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春告(はるつげ)の日

13〜14世紀の中世ヨーロッパに似た時代と国が舞台ですが、オーパーツもどきが出てきたりするかもしれません。あくまでも似た時代、似た国で時間軸も異なりますので……

 セレスト歴 1387年

 藍色の闇に沈んでいたヴォルネ山脈の山の端が朱に縁取られ、空が濃い紫に変わり始める。少しずつ薄い紫から明るい灰色にと明るみを増して、白々とした朝がやってくる。


 山の合間から朝日が顔を覗かせてあたりを金色に染め、雪解け水が流れ込んだレーミア川の川面(かわも)には霧が立ち上っている。


 天蓋から漏れる光の粒に瞼をくすぐられてアデルリーナは目を覚ました。どこかで歌うような声がする。


 アデルリーナは起き上がり、窓を開けて大きく息を吸い込む。耳をすませば、雪解けの音がわずかに聞こえ、ピシッピシッとどこかで氷の割れる音と、時折どさっと雪の塊が地面に落ちては軽い地響きが起きる。


 歌うような声は山を抜けてくる風らしい。川面を渡る風が霧となった光の粒をさざめかせ、ハーモニーを奏でている。


 土の中からもぞもぞと芽が顔を出す、そのわずかな胎動の音もアデルリーナに届く。


 それらの音が渦となって全身を包み込み、吸い込んだ息を止めていたアデルリーナはほうっと息を吐いて微笑んだ。


 見渡せば、山の麓から続く森は、暗緑の中に萌葱色の明るい色が混じる。遅い春を待ちわびていた木々は一斉に芽吹き、草花は蕾を膨らませて、一番先に咲くのは自分だと身構えているようだ。


 冬の間、雪に覆われて白一色だった地面は、残雪の中に点々と黒々とした土が覗いて、冬眠から目覚めたばかりの大地の息吹が、見渡す限りの丘陵地に広がっていく。


 アデルリーナの父が治めるこのロシュタット公国は、ファナーク王国の北方に位置し、北をグレイング王国、東をセントロムル帝国のバルティス王国、ベルグント公国と国境を接している。いわゆる辺境領だ。


 ファナーク王国の三分の一程を占める広大な領地は、東側にヴォルネ山脈、北側にアトス山脈、南側にクラプス山脈。南から北に流れるレーミア川はヴォルネ山脈とクラプス山脈の間を通り、アトス山脈の手前で西に向かいネヴェル海に注いでいる。


 各山脈の麓には深く広大な森が広がり、丘陵地と平地が代わる代わる点在する中をクラプス山脈に源流を持つローヌ川と、カルル王国のユングラフ山のオリナ湖を源泉とするレーミア川が流れる。


 ロシュタットの城はレーミア川の岸辺、小高い丘の上にある。


 アデルリーナは川霧に煙る眼下の川を見下ろした。まだ眠りから目覚めていない港には船の数も少なく、船底に触れる水音が微かに響く。


 この港は川を遡ってきた場所にあるいわゆる内港だ。交易シーズンともなれば国外からも多くの交易船がやってきて賑わいを見せる。ロシュタットは、交易の要衝であり経済と文化の中心地でもあった。


 中心であり続けるためには先見の明を持ち、判断の時期を誤らないことだ。


 武力で領地を守るとともに、新たな流行を発信し続けるのは領主一族の役目である。アデルリーナは今年の交易の話題となるであろうものを思い浮かべて少し微笑んだ。


 扉がノックされ、部屋付き侍女(チャンバー)のロミエラが入ってきた。


「おはようございます。アデルリーナ姫様、春告(はるつげ)のこの()き春の日に感謝を申し上げます」

「おはよう、ロミエラ。春告(はるつげ)の佳き春の日に感謝を」


 互いに交わしている「春告(はるつげ)の佳き春の日に感謝を」という言葉は、新年の挨拶のようなものだ。


 ロミエラに促され朝の支度をしていると、筆頭侍女のベルナディッタが入ってきた。佳き春の挨拶をかわし、にっこりと微笑んで言う。


「アデルリーナ姫様、皆様はお揃いのようでございますよ」


「あら、もう? でもお兄様がお戻りになって、久しぶりに家族全員で迎える『春告の日』ですものね。急がなくては」


 アデルリーナの兄のクラウディオは騎士見習いとして、他領で教育を受けていたが、昨年の秋に見習い期間を終えて戻り、現在は次期領主として領地経営を学んでいるところだ。


 アデルリーナが朝食会場に行くと、すでに家族が揃っていた。

 父ステファーノ、母ローザリンデ、兄のクラウディオ、弟のジュリアーノ、祖父のセルペンテス、祖母のコーディリア。


 アデルリーナは部屋に足を踏み入れると、胸に左手を当てて、右手でドレスをつまみ、小さくお辞儀をする。


「おはようございます。春告のこの佳き春の日に感謝を申し上げます」

「おはよう。春告の佳き春の日に感謝を。さあ、席に着きなさい」


 父に促されてアデルリーナが席に着くと、ステファーノが威儀をただして言う。


「では、今年も『春告の日』を迎えることができたことに感謝しよう」


 皆は胸の前で手を組み、ステファーノが祝詞(のりと)を述べてゆく。低いけれどよく通る声が耳に心地よい。


「厳しき冬が去り、麗しき光が訪れたこの春の佳き日に、雪解けの水が大地を潤し、木々が歌い、花が笑い、風が舞う。この麗しきロシュタットに豊かなる恵みがあらんことを、」


 その声に家族の声が重なってゆく。


「小さき一粒の種を、幼き子羊を、雛を、慈しみ守り(はぐく)まれんことを、我らが健やかなる肉体と心を持ち、(あや)たず、正しき道を歩めるよう、(かむ)ながら守り給い、勇気と冷静さと思慮深さを与え給え」

 

 皆が立ち上がり、両手を前に差し出して高く掲げる。


「新しき春をもたらしたもう麗しきご存在よ、このロシュタットが幸栄(さきは)え給わらんことを請願し、ここに祈りと感謝を捧げます」


 胸の前で再び手を組み深々と一礼して


「佳き春に寿ぎを!」


 唱え終えると朝食だ。

『春告の日』の朝食は決まっている。レンズ豆の煮込みにローストした豚肉、ライ麦のパンとオムレツ、甘味として焼き林檎と干したイチジク。

 飲み物は蜂蜜酒(ミード)とエール、それからワイン。子どもたちも薄められたものを飲む。


 レンズ豆は金運をあげると言われている縁起物で、ご馳走と言えば肉料理であるが、鳥は幸運が飛んでいくとして祝日では敢えて食べない。豚は多産で子孫繁栄、豊かさの象徴とされている。


 ステファーノは皆を眺めて言う。


「今年は忙しい年になりそうだ」

「ええ、ですが喜ばしいことですわ」


 ローザリンデが応じ、コーディリアが頷く。


「クラウディオが帯剣式、アデルリーナが帯結(おびゆい)の式、ジュリアーノが洗礼式ですわね」

「クラウディオとジュリアーノはともかく、アデルリーナの帯結(おびゆい)は早くはないかね? まだ先でもよかろう」


 セルペンテスは面白くなさそうだ。


「この夏には12歳になるのですから、それほど早くはございませんよ」

「いや、だが、まだ11歳だし、普通は12歳を超えてからやるのだから」


 なだめるように言ったコーディリアにセルペンテスは未練がましく愚痴る。 


 帯結(おびゆい)の式とは女子の成人式のようなもので、これを終えると婚姻申込を受け付ける準備ができたということにもなる。アデルリーナには婚約者候補がいるが、正式な婚約ということになるだろう。


「まったくもう、セルペンテス様、今さらですわ。何より、今年にした理由があるのですから、お分かりでしょう?」

「そうですよ、祖父上。それにアデルリーナの相手などずっと前から決まっていたではありませんか」

「婚約者候補と婚約者は違うだろう」


 クラウディオが言ってもセルペンテスは駄々っ子のようだ。


「父上、いい加減になさってください。帯結(おびゆい)も相手も、父上も納得されたことです」

「う、それは、ロシュタットのためだから、な」


 アデルリーナがクスクス笑いながらいう。


「お祖父様、わたくしは帯結(おびゆい)の日がとても楽しみなのですよ。お祖父様はそうではございませんか?」

「もちろん楽しみに決まっておろう」

「では、ご期待なさってくださいませ。お祖父様の孫娘として誇りに思っていただけるようにいたしますから」

「其方は今でも充分、自慢の孫娘に決まっておる!」

 

 あきれたようにクラウディオが呟く。

 

「祖父上の孫はアデルリーナだけではないのですけど」

「私も姉上のように自慢の孫になります!」


 ジュリアーノの言葉に皆が笑い、セルペンテスは頭をかく。


 朝食を終えた領主一家は身支度を調えて大聖堂に向かう。城の中にも礼拝堂はあるが、特別な日には聖堂に出向き、領主自ら祈りと感謝を捧げるのである。


『春告の日』は冬の手仕事を終え、人々が外で動き出す始まりの日だ。

 

 畑では種を蒔き、放牧のため羊たちが野に放たれる。閉ざされていた鉱山も山開きの準備に入り、川開きと港開きの準備も進められる。


 こうした事始めの日の時期は教会が教える。一年の暦は教会からもたらされ、人々はそれに従って行動し、日々の安寧と豊作を祈るのである。


 ロシュタット大聖堂はレーミア川の対岸の市街にある。城と市街を結ぶ橋は石造りだ。


 高い外壁に囲まれた街には各種ギルドの事務所や工房などが軒を連ね、聖堂の前の広場には市が立ち並ぶ。井戸も設置されているので水汲み場としても人々が集う。


 ロシュタットの領主一族は騎馬で大聖堂に向かう。女性たちも同様だ。

 この時代の馬車はサスペンションが無いので乗り心地が悪く、荷馬車に使われる程度でしかない。


 領主夫妻を先頭に、クラウディオ、アデルリーナ、祖父母が並び、その両側を護衛騎士たちが固め、続いて従者、侍女たちが馬や徒歩で付き従う。


 その後ろを大きな荷車が数台続く ジュリアーノは洗礼式前なので城に残るが、ざっと100人近くの団体である。


 アデルリーナは愛馬に騎乗して、クラウディオに並ぶ。


「お兄様とこうして馬を並べるのは久しぶりですね。できましたらこのような堅苦しい儀式ではなく、遠乗りの方が良かったのですけれど」

「そうだね、今度一緒に行こう。だけど、今日は私たちが領主一族であることを皆に知ってもらうのだから大切だよ。わかっているだろう?」


 一年の始まりに領主一族が健勝で隆盛であると見せつけることで、領民を安心させ服従させる。一種のデモンストレーションである。


「ええ、春告の日は祝福の日。わたくしたち領主一族に祝福が与えられる事で、領地を守る力を得ることが出来る。その姿も見せるのですわね?」

「ああ、そのとおり。私はロシュタットを守りたい。そのための力が欲しい。だからやれることはなんでもやっておきたい」


 クラウディオの真剣な声にアデルリーナは少し息を飲む。クラウディオは続ける。


「ロシュタットを離れて気付いたのだ。遠い祖先たちの想いに。祖国をなくすと言うことがどういうことか。私がどれほどこの地を恋しく思っていたかわかるかい?」


 アデルリーナは小さく項垂れる。軽々しくわかると言ってはいけない。おそらくそんな簡単なことではないのだ。

 兄はそんな妹の気遣いに気がついたのか、少し笑んだ。


「でも私にはアデルリーナ、其方がいる。これは大きな祝福だと思うよ」


 城から橋をわたり、外壁に囲まれた門を抜けると教会の前までまっすぐな石畳の大路が続く。護衛騎士に囲まれた領主一族に沿道の民たちが頭を下げる。


 ロシュタット大聖堂の前では司教が待っていた。出迎えだ。アデルリーナたちが馬から降りるとすかさず侍女たちが衣装の裾や袖を整え、すばやく上着や帯を着付けていく。


 厚いオーク材の扉が待ち構えていた司祭たちによって開かれると、白と黒の石造りの柱が祭壇に向かって立ち並んでいる。


 堂内に踏み入れば、冷たい空気と蝋燭のほのかな香りが身を包み、厳粛な空気が漂う。


 尖塔アーチ型の天井にはリブヴォールトが幾何学的に張り巡らされ、金箔や色鮮やかに彩色されたフレスコ画が描かれている。


 天井まで届くほどの窓のステンドグラスに光が差し込み、青や赤の光が踊るように交差する。


 アデルリーナの耳には鐘のような清らかな音が聞こえている。その音は誰にも聞こえないが堂内を清め、空気を清浄にしているようだ。


 領主一族が歩を進める度に磨き抜かれた床に足音が響き渡る。


 中央奥が高くなっており、白い石の階段を数段登ると主祭壇がある。唯一神の姿は太陽で表現され、両側に月の使徒ルクセと星の使徒ノクスの像。


 司祭に案内され、ステファーノは祭壇正面の、内陣(クワイヤ)のすぐ脇に設けられた高座の豪華な装飾の施された特権席(クワイヤ・ストール)に進み、アデルリーナたちもその後に続く。


 従者と侍女たちは身廊(ネーヴェ)の前方に順次席に着く。こうした席次も身分の順だ。

 高位貴族から下位の貴族へ、市民も裕福な者ほど前方に、農民や貧しい者は後方の簡素な木板の長椅子か立っているしかない。

 護衛騎士たちは特権席の脇で控えるが、教会内では武器の携帯は許されないので丸腰である。


 ファナーク王国を始めとする周辺諸国の国教はセレスト教である。


 セレスト教の総本山バルア市国はセントロムル帝国の中にあるが、教皇領として独立権を保ち、皇帝であろうと手を出せない。


 教皇は神の代理人として王を聖別し、王は神からこの地を治めることを認められた代行者であるという承認を与える存在である。そして王の中で選ばれた者が教皇による戴冠をもって皇帝となれる。


 この教皇と皇帝、王たちは折に触れて対立の構造になるのだが、互いに利用し合うことも多く、そこに婚姻、血縁関係が絡むので複雑極まりない関係である。


 さて、今日の礼拝をとり仕切るのは総本山バルア教皇庁の枢機卿で、アデルリーナの叔父のプレディオスである。


 セレスト教のヒエラルキーは助祭、司祭、司教、大司教、枢機卿、教皇となる。枢機卿以下は教区毎におかれるが、教皇庁直属の方が同じ役職でも身分は上だ。


 プレディオスはロシュタット教区の司祭から始まり、司教から教皇庁の司教へ、現在は枢機卿となっている。本社にご栄転して出世街道を驀進中としても異例の早さと言える。その本社の部長が支社の行事を執り行うのは異例ではあるが、プレディオスの意向でそうしている。


 整った顔立ちはステファーノによく似ており、聖職者らしい柔らかな雰囲気を持つプレディオスが壇上に立つだけで女性たちの熱い視線が集まる。


 白の祭服をまとい、神の教えを説く朗々とした声は高からず低からず、その姿は聖人の再来と噂されるのも無理からぬ神々しさだ。


 この時代の高等教育は、神官となる者を養成するための神学校しかない。つまり知識人のほとんどは聖職者である。


 聖職者は思想的支柱として人々を諭し、教え、導く。知識を元に貴重な財源確保につながる農作業指導、土地の開墾、治水を、さらにビール醸造などの生産活動なども行う。


 これらのことは領主の許可と庇護の下で行われるが、経済的、社会的にも大きな影響力を持っているだけでなく、王を聖別して承認を与えるのもだから、教皇の権力の大きさがうかがい知れるだろう。プレディオスはその中でも教皇のお気に入りでもあった。


 プレディオスが祝詞を述べ始める。皆は椅子から立ち上がり、胸の前で手を組み、俯いて祈りの姿勢を取る。


「天におわします我らが主、高く清清たる御空より、新たなる光と共にこの地に降り立ちまさん。

 皓皓たる大地、攸攸たる流れ、気高く麗しき御心により恵みがもたらされん。我ら小さき一粒の種にあれど、心を清め、道を正し、頭を垂れ、その教えを守り奉ることをここに誓わん。

 願わくば、神ながら我らを守り給い、救いを与え給え。

 万物を作り給いし大いなる神よ、この佳き春の日が、幾年も再び巡り来ることを請願し、ここに祈りと感謝を捧げます」


 祈りの言葉が終わると、組んでいた指をほどき、両手のひらを上に向けて捧げるように高く掲げ、頭を上げる。その後、手を下ろし胸の前で交差させ、跪いて頭を下げ床に額づく。皆もそれに倣う。


 礼拝が終わると領主であるステファーノが壇上に上がり供物を奉納し、一年の始まりを宣言して、一連の儀式は終わりだ。


 その後、広場で領主から領民たちに新年の「振る舞い」が配られる。干肉、パン、エールにナッツ。

アデルリーナたちは直接手渡しをすることなく見守るだけだが、領民たちは口々にお礼を述べていく。


「御領主様、奥方様、ありがとうございます」

「いつも施しに感謝しております」

「おかげさまで今年は畑の状態も良さそうです」

「あの災害の時にもお助けくださったことを忘れてはおりません」

「そうとも、あの時もご領主様は我らをお救いくださった」

「御領主様、万歳! 奥方様、ご家族様、万歳!」


 広場に歓声が広がる。

『あの災害』、それは数年前にロシュタットを襲った大洪水のことをいうのだった。



やっと主人公登場です。次回は少し時間を巻き戻して、幼い時の話になります。

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