虎伏山の灯③
私たちの耳にはそれこそおとぎ話とか、創作上の出来事に聞こえたろう。
乃愛さんは言葉に詰まりながら、恐る恐ると反応を返す。
「生贄って……あの、生きたまま人を神様への供物にする、みたいな」
「えっと……まさか、それがあのダムで行われてるってことですかね? もう令和だってのに……」
土夜くんですら、暫く言葉に詰まっている。
ここにいる全員、どこか半信半疑と言った反応だ。
「俺も実際にやってるの見たことはないからなんとも言えないが……確かにこの土地には生贄の風習が割と最近……昭和の初期頃だな、その頃まで残ってたっていう文献はある」
そう言って、刑事さんは本棚から一冊の本を持って来るが、中はあまり気分のいいものじゃないと見ないことを強く勧められた。
「ほぅほぅ」
土夜くんが掻い摘んで話してくれるには、表立った事件となってはいないが、以前溜まった水の開放されたダムの底で幾つもの古い骨が出土されているらしい。
「何かしらの事故でないことは、遺体のすぐそばに置いてあった幾つもの副葬品。縛り付けられていたと思わしき骨の形から、当時調べた警察関係者はそう解釈したようだ」
「本当に……そんなことが」
乃愛さんは「まさか」と言う気持ちで、どこか遠くの話を聞いているように気持ち整理ついていない様子だった。
「加えてあの信仰心。まだやっててもおかしくないってのが現状なの?」
またしても平たく言えば、山の神の怒りに触れた愚か者四人をとっ捕まえ、怒りを鎮めるための供物として生贄に捧げる……その為に彼らが幽閉されてる可能性も浮上してくるわけだ。
「そういうことだな」
しかし、私は疑うことなくその言葉を信じた。
生贄。儀式。所によって供物にされることを栄誉として自分から志願するような風習もあるようだけど、私は二度と御免だ。
「あの。御上さん、どうかしましたか?」
「……なんでもない」
別にこの四人の安否は正直二の次くらい。しかし、生贄なんて言うことを平然と行われている胸の奥からこみあげて来る緊張にも似た動悸。
「絶対止めないと……」
瞼の裏に今でも強く焼き付けられた、巨大な怪物が人を喰らい、溶かし尽くすあの凄惨な世界。
儀式と言っても実際に意味や効果があるかは知らない。
よしんば成功に終わったとしても、あんな事が起こる訳じゃないだろう。
しかし、なぜか私はまるでこの生贄によって、またあの惨劇が引き起こされるのではという妄想にも近い気持ちが湧き上がっていた。
「そうなってくれば、今度は私刑罪、監禁罪とかもついてくるってことか」
「そう言うこと。ここの風習がどうだろうとここは法治国家の枠の中だ」
立派な言葉を綴るようで、正義感による行動や義憤に燃えているような人物でないことは察せられる。
「んなことになったら、また面倒な話になっちまうし……上からもその時お前は何してたんだ攻撃もうるせぇし……とにかく、何がなんでも行方不明の四人見つけないとならねぇ」
実際はこういう所。
『下手に善意で動いてるより、自分の損得を天秤にしてる人間のが信用できるってなものよ』
「不良刑事は言うことが違うや」
「うるせぇ……あ。村の地図があった」
本棚へ雑多に積まれた本の中に折りたたまれた紙が一枚広げられる。手書きと言うアナログな手法を用いられていながら専門知識と測量を持って測ったのだろう、あの村を中心にダムの位置が綴られている。
「ダムを通るには、この村を経由しないと通れないんですね」
「そこが厄介なんだよな……ここから突っ切るにはロッククライミングでもやるしかないくらいに」
村とダムを経由する為の唯一の一本橋。
しかし、平時には有刺鉄線付きの鉄柵が施されている。
「普段ですら近くにすら行かせてくれないんだが、最近……その件の行方不明事件があってから尚ピリピリしてて夜中にまで見張り立ててやがる」
正攻法で行くのはもう諦めたほうが良さそうだ。
「とは言え。向こうも人間だ、夜中になれば夜目も効かないだろうし、気も緩んでくるだろうな」
「お前な。夜の山を突っ切ろうなんて、バカ。素人でも分かるだろ、辺りでクマの被害も少なからずある」
土夜くんの突拍子もない発言は、成也さんでなくミコトに向けて居たのだろう。
『ま、地上の生き物に負けることはまずないでしょうし、軽く飛び越えることも余裕よ』
「……土夜。お前、なんか随分変わった友達連れてきたな」
「ははっ。だろ?」
「俺も、この事件が解決できれば手段なんてどうでもいいとは思ってはいるが……くれぐれも無茶はしないでくれよ。始末書が増える」
「ハハハ、さぁ。どうだろうな」
「おいっ。おいっ!」
土夜くんはヘラヘラと笑いながらちょっと下見をしようと私を連れて屯所の外へ出る。
現在午後5時。
陽も暮れかけ、夕焼けが広大な土地を茜色に染め上げていく。
「待ってよ二人とも」
「音黒さん」
「ふぅ……土夜さんのことだから多分なんかの作戦の準備思いついたんでしょ?」
「まあ思いつく為の下準備だけどな。ちょっとこの辺り」
さっきの地図はスマホで収めてある。
五人分、既に回してあるようでいつの間にかメールが届いていた。
「このダムに回る為の下見を兼ねてな」
「じゃあ私も行く。なんかこのままじゃ微妙に役に立ってない感じだし」
「あはは……そんな気にしなくていいのに」
そんな私達をへ夕焼けの光が木漏れ日となって直に降り注ぐ。燃えるような橙色に混じって群青色の空がじわじわと光を食らっているかのよう。
こんなに美しいのに……私は、美くしさと同時にどこか不気味さを感じていた。
「……っ」
不意に頭が痛む。
こんな気配を昔見たことあるような気がする……それも、私の中でぽっかり抜けている空白の記憶。
それは巨大な化け物が空を食べてしまう夢。闇が、白い紙の上に落とした墨のように広がって人も、街も、何もかも飲み込んでしまいそうな。
その光景をただじっと眺めていたのは、私だけでなかった。
男の子だろうか、顔に霞がかってよく見えない。
この子は一体、誰なのか。
「大丈夫? 天照さん」
「え? いやいや、なんでもないなんでもない。大丈夫」
「高山病か? 下見は俺たちでやって写真撮って変えるから仁路ちゃんとこ帰ってもいいぞ?」
今、声をかけてもらわなかったら、私は深い奈落の底に落ちていたかもしれない。
足が、靴が、ちゃんと地面の上に乗っかっていると言う当たり前のことに酷く感謝すら感じてしまった。
「ううん。大丈夫、いこ」
私たちは登山コースから外れて少し足場の悪くなった山道を突っ切って、崖が見えるところまで来た。
パックリと切れ目のように開いた崖と崖を隔てた先、森しか見えないがその先にダムがあるのだろう。
「距離20m。風向きよし、下は約50m」
それを阻む自然の濠と要塞。
土夜くんが慎重に底をのぞき込み、面白半分に小石を谷底へ転がしたりしている。
彼はなんでそういう小学生くらいにイタズラめいたことが好きなのか、私は10mより近くには絶対近寄りたくもなかった。
高所恐怖症でもないが、高所恐怖症でなくても落ちれば死ぬと分かる高さを前にすれば嫌でも足が竦む。
『これくらいなら跳べないこともなさそうね。ついでにあと一人くらい連れてこれるかも』
「本当? 良かった……流石に一人で夜道歩くの心細かったから」
『途中で落っことしちゃったらゴメンネ』
『シオン』
「ところで……なんかダム探索の話にすり替わっちゃったけど、妹さんの捜索は大丈夫?」
「逆にダムの方から何か感じない?」
『魔力は感じないけど……そうね。けど、逆かしら』
「逆?」
『魔力を感じなさすぎる。魔力ってのは石とか、草木にも僅かながら宿ってる物なのよ』
『この先にある筈のダムからは、まるで魔力を感じない。まるでそこだけ何もない虚空でも空いてるかみたいに』
『つまり、魔力を遮断している何かしらがあるってこと』
『そういうこと』
「そんじゃ、下見も済んだし一度戻るか」
踵を返して、一度。私たちは仁路さんの屯所へ戻ろうとした時だ。
パキッと言う枝葉を踏む音に気を取られ、一斉に音のなる方を振り返る。
「鈴木根……」
あの村の先導者。
村人を言葉巧みに操る元凶か。
彼は、いかにも私達を敵視した表情で睨みつけている。
「まさかとは思うが、縄でも引っ掛けて渡ろうなどと野蛮なこと考えてはいるまいな」
「ハハハ。なんの話ししてるのか」
実際はもっと原始的かつ野蛮に行くので嘘にはならないのだけれど。
「儀式の日までは30人体制で張っている。発見次第、即座に縄を切断することも厭わない連中だ」
「好奇心も程々にしておくんだな」
なんでそこまで……と言う疑問も、思い返せば私が生け贄とされた時もこんな感じに常軌を逸した大人たちに囲まれていたことをなんとなしに思い出す。
彼らは「殺しは犯罪、悪いこと」と習わなかったのか。
そう問い詰めたくなるほど、私を化け物への生け贄に捧げようとした。
それを邪魔しようとした警察の人間が何人か惨殺された。
知らない大人が何人も……きっと、私の他に生け贄にされた子の親か。儀式の邪魔者として袋叩きにされていた。
お互いに言葉は通じている筈なのに、理解が一切及ばなかった。彼らが何を言っていたのか今さらそれ以上は理解したくないし思い出したくもない。
「ご忠告どうも、行こうぜ」
胸の悪くなってきた私たちはこの場を後にする。
「あいつね。この村の先導者って、感じ悪い」
音黒さんは執拗に後ろの方をチラチラと見てまだこちらの様子を伺っている鈴木根を睨み返す。
「あいつは厄介そうだな、出来れば関わり合いにならないのが正解なんだろうけど」
駐屯所へ戻ってきた私たちの鼻を擽るのは覚えのある芳しい香り。
「お帰りなさい。直にカレーができますよ」
「あ、うん……」
駐屯所では乃愛さんがカレーを拵えていた。
「と言うか、そんな大荷物抱えてカレー持ってきたの?」
一体どうやってしまっていたのか。
大きな鍋で、グツグツとカレーを煮込んでいる。
それも、飯盒炊爨。煉瓦と薪で焚き火を起こしており、本格的なキャンプカレーを作っていた。
「乃愛って凝り性よねぇ……」
「駐屯所の炊飯器くらい貸すって言ったんだけどな」
「はい。レトルトですが、たくさん用意しております!」
「せっかく山に来たんですから、電気を使わずアウトドアですよ」
その前向きというかどこでも楽しもうとする冒険心に私は安心を覚える。さっきまで、一人アレコレ思い出していたのもどこかへ吹き飛んでしまったみたいだ。
「はい。アマテさん、ミコトさんとシオンさんの分もありますよ」
「重っ……! ありがとう」
たっぷりと山盛りかけられたのが三人分、お盆にのせて貰った。腕がプルプルと震えるほどの量に私は、なんとか耐えながら適当な腰掛けられる石を見つけて座り込む。
『これが人間の食事? 変な色』
『こら、シオン。不作法と言うものよ』
『ま、今はお腹空いてるから食べてあげるけど』
そういえば、これって何口だったか。
私は中辛くらいまでなら平気だけど。
『あ……そういやシオン』
『辛ぁぁぁぁぁぁあああっ!』
シオンは音域を破壊するほどの絶叫を発する。
それは、皆に聞こえることはなくとも私には一瞬鼓膜が裂けたかと思うほどの音波。
聴覚、としては届かずとも叫びと共に放たれた膨大な魔力は周囲に影響を及ぼし、カレー鍋がグラグラと揺れてこぼれそうになる。
「っと、セーフ……!」
慌てて神日さんが鍋ごと抱えて事なきを得るが辺りの木々に眠っていたのだろう森の動物、カラスや鳥たちが一斉に飛び出し避難を始める。
「ちょ……なにが起きてるんですか?」
「ゴメン……シオンが辛いの苦手だったみたい」
『あー。シオン、舌先に刺激の来るタイプの味は苦手だったわね確か』
『こんなん食べて平気でいられるなんて本当どうかしてるよ人間って! バーカバーカ! 雑魚人間!』
半泣きになりながら罵倒されても迫力に欠けるのだが、彼女なら怒り狂ったモノのはずみで命を奪って来そうだから始末に負えない。
ーーーーー
その発した魔力の余波は村にも届いており、家畜の牛や豚、鶏が何度も暴れるのを宥めるのを躍起になる者。
主の怒りと解釈し、祈りを捧げる者と様々いる中でこの異変の正体に勘づくものが一人。
『……今のって、まさかシオ姉の魔力?』
ーーーーー
シオンは私の持ってきたお菓子を沢山食べて機嫌を直してくれたようだ。
私と言えばシオンの残した分のカレーも食べて今、めちゃくちゃお腹が痛い。作戦は今夜だというのに……登山で枯渇しきった分、なんか普段より食べられる気がしていた。
『馬鹿ね』
「はい、馬鹿です……ちょっとトイレいきたい」
こんな山奥でも、水洗のトイレを使えるのは心底有難かった。
キャンプ的に河原の水なんか汲んで使えば洒落てるのかもしれないけど、水質の保証されていない水を使うのは勇敢とか自然的でなく無知と蛮勇と私は思う。
偉大な発明に感謝しながら、皆のとこへ戻ろうとするがその背後。休憩室らしき畳の間は溢れかえらんばかりのゴミ袋。脱ぎ散らかした服に、ダンボールの山と悲惨な有様。
「……」
「あー!待て待て待て!」
仁路さんが慌てて止めてきた。
「アマテさん、その辺にエロ本隠してあるから探すなって」
その理由を音黒さんが何故か言い切るのだ。
「家探し屋が、家探しするなって。本当笑っちゃうわよね」
「音黒さん……なんか警察に嫌な思い出でもあったの?」
彼女の表情から、どことなく黒い笑みが見え隠れしており、私は聞いてはいけないことを聞いてしまった気分だ。
「でも、本当に男の独り暮らしって感じよね。お宮の管轄が入らないから好き放題」
「うるせぇ。そんな外が好きなら虫と戯れてろ、夜は蚊が飛ぶし梟も喧しいがな。夏と思って薄着で寝て風邪引いてしまえ」
これ以上、お上を怒らせる前に庶民は退散と洗った手を拭きながら私達は外へ出た。
そんな私の前へ、コーヒーを注いでくれたのは音黒さんだった。
「こう、特別なことがあると食べすぎちゃうのなんとなく分かるわ」
「ハハッ……ありがとう」
二人、コーヒーを傾けながらゆっくりと胃を癒やす。
現在7時過ぎ。空はすっかり夜模様。
しかし、都会と違って空を遮る物がなく、電気の灯りがないからか星がよく見える。
キラキラとまるで宝石を散りばめたよう、と言えば子供っぽいか。いずれにしても暫く空を見上げるのを私はやめられないくらい夢中になっていた。
「アマテさん、聞いてほしいんだけど」
「なに?」
「私、今回の旅終わったら神日さんに告る」
「ブフーーーーッ!」
いきなり大胆なカミングアウト。
飲んでいたコーヒーを噴き出してしまった。
一体、なにが彼女をそうさせたのか。
その大事に抱え墓まで持っていきそうなドリームキャッチャーになんの思い入れを持っているのか。
私は混乱と戸惑いが一気に押し寄せてきた。
「た、確かに。あの人、優しいし。顔立ちもいいけど……」
それにしては急すぎやしないか。階段を三段飛ばしどころか踊り場まで飛んでったくらいの勢いだ
「私、今まで乃愛くらいしかまともな友だちいなかったけど……なんか大学入ってからは積極的になろうって決めてたから!」
「え? あの衣装って大学デビュー?」
ゴスロリと日傘なんてコスプレの世界でしか見たことない。
「高二の頃から着てたわよ」
「十分攻めてるって……」
「なんにしても、私がこんな積極的になろうって思えたのはアマテさんがいたからかな?」
「わ、私?」
「アマテさんって、普段はなんとなく平凡って感じだけど……いざとなるととても勇気があって、正直。凄いなって思う」
「なんとなくさ、アマテさんって自然と周りに勇気をくれるような不思議な魅力あると思うの」
なんか、そう言われると照れ臭かった。
「オカルト的に言えば、そう言う運命。人を引きつけるオーラを持った人間ってとこかしら」
「ちょっと……ホメ過ぎだって」
私は私にできることをしてるだけだけど、そう言ってもらえると何となく嬉しい。
「ね、私たちさ。これからも友だちでいようね?」
「……うん」
「はい。ピースピース」
いきなり乃愛さんにカメラを向けられ私はスプーンを口に咥えたまま咄嗟にピースを返した。
「フフッ。目的は妹さん捜しですけど、こう言うのもきっと、思い出になると思うんですよね。帰ったら焼き増して皆にもあげますよ」
ここに来るまでも何百枚と撮っていたから、相当な量になりそうだと今からアルバムの心配をしてしまう。
「うん、そうだよね」
こうして友達と山に登れる機会が訪れるなんて思っても見なかった。目的は違うけど、本当に来てよかったと思わせてくれた。




