#07目覚め
【あらすじ】
喫茶店〇で起きた、小さな変化。
倒れたジョージが目覚めた時、
そこには今まで知らなかった自分の姿が残されていた。
白い研究室。
並べられた資料。
そして、毒について書かれた記録。
夢のようでいて、
確かな感覚だけが残る記憶。
tonicが告げた言葉によって、
ジョージは初めて向き合うことになる。
「自分は、一体何者なのか」
失われた過去への扉が、
静かに開き始める。
第七話
喫茶店〇の中に、静かな時間が流れていた。
雨音だけが、遠くで響いている。
テーブルの上には、飲みかけのコーヒー。
月しずく錦を浮かべたレモネード。
そして、倒れたジョージ。
「 …… 」
リーリアは、静かにジョージを見つめていた。
頭上の輪が、わずかに揺れる。
リリスも、いつもの余裕を失っていた。
「 ……まさか。 」
小さくつぶやく。
「 本当に? 」
店長がジョージの様子を見る。
トカゲの店員とカエルも、心配そうに近づいた。
「 店長…… 」
「 ああ。 」
店長は、静かに答えた。
「大丈夫です。命に別状は、ありません。」
けれど、その場にいた全員が、ジョージに起きた違和感を感じていた。
これは、ただ眠っただけではない。
何かが、起きている。
「 この世界の毒…… 」
リリスが、ぽつりと言う。
「 やっぱり反応したのね。 」
リーリアは、何も言わない。
ただ、ジョージを見つめていた。
まるで、ずっと探していたものを、ようやく見つけたように。
白い光。
何もない場所。
音だけが聞こえる。
____________
カチャ。
カチャ。
小さな金属音。
誰かが作業をしている。
紙をめくる音。
ペンが走る音。
「 濃度を変更… 」
「 反応時間… 」
「 もう少し調整が、必要だ。 」
声が聞こえる。知らない声。
なのに。なぜか、自分の声だと分かった。
ジョージは目を開こうとする。
しかし。
身体が動かない。
夢。
そう思った。
これは夢だ。
目の前に広がっていたのは、白い研究室だった。
壁には、大量の資料。
棚には、透明な容器。
中には、見たことのない液体。
机の上には古いノート。
ジョージは、それを見る。
文字が、並んでいる。
知らないはずの文字。
なのに、読める。
「 ……毒。 」
口から言葉が漏れた。
ページには、実験記録。
成分。
反応。
変化。
まるで。
自分が書いたもののようだった。
「 …なんで? 」
胸の奥がざわつく。
自分は何をしていた?
なぜ、こんな研究をしている?
その時、研究室の奥に、人影が見えた。
白い服。
静かな表情。
こちらを見ている。
「 …誰だ? 」
声を出す。
けれど返事はない。
近づこうとする。
手を伸ばす。
あと少し。
届く。
そう思った瞬間。
視界が白く染まった。
大切なもの。
忘れてはいけないもの。
そこに何かがある。
でも、思い出せない。
____________
「 ジョージ。 」
遠くから声が聞こえた。
「 起動を確認しました。 」
ゆっくりと目を開く。
見慣れない天井。
木の梁。
柔らかな照明。
喫茶店〇の奥の部屋だった。
「 …… 」
しばらく何も言えない。
夢の残りだけが、頭の中に残っている。
研究室。
試験管。
毒。
そして。
あの人影。
ジョージはゆっくり身体を起こした。
「 …変な夢を見た。 」
近くにいたtonicが振り向く。
「 どのような夢ですか? 」
「 研究してた。 」
「 研究。ああ。」
ジョージは自分の手を見る。
「 毒の研究。 」
少しの沈黙。
tonicの返答が遅れる。ほんの一瞬。
いつもならすぐ答えるはずなのに。
「 …tonic? 」
「 …… 」
「 どうした? 」
「 処理を確認しています。 」
「 処理? 」
tonicは、静かに答えた。
「 あなたの記憶情報について。 」
ジョージの表情が変わる。
「 …記憶?いや。 」
小さく笑う。
「 また、変なこと言ってるな。バグったのか? 」
いつもの冗談。
けれど、tonicは、笑わなかった。
「 ジョージ。 」
「 はい。 」
「 その夢は。 」
少し間を置く。
「 夢では、ありません。 」
空気が止まる。
「 …え? 」
ジョージを見る。
「 今、なんて言った? 」
tonicは、静かに続ける。
「 あなたは、以前。毒について研究していました。 」
「 …… 」
ジョージは、言葉を失う。
頭の中に、研究室の光景が戻る。
試験管。
ノート。
自分の手。
「 そんなわけ……私が?そんな記憶ない。 」
「 はい。 」
tonicは答える。
「 現在のあなたには、その記憶はありません。……しかし、記録は残っています。 」
ジョージは窓の外を見る。
雨は止んでいた。
街には静かな光が戻っている。
けれど。
胸の奥には、消えない違和感があった。
月しずく錦。
コーヒー。
研究室。
知らないはずなのに。
知っている。
「 ……私は、 」
小さくつぶやく。
「 一体、何者なんだ? 」
答える声は、ない。
ただ、テーブルの上のコーヒーカップから。
わずかな香りが漂っていた。
まるで、失われた記憶が戻る時を、静かに待っているように、静かな時間が流れる。
誰も何も言わない。
コーヒーの香りだけが、店内に漂っていた。
リリスがぽつりとつぶやく。
「 …おなかがすいたわね。 」
店内が、静まり返る。
トカゲたちは、思った。
( え、このタイミング? )
ジョージも、思わず苦笑する。
「 唐揚げが、食べたい。 」
店員が、申し訳なさそうに答えた。
「 唐揚げは、ありません。ポテトやオムライスなら、ご用意できます。 」
リリスは、少しだけ頬を膨らませる。
「 唐揚げが、良かったのに。 」
トカゲが、首を振る。
「 そんな野蛮な食べ物、ありませんよ。 」
リリスは少しむっとした。
「何よ。」
ジョージが静かに口を開いた。
「 それなら、作れるかもしれない。 」
リリスの目がぱっと輝く。
「 …本当? 」
トカゲたちは、顔を見合わせる。
「 え。料理も、できるんですか? 」
「 博士って、何でもできるんですね。 」
カエルも、
「 ケロ。 」と小さく鳴いた。
トカゲが、小声でつぶやく。
「 というか…。 」
「 悪魔じゃなくて、ただの大食いなんじゃないですか? 」
隣のトカゲが、小さく吹き出す。
「 それ、お前が言うなよ。 」
「 さっき月しずく錦を『月餅』って聞き間違えてたじゃないか。 」
「 食べ物のことばっかり考えてるの、お前だろ。 」
「 あ…。 」
トカゲは気まずそうに頭をかいた。
その声に、リリスがぴくりと反応する。
「 …え、私のこと? 」
ジョージは思わず吹き出した。
「 いや、違う違う。勝手に、反応するな。 」
リリスは、少しだけ頬をふくらませる。
「 …私じゃ、なかったの? 」
ジョージは、肩をすくめた。
「 違う。 」
「 でも、お前も十分食いしん坊だけどな。 」
「 何よ、それ。 」
店内に、小さな笑いが広がる。
トカゲたちも吹き出し、
カエルも、
「 ケロケロ。 」
と鳴いた。
ジョージは厨房へ向かう。
「 少し、待ってて。 」
店長が、興味深そうにのぞき込む。
「 何を、作るんですか? 」
「 プラントベースの、唐揚げ。 」
しばらくして。
香ばしい匂いが、店内いっぱいに広がった。
揚げたての唐揚げが、皿に並ぶ。
リリスは、一つ口へ運ぶ。
「 …。 」
もう一口。
さらにもう一口。
「 …似てるじゃないですか。 」
ジョージは、笑う。
「 そうだろ? 」
リリスは、少し照れくさそうに言った。
「 だって、美味しいんだもん。 」
トカゲたちは、顔を見合わせる。
「 本当に、唐揚げみたいですね。 」
「 信じられません。 」
その時、一匹のトカゲが、恐る恐る手を挙げた。
「 …あの。一口、僕にもください。 」
リリスは、皿を抱え込む。
「 やだ。 」
「 店員のくせに、生意気なのよ。 」
「 えぇーっ! 」
トカゲは肩を落とした。
その横で、カエルが小さく鳴く。
「 ケロ。 」
リリスは、表情を緩める。
「 はい。 」
そう言って、カエルには一つ手渡した。
トカゲが、思わず叫ぶ。
「 ずるい! 」
リリスは、悪びれもせず答える。
「 だって、可愛いんだもん。 」
「 基準が、おかしいですよ! 」
店内に、笑いが広がった。
店長も、微笑みながら残った材料を手に取る。
「 それでは、こちらも作りましょう。 」
リーリアのためには、焼かない白いパン。
やわらかな大豆ミートのパテを塗り、
薄くスライスしたオニオンをそっと重ねる。
素朴で、やさしい味わいのサンドイッチだった。
一方、リリスの前には、
バターをたっぷり塗ったトースト。
オニオンリング。
塩こしょう。
カリカリに焼いた、プラントベースベーコン。
リリスは、眉をひそめる。
「 玉ねぎなんて、食べ物じゃないでしょ。 」
店長は、少し困ったように笑った。
「 そうですか…。 」
「 こちらも、ご用意したんですけど。 」
ふわりと、香ばしい匂いが漂う。
リリスの鼻が、ぴくりと動く。
「 …何それ。 」
「 美味しそう。 」
一口、食べる。
「 …うまっ! 」
カエルが得意そうに、鳴いた。
「ケロ。」
トカゲが、首をかしげる。
「 でも、悪魔って玉ねぎは平気なんでしたっけ? 」
tonicが、静かに訂正する。
「 それは、ニンニクです。 」
「 苦手なのは、吸血鬼です。 」
トカゲは、頭をかいた。
「 また、間違えました。 」
ジョージは、苦笑した。
「 お前たち、本当にいつもどこかずれてるな(笑) 」
再び、喫茶店〇には穏やかな笑い声が戻っていた。
誰もまだ、その先に待つ記憶の旅を知らなかった。
♪モーツァルトK.488 Adagioインスパイア予定
【 あとがき】
第七話では、ジョージの失われた記憶に初めて大きく触れる回となりました。
これまで不思議な場所として描かれてきた喫茶店〇。
そこに集まる存在たちとの穏やかな時間の中で、
少しずつジョージ自身の謎が見えてきます。
過去に何をしていたのか。
なぜ記憶を失っているのか。
まだ答えは分かりません。
しかし、失われたものは完全に消えたわけではなく、
何かのきっかけで再び姿を現すことがあります。
そして、どれだけ大きな秘密があっても、
美味しい食事や小さな笑いが日常を作っていく。
ベノムワールドでは、
謎と温かさが同じ場所に存在する世界を描いていきます。
ジョージの記憶の先に何が待っているのか。
この先の物語も楽しんでいただけたら嬉しいです。




