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12:30 飲まずにはいられないッ!

 歩き始めてから暫くしたところで、エルフの生写真が撮れないのかというメッセージがあった。ある意味、あって当然の要望なのだろうが、それに応じるのは少々難しい状態になっていた。


 というのも、つい先だって、出発前のことだ。

 時々ちらちらとこちらを見遣るエルフさんの視線を感じていたのだが、その原因がようやく判ったのだ。そう、携帯電話である。かのアーサー・C・クラークが唱えたあまりにも有名な言葉にもあるとおり、おそらく魔法の道具かなにかだと勘違いしているのだろうと理解した。

 それを察したあとが問題だった。ちょっとした悪戯心を抑え切れなかったのだ。

 エルフさんを手招いて、先ほど世界地図を表示してみせたときのように画面を指差してみせると、案の定だ。興味津々といった様子で、画面を覗き込んでくる。だが、日本語の文字列が並んでいるだけだから、意味は判らないだろう――『アラームの再生』と、画面にはそう表示されているのだけれど。


『――ッ!?』


 アラームが盛大に鳴り響いた瞬間のエルフさんの反応はといえば、全く素晴らしいものだった。笹穂型の耳をびくんと跳ね上げて飛び退き、こちらが手にしている携帯電話に、驚愕と怯えの入り混じった視線を向けていた。

 笑いながら、危ないものではないことをアピールしたのだが、この遊び心の発露は、少しばかりの影響を残すことになった。エルフさんも悪戯であることは諒解してくれたようだったが、次は引っかからないぞとばかりに、携帯電話を警戒するようになってしまったのだった。

 だものだから、カメラなど向けようものなら、ささっと逃れられてしまう。電波の彼方からの要望に応えられない理由は、このようなものだった。

 エルフさんの反応が楽しかったので、あまり後悔はしていない。それにしても、あの耳、観察していると感情に合わせてかなんなのか知らないが、よく動く。まるで猫の尻尾である。


「それにしても……あっつ……」


 日本はまだ涼しい季節だったが、こちらの気候は初夏といっていいくらいのものだ。その落差は、いささか辛いものがある。また、実際の気温に加えて、もうひとつ。

 頭上で輝いているふたつの太陽が、精神的にも鬱陶しさを増している。実際問題として、気温だけならば我慢できないほどでもないのだが、陽射しが二倍となると、体感温度がぐんと上がる。

 この分では、すぐに真っ赤に日焼けしてしまうことだろう。日本に戻れたなら、今後は、日焼け止めを塗って眠る習慣をつけた方が良いかもしれない。

 エルフさんはといえば、外套のフードを目深に被って、長い布をマフラーのように巻いて顔もほとんど隠している。種族や性別が知れないようにするためもあるのだろうが、この陽射しを避けるためというのが実際のところだろう。

 そういえば、自分が羽織っている白骨さんの外套も同じようなデザインだ。試しにフードを被ってみると、幾分か楽になった。熱が篭って暑苦しいのではないのかと思ったが、存外、通気性が良いようだ。おそらく、エルフさんが顔に巻いている布も同じような素材なのだろう。


「まあ、エルフが日焼けに強いとは思えないしな……」


 なんといっても、森のなかで暮らす種族である。生い茂る木々は陽射しを遮り、暑熱を和らげてくれるはずだ。長年、そんな環境で生きていれば、紫外線に対する耐性も大して育たないだろう。結果として、透き通るように白い肌に金髪やプラチナブロンドといった、色素の薄さが種族的特徴として生ずるわけだ。

 つまりは、エルフという種族全体が北欧美人みたいなものだな――などと、延々と続く草原の道行きの退屈を紛らわす思考を巡らせていると、エルフさんが足を止めてこちらを振り返っていた。

 ――待ってほしい。いまのは純粋に科学的な思索であって、邪なことを考えていたつもりは全くない。ノーカウント、そうノーカウントであるべきだ。

 そんな心の叫びが通じたのかどうか判らないが、エルフさんは小首を傾げて、また歩みを再開しはじめた。エルフさんの邪気レーダーは随分と鋭敏なようだが、誤検知は勘弁してほしいものだ。

 それにしても、エルフさんは健脚である。油断すると、小走りで距離を詰めないといけないくらいに差が開いてしまう。普段、健康のために、なるべく歩くようにしたり階段を使うようにしているのだが、所詮は内燃機関に頼りきった文明人である。自分の足か、精々がところ馬くらいしか移動手段のない時代レベルの相手とは、そもそもの基礎が違うということだろう。いずれにせよ、ひたすら歩くしかないのだが。


 ――それにしても、どれだけ歩いただろうか。途中、一度だけ休憩をとったが、ごく短いものだった。世間のエルフに対するイメージとして、足腰が頑健という要素はまるでないだろうが、認識を改めるべきだろう。考えてみれば、森に住む種族なのだから、当然かもしれない。整備されていない森のなかが歩き易いはずがない。起伏のある地形、木の根や倒木、岩石――諸々の障害のある森林地帯を日常的な生活な場としているのだ、自然、足腰も鍛えられるだろう。

 そろそろ、彼女の歩調についていくのも限界になってきた。災害時の帰宅難民にでもならなければ、現代日本でこんなに歩く機会などそうそうないだろう。

 まして、この陽射しだ。歩き始めた頃、ふたつの太陽はかなり高くにあったから、歩くには一番向かない時間帯だったに違いない。せめて日が沈んでくれれば楽になるのだろうが、生憎とここは日本ではない。街灯なんてあるはずがないし、モンスター以外の危険だって、ゼロとはいえないだろう。寝床や食事という面を考えても、出来るだけ、夜になる前に村まで辿り着きたいものだ。そこまで考えたところで、はたと思い至る。


「……ああ、でも……そもそも、夜ってあるのかな……?」


 頭上に太陽が二つあるということは、ここは連星系である。そして、宇宙には三つ以上の恒星を持つ星系も珍しくない――というより、一つしか恒星がない星系のほうが珍しいともいえる。ということは、三つ目や四つ目の太陽が、いま頭上にある太陽と入れ違いに昇ってくる可能性もある。

 それどころか、自転や公転の関係で常に同じ面を母星に向けているだとか、地軸の傾きや緯度の関係で地球の北極圏での白夜のような状態になっている地域だとかで、そもそも陽が沈まないということも有り得るわけだ。


『――イヨ、ルマト』


 そんな声に足を止めれば。はたと気付けば、川の流れる音と水の匂いが間近にあった。休憩ということだろう。

 早速、エルフさんは履物と外套を脱いで小川に入って、豪快に顔を洗っている。フードを取ったところは一度だけ目にしたけれど、あのときはあちらも構えていたから、自然な素顔を目にするのは初めてかもしれない。

 白い肌は水滴を弾き、水気を帯びた金色の髪は艶やかに輝く。何より、水浴びに興じるエルフさんの、無防備に緩んだ表情は大変にご馳走様といったところだった。

 疲れ切った足を流れに浸して冷やしながら、水浴びするエルフさんを肴に、平成からの遺物たるワインボトルを空けてしまうことにした。次の水場はいつだか判らないし、水を汲めるのはこの瓶しかない。かといって、残っていたワインを捨てるのも勿体無い。となれば、飲んでしまうしかないという寸法だ。

 そうして、ボトルに口をつけて一服して、ふと視線に気が付いた。無論、この場に自分以外にはエルフさんしかいない。その視線は、自分の手にしたボトルに向いている。


「えっと……?」


 そういえば、先の休憩のときも、エルフさんが手にしていたのは革の水袋だった。そんな時代レベルでは、ガラス瓶なんて宝物になるような品かもしれない。実際、トールキンの物語では、玻璃瓶といったらエルフの女王が手ずから主人公に贈った希少な品物である。

 とすれば、エルフさんがちらちらとこちらに視線を向けてくるのも、納得はいく。アーティファクト級の容器に収まったものを無造作に呷っているとなれば、それは味が気になるに決まっているだろう。

「……飲む? 」


 言葉は判らないだろうが、ボトルを差し出す仕草で判ったようだ。小川を波立たせながら近付いてきた彼女に、ボトルを渡す。濃緑のガラス瓶に貼られたラベルの文字をまじまじと見詰めていたが、解読は諦めたようだった。


『……イヨ、ルレク?』

「イヨ」


 イエスとノーくらいは判るようになっていたので、そう頷いた。なんとなく判ってきたのだが、どうやら、是非を示す言葉のあとに動詞がくるような文法の言語であるようだった。中高大と十年学んでも英語はろくに覚えられなかったのに、辞書も教科書もないのに半日かそこらで僅かなりと意思疎通が出来るようになるとは驚きだ。人間、必要に迫られればなんとでもなるらしい。


「さて、安物だけど口に合うのかな……」


 エルフというと、良いものを飲み食いしていそうなイメージがあるのだが、どうなのだろうか。定価780円、セールで300円で並んでいたのをまとめて買い込んだ日常消費用のテーブルワインが、口に合えばいいのだが。


『……ッ……!?』


 ボトルを傾けてワインを口に含んだ瞬間、エルフさんは目を見開き、口元を抑えた。直前に自分が飲んだかぎり、特に劣化もしていなかったし、普通に飲めたのだが――いや、自分が大丈夫だからといって、彼女にとって大丈夫とは限らない。

 自分はこちらの食べ物を口にしても問題なかったが、何しろ自分は人間だ。殆どの動物に対して致命的な毒となるタマネギだって、血液サラサラ健康食材として食べてしまうのが、ホモ・サピエンスという生物なのだ。同じヒト型の生物だからといって、同じことが可能かどうか。


「だ、大丈夫か……?」


 恐る恐る訊ね、様子を伺う。と、エルフさんの喉が動いた。口に含んでいたものを、嚥下したようだ。飲み下したということは、問題なかったのだろうか。


『……イマウー』


 そう呟くや否や、ふたたびボトルをぐいっと呷ってしまった。喉を鳴らして、残っているワインを飲み干していく。


「ちょっ……そんな、一気に」


 まるで水のような勢いでワインを流し込んだら、毒ではないにしても身体に悪いに決まっている。今時、一気飲みなんて体育会系の学生でもやらないだろう。ホストクラブくらいのものではないだろうか。

 ボトルに半分以下だったとはいえ、ワイングラス二杯分くらいの分量はあったはずだ。エルフさんの健康もそうだが、正直、この先の道程は大丈夫なのだろうかと心配になる。千鳥足の案内人に従って、見知らぬ土地で迷子になって夜を迎えるなどというのは、御免被りたい。

 それはさておいても、豪快にボトルを空にし、ぷはっと息を吐いたエルフさんの姿は、世間一般のエルフのイメージとは程遠いものだった。現実なんて、こんなものである。


『イマウ! アリガトー!!』

「あー……うん、まあ、喜んでもらえたなら?」


 少し酔ったのか、テンションの上がったエルフさんに、苦笑を返す。澄んだワインというだけで、それなりの高級品という時代レベルなのだろう。醸造技術もブドウの品種改良も進んでいるのだから、それはまあ、こちらのものより美味しいに決まっているのだが。安物のワインでここまで喜ばれると、なんとなし、申し訳なくなってくる。

「とりあえず、水、飲んどきなよ」

 エルフさんから空になったボトルを受け取りながら、川を指して、水を飲む仕草をしてみせる。この先もまだまだ陽射しの下を歩いていくのだから、きちんと水分をとっておかないと熱中症になりかねない。酒で喉は潤っても、アルコールの分解に水分が必要になるので、あまり意味がないのだ。


『トリアエズミズー』


 と、けらけらと笑ってこちらの言葉を繰り返す。大丈夫か、この子。いや、大丈夫だと思いたい。というか、大丈夫であってくれないと困る。


「はあ……」


 溜息を吐きながら、自分も水を汲んでおこうと、少し上流側に移動する。安いワインはコルクでなくてキャップ式だから、水筒代わりに使えて助かる。そこそこ重量はあるから、いざとなったら鈍器代わりにもなるだろうし。

 ボトルを水面に浸そうとして、はたと気が付いたことがあった。手が止まり、ボトルの一部分に視線が向く――エルフさん、直で飲んでたよね?

 それはまあ、旅では回し飲みくらいするだろう。わざわざコップに注がず、飲み口から直接飲むだろう。時代レベル的に当たり前かもしれない。しれないのだが、しかし。

 そっとエルフさんの様子を見やる。水面に顔を近付けて、掌に掬った水を飲んでいる。その口元と、手元のボトルを見比べる。


「いや、いやいやいや……それは、ねえ?」


 うん、それは人としてどうかと思う。放課後にリコーダーを物色する小学生でもあるまいし、社会人としてどうかと思う。しかして、エルフさんはとても美人だというのも事実である。

 脳内で繰り広げられる、天使と悪魔のハルマゲドン。どちらに軍配が上がったかは、想像にお任せしておくとする。

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