14:00 旅路は続くよ
ずっと歩き続けているのに、足取りは驚くほどに軽かった。休憩をとったからではない。それは、休憩中のちょっとした遊び心が生んだ結果だった。
《休憩中。川の水が疲れた足に気持ちいい》
《足が疲れたってやって、マッサージ代わりに踏んでもらえば?》
発端は、そんなメッセージのやりとりだった。自然、視線は同じように川の流れに浸っている、白い生足に向いた。
そこではっと邪な思考を抑えたのだが、エルフさんは特段なにも反応せず、足をゆらゆらと動かしている。アルコールのせいか、例の邪気レーダーが利いていないようだった。
なるほど、ワインでご機嫌になっている今なら、いけるかもしれない。問題は意思の疎通だが、言葉がほとんど通じなくとも、ジェスチャーでなんとかなるだろう。
「はー……しかし、疲れた疲れた」
わざとらしく呟きながら、流れから足を上げて、腿や足裏を揉んでいく。こちらに注意が向いたのを感じたところで、視線に気付いたように振り向いて、苦笑を浮かべて、足が疲れているのだとアピールする。
頑張れとでもいうように笑っているエルフさんに、追加でジェスチャーする。彼女の足を指してから、足踏みするような調子で両手を小刻みに上下させた。
少し悩んだあとで、エルフさんはその場で足を上下させてみせた。割と通じるものだと思いつつ、頷いて。その足踏みする様子を指し、それをこっちに、とでもいうように持ち運ぶ仕草を示してから、自分の足を指差した。踏んでください。
『……?』
軽く小首を傾げていたエルフさんだったが、流石にちょっと難しかったかなとこちらが思ったところで、その顔に理解した様子が広がった。
『ルト、ウロヒ? ルア、イヨ!』
――そうして、エルフさんが取り出したのが、凄まじい色の軟膏だった。青汁を煮詰めたような、どぎつい濃緑。おそらく何種類もの薬草だのなんだのがあれこれ入っているのだろう。なんとなしに得意気なのは、あるいはエルフに伝わる秘薬といったところなのだろうか。
『イコ、チッコ』
その濃緑を指で掬って笑顔を浮かべているエルフさんの様子を見れば、疲労に効く薬を塗ってくれようとしているのだと察することは容易だった。意図は通じたのだ、意図は。疲れたから、踏んでマッサージしてくれと。ただ、エルフさんは、マッサージ以上に効く薬を持っていただけで。
違う、そうじゃない――そう叫びたいのは山々だったが、そんな全くの善意と親切を断れるはずもなく、素直に足を差し出したのであった。
――結果として、足の疲労は嘘のように和らいで、休憩を終えてからの歩みもとても楽になっていた。悪くない結果ではあるはずだけれど、微妙に釈然としないものはある。
もっとも、美人に手ずから薬を、しかも足に塗ってもらうというのも幸せな経験であるには違いない。軟膏を乗せたエルフさんの指が足裏を滑ったときには、色々な意味でぞくぞくとしたものだ。素面のときにもやってくれるのかどうかは、気になるところではある。
さて、そのエルフさんはといえば、まだワインの影響が残っているのか、時には鼻唄のようなものさえ紡ぎながら、少し先を歩いている。
「……任せるしかないとはいえ、なあ」
正直なところ、不安は否めないが、どうしようもない。いまのところ明白な道があるでもないので、エルフさんの先導に従うしかないのだ。
雑談でも出来れば気も紛れるのだが、いかんせん、ほんの数時間ではそこまで言葉が判るはずもなし。それに、歩き続けるあいだに口を開けば、それは即ち、それだけ無駄な体力を消耗するということだ。
とはいえ、先に休憩して以降は、割合に余裕がある。足に塗ってもらった軟膏のおかげもあるだろうが、それ以上に、暑さが和らいだのが大きい。
ふたつの太陽は未だに頭上にあったが、休憩を終えて再出発してからずっと、僅かながらだが涼やかな風がそよいでいたからだ。
「このくらいの風がずっと吹いててくれればね……」
なにかしらの宗教の熱心な信徒なら神に祈るところだろうけれども、大半の日本人の例に漏れず、自分はそうではない。
単純に、このくらいの天候が続くといいなと思って歩き続けたのだったけれど。
『ダーマ、イッツア?』
服の胸元を摘まんで、ぱたぱたと風を通していたときに、そう問われた。
尋ねられた内容がわからなければ、なんと答えていいかもわからない。
あるいはエルフさんもどう説明していいか判らなかったようで、互いに頭を悩ませたあと。
渋々といった様子で、エルフさんが掌をこちらにかざして、道中で何度か耳にした鼻唄を紡ぎはじめた。
「……うん? うん、涼やかでいい音色と思うよ。丁度、涼しい風も――……、って」
思い返してみれば、明らかにそこには相関関係があった。
エルフさんは酒に酔った上機嫌ゆえに、鼻唄を歌っていたのではない。
彼女が鼻唄らしきものを紡ぎだしたあとは、いまこの、このように、涼やかな風が吹いていた。
一度ならば兎も角、何度も重なっていたその事実は、偶然というには難しいものだった。
『……イナ? イヨ?』
是か否かの問いということだけは、判った。
そして、こちらの体力を気遣ってか、涼風を送ってくれているようだということも。
それがどれだけ、体力だか魔力だかを消耗するのか知らないが、男としては、大丈夫だと応じたいところだ。
もっとも、先の休憩で足の疲労を訴えた以上、大丈夫と主張してもやせ我慢とされるかもしれない。
だからといって、それが良かったか悪かったかという問いには、答えられない。
無論、彼女が呼んだらしき涼やかな風が、大いに助けになったことは事実であるにしてもだ。
「あー……、っと、ね」
この風を起こすことが、彼女の負荷になるのであれば、大丈夫だと応じたい。
かといって、好意からしてくれていたのであろうことを、不要と切り捨てるのも心苦しい。
彼女の好意のおかげで楽にはなっているけど、彼女の負担になるなら、それに甘えすぎたくはない。
かといって、彼女の好意がなければ、まず間違いなく野垂れ死ぬ――と、端的にいってしまえば、こうなる。
どうしたものかなと少し悩んだあとで、結局、すべてを曖昧に誤魔化す言葉を選ぶしかなかった。
「ありがとう」
最初に意思が通じたときと同じ、お礼の言葉を紡ぐ。
誤魔化したわけではなかったけれど、でも、それは本音ではあったのだ。




