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プロローグ 古代都市 その2

 エルジーナたちが着いた時、神殿前のフォルムには続々と市民が詰めかけ、街の有力者であるルクモたちが前に集まっていた。


 バトロスとマキアリスもルクモの一員であるから、急いで前に出て行く。


 エルジーナは辺りを見渡し、従兄のファビオの姿を見つけてそちらに向かう。ファビオも駆け寄ってきた。


「エルジーナ、何があった? 港についたら伯父さんからの伝達で、荷降ろしをしないように、って言われてさ。何故だろうと思っていたら、この鐘だ」


 普通なら船が着くとすぐに荷降ろしにかかる。それを止めるとはどういうことだろう、と思っていたと言う。

 エルジーナは小さく首を振る。


「わからない。でも、何かが起こっているみたい」


 先ほどの父や叔母の様子を思い浮かべ、不安が広がってくる。


「母さんは?」

「前で父さんやルクモの方々と話している」

 

 ファビオはマキアリスの姿を見て、少し安心したように息を吐いた。

 アデルリーナも母親を見つけて手を振る。家族が集まった。

 

 ジャーンと大きく銅鑼がなった。見れば神殿長とルクモの中の最長老が神殿の階段の上に上がっている。


 長老が声を上げる。

「急な召集で驚いたことだろう。都の中央神殿から緊急の知らせがあった。これは『理の巫女(ナトゥーラ・シュビラ)』様からのものだ。皆、心して聞くように!」


神殿長が一片の紙を持ち読み上げる。羊皮紙ではなくパピルス紙だ。


「サリオスティア並びにトレバンディの地中深くより低き呻き声有り。水の声濁り()なる()を放つ。風は悲鳴をあげ、その向きは定まらず。(ほむら)の影大きく揺らぎ、危うし」


 広場にどよめきが広がる。神殿長は続ける。


「災いを逃れるすべはない。速やかにその地を離れ、避難しなくてはならない。都においても避難民を受け入れるであろう」


 悲鳴のような声が上がる。

「避難だって?!」

「どこに行けと言うんだ!」

「都に? 家はどうなる!」

「逃げなくちゃいけないの?!」


 神殿長はさらに続きを読み上げる。


「此度の災いは避けられぬ。さらに今後における災いは、……自然のみが引き起こすものとは限らぬ。そのための備えが必要となることも伝えておこう」


 最後の文では神殿長の声が震えていた。


「備えってなんだよ!」

「何があるって言うの?」

「単なる警告なんだろ?」

「そうだよ、大袈裟にしなくてもいいんじゃないか?」

 

 口々に勝手なことを言い始め、騒然となる。


 ジャーンジャーンと銅鑼を鳴らして、長老が手を挙げて皆を制する。

「静まりなさい! 災いが予見されているのは確かなのだ。そして時間もあまりないかも知れぬ。避難するしないは各自の判断だ。だが巫女様が間違うことはないだろう。私はそう信じる」


 長老はそう言って、神殿長と一言二言言葉を交わして解散を言い渡した。


「これで伝達は終わりだ。それから、ここの神殿内にも避難所を儲けてくれるそうだ。各自、家に戻りなさい」


 不安と混乱が広がる中、皆は急ぎ足で家に向かう。


 エルジーナたちは、ルクモたちと話をしているマキアリスとバトロスをその場で待っていた。


 黙って何事かを考えてこんでいたファビオは顔を上げると言った。


「エルジーナ、伯父さんが積荷をそのままにしておくように、と言ったのは、船で避難することを考えているのじゃないか? だったら、できるだけの食料と衣類、機材や材料を船に積み込んでおいたほうがいいかも知れない」


(船で避難? 一体どこに? それよりもどうして船なの?)


 エルジーナはファビオの顔をまじまじと見たが、バトロスたちが戻ってきたので家族揃って家に向かう。マキアリスとファビオの家はエルジーナの家の隣だ。


 道すがら母が父に尋ねている。

「災いって地震(じぶる)いかしら?」

「いや、それだけではないかも知れない」

「火事とか?」

「そうだな、地震(じぶる)いに火事、津波に山津波、なんでもありだと思っていた方がいいだろう」


 母が大袈裟だと言うとマキアリスが首を振る。


「義姉さん、兄さんの言う通りだと思う。これまで聞いたことのない音が聞こえてるから」


 マキアリスの力を知っている母は少し青ざめる。


 エルジーナの家に戻ると、父は地図を取り出して広げた、祖父と叔母が覗き込む。


 地図とはいえ縮尺や方位などは正確ではなく、この地域全体の都市群の位置やその周辺を示す程度のものでしかない。とはいえ、港や交通路も明記されており、希少なものであることは間違いない。


「ここがサリオスティア、トレバンディはここだ。エントニアの都エティスキアはずっと北のここ」


 都は芸術や学問、文化ノリコ中心だが、サリオスティアは商業都市、トレバンディは職人の町で、二つの街はエトヴィア山の広い山裾の端に位置している。


 山の向こう側は農業地帯が広がっていて、国の食糧庫と言える。さらには最も重要な資源である岩塩鉱床もそちらにある。いずれにしても、このあたりに災害が起きれば国としての被害は甚大なものになるだろう。


「マキアリス、お前はどんな災いかわからないのか?」


 パトロスが言うと、マキアリスは首を振る。


「私に聞こえるのは地面の呻き声のようなものばかり。それもだんだん大きくなるの」


 祖父が顔を顰めて言う。


「大昔に地奮いが起きたとき、大津波があったと伝わっている。海岸一体の町が全滅したというが、此度はどうなるか……」


 バトロスが呻くように言う。


「うーん。となると、やはり陸地よりも海の方がよさそうだ。もちろん海の上が安全と言えないが、船の方が操りやすいからな」


 サルオスティアの民は航海術に長けており、大嵐などの対応も慣れている。


「うむ。船が港の中で岩礁にぶつかっちまうと被害を大きくなる。港の外の沖合に避難させたほうはよいだろう」


「他国の船には早々に出航を促す触れを出さねばならんな。場合によってはそのまま帰国する船もいるだろうし、商談に影響があるが仕方ない」


 ため息混じりにパトロスが言って、後ろで話を聞いていたエルジーナの方を向く。


「エルジーナ、母さんと一緒に使用人たちに指示を出して、必要なものを運び出せ。うちの船にありったけのものを載せられるだけ載せろ。ああ、それから今日から数日は船の上で寝泊まりした方が良いかもしれん。その辺りも考えて準備しろ」


 父親の言葉にエルジーナは少しばかり驚く。


「今日から? そんなに慌ただしく? まだ大丈夫よね?」


 信じたくない気持ちが少しでも先延ばしをしようとする。ファビオはそんなエルジーナを宥めるように言う。


「言われた通りにした方がいい。おれは母さんと工房に行く」


 ファビオとマキアリスが工房に行き、エルジーナは母と一緒に皆に指示して、荷を運び出していく。


 織物工房や染色工房からも物が運ばれ、食糧、衣類、油、塩、砂糖、器、織物、糸、薬草、工具、さらには鉄や銅の鉱物や代々伝わる伝記書まで、2隻の船に積めるだけ積み込んだ。


 その日からエルジーナたちは船に泊まり込むことになった。

 

 両親と祖父母、兄と兄嫁とその子供たち、叔母のマキアリスと従兄のファビオ、織物職人の家族が3組、染色職人の夫婦が1組。ギルド職員が3人。それに商会や屋敷の使用人や下働きの者たちで概ね60人くらいだ。


「まるで夜逃げするみたいな勢いだわね」


 エルジーナがため息混じりに呟くと、マキアリスは笑いもせずに言った。


「取り越し苦労ならいいんだけど……」


 その声は低く憂いを含んでいて、エルジーナは背中に冷たいものが走るのを感じた。


 一方、街の人たちは巫女のお告げは信じていても、動き出そうとする人たちは少なかった。


 急ぐ必要はないとのんびり構えていたり、そんなに大したことにはならないだろうと楽観的に考えていたのだ。


 何よりも豊かな生活に慣れきっていれば、それを手放したくないと考えるものだ。だから自分に都合の良いように解釈して、目を逸らそうとしていることに気づいていなかったといえよう。


 エルジーナ一家と同じように避難しようとしていたのはあの長老の一家だった。長老はクレオンといい、トレバンディに鍛冶や彫金の工房を持ち、親方衆も束ねていた。


 港でバトロスとクレオンが何事かを話し合い、50人ほどが船に乗り込んできた。長老の家族と鍛治、彫金、大工、石工、陶工、薬師(くすし)のそれぞれの家族や弟子と使用人たちだ。


 長老と父はルクモ仲間ということだけでなく、父との取引相手としても懇意にしていたので、船への避難を頼まれたと言っていた。


 思いの外、大人数にはなったが、大型の商船だから、荷をつむスペースを減らして人が乗るだけだ。


「職人たちがいれば、多少の修繕とか、人手が欲しい時に助かるからな。それに、困った時はお互い様だ。まあ、人を運ぶより物を運ぶ船だから、乗り心地は勘弁してくれ。船酔いしたら海に魚の餌を撒いてくれればいい。ただし、自分まで餌にならないようにしてくれよ」

 

 バトロスは冗談めいた口調で言っていたが、実際に船酔いする者は多く、甲板には何人もうずくまっていた。


「やれやれ、沖合に停泊しているだけでこれか。お告げがどうなるかはわからない以上、陸地に戻るのも見通しが立たないからなあ」


 苦笑いをしてそんなことを言う父を見ながら、エルジーナは本当にいつまでこんなそんな状態が続くのかとため息を吐いた。それでも船を降りると言い出す者はなかった。


 ちなみに、この時代の商船は帆船であるので、軍船のような大人数の漕ぎ手を必要としてはいないが、その代わりに30人ほどの熟練した船員と海賊に備えての戦闘員が必要となる。


 今回の乗員にバトロスを始めとする卓越した船乗りと、常に商船に乗っていた戦闘員がいたことは、この後に起きた出来事にとって幸いであったことを付け加えておこう。


 船の上から陸地を眺めながら、エルジーナは疑問に思っていたことをファビオに尋ねた。


「ねえ、巫女様がおっしゃっていた自然が引き起こすわけではない災いって何のこと?」

(いく)さ、だろうな。人が引き起こす災いさ。このところユリア帝国が領土を広げようとしているし、国境を巡ってカルム帝国やプトレア王国とも争いが絶えない」


 ファビオは交易船で他国を見てきている。かなり危険なこともあったらしい。

 

「でも、エントニアは中立を宣言してるって聞いてるけど」

「今の所はな。エントニアもそれなりの力があるから中立でいられるんだ。強いところには無闇に攻め込んだりしないだろ?」

「力が弱くなるとわからないってこと?」

「だからこそ、王はあらゆる産業を振興させて経済力を高めようとしてるのさ」


 経済力があれば武力も強化することができる。エントニアの場合はあくまでも自衛のためだが、帝国と引けをとらない兵力を持っているとファビオが言い、その話はそれ以上続けることもなく終わった。


 『それ』が起きたのは、エルジーナたちが船上で暮らし始めて5日めの、まだ夜が明ける前の暗闇の中だった。


 耳をつんざくような轟音が鳴り響いたかと思うと、サルオスティアの街よりもさらに海から離れた内陸にあるエトヴィア山が、闇の中に大きな火の柱を吹き上げ、山肌には赤い川が流れ出している。


 火の粉というよりも、大きな岩が火の塊となって四方に飛び、黒雲が空を覆う。


 開けたはずの夜が再び戻ってきたような、重く黒い闇に包まれていく。暗闇に赤く浮かび飛び散る火と炎、光りながら山を下る赤い川。


 それは美しくも恐ろしい光景だった。


 エルジーナは船の甲板から、呆然とその光景を見つめていた。言葉もなく、身動きすらできずに、ただ目の中に入ってくるものが受け入れがたかった。


 そんな次の瞬間、船が大きく(かし)いだ。あわてて縁に捕まって、かろうじて海に投げ出されずにすんだが、波が大きくうねっている。


 陸地に目をやれば建物が揺れて倒れていく。地震だ。


 その間にも溶岩は山肌を駆け下り、畑を、小さな集落を飲み込み、さらに丘を越え、港に迫る。


 燃える岩は次々と火口を飛び出し、サルオスティアの街だけでなく、港や沖に停泊している船にまで降り注ぐ。


 街のあちこちからは緊急時の半鐘がかき鳴らされ、恐怖にまみれた叫び声や助けを求める悲鳴のような甲高い声が聞こえてくる。


「父さん! 街が、みんなが!」


 エルジーナの叫びに父は苦しげに首を振る。


 そうしている間にも、エルジーナの船の上にも火の塊となった岩や灰が降ってくる。それを避けつつ、船が燃えないよう火の塊を海に投げ捨てながら、さらに沖合へと船を進めるしかなかった。


 噴火は丸二日続いた。火砕流がサルオスティアを含むエトヴィア山辺り一体を襲い、大量の火山弾と火山灰がすべてを埋め尽くし、少し小休止するかのように噴火が鎮まるかと思えば、二度、三度と繰り返され、四度目の火砕流で港までもが破壊され尽くした。


 建物もすべて埋もれ、神殿の尖塔がかろうじてその先を出しているだけだ。


 沖の船上から見る陸地には、最初から建物も何も無かったかのように、エトヴィア山から海まで一面黒い火山灰の大地が広がり、海に流れ込んだ溶岩が冷えた塊で沿岸が埋め尽くされ、近づくことも出来ない。


「お山の向こう側も同じだろうな」

 誰かがポツリとそう呟く。


 エトヴィア山の向こう側にも麦畑やオリーブ、ブドウ畑が広がり、町や小さな集落もあったはずだ。それらすべてが灰の下に埋もれてしまった。


 呆然と陸地を臨むエルジーナの脳裏には、なだらかに広がる丘陵に薄萌葱色の芽をきらめかすブドウ畑が浮かぶ。


 夏の抜けるような青空に沸き立つ白雲、大地に広がる一面のひまわりの花、風にそよぐ黄金色の小麦畑、赤茶けた土の上で背伸びをしているような糸杉の列、朝靄ににじむオリーブの木。


 春の、夏の、秋の、冬の、そのすべてが愛おしく、切なく胸に去来する。

 しとど無く涙が流れ、声にならない嗚咽が漏れる。


 船の中に密やかな泣き声が広がる。


 父と兄は顔を上げ、唇を引き結び、陸地を睨みつけるように瞬きすらしない。マキアリスの傍らに立つファビオの固く握られた手には爪が食い込んでいる。


 エルジーナはその時かすかな声を聞いた。


(いきなさい)


 それは「生きなさい」とも、「行きなさい」とも聞こえた。


 その後、吐息のような寝息のような声が聞こえたかと思うと、そのまま音は消えていった。

 いつの間にかマキアリスが隣に来て、エルジーナにだけ聞こえる声で呟く。


「この地は眠りにつくことにしたようね」


 やがて沖合に停泊していた船はいつの間にか姿を消し、陸地には火山灰に埋もれた街だけが残った。船の行方は誰も知らない。


 その後、エントニア王国は異民族に攻め滅ぼされ、火山灰に埋もれたサルオスティアの街も歴史の記憶から消えていったのだった。


始まりの物語後半です。火山灰に埋もれた故郷を後にしたエルジーナたち。

次回から時代が変わり、主人公が登場します。



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