12:00 まさかの正体
《ダメ元で携帯に世界地図表示して見せてみたけどヘンな目で見られた。そりゃそうだ。》
何故かはともかく、携帯の電波は通じていた。職場に体調不良の連絡を入れたあとで、日本周辺の地図を画面に表示して、彼女に示してみた。
『……レソ、コッド?』
表示されているのが地図というのは通じたようだったが、といって、それが指す場所を知っているとは限らない。
判らないといった調子で、彼女は応じた。まあ、当然だろう。木星でモノリスが大増殖でもしないかぎりは、懐かしの地球は、太陽がふたつあるような世界ではない。予想していた結果だった。
「ん……それ、地図?」
がさごそと彼女が広げたのは、おそらくそうなのだろう。或いは、絵図といったほうがいいだろうか。覗き込んでみれば、中世の、海の領域に蛸だのなんだのが描かれていたような、そんなレベルの地図だ。
『チーズ?』
「いや、地図」
『チズ?』
まあともかく、と。彼女の広げた羊皮紙のようなものに描かれた地図に視線を落とせば、やはりというべきか、全く知らない地形だった。
電波が通じていたから、あるいは現代科学の埒外にある地球上のどこかとも思ったのだが――そもそもにしてから、頭上を照らすふたつの輝きが、そんな可能性を否定していた。
ほぼ覚悟していたことではあったが、どうしたものか。身振り手振りでの質疑によれば、この草原の先に村があるらしい。そして、彼女が地図上で示した仕草からして、森の方から来たのだということも推測がついた。
《草原の先に村があるみたいだが、ジェスチャーによるとこの子は森の方から来たらしい》
現状を整理する意味も込めて、書き込んでいく。と、間をおかず、レスポンスが返ってきた。
《スマホの電池大丈夫?》
《ガラケーだ、問題ない》
何が問題ないのかは、自分でもよく判らない。まあ、スマートフォンは自動通信で電池を消耗し易いというから、あながち間違いでもないはずだ。たぶん。
もっとも、充電についての指摘は必然、ひとつの未来を暗示していた。つまるところ、このままではそう遠くない内に、これまで生まれ育った世界との繋がりがなくなるということだった。
家族や友人、職場の同僚。二度と会うこともなく、こちらの世界で生きるしかない。正直、ぞっとする。気が付いたら異世界にいました系の主人公たちは、なんだって、ああまで異世界を楽しめるのだろうか。平々凡々な人生を送ってきた自分には、どうにも理解に苦しむメンタリティだ。
「……どうするかね」
といっても、いずれにしてもいまの自分には、選択肢は決して多くない。最悪を想定するならば、言葉も地理も判らない現状、親切にしてくれる彼女から離れるわけにはいかない。あのスライムのようなモンスターが跋扈する世界では、自分のような無力な一般人の命は、とても軽そうだ。
「えっと、一緒に連れていってもらっても……?」
彼女が地図上で示した、彼女が来たと思しき場所。自分を指差してから地図上のその地点を指し、歩くような仕草をしてみせる。村か町か、ともかくは安全な場所までは送ってもらうよう頼み込まねばならない。彼女とここで別れたとして、モンスターと遭遇したときに生き残る自信は全くなかった。
が、その頼みに、明らかに彼女は困惑しているようだった。理解の範疇外といった表情だ。先だっては助けてくれたのだから、博愛精神が存在しない世界というわけでもないだろう。
一度ならず助けた相手を荒野のど真ん中に放り出して見殺しにするというのは、幾らなんでも心が痛むのではないだろうか――と、思いたい。主として、自分のこれからの安全のために。
「安全なところまでで良いから、どうかこのとおり、なんでもしますから!」
いま、なんでもするって言ったよね――というお約束は、もちろん返ってこなかった。こちらの必死さだけは伝わっているのだろうが、益々、眉根を寄せて渋い表情を浮かべていた。どこから説明していいのか迷っているような、そんな雰囲気だった。
『……イナ、ミタ・ノ・ルマーノ』
溜息を吐いたあと、彼女は自分を指差して、そんな言葉を口にした。相変わらず、意味は判らない。
ただ、幾分か、躊躇いがあるようだった。意を決したように、これまで被っていた外套のフードに、手をかける。ふたつの太陽の光を浴びて輝く、金色の髪。
『ミタ・ノ・リモ』
彼女が指したのは、その耳だった――長く、先が尖った、笹穂型の耳。
「……エルフ?」
唖然として、呟いた。特徴的な耳。綺麗な金髪。整った容姿。そして、森から来たらしいこと。
それらの情報は、彼女があのファンタジーでお馴染みの、かの偉大なるトールキンが生み出した種族であることを示していた。
「……え、本当にエルフ? ガチで? リアルエルフ!?」
いや、実際にはそうでないのかもしれないが、容姿としてはそうだ。だから、ついついテンションが上がってしまったとしても許されるべきだろう。なんといっても、エルフである。自分のような世代にとっては、反応しない方がおかしいというものだ。ガラドリエルやディードリットといった古式ゆかしき伝統的なエルフ。その存在自体、浪漫以外の何物でもない。
「ほぉ!? ほーぉ!? ほ……ぉぐっ!?」
――ぶたれた。
いや、まあ、仕方ない。異性の顔を無遠慮に、間近で舐め回すように眺めてしまったのは反省すべきだ。現実と向き合って落ち着くために、携帯を取り出して、この出会いを報告する。
《耳長え……まさかのガチエルフだわ……》
だというなら、連れていってもらえないというのは、むしろ当然だろう。森深くに住まう神秘的なエルフたちの村。外部の人間をそうそう入れるわけにはいかないというのが定番だ。まして、それが異種族とあれば尚更だ。自分たちの世界だって、同じホモ・サピエンスでも肌の色や文化が違うだけで差別やら何やらの面倒が生じるというのに、こちらは種族さえ異なる。
もっとも、人間とエルフが本当に異種族かどうかというのは怪しいものだとは思う。現実的に考えるなら、妖精だの不老不死だのなんだのというわけではないだろう。
エルフといえば、そう。魔法と弓が得意で、人間と比較すると寿命が長く、外見的には美形が多い。その程度であれば、近似種と考えるのが妥当ではないだろうか。サメとイルカのような収斂進化ではなく、モモンガとフクロモモンガのような進化過程における分化。オーストラリアやガラパゴス、ギアナといった外界から隔絶された地域においては、生じた特徴が希釈されずに濃くなって、新たな固有種として分化する。エルフもそのようにして、外部から孤立した森のなかで生きてきたために、人間とは幾らか異なる特徴が――……、?
そこまで思考を走らせたところで、ふと視線に気付いた。エルフの彼女は、怯えた――というか、幾らか引いた様子で、こちらを伺い、小さく呟いた。
『イモキー……』
言葉は判らないけど、何を言われたかはなんとなく判った。向けられる視線が、ちょっと痛い。時と場合を選ばずに考察モードに入るのは悪い癖だ。小さく咳払いをして、誤魔化せ――てはいないだろうが、たぶん。
しかし、そうなると困ったことになる。どう考えたって、愉快な状況ではない。このだだっ広い草原を、あのスライムのようなモンスターにいつ襲われるかも判らず、水も食料も武器もなく、人間が暮らす村にまで辿り着けるのかどうか。あまり分のいい賭けではさそうだ。
《エルフさんの村に連れてってもらうのはダメらしい……まずいのに出くわさないことを祈って、人間の村までいかないとだよ》
現状をまとめると、こうなる。なんとも絶望的というか、将来に希望が抱けないというか、端的に表現すれば詰んでいる。どうしたらいいのだか、流石に見当もつかない。泣いて喚いて、エルフの彼女の後ろをとぼとぼとついていくくらいしか思い浮かばないが、そうしたところで、次も助けて貰えるかは判らない。
「……マジでかー……」
――ともすると、自分は、余程に情けない顔をしていたのだろう。エルフの彼女は大きく溜息を吐いてから、地図を指差した。視線をやれば、草原のど真ん中を指している。現在地ということだろう。
彼女は、自分とこちらとを順繰りに指しながら、人差し指、中指と二本の指を立てて。そのあと地図の上で道筋を辿るように、揃えた二本の指先を滑らせた。その先には、村の存在を示す記号がある。
「えーと……?」
『イヨ、クイ……チッコ』
そのあとで、森の描かれたなかにある、彼女の故郷と思しき村を指して『イナ、クイ、チッコ』と続けた。イナ、イヨ。これまでも何度も口にされた単語。電流が走ったように、それを理解した。これは――イエスとノーだろうか。こちらの村は良くて、こちらの村は駄目。
ということは、つまり。地図から顔を上げて、彼女の顔を見やった。仕方ないとでもいうような表情ではあったものの、溜息交じりの苦笑は、自分の命が今しばらく繋がるであろうことを教えてくれていた。
《……おお。なんか、人間の村までついてきてくれるらしい。天使か……》
幻覚かと思って携帯のボタンを叩いてみたけれど、叩いたとおりにメッセージが送信された。夢や幻覚の類ではないようだった。
《いいエルフでよかったな……!!》
東野のレスポンスに、息を吐く。本当、そのとおりだ。眼前のエルフの彼女が善人であることに――善エルフというべきか? いや、善くないエルフのことをダークエルフというのだから、エルフという時点で善いのだろうか――ともかく、心底から感謝すべきだろう。
「いや、なんというかホントに、ありがとう……ありがとう、助かります、ホントに」
ありがとう、という単語を繰り返す。謝意を告げる言葉だという意思疎通が、先だってのやりとりで出来ているからだ。すると、どうだろう。
『……イナ、アリガトー……』
礼は不要? 首を傾げると――ふいっと、視線を逸らされた。その笹穂型の耳は、幾らか赤く染まっている。してみると、これは――感謝されて、照れているのではなかろうか。
エルフといえば、他種族に対しては冷淡で、プライドが高いというのが相場ではあるのだが。もしや、スライムとの戦いで、お互いの危ないところを助け合ったおかげで、友情かなにかが芽生えてしまったのかもしれない。
朝に目覚めてからこの方、全く優しくない異世界だったけれど、このエルフさんとの出会いに関してだけは、フィクションの世界にあるようなお約束を信じてもいい。
訝しげにこちらを眺める彼女を傍目に、電波の彼方、日本の友人たちと会話する。
《これがツンデレというやつか……》
《踏んでもらえるか交渉だ!》
ああ、やはり、こいつは判っている。ツンデレのエルフといったら、踏まれたいに決まっている。本物のエルフに出会ったのならば、冷たく呆れた視線を浴びながら罵られてみたいと思うのが、男として生まれたからには当然だ。
《なるほど、それだ……日本の文化ではそういう挨拶をするんだと――》
――そこまで打ったところで、寒気がした。冷たいなんてもんじゃない、寒々とした視線。助けようと思ったけれどこのまま見殺しにしてもいいかな、なんて思っている感じの気配だ。嫌な汗が、つっと首筋を伝った。
《待った、ダメだ、なにか……邪気を読まれてる感が》
《なんだと!? あやまれ! あやまれ!!!》
賢明な友人のアドバイスには従うべきだ。全力でそうすることにした。
《……さすがエルフ、邪な気には鋭敏だ。不埒なことは考えないでいこう》
――どうにか許してもらえて、胸を撫で下ろせたのは、数分後のことだった。




