ロシュタットの森
翌日、昨日カルスタットが言っていたとおり、地下書庫から秘密通路を通って森へ行くことになった。
地下書庫の一番奥まったところの棚を動かすと石造りの扉が現れた。閂がかかり、鍵は上下にふたつ。
カルスタットは慣れた動作で閂を外し、鍵を開ける。
扉の先には石壁に囲まれた通路が続いている。カルスタットが先頭、その後をルドヴィック、アデルリーナ、エンハルトの順だ。灯りはなく、各自カンテラを手にして進んでゆく。
「アデルリーナ様、大丈夫ですか? 足下にご注意ください」
エンハルトがアデルリーナの後ろを歩きながら、周辺を警戒しながら進む。
しばらく歩いたところで石壁が途切れ、岩肌がむき出しになる。さらに歩を進めると広々とした空間が出現した。
高い天井に巨大な石の柱が林立し、ところどころ天井の一部がぽっかりと開いていて、そこから光が差し込む。
広い舞台のような床が段々に重なりそれらをつなぐ階段がある。さらにその下にも階段が続く。
さながら巨大な地下宮殿か神殿のようだ。
よく見れば岩肌にはツルハシの跡が残り、年輪のようにも見え、ひんやりとした空気は時が止まったかのような錯覚を覚えさせる。
「ここはかつての凝灰岩の採石場です。階層がいくつもあり、枝分かれもしておりますし、滑り落ちると上がってこれないこともございますのでお気をつけください」
「これは……すごいな、壮観というべきだろう」
少し興奮気味にルドヴィックがあたりを見渡すが、エンハルトの顔色は優れない。
「カルスタット様、迷わないための秘訣をお教えください。護衛対象を危険な目に遭わせるわけにはまいりません」
「おお、そうでした。左側の壁に沿って歩くことです。分岐点では必ず左へ。帰りは右側です」
「それだけですか?」
少し拍子抜けしたようなエンハルトに、カルスタットは少し笑みを浮かべる。
「それだけです。ですが、くれぐれも道を外れないようにお気をつけください。ところどころに罠が仕掛けられておりますので」
エンハルトが少し身じろいだ。
アデルリーナは目の前に広がる地下空間に圧倒されながら、微かな音を拾った。しっかりと調和のとれた、心地よく響くそれは、石と石の間で交わされている会話のようにも思える。
じっと空間を見つめているアデルリーナに気付きながら、カルスタットは促す。
「では、進みましょう」
途中で細い階段になったり、ぐるりと曲がっていたりと、左側の壁に沿ってと言われていなければ他の道に進んでいきそうだ。その上、足音がこだまして、何人もの人が空間を歩き回っているように錯覚しそうになる。
しばらくすると上に向かっている階段の先が明るくなっていて、そこが出口のようだ。
階段を上がり切ると森の木立の中だった。イチイの木に囲まれたトンネルような道が続いている。
木漏れ日が地面に葉影を落としてゆらゆらと揺れ、薫風がそよいで緑の香りを運ぶ。どこかで鳴く鳥の声だけが聞こえてくる。
歩きながらカルスタットが言う。
「この辺り一帯が森の民の集落になります」
けれど、家などどこにも見当たらない。何よりも人のいる気配など微塵も感じられない。
キョロキョロとアデルリーナは辺りを見回す。エンハルトも同じように怪訝そうな顔をしているが、ルドヴィックは平然と頷いている。
「彼らに囲まれているのなら、この道は安全だね」
「ええ、そのとおりです。もっとも、この近くまで辿り着くことも難しいと思いますが」
「違いない」
戸惑っているアデルリーナとエンハルトを見て、カルスタットがクスリと笑う。
「エンハルト様、貴方はスカルティオの跡取りですが、各家門の嫡男の方でもこの場所まで来られた方は多くはございません」
「私も初めてだな」
ルドヴィックの言葉にエンハルトは驚いた顔になる。
「では、父上も?」
「はい。ヴィヴィリオ様もここにはいらしたことはございません。何か特別なことがない限り、この道を知る方は代々のご領主様とそのご子息、そしてモンリッジョの当主だけです」
何か特別なこと、それはアデルリーナの力のことだろう。父は秘密を共有できる相手として従兄のエンハルトと、執事として城内の機密を知り尽くしているルドヴィックを同行させたのだ。
そしてこの辺り一帯はロシュタットの森の中でもとりわけ重要な場所のようだ。アデルリーナは先程から聞こえる微かな、けれど清らかな音色が気になっている。
しばらく歩いていくと、アデルリーナたちの後ろを影のようについてくる者がいる。まったく音を立てずに現れ、一人、また一人と増えていく。
ふと気づけば、カルスタットの横に男が立っていた。これもまた音も立てず、葉の一つも揺らさずに木の上から降り立ったようだ。
「マダン、少しは気配を見せてください。突然では姫様方が驚くでしょう」
困ったものだ、というようにカルスタットが首を振る。
「それは申し訳ない。婆様もお待ちだから、つい気持ちが急いてしまったのさ」
マダンと呼ばれた男はアデルリーナたちを振り返る。プレディオスと同じくらいの年齢だろうか。
「姫様、無作法をお詫びいたします。私はロシュタット傭兵団の頭のマダンと申します。先程から後をついてきた者も我が傭兵団の各隊の隊長でございます。後ほど改めてご紹介申し上げましょう」
「マダン殿、お久しゅうございます。頭になられたのか」
ルドヴィックがそう言って前に進み出る。
「ルドヴィック様、ご無沙汰しております。お話は後ほどさせていただくとして、まずは我が一族の長老の元へご案内いたします」
イチイのトンネルは緩やかなカーブを描いていて先の様子が窺えない。けれど清浄な空気が流れ、不安は感じなかった。
しばらくするとトンネルの先が開け、広場のようなところに出た。小高い岩山の前に大きな楡の木が聳え立っている。その周りも木が立ち並び、梢が広がってドームの屋根のように見える。上空から眺めてもこの場所を見出すことは難しいだろう。
楡の木の根元に小さな老婆がいた。二人の女がその後ろに付き従うように並んでいる。
「婆様、姫様たちの到着だ」
マダンが大声で呼びかける。
「そんな大声を出さずとも、わかるわ。少し行儀よくおし」
凛とした張りのある声だ。老婆がアデルリーナの方にやってくる。前を歩いていたカルスタットとマダンが一歩後ろに下がる。
アデルリーナの前まで来て、老婆は深く一礼した。
「ロシュタットの姫様、ようこそ森へ。あたしはスルミナと申します。ロシュタットが森の民、ダーナ一族の長老でございます」
紫の瞳が真っ直ぐにアデルリーナを捉える。何かを見透かそうとするようだ。だが領主の娘として狼狽えてはならない。
アデルリーナは背筋を伸ばす。左手を胸に当て、膝を少し折って頭を下げる。年長の者に対する挨拶だ。
「初めまして、スルメナ長老様。ロシュタット領主ステファーノの長女、アデルリーナ・フィナ・サリオスティ・ディ・ロシュタットでございます」
フィナは一番目の娘、サリオスティは家名である。ロシュタットのサリオスティ家の長女のアデルリーナという意味になる。
ちなみに息子はフィト、セト、テルト、クイント、娘はフィナ、セナ、テルナ、クインナの順になる。
「これは、ご丁寧な挨拶、痛み入ります」
少し驚いたようにスルミナが言うと、ルドヴィックとエンハルトが続く。
「お目にかかれて光栄でございます。ルドヴィック・ピエナント・ディ・モントリアでございます」
「私はエンハルト・フィト・サリオスティ・ディ・スカルティオと申します」
カルスタットが、二人はアデルリーナに同行して来ることになると説明する。
「モントリアにもスカルティオにも、森の民が世話になっておりますなぁ」
スルミナの言葉にルドヴィックが返す。
「お世話になっているのはこちらでございます。非常に良い情報をいただいておりますので」
「おや、役に立っておるならば重畳、重畳」
そこへマダンが割って入る。
「婆様、さっさと姫さんに説明してあげないと。話が見えなくて戸惑っちまうぜ。俺らの紹介もさせてくれるんだろ?」
先ほどは姫様と呼んでいたのに姫さんになっている。しかも口調もぞんざいだ。
「マダン! その言い方は何ですか! 姫様を姫さんだなどと! 失礼にも程がある!」
カルスタットが怒ると、アデルリーナがクスクス笑う。
「姫様?」
「あ、申し訳ございません。カルスタット様も怒ることがおありなのだと思ってしまって」
「そんな、姫様……」
カルスタットが情けないような顔になる。
「やれやれ、マダンは少し黙っておれ。姫様、話をさせておくれかい?」
「はい、スルミナ長老様」
すると後ろにいた女がスルミナに何か囁いた。
「そうじゃな。こんなところで立ち話もなんだ。むさ苦しいところで姫様を招くような場所ではないが、勘弁しておくれ」
そう言って楡の木の裏に周り、手招きする。アデルリーナたちが続くと岩山に洞窟の入り口のような穴が空いている。
「森にはいくつもこうした洞窟がある。あたしたちの住処さ」
穴に入っていくと板戸がある。戸を押して中に入れば思ったよりも広い部屋があった。城の小会議室くらいあるだろうか。奥にもいくつか部屋があるらしい。
壁には腰高まで木板が貼られ、床は滑らかだ。天井に戸板があり、それが押し上げられていて風と光が入ってくる。明かりとりの役目を果たしていて、灯火をつけなくても十分な明るさがある。
部屋の真ん中に置かれた大きなテーブルは一枚板。それを囲んで木椅子が並べられている。その一つにスルミナが座り、アデルリーナを隣に座らせる。その隣にルドヴィック、エンハルトが腰を下ろす。他の者たちは立ったままだ。
「では、姫様、まずは紹介しておこう。あたしの隣に立っているのはテレージェであたしの後継者候補だ。その隣はドラ。今のところ後継者見習いってとこだね」
テレージュは二十代後半くらいだろうか、ドラは見習いというから十代前半か。二人はが揃って頭を下げる。ヴェールから覗く髪色は銀色、瞳は紫だ。
「あたしの代わりに姫様と一緒に動くこともあるだろう。それから、さっきから騒がしいのはマダン。もうご存知だろう?」
アデルリーナは少し微笑んで首肯いた。
「腕は立つんだがねぇ。一応、傭兵隊の頭をやっている」
「婆様! 一応、はないだろう!?」
「あの、スルミナ長老様、傭兵隊というのは? ロシュタットと関係するのですか?」
家臣団ならばわかる。貴族階級の騎士と平民階級の兵士がいて、騎士団と兵士団があることも知っている。けれど、傭兵とは?
そもそも傭兵というのは、金で雇われて戦力になる者たちだと聞いている。
「それについては、後からルドヴィック殿から説明してもらうといいだろう。けれど、森の傭兵たちはロシュタット以外には雇われることはないのさ。お抱え傭兵団だと思って貰えばいいだろう」
スルミナの言葉にマダンが大きく胸を張る。
「俺らは女神ダーナに誓って、ロシュタット以外には味方しない。その点は信じてくれていい」
マダンと一緒に並んでいた男たちが一斉に左拳で胸を叩く。
「一番隊スタリー!」
「二番隊ホフェル!」
「三番隊トルク!」
「四番隊ダルフ!」
「我らはロシュタット傭兵団なり!」
最後の言葉は皆が声を揃えた。いずれも精悍な顔立ちをしている。
「あと、七番隊まであって、傭兵だけじゃない仕事もしてるのさ。そのあたりもおいおい説明していこうかね」
スルミナがマダンの方を向く。
「姫様の護衛は決めてあるんだろうね?」
「もちろんだぜ。一番隊のコリナとメランが専属で付くようにした」
エンハルトが慌てたように会話を遮る。
「お待ちください。アデルリーナ様の護衛は私が」
「スカルティオの坊ちゃん、もちろん姫さんの護衛もやってもらうけどね、坊ちゃんがやることは他にもあるんだよ。ご領主様から聞いていないかい?」
言われて、エンハルトはステファーノから森行きの話を聞かされた時のことを思い出す。少しばかり鍛えられてくるといい、と言わなかったか?
「そう言えば……」
「だろ? 森の中での護衛は俺らもする。坊ちゃんは俺らと一緒に訓練するのさ。昔、ルドヴィック様もやりましたよね?」
「ああ、マダンの父上、バルト殿にしごかれましたな」
「まあ! ルドヴィックも?」
アデルリーナはなんだか楽しそうな声を出す。
「はい、アデルリーナ姫様。ロシュタットでは領主直系、傍系の家門の男子は、帯剣式を済ませたら森の傭兵団の訓練に参加することが義務付けられているのです」
傍系でアデルリーナが思い浮かぶのは、スカルティオ、モンリッジョ、モントリア、トレアンダくらいだ。
「では、ジルヴェルト兄様やアルフィオスも、いつか来るのかしら?」
「そうですね。騎士団長の息子ですし、傭兵団のことは知っておかねばなりませんから。ですが、この場所には入れないでしょう。私の息子のハインリヒも別の場所だったはずです」
兄のクラウディオはまだ見習いで帯剣式を終えていない。しかも今は他領にいる。もしかしたら、自分は次期領主となる兄さえも知らないところに来てしまったのか。それはどうにも居心地が悪い。
「お兄様は、この場所をご存知なのかしら……」
小さく呟いた言葉にマダンが反応した。
「クラウディオ様ですかい? ここで何度かお見かけしましたぜ」
カルスタットが後を引き取る。
「直系の男子は洗礼式後にしばらく森の離宮に滞在して、『森』について学びます。他の子達よりもかなり幼い時から教えられ、鍛えられるのです」
領主となるための学びと訓練は厳しい。文武だけでなく、精神的にも強さを求められる。それは上に立つ者の責任があるからだ。
この森のことを兄が知らないことではないことで少し安堵はしたものの、自分以上に兄は様々な秘密を知り、それを抱え続けるのだろう。
兄は跡取りとしての立場を理解し、周囲から認められるように努力している。アデルリーナも父や祖父から、領主一族としての責任を折に触れて聞かされてきた。
けれど自分は何ができるのだろう。ここで、何を学べばよいのだろう。
「スルミナ長老様、わたくしは森のことも皆さまのことも、何も知らないまま、ここに参りました。どうぞ、わたくしを教えお導きくださいませ」
アデルリーナの顔つきが変わったことにスルミナは気がついた。決意を秘めた翠緑色の瞳がスルミナを見つめている。
「初めから何もかも知っている者なんぞおりませんぞ、姫様。じゃが、知らないということに気づいて、受け入れることから学びというのは始まるのです」
『知らない』ということを受け入れたがらない人間も多い。だが、世界の、森羅万象全てを解き明かすことのできる人間などいない。それができるのは神の領域だ。
自らを神の代理人、神の代行者と呼んでいる者たちの危うさ。そのことをアデルリーナに告げなければ、この先には進めない。それはアデルリーナを守ることにもつながるが、一方で大きく傷つけることにもなりかねない諸刃の剣。
ステファーノからアデルリーナを託すと言われた時から、ずっとスルミナが悩んできたことだ。それでも迷いのない、森の色をした瞳に応えるべきだと決意した。
ロシュタットの森の姿が少し見えてきました。スルミナが語ろうとしていることは何か。次回は森の民です。




