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ベノムワールド  作者: 朝裏 刻


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6/11

#06月しずく錦

【あらすじ】


静かな夜の喫茶店〇。


嵐が過ぎ去った後も、

そこには不思議な穏やかな時間が流れていた。


そんな中、

リーリアが選んだ一杯の飲み物。


そこに添えられたのは、

特別な果実だった。


月の名を持つ、不思議な果実。


その名前を聞いた瞬間、

ジョージの中で眠っていた何かが揺れ始める。


忘れていた記憶。

消えたはずの過去。


そして、静かに近づく変化。


喫茶店〇で流れる時間が、

少しずつ秘密へとつながっていく。


第六話


夜の喫茶店〇には、静かで穏やかな時間が流れていた。


嵐は過ぎ去り、外では雨が残した水滴が、窓をゆっくりと伝っていた。


世界の境界にあるような、不思議な静けさがそこにはあった。


ジョージは、全体を見渡せる端の席で、コーヒーを飲みながら店内の様子を眺めていた。


やぶかみが客席へ近づいてくる。


「 何か気になるものは、ありますか? 」


声をかけた相手は、リーリアだった。


リーリアはメニューを静かに見つめる。


しばらくして、一つのグラスの絵を指先で示した。


「 レモネード? 」


ジョージが尋ねる。


リーリアは、こくん、と小さくうなずいた。


「 レモネードが、飲みたいの? 」


リーリアは、今度は、深くゆっくりとうなずいた。


その様子を見て、ジョージはやぶかみに声をかけた。


「 レモネード、ありますか? 」


「 ありますよ。 」


やぶかみは、微笑んだ。


「 じゃあ、それを一つ。 」


ジョージは、続ける。


「 あと、コーヒーのおかわり。ブラックで。 」


「 かしこまりました。 」


厨房の奥から、小さな声が聞こえた。


「 あの人、まだコーヒー飲むの? 」


「 そんなに飲んで大丈夫なのかな? 」


ジョージは、笑いながら答えた。


「 聞こえてるぞー(笑) 」


店長は、優しく微笑んだ。


厨房では、準備が始まる。


「 レモンは、あります? 」


「 あります! 」


「 はちみつも、あります? 」


「あります!」


「 炭酸も、あります? 」


「 あります! 」


少し間が空いた。


「 普通のチェリーが、ありません.... 」


ジョージは、顔を上げた。


( 普通のチェリーではないチェリーならあるのか?(笑) )


そう思った。


「 ブラックチェリーならあります! 」


店員は、なぜか少し自信満々だった。


ジョージは、首を傾げる。


(  いや、それは違うだろ。(笑) )


ブラックチェリーも、普通のチェリーだ。


確かに、レモネードに入れるものでは、ないかもしれない。


けれど、ブラックチェリーはスーパーでも手に入る、最も一般的なチェリーだ。


( …スーパー?  )


スーパーってなんだ?


ジョージは、少しだけ考えた。


記憶の中にあるはずなのに、どこか輪郭がぼやけている。


「 それも一応、普通のチェリーじゃないか? 」


思わず口に出ていた。


店員は、首をかしげる。


「 そうですかー? 」


「 ブラックチェリーは、コーヒー漬けにすると美味しいんですよ。 」


トカゲが、得意そうに言う。


ジョージは、少し眉を寄せた。


( コーヒー漬け? )


( …それを言うなら、シロップ漬けの間違いじゃないのか? )


そう思った。


すると、横からリリスが口を挟む。


「 人間とトカゲは味覚が違うのよ、博士さん? 」



妙に納得することをいうなとジョージは思った。



tonicが一瞬だけ反応する。


「 それは、まだ…. 」



リリスがいった。


「 いいじゃない。本当のことなんだから。 」



「 …. 」tonicは、黙り込む。



「 なんで、隠してるのよ。 」



tonicは、少しだけ視線を逸らした。


「 今、必要な情報ではありません。 」


( 記憶混濁により、混乱するからです。リリスさん、察してください…. )



「 ふーん。めんどくさいわね(笑) 」いじわるそうな顔をして言った。



「 そういうところよね、助手さん。 」リリスは、高らかに笑った。



「 …訂正してください。 」珍しく、少し反抗的なtonic。



「 いいじゃない。助手なんだから。 」とリリス。



「 それは、倫理に反します。 」とtonicも引かない。



「 なんで隠してるのよ。本当のことなんだから。 」リリスは、強気。



( やっぱり悪魔だ… ) トカゲたちは、口を押さえた。



「 口を押えたって、心の声なんだから、ちゃーんと聞こえてるわよ。 」


リリスは、カウンターの中のトカゲたちに言い放つ。



「 …!? 」トカゲたちは、カエルといっしょにカウンターの下に隠れた。


ジョージは少し黙る。


確かに、この世界では、常識そのものが少し違うのかもしれない。


静かな思考の中で、ジョージは考えた。


では、この店でいう普通ではないチェリーとは何なのか。


ジョージの頭の中に、いくつもの名前が浮かぶ。


佐藤錦。


紅秀峰。


ナポレオン。


どれも有名なさくらんぼだ。


けれど、それではない。


もっと特別な。


月の名前がついていたような――。


「 月なんとか錦… 」


月川…違う。


月海…それじゃない。


月光…それも違う。


「 tonic 」


ジョージは小さく呼んだ。


「 月なんとか錦。さくらんぼの品種を調べてくれ。 」


tonicはすぐに検索を始める。


「 …月山錦ですか? 」


その瞬間。


「 あ、それだ! 」


ジョージは、思わずつぶやいた。


けれど、その名前を聞いた時、何かが引っかかった。


月山錦。


なぜか、その名前にも聞いた覚えがある気がした。


しかし、まだ思い出せない。


やぶかみが、ふと思い出したように顔を上げた。


「 あ、そういえば、あれがありました! 」


やぶかみはスキップをしながら奥へ向かっていく。


小さく鼻歌を歌いながら。


その旋律は、どこか軽やかで、街の中を歩くような温かさがあった。


モーツァルト、ディヴェルティメント K.334。


しばらくすると、やぶかみは同じ旋律を今度は口ずさみながら戻ってきた。


ジョージは少し驚いた。


( 意外と歌がうまいんだな。 )


( ピアノでもやっていたのだろうか。 )


( もしかしたら、音楽に精通している人なのかもしれない。 )


「 とっておきを持ってきました!! 」


やぶかみの手には、小さな桐の箱があった。


箱の中には、絹に丁寧に包まれた一粒の果実が入っていた。


「 月しずく錦。 」


淡く光を放つ、不思議な果実。


その名前を聞いた瞬間、ジョージの中で何かが引っかかった。


「 月しずく錦…. 」


なぜか、その名前にも聞いた覚えがある気がした。


ジョージは少しだけ頭を押さえる。


記憶の奥に触れたような、不思議な感覚だった。


店員が驚いた声を上げる。


「 店長、それ……いいんですか? 」


やぶかみは静かに答えた。


「 今日は、特別だから。 」


「 それに、ふさわしいお客様だからね。 」


そう言って、リーリアの前へレモネードを置いた。


一粒の月しずく錦が、レモネードの中へ溶け込んでいく。


淡く不思議で、まるでダイヤモンドのようなまたたきを放つ幻想的な光。


その輝きが、グラスの中でゆっくりと広がっていった。


小さな泡が、シュワシュワと静かに揺れる。


リーリアは、その揺らぎを静かに見つめていた。


「 気に入った? 」


ジョージが、尋ねる。


リーリアは、小さくうなずいた。


「 よかった。 」


ジョージは、やさしく微笑んだ。



トカゲたちがなぜか全く違う『 月餅 』と聞き間違えている。



「 月餅だろ?ぼくも、小さい時に食べたことあるもん! 」



「 いや、お前食いしん坊かよ(笑)」



ジョージは思った。



( なんか、いつもずれてるな(笑) )



( それ、月と丸いところしかあってない。 )



( そもそも、果物と菓子の差があるぞー(笑))


ジョージは、心の中でツッコミながら、届いたばかりの熱いコーヒーへ手を伸ばした。


一口。


二口。


三口目に口をつけた。


静かな時間。


けれど、突然。


視界が揺れた。


「 あれ….? 」


指先から、力が抜ける。


カップがテーブルに触れる。


コトリ。


小さな音。


「 ジョージ? 」


近くで、誰かの声が聞こえた気がした。


視界が、ゆっくりと遠のいていく。


リーリアが、こちらを見る。


口が動いているように見えた。


でも、声にはならない。


その姿を見た瞬間、ジョージはなんだかとても懐かしい気がした。


その時、店内のどこかで小さな声がささやいた。


「 あの人…やっぱり、ちゃんと人間だったんだね。 」


「 おかしいと思ったんだよ。あんなに飲んで何ともないから。 」


その声は、ジョージには届かなかった。


そして、ジョージの意識は静かに沈んでいった。



♬モーツァルトのディヴェルティメント ニ長調 K.334からインスパイア予定


【あとがき】


第六話では、月しずく錦という特別な果実を通して、

ジョージの記憶に少し変化が訪れる回になりました。


喫茶店〇では、

何気ない注文や会話の中にも、

不思議な意味が隠れています。


天使。

悪魔。

不思議な生き物たち。


そして、過去を失ったジョージ。


少しずつ集まっていくものが、

どこへつながっていくのか。


ベノムワールドでは、

大きな謎だけではなく、

日常の小さな出来事から物語が動き出していきます。


今回の一杯のレモネードが、

次の出来事へどのようにつながるのか。


楽しんでいただけたら嬉しいです。


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