森の師弟
スルミナにはアデルリーナの周りに浮かぶいくつかの光の球が視えている。この光は精霊たち、スルミナたちにすれば万物に宿る小さな神々だ。
「テラ、ドラ、あんたたちには見えるかい?」
テレージェもドラも頷く。
「ルリナの周りをいくつかの光が取り巻いているように見えます」
「うん、大きいのや小さいの、それにいろんな色があるみたい」
二人の答えにスルミナは(まだまだだね)と誰にも聞こえない程度に口の中でつぶやく。どうやらスルミナには他にも見えているものがあるらしいが、そのことには触れずにアデルリーナに向かって尋ねる。
「ルリナ、今、何か聞こえておいでじゃないかい?」
聞かれたアデルリーナは驚く。確かに聞こえている音がある。それにいつもと比べると音が多い様な気もする。けれど、そういう時もあるから変わったことではないけれど、どうして聞こえているのがわかるのだろう。
「ございます。ですが、取立てて変わった音ではありませんし、気にするようなものでもないのかと……」
「どんな音なんだい?」
アデルリーナの答えにかまわずスルミナは尋ねる。仕方なくアデルリーナは音をたどるようにして言葉を探す。
「森に来る途中に聞こえていた弾むような音と、何かがもぞもぞと動き出すような音がいくつか、水が湧き出るような音も聞こえるような……」
テラとドラが何かを見つけたように「ああ、そうか」と頷きあう。アデルリーナは戸惑う。何がわかったのだろう。二人が口々に言う。
「ルリナの周りの光たちが、時々ルリナに触れているようですね。どことなく楽しげに見えます」
「そうそう。なんというか、遊んでいるみたい。楽器かな?」
光? 触れる? 遊ぶ? 楽器?
「そうですね、竪琴か何かに触れるみたいな感じかしら?」
「そうか、触れる場所や強さで音も変わるからね」
ドラが竪琴を弾くような真似をして口で音を出す。
「あっははは、二人ともよく気づいたね。どうやらルリナ自身が、彼らにとっては楽器のようなものらしい」
「やっぱり! 楽しんでいるように見えます」
「今は楽しそうだけど、ルリナが聞いたっていう洪水の時ってどうだったのかな?」
「どうだったとは?」
ドラの疑問にテラが質問を返す。
「ルリナ、洪水の音って怖かったんじゃない? そんな音を奏でるのって楽しいとは思えないから」
「はい、とても恐ろしい音に聞こえました」
けれどスルミナはこともなげに言った。
「自然の神々にとっては、どんな音なのかは関係ないだろうさ。そもそも怖いということさえ思っていないかも知れない。すべては世の中にある、あたりまえのことなのだからね」
あたりまえのこと、と口の中でつぶやいてテレージュは指を折る。
「雨が降る、雲が流れる、光が弾ける、草木が伸びて花が綻び、葉が落ちて土に還る」
ドラが続ける。
「雪が積もり、氷が張り、大地が眠りに着く。雪解けに、土の中で胎動を始まり、やがて芽がでる」
そしてテレージェ。
「嵐も、雷も、吹雪も、日照りも、全ては理の中で巡ってゆくもの……。そういった営みの中で神々は音を奏でてルリナに何を伝えようとしているのでしょう」
スルミナは少し首を傾げる。
「うーむ、ルリナに伝えるというよりも、仲間たちに知らせるために、あるいは自分が楽しむためだけにルリナを使っているのかもしれない」
「ああ、そういうこともありそうです。楽器なら皆に聞かせることができますし、自分だけが楽しんでもいいわけですね」
「でも、ルリナでなくちゃダメなんでしょ? 他の人を代わりにする気もないみたいだし」
「ルリナの、あるいはルリナの受け継いでいる何かがあるんだろう。だからロシュタットに『響きの糸』が現れるんだ」
三人の話にアデルリーナはただ目を白黒させている。何が何だか意味が分からないのだ。
自分が神様たちの楽器に使われているなんて思いもよらないことだ。けれど、どうして彼女たちはそのことをあたりまえのように言うのか。
「ルリナ、何か聞きたいことがあるかい?」
固まったままのアデルリーナにスルミナは目を向ける。
「あ、あの……。あまりに唐突すぎて、わたくしが、神々に? 何を?」
何を、どう聞けばいいのか分からず混乱している。
「そういや、ルリナはあたしらがなぜ『真実を見る者』と呼ばれているか知らないんだったね」
アデルリーナは大きく頷く。そう、そうなのだ。なぜそういったことがわかるのか、教えてほしい。
スルミナは少し考えて口をひらく。
「あたしらは、常人には見えない光や影が見える。人や物の周りや後ろに見える光の強さや色、影の大きさや濃淡が、『真実』を教えてくれる。これも、おそらく、だけどね。神々に見えているものの一部があたしらの目に写っているんじゃないかと思っている」
「神々が気まぐれに、人間の目を使ってものを見ようとしているのではないか、とも言われてもいますよ」
「神様たちって好奇心が強いらしいからね」
ますます分からない。アデルリーナが教えられてきた神とは、世界の頂点に君臨し、全てを知る存在だ。神に対する考え方のあまりの違いに理解が追いつかない。
だから、最初にスルミナは自分たちの神について話をしたのだと、やっと気づく。
それまで異教徒について深く考えてみたことがなかった。スルミナたちの話を聞いて、信じる神が違うということは、これほど世界の捉え方が違うのだと実感する。けれど、アデルリーナはスルミナたちの言う言葉が素直に信じられた。
自分の力が神から与えられたものだとしたら、教会の都合など関係なく受け入れられていいはずだ。なのに都合の良いことだけしか受け入れられないだろうと言われたことは少なからずショックだったのだ。自分の力が悪だとされることに違和感と恐れを抱くのは当然だろう。
スルミナたちの神は力を与えると言うよりも、共に在るものとして身近なところにいるのかもしれない。だから楽器のように扱ったり、人間の目を借りてみたりするのだろう。
「その、神々はそんなに気軽に人と触れ合うものなのですか?」
セレスト教では教皇や王が神の代理人とか神の代行者とされるが、他の者たちは神の僕だ。
「あたしらはそう思っているよ。自然と触れ合うことは神々と触れ合うことと同じだってね。ただ、そのことを実際に感じ取れるかどうかは別だ。神様たちだって感じ取れる相手を選んで、相手にしてるんだろうからね。だけどその数は少ない」
「わたくしは、その数少ない中のひとりになるのでしょうか?」
「そりゃそうだ。神様たちの楽器になるなんぞ、稀なことだ。もっとも過去にもそういう者がいたというから、ルリナの家系は神々に感応しやすい体質なのかもしれないね」
「では、お三方はご家族なのですか?」
スルミナたちは一斉に首を振った。
「あたしらは、まあ同じ一族ではあるからご先祖のどこかで血が繋がっているとは思うよ。だけど、親族かっていわれるとそういうわけでもない」
「では、どうやって、その『真実を見る者』になるのですか?」
スルミナは紫水晶のような色をした自分の目を指差す・
「この眼だよ。この紫の眼を持つ者がそうさ」
「生まれつき、なのですか?」
「いいや、人によってそうなる時は違う。それこそ神様の気まぐれで選ばれるってことだ」
アデルリーナはテレージェとドラを見る。
「私は16の時でした。ある時急に周りの人の光が見えたのです。もっとも、そういう話は聞いていたので驚くことはありませんでしたが、年齢的にはかなり遅かったと思います」
「私は8歳になった時に、薬草を摘んでいたら草の周りに何かキラキラしたものが見えて、その色が違うんだ。それを長様に報告したら、目の色が変わってるって言われてさ」
スルミナは3歳ごろからだという。スルミナの年齢は定かではないが70歳は超えている様に思う。
「人によってそんなに違いがあるのですか?」
「そうだね。神様たちが何を基準に選んでいるか知らないけど、神様だって相性ってのがあるのかもしれない」
「時代によっては一人しかいない時もあったし、多い時は五人くらいいた時もあると聞いています。ただ、誰もいないということはなかった様です」
「テレージェの前にもう一人いたんだがね、神様に気に入られて連れていかれちまった」
それは、つまり、そういうことなのだろう。辛い記憶を思い出させてしまったのかもしれない。
「わたくしはそんなことまでお聞きするつもりでは……」
「わかっているよ。だけど、ルリナ、あんたはいつかそのことも知ることになるかもしれない。だけど、それは今じゃない」
もうひとりの『真実を知る者』が亡くなったのには何か理由には何かあるらしい。自分に関係することなのだろうか、でも今は教えてくれそうにない。
「さて、ルリナの力について話を戻そう。どうやら神様たちはルリナで音を奏でているようだ。だから『響きの糸』と呼ばれていたってことも理解できる。だけど、これまでの『糸』たちも自分たちがそんな風だったってことは知っていたんだろうかね?」
スルミナの言葉にアデルリーナは首を傾げる。『響きの糸』はそもそも伝説の類を出ない話だ。詳しいことなど知りようがない。
「勉強不足でわかりません。けれど歴史書には何か記載があるのかもしれません。それと、お父様たちならばもう少しご存じなのかも知れませんが……」
「そうか、そうだろうね。そもそもがかなり古い話なのかも知れない」
「私たちの先祖がこの森に来る前の話なのでしょう。そうなると、私たちの記憶にも残らないのかと」
「そうだね、何人かの『糸』がいたというのはあるけど、それ以上はわからないみたい」
またもや三人は何事かを話している。記憶? その言葉に何かひっかりを感じる。
「あの、記憶とは? 覚えていることがおありなのですか? 記録ではなく?」
「ああ、あたしらは過去の『真実を見る者』の記憶も受け継ぐんだよ」
「それに私たちは文字を持ちません」
「文字には言葉を縛る力があるんだってさ。だから使わない、使えない」
言葉を縛るということは、意味が限定されるということだろうか。口から発する音が言葉になる。それは目に見えないものだ。文字にすると目に見えるものになるけれど、そこには決められたものがあるだけになる。文字を持たず、形にはめないということは無限の広がりを持つことになる。
記憶は受け継がれ続いていくけれど、文字を持たない民族。それはひどく自由な気がする。
「だけど記録を残すことを否定するわけじゃないよ。何千、何百年も前の事実や人の考えを、全てではなくても今に伝えてくれて、この先にも残してくれるのは、文字ってのがあるからだ。ルリナはこれからそれを勉強しなくちゃいけないんだ。文字の裏側にある言葉もしっかり読みとるようにおし」
スルミナの言う文字の裏側の言葉がどう言うものか、アデルリーナには想像できない。それでも、そのことを忘れにずにいようと思った。
そして、アデルリーナは今日一日だけで世界が変わってしまったと感じていた。けれど、それは嫌ではない。むしろ、これまで霧の中にあったことがすっきりと晴れたような気がした。
「お師匠様、わたくしはこれから何をすればよろしいのでしょうか?」
「そうだね、まずはルリナが奏でる音について、もう少し詳しく知りたいところだろ? 森の中にはいろんな神様がいるからね、ちょいと比べてみてもいいかも知れないと思ってる」
「森のことを知っていただくことも必要では?」
森のことについてアデルリーナはまだ何も知らない。
「うん、それもそうだ。あたしらが普段していることも一緒にやってもらおうかね」
「あの、それは、わたくしにもできることでしょうか?」
アデルリーナには『真実を知る』ことなんてできない。大丈夫なのか不安になる。
「あたしらはいつもは薬師の仕事をしている。悪いところを診て薬を作ったりしてね。ルリナも薬草の知識くらいはおありだろ?」
それくらいなら大丈夫そうだ。アデルリーナは頷いた。
「まあ、ルリナの知らない薬草もたくさんあるだろうから、それも教えながらやっていこう。多分、そういう時にルリナに聞こえる音があるかも知れないね」
「私にも聞こえるといいのにな」
ドラが心底残念そうに言う。
「欲張るんじゃないよ。過ぎたるものは災いにもなりかねないんだ。今の力を正しく使うことだけをお考え。よくないものに魅入られてはいけないよ」
ピシャリと釘を刺してスルミナはアデルリーナに向き合う。
「ルリナの力も人には過ぎたるものだ。それはよくないものを引き寄せやすいのだよ、だから気をつけなくてはいけない」
「よくないもの、とは?」
テレージェが代わって答える。
「他人からの妬みや嫉み、そして利用しようとする欲、そういったものがまとわりついてくることがあります」
「まとわりつくだけじゃなくて、実際に害そうとしてくることもあるんだからね」
テレージェもドラも実際に経験があるのだろうか。
「ですが、一番怖いのは自分自身の欲と驕りです。外からの悪意や害意は避けたり、はね返すこともできるけれど、自分自身の内にあるものはそうはいかないのだから」
自分は人とは違う選ばれた人間だから相手を見下すのは当然だとか、力を使って儲けようと思うことだって少なくないだろう。けれど、それは醜く、到底美しいとは言い難いものだ。魔がつけ入るとしたらそういう時だろう。
「テラの言うとおりさ。心が弱ると魔が刺すもんだ。一番大事なことは心を強く持つことなんだけどね、そうそう簡単なことじゃない。だから支えがいるんだ」
「ルリナは私らの妹弟子だから、何かあったら長様もいるし、私もテラ姉さんもいるよ」
ドラの言葉はアデルリーナの胸を突いた。支えてくれるという存在があるということの心強さ。父はこのために森へ来させたのかも知れない。
「ありがとう、ございます」
それ以外に言葉が出ない。ドラがアデルリーナの肩をポン、と叩いた。
「よろしく、妹弟子のルリナ」
スルミナもテレージェも笑っている。
天窓から差し込む光は少し弱まり、茜色が混じり始めた。さわさわと風が通り抜ける音がする。
これから森での日々が始まる。けれど、やっていけそうだとアデルリーナは思った。
師弟関係ができました。いよいよ森の離宮での生活が始まります。城と森での生活、アデルリーナにとって今後の大きな糧となることがいっぱいです。




