森の民
スルミナはアデルリーナをじっと見つめてから、口を開いた。
「まずは、あたしらのことから話をしようかね。多分わかっていると思うが、あたしらはセレスト教徒じゃない。あたしらが奉じるのはヴォルトの神々だ。だ」
セレスト教徒ではないということは、洗礼式も受けていないということだ。そうなると、住民としても登録されていないことになる。
「だから、あたしらは存在しないものなのさ。幽霊みたいなもんだ。だけど、ここでこうして普通に生活していられるのは、ロシュタットのご領主様のおかげさ。異教徒を追い出しもせず、虐げもしない。まったく危篤なお方だよ」
「婆様、それは代々のご領主にも言える事だぜ。これまでだって、いつでも俺らを見捨てて始末できたはずなんだから」
異教徒討伐は教会の要請で各国から派兵されている。ファナーク王国からも王太子が出兵しているはずだ。教会直属の騎士団は容赦ないと聞くし、どこでも苛烈な戦いが行われている。ロシュタットが異教徒討伐の対象になったら、思うと背筋が寒くなる。
「まったくその通りだね。長い、長い戦いだ」
スルミナの声は重く沈んでいる。
「あたしらのご先祖は、ここよりもはるか北の国からやってきたんだそうだ。そこは、夏は夜がなく、冬には光の垂れ幕が空にかかる。大地は雪と氷に閉ざされ、海は荒れ、風が吹き荒ぶ。過酷な環境さ。だが、そんな土地にも恵みはある。宝玉と金を狙って東から来た異民族に侵略されたってことだ」
北の地の東方異民族、ナール帝国の前身だろうか、とアデルリーナは思う。ナール帝国は残虐で容赦のない戦い方で領土を広げてきたと聞いている。
もっとも残酷にならない戦いなどない。今、この時でさえ、戦いを繰り広げているところはあるし、どこの国も領地も例外ではない。
「異民族に追われたご先祖たちは南へ逃げた。だけどそこじゃあたしらのご先祖だって異教徒の異民族だ。どうなるかは、言わなくてもわかるだろう? 追われ追われてたどり着いたのがこの森だった」
その当時はユリア帝国が分裂して東と西に分かれて、この辺りは西ユリア帝国の辺境地だった。この森を管理するロシュタットの領主は、逃げ込んできた異民族を追い立てず、鉱山の奥深くに匿ってくれた。
「姫様方が今日通ってきた廃坑になった採石場があっただろ? あそこに匿われたんだ。当時もすでに閉山していたから、見つかる心配もないと思ったんだろうね。もし見つかったら、鉱夫奴隷で、鉱脈を探させてるとでも言えばいいって言ってたそうだよ。嘘か本当かは知らないけどね」
そんなことで誤魔化されてくれるのだろうか? なんとも豪胆というより言葉が見つからない。異民族しかも異教徒を庇い立てすれば、領主自身まで異端として教会から除名、悪くすれば処刑だ。
「ともかく、あたしらのご先祖様は姫様のご先祖の御領主様に救われた。そのままこの森に住むことも許してもらったってわけだ」
当初のいきさつは分かった。けれど、なぜ代々の領主たちが、同じようにこの一族を保護してきたのかがわからない。ここロシュタットだって何度となく、侵略されたり、属する国が変わってきた。大国や教会からの圧迫だってあったはずだ。そんな中で異民族まで守る必要があるのだろうか。
そんなアデルリーナの疑問に気付いたのか、スルミナは尋ねる。
「姫様はセレスト教の神を信じておいでだろ?」
「え? は、はい」
唐突な質問でアデルリーナは驚いた。信じるとか信じないとかを考えたことはなかった。当たり前にそうするものだと思っていたからだ。スルミナは語り出した。
「原初、この世には天と地だけがあり、その間にはなにもない空間が漂っていた。天の神と地の女神はその空間に光と闇を作り出した。これが女神ダーナと弟神ノアルだ。光と闇ができたら、水と火と風が生まれた。そうして次々と神々が生まれ、この世界を形作る神々が生まれた。これがあたしらが信じる神の世界さ」
それはすべての自然や現象に神や霊魂が宿るというアニミズムだ。だから自然を畏怖し、敬い、愛する。人も自然の一部として存在していると考える。そこには共存と共生がある。
加護に対しては感謝を捧げ、神罰に対して恐怖はすれど、それさえも共に在ることの証と捉える。
対して唯一神は、すべてものものは全知全能の神により創造され、神の意志によって動かされるものとする。そして人間は特別な存在として創られ、神から自然を管理する権限を与えられ、自然は征服し利用するものになる。そこには支配と服従の関係が生まれる。
根本的に自然に対する考え方が違うのだ。
「当時のロシュタットのご領主はあたしらの神様を否定しなかった。ロシュタットのご先祖もそういった神様を信仰してたらしい。自分たちが在るのはご先祖が在ったからで、ご先祖を否定することはできないから信仰を理由に虐げることはしない。だけど居るものとしては扱えないってね」
確かにロシュタットは先祖代々続いてきた歴史を大切にしている。生活様式も当時から続くものもあるということだし、今もなお技術や知識も恩恵を受けていると聞いている。
アデルリーナは少し考え込んだ。その様子を見てスルミナはアデルリーナは改宗しろと言われて悩んでいるのかと思った。
「ああ、別に姫様にあたしらの神々を信じろと言いたいわけじゃない。だけどこのことを知っておいてもらわないと、これから何かと困ることになるからね」
「困ること?」
首を傾げたアデルリーナに少し苦笑しながらスルミナは言う。
「信じるものが違うと、わかり合えないことも出てくるってことだ。その時に互いに受け入れられなきゃそこまでだからね」
アデルリーナは父を思い出す。森に行くように告げられ、自分の力を教会で認めてもらうことができないのかと聞いたら、教会にとって都合の悪いことは受け入れてもらえないと言われた。
アデルリーナは都合のいいことだけを囀るかごの鳥にはなれない。それをわかっている父が選んだ相手がスルミナだけれど、これまでの常識とは全く異なる相手のようだ。ここで見放されてしまったら自分はどうなるのだろう。
少し不安が顔に出たのかも知れない。ルドヴィックがアデルリーナにささやく。
「アデルリーナ姫様、ご心配なさることはございませんよ。アデルリーナ姫様が拒まなければ、森の民、いや『森』がアデルリーナ姫様を拒むことはございません」
アデルリーナは『森』はロシュタットそのものだと聞かされて育ってきた。ロシュタットの歴史も、今も、森と共にあるのだと。自分が『森』を拒むなどあるはずがない。
ルドヴィックの目は穏やかだ。アデルリーナは肩の力を抜いた。その様子を見てスルミナは頷く。
「さて、理屈はともかくとして、これからのことを話さなくちゃならないね。そうそう、あのご領主様のことだから姫様は勉強もしなくちゃいけないのだろ?」
カルスタットが答える。
「ご領主様からは原初の歴史書を読んでいただくように、と仰せつかっている。その方が姫様もご自身に対する理解が深まるだろうと」
「一般教養や淑女教育、武芸訓練も最低限は行うように、とのことです」
カルスタットとルドヴィックの答えに、スルミナは笑い出す。
「やっぱりだね。それにしてもまあ、ご領主はこんな幼い姫様に大層な宿題を出しておいでだ。でも、気持ちはわからないでもない。自分を守ることと価値を知らなくちゃ生き延びれないからね。なら、まずは姫様に一週間、ここに通ってもらおう。その後はまた相談させておくれ、どうだい?」
カルスタットとルドヴィックがうなずいて、エンハルトを見る。
「アデルリーナ姫様がスルミナ嫗に師事している間、エンハルト様はマダン殿達にしごかれてください。スカルティオの次期侯爵として必要なことですよ」
ルドヴィックが決定事項と言うように言い渡す。マダンが胸を叩く。
「よっしゃあ! 坊ちゃんのことは任せな! さっそく、今からでも!」
「そうですね。今日もこれからアデルリーナ姫様はスルミナ嫗にお預けするので、マダン殿、お願いします」
エンハルトは口を挟む余地もなく目を白黒させている。
「ではアデルリーナ姫様、四の鐘の前には、私かカルスタット様がこちらにお迎えにあがります。よろしいでしょうか?」
アデルリーナは一人で残されると言うことに少し不安も感じたが、にっこりと笑った。
「ええ。大丈夫よ」
そして相変わらず戸惑っているようなエンハルトに向かって微笑みかける。
「エンハルト兄様、お互い頑張りましょうね」
アデルリーナにそう言われたエンハルト少し気まずそうに頭を掻く。
「はい、私が狼狽えている場合ではありませんでしたね。アデルリーナ様に励まされるとは情けない。マダン殿、よろしくお願いいたします」
気を取り直したようにエンハルトはすくっと背筋を伸ばして立ち、マダンに頭を下げる。
「じゃあ、いいかい? 姫様はあたしと一緒にこちらにきておくれ」
スルミナが奥の部屋に誘う。台所と棚が並んだ倉庫を通り抜けると作業場のような部屋があった。木机と椅子がいくつか置かれている。
「ここにおかけ」
スルミナが自分の前に置かれた椅子を指し示す。アデルリーナがそこに腰掛けると、テレージェとドラが隣に立った。
「さて、姫様が今、一番知りたいのは、姫様の力のことだろう?」
アデルリーナは大きく頷く。
「はい。スルミナ長老様ならばお分かりになるのだとお聞きしました」
スルミナは少し首を横に振った。
「残念ながらあたしも姫様の力のことは知らないのだよ。だけど、他の者たちよりは、近いものを持っているのだと思う。だからこそ、ご領主様がここに来させたのだと言うこともね」
近いもの、つまり別の力を持っていると言うことなのだろうか。アデルリーナの疑問に答えるようにスルミナは言う。
「あたしらは『真実を見る者』さ。邪な気や誤魔化し、嘘なんかはあたしらには通用しない。そういうことがわかっちまうからね」
「では、わたくしの力も信じてくださるのですか?」
「もちろん、最初から疑っちゃいない。だが、どうしてそういう力を持っているのかは分からない。多分、こういうことかもしれないと思うことはあるがね」
「それをお教えくださいませ!」
思わずアデルリーナは叫んだ。そしてはっと気づいて恥ずかしくなった。人前で取り乱してはいけないと言い聞かされていたのに。
「あっはっは、姫様、ここではご領主様の令嬢という立場は無しにしていいんだよ。というより、そうしなくてはいけないだろう。そうさね、呼び方も変えるとするか」
スルミナは少し考えてアデルリーナの手を取る。
「今日から姫様の森での名はルリナだ。森には多くの神々がいる。それらを精霊と呼ぶ者もいるが、いずれも人ならぬものだ。姫様、いや、ルリナはこれからそういった存在と付き合っていくことになるだろう。その時に名乗るはこの名前だ。いいかい?」
アデルリーナが少し戸惑っていると、テレージェが優しい声で言った。
「ご心配には及びませんわ。ルリナ様には多くの加護がございますもの。ですが、ご領主様のご令嬢というお立場は、時として足枷になることも多いでしょう。森ではルリナ様ご自身だけのお立場でお過ごしなされますように」
テレージェは、なんの違和感もなくアデルリーナをルリナと呼ぶ。
「では、わたくしはルリナとして、スルミナ長老様をお師匠様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
スルミナは頷く。アデルリーナはテレージェたちの方を見上げる。
「では、テレージェ様とドラ様はわたくしの姉弟子ということになりますので、どうぞ、ルリナ、とお呼びください」
今度はテレージェたちが戸惑う番だった。
「そんな、呼び捨てなんて……」
スルミナが笑い出す。
「確かに、あんたたちの方が姉弟子だ。そのようにおし。その代わり、姉は妹をしっかり見てやる責任もあるんだよ。わかってるだろ?」
二人は頷いて、ドラが行った。
「じゃあ、私のことはドラ姉さん、テレージェのことはテラ姉さんと呼んでもらっていいかしら?」
「はい、テラ姉さん、ドラ姉さん、よろしくお願いいたします」
ちょっと照れくさそうな顔をしてからドラはスルミナを見る。
「私たちもお師匠様って呼ぶべき?」
「好きにおし。だけど、あんたたちはあたしの一族なんだから今のままでも構わないよ」
「じゃあ、これまでどおり長様でいいね」
「長様、話の続きを」
テレージェがスルミナを促す。
「そうだった。ルリナの力について幾つか確認したい事がある。洪水を予言したっていうのは本当かい?」
「予言だなんて、とんでもございません。山の方から怖い音が聞こえていただけなのです」
アデルリーナは慌てて首を振る。
「怖い音ね、それがいつもと違っていたから、大人に相談したってことだね? そういう音はいつも聞こえているのかい?」
再び首を振ったアデルリーナは、少し言葉を選びながら説明しようとする。
「いつも聞こえている、わけではありません。時々、ふとした時に、聞こえるというか、頭に響くような音がするのです」
「たとえば?」
「今日も、こちらに来る時に、採石場のところで、調和の取れた音がしました。森の中でも微かな、けれど楽しげな音がしたような、気がします」
スルミナはテレージェたちを見る。
「あんたたちはどう思う?」
「採石場の調和が取れた音というのは、音楽のように聞こえるのですか?」
テレージェの問いにアデルリーナは少し考える。
「音楽、といえばそうなのかもしれません。音同士が、なんというか、呼びかけ合っているというか、支え合っているというか……」
うまく説明できない。
「森の楽しげな音というのは? 木立の葉擦れや鳥の鳴き声とは違うの?」
ドラも尋ねる。
「違います。もっと、ポンと弾けるような、笑うような感じで……」
スルミナたちは顔を見合わせる。
「ふーむ。ルリナは石の声、それから芽が出る音か花が綻ぶ音を聞いたようだね」
石の声?
「あの採石場から石を切り出す時に、どこのどの場所を切るか、どうやって決めていたとお思いかね?」
崩れないように石を切り出していくのは至難の業だ。まかり間違えば大惨事になる。どうやって?
「優れた石工は、石の声が聞こえるのだそうだ。どこからなら大丈夫、どこを触ると危ないかって、教えてくれるのだとさ」
「わたくしが聞いたのはその声だと?」
「崩れないように支え合っているから、調和の取れたような音に聞こえたのじゃないかい?」
そう言われるとそのような気がしてくる。
「この季節の森は、新芽が出たり、花が咲き始めるのよ。普通の人に聞こえるような音ではないけれど、ルリナには聞こえたということなのでしょうね」
テレージェの言葉にスルミナは同意しながらも、少し考えるようにして言う。
「ルリナ、その音は耳から聞こえてくる音とは違わないかい?」
アデルリーナは首を傾げる。耳から聞こえる音と違う? だとしたらどこから聞こえるというのだろう?
ふっ、と胸の奥が少し震えた。頭に響いてくる微かな音。自分の内側から奏でるような?
自分の内側に意識を向けようとしているアデルリーナの様子を見て、スルミナはやはり、と思う。
『響きの糸』と呼ばれているというその力、『聞こえ』の力とは言わないその意味は何なのか。
おそらくそれを知ることが、アデルリーナの力を理解することになるだろう。
『真実を見る者』は、正邪を裁く者でも、虚偽を暴く者でもない。ただそこにある真実をあるがままに示すことができる存在なのだ。
森の民の正体が分かってきました。次回『響きの糸』が少し解明となるかも。そしてさらに『森』の実態が見えてきそうです。




