青年と奇妙な二人が立ちはだかる。
「そこのお嬢ちゃん。見たんだろ? 人が自分を喰って死ぬところ」
いきなり核心を突かれ、私はさっきまで胸に支えていたものがなくなったみたいにスラスラと言葉が出てきてしまう。
「……はい」
「え!?」
当然、二人には驚かれた。
私は見たままの出来事を伝える。
皮肉にも、彼に背中を押される形になってしまった訳だ。
「まさか、そんなことが、でも指噛んでたってだけで」
「あんたそんな癖は今までなかったんだろ?」
「それは……まぁ」
「俄には信じ難い話さ。だが、その信じ難いことがこの街に起き始めている」
「とりあえず、これ使って」
乃愛さんに渡されたのは革の手袋。
ベルトで手首周りに固定できるタイプとこの状況において有り難い代物だが、まるで分かっていたみたく。
「ついてきなよ。呪いがあるってことはかけた術者がいる筈、だったら。石崎先輩の家に手がかりがあるかもってことだろ」
「待って……なんで、手伝おうとしてくれてるの? それになんか事情に詳しいけど」
「ちょっとしたお節介だよ」
「……なんなの、彼」
「さぁ。悪い人……って感じじゃないけど」
それとなくミコトの方にも相槌を出す。
『私に聞かれてもねぇ。見た感じじゃ魔力は感じない、普通の人間としか』
話せば話すほどに、怪しい男だ。
薄ら笑みを貼り付けたようなその表情はまるで周囲に悟らせまいとしているのか、彼からは、真実味を感じない。
「迷ってても仕方ないか……」
「確かに、自分のことだしね」
それでも今は乃愛さんのかかっている『呪い』と言うものを解くために、怪しい奴の導きに従って私たちは、石崎先輩の自宅へと向かうしかない。
『厄介なことにならなきゃいいけど』
本当にどうなってしまうのかと、私は不安に身を焚かれそうになりながらも、乃愛さんや石崎先輩の事を捨て起けない気持ちのが強かった。
大学から約数十分。
都心から離れた質素な住宅街にアパートはあった。
二階の一室、この時間なら基本人通りはないが見慣れない人間が挙って押しかけては怪しまれると、出来るだけ迅速に、まるで本当に空き巣に入るみたいに急かされた。
我が家のごとく開いた土夜さんに誘われるがまま入ったアパートの玄関を潜ればすぐにリビングが見える。そこで荒らされた後は殆どない。
几帳面に整頓された本棚と、ベランダには干された布団が目につく。
登校前に洗ったのであろう生乾きの食器や開きっぱなしの教科書がぽつんとキッチンテーブルに置かれているなど、今朝まで人が住んでいた生活感がそのまま残っていた。
しかしもう帰ってくることはない。
餌を与える者も帰って来ないなどとは知らず、水槽の中の金魚がただ泳いでいる。
これらに手を付けられることはもうない。
いずれ、この先に私たちがどう転ぼうと先輩が生き返ることもなければ、よもや警察が取り合う事件とも思えない。
行方不明扱いとなり、全て撤去されるのだろう。
「さっ。始めるぜ」
土夜さんは、妙に慣れた様子でズカズカと我が家にでも上がり込むように上がっていくどんな肝の座り方をしているんだ。
「志乃はパソコン調べといてくれ」
「任された」
彼の指示に二つ返事で従う彼は一体どんな関係か。嫌な顔一つなく、デスクに置かれたパソコンを立ち上げ、土夜さんは本棚で調べ物をする。
「私らはどうする?」
いつまでも女子三人、玄関に棒立ちは狭い。
恐る恐るほとんど見知らぬ人の自宅へ上がり込み、音黒さんが続いて日傘を置きながら上がると最後は乃愛さん。
「うぅ……ううううううっ!」
しかし、彼女は俯いたままどこか上の空といった様子。
「乃亜さん! なにしてんの!」
まさか思ったときには遅かった。
突然、水槽を泳ぐ金魚を素手で貪り始める。こんな時にまた例の発作が現れ始めた。
後ろから慌てて取り押さえようとしても目の前の獲物への執着は凄まじく、女性の物とは思えないパワーで私は床へと投げ出される。
「あああああっ!」
水槽の金魚を喰い尽くした乃愛さんは、次の獲物を探して獣のように尖った目と剥き出しの歯で自分の指をかけた時。
「しっかり、なさいっ!」
音黒さんがどこから持ってきたキムチが顔面へ命中。素手でキムチを鷲掴みにすると食べきった頃には乃愛さんも正気に返ったようだ。
「はっ……はぁ……うげぇ、辛っ! 私。なにしてんの、一体」
まだ呪いが浅いからなのか、すぐ正気に帰れるようだ。少しだけ、呪いのことが分かってきたかもしれない。
「大丈夫?」
「ごめんなさいっ!」
神日さんの手引で私は立ち上がると、乃愛さんにキムチまみれの真っ赤な手を合わせて謝られた。
「二人は、その子についてる係で良いんじゃないか?」
「そうだね……いつまた発作が起こるとも限らないし」
冷蔵庫には、キャベツと挽肉とソースがある。次に発作が起きたらキャベツかなと私は、勝手ながら食べやすいようみじん切りにしておく。
「マヨネーズとソースどっち好き?」
「え、マヨネーズかな……?」
挽肉と小麦粉があるなら、お好み焼きも作れると私は下拵えから始めておく。
「駄目だ。パソコンを持ってかれてる」
「相当手なれた奴らだな」
すると、神日さんはやられたという表情で頭を掻く。反対に指示を出していた土夜さんは、想定内とでも言わんばかりに薄ら笑みを浮かべていた。
「んー……まぁ。パソコンごと入れ替えて持ってくなんて、並の泥棒の手口じゃないよなぁ。コレは」
「捜査は振り出しですかね」
「そもそも、警察でも探偵でもない私たちが捜査の真似事なんかしても上手く行くと思えないんだけど」
そう私が半ばやる気を見失いかけていた時、ミコトが話しかけてくる。
『なにしてるのかしら彼女』
その言葉の先、音黒さんが二本のくの字に曲がった針金を持って部屋内をウロウロとする奇怪な行動を取り出す。
「ダウジングよ。これで石崎先輩の足取りを探る」
正気か。
「パソコンが持ち去られたと言うことは、少なくとも何かしらの事件に巻き込まれているのは確実。なら、きっとどこかに手掛かりがあるはず」
ミコトもケラケラ笑っていた。
そんな馬鹿なと言う感想しか出てこない。
なのに、音黒さん本人は真剣そのものなのであまり声をかけにくい。
すると、音黒さんのダウジングマシン(?)が回転。あれは自分で回しているのではないかと言う疑問を与える間もなく音黒さんはベッド下へ手を伸ばす。
「そこだぁぁぁ!!」
確かにそこはお宝の在処だけど。
なんて冗談言ってる場合でもない、音黒さんはベッドの布団の隙間からなにかを引っ張り出してきた。
「お手柄だぜ、音黒ちゃん」
「嘘ぉ!?」
わざと隠してたみたいに紙切れが数束、土夜さんは手帳の切れ端らしきメモを確認するとサングラスの奥の目つきが変わりだす。
目当ての物らしく、私たちへ情報を開示してくれた。
「これって、リスト?」
年代は比較的に中高生あたりが多く、それも女子ばかり、如何わしい目的かと言うそんな疑念をすぐに吹き飛ばすほど、几帳面な文字で日記と共に綴られた文章があった。
メモを調べ、ここだ。と目星をつけた土夜さんがテーブルへ広げたメモにはこう書かれていた。
『2月16日
高校時代の後輩から過食症についての相談を受ける。
私はまだ勉強中、専門家に頼んだほうが良いと勧めたが医者の知り合いがいるんだから安く済ませたいなどと、横着な彼女のカウンセリングをすることにした』
『2月17日
彼女勉強の一貫と思いカウンセリングの真似事は試みるものの最終的に私は、専門家の治療を勧めるつもりだった。そうすれば彼女も納得するだろう。
だが、彼女の家につくやいきなり雲行きが怪しくなる。
彼女の過食症と呼称するそれは明らかに私の知る範囲の常軌を逸していた。
食器や皿、果にはテーブルにまで齧り付こうとまるで悪魔か何かが乗り移ったみたいな悍ましい様相で喰い尽く彼女に思わず戦慄する』
『彼女に自覚はないのだと言う。
私は非科学的な物の存在には懐疑的だったが、それでも病院よりもお祓いを勧めた方がいいのか、一瞬迷ったくらいだ』
その先で事の発端、変わったことと朝昼夕の食事メニューなど細かく描いてもらった経緯がある。
その中身には、最初こそ普通の食事があったが最後の方には昆虫から、木の根やゴミまで漁るほどの脅威ぶり。
ちょうど、乃愛さんの症状とも当てはまった。
『2月18日
彼女の母親から電話があった。空腹を叫びながら指を噛みちぎり、出血多量で病院に運ばれ来れないのだという
私は改めて自分の判断の甘さを恨んだと同時に、彼女の身の回りに起きたことを考えれば恐ろしくあった』
『2月22日
私は母親から聞いた病院へ見舞いに行こうとした。病院でも過食症に悩まされているのかと思えば、彼女は指を齧ったことこそ心を痛めていたが、過食症についてはまるで最初からそんなことなどなかったみたく治っていたのだと言う
私は夢でも見ていたのかもしれない」
日記はここで止まっている。
「事件の鍵を握っているのはこの先輩の後輩だという『都津呂 有彩』と言う少女か……この子に話を聞けたら、進展しそうなんだけどな」
「でもどうやって接点も縁もない彼女と話を取り付けられるかですよね」
と、そこで話が止まってしまい沈黙の空気が流れだした時に乃愛さんが閃いたように手を叩く。
「あ。心当たりある人ならいますよね」
「なるほどな」
遅れてピンと来た土夜くんは、スマホで電話をかける。
「もしもし、あ。どうも、俺から電話するのは初めてでしたっけ? はい。ちょっと、話したいことが」
電話を切ると、彼はニヤけた表情を浮かべながら『剣 世界』の名前が乗ったアドレスを見せた。
「取り付けたぜ、王林駅だ」
「なるほど。先輩同士高校時代からの付き合いだったものね、交友関係もある程度重なるか」
そうと決まれば今朝方、私が大学への通学のために使っていた駅へと私達は早足で再び足を運ぶ。
駅は半端な時間帯なこともあって人も疎らであり、駅のシンボル的に立った時計台のすぐ下で煙草を吸う目的の人物が見つかる。
「おぅ、土夜。話したいことってなんだ?」
石崎先輩と一緒にいた剣先輩だ。
彼はこちらに気づくと煙草を潰してポケットの灰皿に捨てる。
彼らを知る者曰く、高校時代からの付き合いで交友関係もある程度重なると考えたようだ。
「どうも、石崎先輩のことについて話がありまして」
「あぁ。あいつな、ふと目を離した隙にいなくなっててよ」
「スマホに電話してもでねぇし、ちょっとアパートへ行こうと思ってたんだよ」
「正直、あの大ボラで騙せたとも思えないから言うけど、確かに最近のあいつは妙な所あったんだよな……講義終わってもどこか早足で帰っちまうし、なんか昼食もやたらガツガツ食うようになって」
「そのことで、先輩の後輩に話が聞きたいんですが。都津呂さんという方、ご存知ですよね?」
「有彩ちゃん? あぁ、高校の頃は石崎になついてた陸上部の。でもなんで?」
「先輩から、メモを預かったんです」
一瞬「え?」という顔をしそうになったが、すぐ彼の口八丁かと戻す。
「俺も、精神科医の端くれすから。ちょうど摂食障害に関する論文を纏める為にも石崎先輩からもアレコレ聞いてたんです、本人からの希望で」
「もしもの時は、このメモから真実を突き止めてくれって」
まるで自分を石崎先輩の旧知の戦友か何かのように捲し立て喋る。正直、私が彼と会って一時間もないけどなんとなく『嘘だろ』と言う気がした。
「よくそこまでペラペラ嘘が出てくる物よね……」
「まあ、人が自分を喰って亡くなったなんて信じられる話じゃないだろうけれど」
話は済んだのか剣先輩は後ろ髪をかきながらケタケタと笑う。
あまり心配でないのか、それともどうせ大丈夫とたかを括っているのかその真意は定かでない。
「つーか。こんな団体様で心配されて、石崎の奴もモテる男は辛いねってか」
「分かったよ。有彩ちゃんには俺から話をつけてやる」
「出来れば、直接会って話したいんですけど」
「あぁ。分かった」
早速、電話をしてくれる。
彼も親友の行方を追っている者としては当然のことのように協力を惜しまない姿勢を見せてくれた。
ちょうど高校も進級・入学のシーズンで授業はなく早上がりで帰ってる頃だったお陰か意外と早く事が進みそうだ。
時刻にして15時。
来たのは私と土夜さん、乃愛さんの三人。
神日さんは一つ頼まれ事を引き受けて音黒さんとどこかへ行ってしまった。
「乃愛を守るのは私の役目よ」
音黒さんは薄ら笑みを浮かべながら、決戦に備えて買うものがあると着いていき、残った三人で剣先輩が有彩と言う子を連れて来るのを公園で待つ。
駐車場やバスケコートまである広い公園で休日には家族連れなどで賑わうらしく、今も学校の早上がりが影響してか高校生の集団が利用する姿も見られた。
「ふぅ……」
一日で、こんな慌ただしく動くことになる気疲れからか、今になってあの恐ろしかった記憶も幻ではなかったかと思えてすらくる。
しかし、現実はそうでない。
私を空想から引き戻すように剣先輩の賑やかな声と共にいる甲高い女の子の声が聞こえてきた。
「私、都津呂 有彩って言います!」
ポニーテールを結ったセーラー服姿。
ハキハキとした明るい印象を受け、私たちを大学生としってか深々と頭を下げるなどとにかく思い切りが強い。
そして、彼女の手元にもまた乃愛さんのと似た革のグローブが付けられているのは恐らく噛み跡を隠すためなのか。
各々、隅の木でできたテーブル付きのベンチに座ると剣先輩と有彩ちゃんに向かい合う形で三人横並びに座る。
「早速だけど、実はこの子。過食症に悩まされてるみたいでな」
「君も過食症に悩まされていたんだって?」
相変わらず、代表して話してくれるのは土夜さんだ。
「はい」
「君の先輩、俺達の先輩でもある石崎先輩がな。君がいい病院を知っているから紹介してもらったらいいって教えてくれて」
「そうだったんですね」
ずっと自分の呼ばれた理由が分からず話が見えてこないキョトンとした顔をしていたが、やっと合点がいったと言う風に笑顔で答えてくれた。
「よければ。同じ症状同士、少し話もしてみたくて。そこからなにか改善点も見えてくるかもしれませんから」
話に合わせた乃愛さんの反応からす、有彩ちゃんは少し考えて自分の症状を思い出し始めた。
「えーっと、それが出たのは確か一月半ほど前でして」
「急にお腹が空いて苦しくて苦しくて、最初先輩に相談してたんですけど」
「そしたら、夜中急に自分の指を噛み始めちゃって……本当に自分でもなんでなのか分からないですけど」
「気がついたら病院のベッドにいたって感じでした」
「そしたらですね、私の噂を聞きつけてくれたある精神科の先生の治療を受けたらあっという間に治っちゃったんですよ」
ここまではメモの通り。
最も知りたいのはこの先だ。
進行しているのは土夜さんなのに、何故か一言も喋っていない私の方が緊張してきてしまった。
「治療って、どんな?」
「お茶飲みながら話すだけです。学校どうかとか、音楽は聞くかとか」
淡々と語ってはいるが、本当に治療と呼べるのか怪しい。
本来、過食症はストレスが原因で起こる精神疾患の一種で、長期的な治療を前提とするカウンセリング一つで簡単に治ってしまうような物でないことは、この場にいる者ならすぐに分かる。
患者の気持ちを解きほぐすのに雑談を交えることはあるけど、それ自体が治療になるなど、勉強中の身と言え疑わしい。
「あ。あと、お腹が空いて来たときのお呪いを教わりました」
曰く体育会系らしい彼女が知らないのも無理はない。腹だたしいのは知識の不足を利用して人を食い物にする奴だ。
お呪いで病気が治るものかという憤りの中、私が聞いた言葉は思わず耳を疑うものだった。
「ウガァ クトゥン ユフ」
「なにそれ……?」
聞いた時は変な呪文としか思わなかった。けど、私はその言葉を初めて聞いた気がしない。どこだったか、それもごく最近の筈だと頭を回していた所で思い出した。
そうだ、血まみれの仁路先輩が最後に口にしていた言葉だ。
「中世ヨーロッパの呪い師に伝わる言語らしいです」
『……確か、意味は私をアナタに捧げます。だったかしら』
「え?」
ミコトの言葉は、私の疑惑へ後押しするに充分だった。
『ちょっとね、言わば自分の魂を食べていいっていう契約の言葉よ。それ』
もしかして、本当に善意のまじない師か何かが出ないかという疑念はあった。
あんな呪いがあるくらいなら、いい魔法じみた物もあるかもしれない。
「ウガァ クトゥ」
「だめっ!」
しかし、それを聞いて完全に私の中で疑念は黒へと変わる。
「その言葉を言ったらダメ!」
私は、その言葉を聞いて何がなんでも止めなければ。と言う気持ちだけで動いていた。
後から思えばなんでテーブルなんか強く叩いてしまったのか。
「アマテさん?」
全員、訳もわからず引いている。
周りどころか、関係ない店員や客まで私の方を向いて注目を集めてしまう。
私は、恥ずかしさのあまり消え入りたい気持ちでまた席につく。
『止しなさい。もう好きにさせとけばいい、見た感じすぐ死ぬ呪いって訳じゃないから』
止まってしまった流れを土夜さんが強引に咳払いして戻し、話を続ける。
「あー。で、その女医ってのは誰なんだ?」
「名刺がありますよ」
私の方を向いていたせいか、動く時に若干の間があった。
「水崎 裕子か」
過食症専門の医師で、彼女の他にも同じ症状に悩む人を多数治療してきたらしい。
「今日、往診の日でしょ? 良かったらこのお姉さんの紹介がてら付いてってもいいかな?」
「はい! 是非、先生の治療は本当に凄いんですから、体験してくといいですよ!」
私は早速、スマホで検索をする。
診療所はその水崎という医師が一人だけで料金も破格、バスでも少し遠い所にある以外は普通の診療所に見えた。
「その病院って、何か変わったところはないか? 参考までに聞いときたいんだ」
「例えば、蛙とか」
蛙。あの私が見た、泥だらけのカエルのことも伝えてある。もしも
「あはは。私、蛙だめでさ……」
なんだか乃愛さんも、口裏合わすのが上手くなっていた。
「蛙……ですか?」
少しだけ具体的に確信に詰め寄っていくと、有彩ちゃんは少し考えてから
「あぁ、確かに蛙の鳴き声は聞こえますね。近くに沼があるからって言ってましたけど、見たことはないから大丈夫ですよ」
「他には……あ、そう言えば。なんか、こう……最初病院のベッドで診てもらった時、変な音がしたんですよね」
「熱めのお搾りを顔の上に乗せていたから見えなかったですし、先生は治療に使うリラックス効果のある音波って言ってましたが」
「なんていうか……楽器? なんでしょうか。聞いたことのない奴でした」
海外の民謡楽器とか、そんなやつだろうか。と考えていると、有彩ちゃんは説明の仕方に困っているようだ
「ガラスがこう、キッキッて中で空気の玉が暴れてる感じの」
言葉じゃ説明出来ない音だと、身体やら口やら使って身振り手振りで表現する。
私の察しが悪いからか、それとも私の記憶にピンとくる物がないからか思い当たる節はない、しかし一生懸命な子だなと言うのは伝わってきてなんだかこんな時だけど微笑ましい。
「……それはビードロじゃないですか?」
ここでピンと来たのは乃愛さん。
でなく音黒さんだ、いつの間にかLINE通話で音黒さんにこのことを同時中継で聞いていたらしい。
「彼女。なんかそういう神秘的なグッズに詳しいからもしかしてと思って」
土夜さんは、すぐにスマホで検索すると彼女の言うガラスの中で玉が弾けるような音が聞こえてくる。
「あっ! そうです、この音です」
キーワードは蛙とビードロ。
この2つを注視すべきか。
すると、ちょうど終わったタイミングを見計らったように神日先輩たちが帰ってきた。
「お待たせお待たせ。お望みのもの用意できましたよ」
公園の駐車場に用意されていた二台の軽自動車、片方は神日さんのでもう片方がレンタカーだと言う。
「おぅ。ご苦労さん」
「有彩ちゃん、乗ってきなよ。紹介してくれた礼に送ってくよ」
「いいんですか!?」
バス代が浮いて助かると、ちゃっかりした所は先輩の印象通り。剣先輩と有彩ちゃんが先に公園を出たのを見計らい私と乃愛先輩だけになったところで呼び止められる。
「なぁ。一応確認しときたいんだけど……キツイ言い方すれば乃愛さんはもう事件の当事者だ」
「あんたは何も悪くないにしても、俺は貴女を利用する形で事件の解決の糸口を掴むことになる。無論、最悪の場合は貴女の命が助かることを最優先にする可能な限りの努力はするが」
「覚悟はしてる……つもり」
呪いがかけられてるのは他でもない乃愛さんだ。彼女は、恐る恐るとだが頷く。
「けど、君は帰った方がいい」
その言葉が、すぐ私へ向けられた物だと気づいた時、驚きはあまりなかった。
冷たく突き放してるようで、彼の眉が垂れ下がり私を心配していることは伺える。
『まぁ、ぶっちゃけ何の役にも立ってないしねぇ』
いつもならうるさいなと返す茶化しに反論できなかったのは、人前だからではなかった。
確かに、第一発見者と言うだけで私はもう部外者だ。
「本当に私の為に無理しなくていいんですよ?」
「あぁ。もし、あんたが使命感とか義務感とか……責任感じてるならそれは気にしなくていい」
「お嬢ちゃんは日常に戻った方がいいんじゃないか?」
「それでも、私は行く」
これじゃあただの実験に首突っ込む不謹慎な奴ではないか。
そう思っても、私はただこの件を中途半端で終わらせたくなかった。
「おいおい……」
「私も、お節介なだけだから」
いや、終わらせてはならない。
そう何かに背中を押される形で、私は前に出た。
「ありがとう。本当は一人だと心苦しかったんだけど、アマテさんいてくれたら安心するよ」
仕方ないと土夜さんも、ため息をつく。
すると、いつもの張り付けた笑顔のままで私に告げてくる。
「けど、万一の時は助け合いはなし」
「いざという時は例え俺や、誰かを見捨てでも自分の生存を最優先にすること。それが条件だ」
「分かりました」
『やれやれ。人間は本当お節介好きなのね』
手筈としては、まず私たちの乗る一号車は土夜先輩が運転し、私と乃愛さん、音黒さんが乗って先に診療所へ向かう。
後をついていく神日さんの乗る二号車は残る三人が乗り、途中運転手の彼がお腹をくだしたフリをしてコンビニへ寄る。
「はい。分かりました」
「神日さん、トイレ入ったみたいです」
「ここから起こすのは荒事だからな。呪いの解除の仕方をなんなら力づくでも聞き出す必要がある」
そんな物を有彩ちゃんに見せる必要はないと言うことだ。
「……再三確認するけど、今から降りてもいいんだぜ」
「大丈夫です」
その間に私たちが、先へ到着する。
「私は近くで待機してるわ」
音黒さんは、事前に神日さんと買った物をいつでも用意して置けると車に乗ったまま待機し、向かうのは三人。
「これ、何かあったときに使って」
いざという時の秘密兵器だという物を預かり、私は土夜くんの先導に従ってついていく。
「こんにちは」
白い清潔感に溢れた診療所。
と言うには些か遠い、昔何か別の施設か何かを改築したのではないかとそう思わせるほど、床には靴の足跡やゴミなんかも落ちており、掃除もされていない。
「あの、初診なんですが」
診察室の奥から出てきた水崎女医は、スマホの写真でも見たのと同じ若くスタイルの整った長い黒髪の女性で雰囲気だけであれば、ベテランの風格もある。
「はい。今、ちょうど予約入れてた方が遅れるという連絡ありましたのですぐ受けられますよ」
「ありがとうございます」
「あの……私は付き添いで、それと……近くの医大生でして、是非。過食症の専門医として有名な先生の治療を拝見したくて」
「まぁ。それは素晴らしい心掛けですね、どうぞお入りになって」
同室の許可を得た。
ここまではいい。
診察室は、表の待合室より幾らか清潔か。それでも、ささくれだった赤いカーペットとキツイ香水の匂いが鼻をつく。
とても診療所、というか医師免許を持った者と思えない衛生観念だ。
「どうぞ」
「いただきます」
お茶を差し出されたが、私も乃愛さんも手を付けようという気にはなれなかった。
「本日は、どうされました?」
乃愛さんは、一つ一つ自分に起きた表情を暈しながら伝えていく。
すると、うんうん頷いているだけで本当に聞いているのかも疑わしい相槌。
見ててなんだか腹立たしい。
まだ乃愛さんが話を続けそうな雰囲気があったのに、さっさと切り上げさせて水崎は自分の治療と称する行為へ持っていく。
「……分かりました。そういう事でしたら、まずはこちらへお掛けになってください」
「はい」
彼女が診察を受ける間に、私は診察室の中を伺う。蛙とビードロ、それに繋がる何かを見つけれればと、部屋の中を目配せするが一番怪しいのは水崎の後ろにある小綺麗な紫色の包みか。
「あの風呂敷が気になりますか?」
「い、いや……その」
「ただのガラス細工ですよ、インテリアにと思ったのですが、少々不気味がられてしまいまして。こう言うのは廃棄も面倒で扱いに困ってた所でしてね」
「それよりも、よろしければ貴女も横になって見たらどうですか?」
私の背後から優しく囁くような声は、まるで胸の内を鷲掴みにされたような感覚だった。
「是非、一度。体験されてみるとよろしいですよ」
診察台はもう一台ある。
乃愛さんと同じく、仰向けに寝て濡れタオルを顔の上に乗せるだけ。
「それはもう、天国にも昇る心地の良さだと評判なのですから」
ぐいぐいと押してくる彼女に圧されて、私は思わず診察台に座ってしまう。
『安心なさい、私が見てるから』
水崎にもミコトのことは見えてない。
彼女が見張っていてればと、私は診察台の上に仰向けで寝ると熱い濡れタオルを目の上に乗せられて視界が暗転する。今、私は視界を閉して無防備な身体を晒している。
そう思うと、とても落ち着いてなどいられなかった。
するとアロマの香りだろうか、仄かな甘い匂いが漂い出し今度は、蛙の鳴き声が聞こえるようになってきた。
目を閉して、他の感覚が過敏に鳴り出したのか色んな音や匂いが入り込んで来る。
『アマテ。落ち着いて聞きなさい』
ミコトの声だ。
『逃げなさい、今すぐ!』
私は彼女の言葉を信じて起き上がり、濡れタオルを取った。そこでは、女子らしからぬ歯を剥き出しの大口を開けた、正気を失った乃愛さんが私を喰らおうとしている。
「うぅ……! があああぁぁっ!」
「!?」
私は、ミコトの一言があったおかげで初撃をかわし、避けることが出来た。
彼女から感じる明確な意思と、強い敵意……否、食欲を向ける対象を自分から私へと変えてきている。
乃愛さんのヘソの辺りから例のあのヒキガエルが顔を出している。
蛙は、口からポワっと言う光の玉を発しあの紫の風呂敷の中、わずかに顔を覗かす蛙の姿を象ったガラス細工の中へと吸い込まれていく。
「見ましたよね、今」
それを見られた水崎の表情は悍ましい物だった。とても人間の出来る憎悪の顔でない、醜くしわがれた山姥のようですらあった。
「他人の肉を食って、初めて儀式は完了。その時こそ、この子も完全な眷属となれたのですが」
悪いことというのは、連続して重なるものだった。
診察室の反対側、待合室から土夜さんの声が聞こえてきた。
「あらあら。もう一体、私の眷属が近くにいたようで」
まさかとは思った。
なぜ、引き離した筈の彼女がここにいるのか、そんなことを考えている間もなく窓の外から慌てた剣先輩の表情があった。
「見せてあげたかったなぁ、あの子が私の目の前で人を食べた瞬間を」
そう言って、水崎は診察室の奥のロッカーを開けた。
カタンっと言う音を立て、白い塊が転がり落ち、それはガラガラと、音を立てていくつも同じ物が落ちてくる。
その形を見た時、私は驚嘆し言葉を失う。それは人間の頭蓋骨だった。一つ二つだけでなく、あのロッカーに詰まっていた分すべて。
丁寧にも額部にマジックペンで名前を書いており、どれだったかと探り当ててはその一つを手に取った。
「陸上部の親友だったって言ってた。この子だったかな」
頬ずりしながら、まるでなめ回すように愉悦の表情で私へ見せびらかす。
骨のサイズは大小さまざま。子供のサイズでないかという物まである。この冒涜的かつ、胸の奥から吐き気のこみあげて来る異様な光景に、思わず悲鳴をあげそうになった。
『なんて奴……』
「分かる? これみんな、私の眷属が食べた餌たちなのよ」
「でも分からない。眷属たちは、どこにいようと行動も記憶も全部私の意のままに操れる!」
診察室の扉を突き破り、悍ましい獣の顔となった有彩ちゃんは私を挟み撃ちにする形となった。
「フシュウウウウウ……!」
化物が二体、いつ私の血肉を喰らおうと歯を剥き出しにし涎など垂らして牽制しており、退路をなくした私はじわじわと壁際に追い込まれていく。
その威圧に私は息が詰まりそうになり、なんとか息を吸おうとしても胸の奥に何かがつかえてしまったみたいだ。
「私だって」
一歩、一歩。もはや私を私と認識していない二人は大口を開けて私を喰らおうと一気に距離を詰めてきた。
「やる時は、やってやる!」
こうなることを覚悟してなかった訳じゃない。私は、事前に貰っていたポケットの防犯ブザーを思い切り引き抜く。
小学生の使う緊急用の金切り音がそこらで響きわたり、いくら正気を失ったといえど根本は生物か。
音に怯み、後退りし私は一瞬だけの猶予を得ることができた。
「目を閉じて!」
その音を聞いて駆けつけてきた音黒さんの呼びかけで、私はすぐに目を閉じる。
「閃光弾!?」
瞼の奥で激しい光が放たれた。
咄嗟に目を閉じていなかったら、光にやられていただろうと感じる程の強い衝撃が診察室の中で炸裂した。
「がっ……ぐ!」
直に光を見てしまった有彩ちゃんと、乃愛さんは目をやられて目標を見失う。
しかし咄嗟の反撃故にこちらも被害はあったか、窓の外で一瞬目を閉じるのが遅かった剣先輩は目を少しやられてしまったようだ。
「先輩、つかまって」
「悪ぃ……」
剣先輩は音黒さんに任せ、一度二人から距離を取るよう土夜さんの更なる指示が飛ぶ。
「……ごめん! 二人とも!」
惜しみながらも診療所を出て、すぐに土夜さんと私は外へ飛び出る。
「すみません、土夜さんっ!」
次から次へと状況が動く。
私達の前に、思わず轢かれるんじゃないかと言う勢いで車が到着。神日さんが剣先輩と音黒さんを拾って、こちらへ来ていた。
「助かる」
車に乗って安心してられるのも束の間。
今の二人のパワーはあのとき見せた通りだが、スピードも常人から外れた物になっているのか。
「嘘ぉ!?」
その二本足で全力疾走する速さは動物の豹かチーターかの速さで車を追跡する。その尋常でない光景を後部座席から確認していた筈の私だったが、突然二人の姿を見失った。
「ど、どこ!?」
すると屋根に何か硬いものがぶつかった音がする。車体にしがみついているのか、ゾンビ映画さながらの光景で真上から生気の抜けた顔が張り付く。
「ちょ、土夜さん! ヤバイっす! 」
車体の窓が突き破られ、乃愛さんの素手が一瞬入ってきた。この車もあまり長くは持たなさそうだ。
「あ。あいつ逃げる!」
すると、森の隙間を縫って水崎が風呂敷を抱えたまま走り去る姿を音黒さんが見逃さなかった。そのお陰で、私もなんとか森に消えていこうとする後ろ姿を捉えることが出来た。
「あの女が抱えてる風呂敷の中身を壊せば二人も正気に戻れるかな?」
『あんた、まさか馬鹿なことは考えないでしょうね』
このままでは逃げられてしまう。
「止めてっ!」
「そんなこと言った……って!」
助手席に乗っていた土夜さんが強引に足ごと踏みつけて急停止させる。かなり強引であったが、車体にしがみついていた二人も慣性の法則から振り払われて、地面に投げ出された。
下は土であることや、肉体が強化されていることから大丈夫だろうか。
「待てっ!」
絶対に逃さない。私は車から飛び出して水崎を追う。
森の中で運動靴の私とヒールの高い靴を履いてる水崎となら、簡単に距離を詰めることができた。
すると、水崎は懐から黒光りした手に収まるサイズの塊を取り出して私に向けて宛てがう。それは、実物を見るのは初めてな拳銃であった。
「死ねぇっ!」
しかし、そんな物を確認しようとも全力で走っていた私は、恐れる暇も急ブレーキをかける暇もないまま、拳銃の攻撃が来る前に走り出している。
耳を劈く銃撃音。映画や漫画なんかで、聞いたことはあれど実物は初めて耳にする。
耳の奥から鋭い痛みに鼓膜が震え、脳まで揺さぶられる激痛に私は一瞬、自分が撃たれたと思ってしまった。
だが、後ろを振り向いた分と拳銃を撃った分の反動で私の手はまっすぐ、風呂敷の中身の像まで伸び、触れることができた。
「えいっ!」
そのまま、力任せに手から引き剥がす勢いで叩き落とす。
スルッと手から抜けていった蛙の像は、ガシャンと言うガラスの割れた音で粉々になった。
「な、なんてことを!?」
水崎は、蛙の置物が割れたことに酷く憤るでも逆上するでもなく、割れたという事実を恐れ、その言葉の意味を理解するのに事足りる自体に遭遇することになった。
風呂敷の隙間から、ドロドロとした液状の塊が滲み出てくる。それは私と水崎の足元へも浸食し、逃げる間もなく一瞬で視界が真っ暗に覆われていく。




