プロローグ 古代都市 その1
古代国家エントニア王国の都市サリオスティアから物語は始まります。
ユリア歴368年 エントニア王国。
火の季節である夏の終わり。サリオスティアの港では各国からの交易船で賑わっていた。
積荷を街に運ぶ荷車が列をなし、仲買人や労夫たちの大声の喧騒があちらこちらに満ちている。次々と陶器や香料、香辛料、絹織物や宝玉などが荷車に積まれていく。
港の背後には、帆を畳んだ船がいくつも停泊し、タールと塩の匂いが混ざった空気が肌にまとわりつくようだ。
朝からその様子を見に来ていたエルジーナは、ある船が到着するのを見計らって、一緒にいた商館の管理部の記録係に声をかける。
「私、叔母さんに船が着いたことを知らせてくるわ」
そう言いおいて、早くも駆け出した。
エルジーナの叔母のマキアリスは、父の妹で織物と染色の工房長をしている女傑だ。
工房長だった夫が事故で亡くなり、織物工房を受け継いだマキアリスは、持ち前の才覚で新しい織物を生み出し、他の追随を許さない技術を持つ工房を築き上げた。
もっとも工房を受け継ぐ時には、女が工房長なんて、とあれこれ言われたらしいが、織物職人たちからの絶対の信頼があった叔母が、その才覚と実力で周囲の雑音を黙らせてしまった。
今や叔母の工房の織物は他国との交易の中でも重要なものとなり、ギルド長を務めるまでに至っている。 そんなマキアリスがエルジーナには誇らしく、憧れの存在だ。
マキアリスの一人息子のファビオはエルジーナの一つ上で、兄妹のように育ってきた。その従兄は交易船に乗っている。そして今日、帰ってきたのだ。
一人息子の帰国を心待ちにしている叔母に一刻も早く知らせてあげたい、とエルジーナの心は逸る。もちろん自分もファビオに会えることを楽しみにしていた。
きっと土産話をたくさん聞かせてくれるだろう。ファビオのちょっと得意げに話す姿を想像して、少しばかり笑みが溢れる。
商館の脇に繋いでおいた馬を引き出すと、軽やかに飛び乗り、慣れた様子で手綱を操る。
港からサリオスティアの街までは登り坂だ。敵や海賊からの襲撃に備えるために小高い丘の上に築かれている。港からは徒歩で約半刻、馬ならば早い。
道の両側にはオリーブや葡萄畑が広がり、ところどころで農夫たちが作業をしている。
合間にはときおり古い墳墓がぽつぽつと現れ、静かに眠る祖先たちが道ゆく人を見守っているようだった。
ゆるやかな斜面を登るにつれて畑の向こう、緑の木立の中からサリオスティアの石造りの外壁が見えてくる。壁は黄土色の凝灰岩で築かれ、陽を受けて温かみのある色が街を包み込むようだ。
その時だった。エルジーナの目の端に何かが光った。ふり仰ぐと上空に銀色の鳥が見えた。青い空に白い雲よりも鮮やかに浮かび上がり、街に向かって飛んでゆく。
(あの鳥は都からの伝令だわ。しかも銀色……)
エントニアには5柱の神がいる。光と風を司る天空の神フィルマントゥム、命を生み出す大地の神ガリニア、水と知恵の女神メーニルヴァ、火と育成の神フォンティス。そして運命を操る「隠された神」であるティスペロス。
それぞれの神には巫女が仕えており、フィルマントゥム、ガリニア、メーニルヴァ、フォンティスに仕えるのは『聞こえの巫女』。ティスペロスに仕えるのは『理の巫女』であるナトゥーラ・シュビラだ。
巫女たちは自分が使役する鳥を持っている。
天空の神に仕える巫女は白、大地の女神に仕える巫女は黄色、水の女神に仕える巫女は青、火の神に仕える巫女は赤。銀色の鳥は『理の巫女』の使いである。
『聞こえの巫女』の使いは季節ごとの祭祀や、農作業などの適時を知らせてくれていたが、銀色の鳥はほとんど目にしたことはない。
胸がざわついて、鳥の後を追うように馬を駆けさせる。
丘の上に近づくにつれ、道は石を敷き詰めた舗道に変わり、都市の門が現れる。門には幾何学文様が刻まれ、二体の獣神像が旅人を睨んでいる。
市民ではない者たちは門番に通行税を払って入ることになるが、エルジーナはそのまま走り抜ける。
「エルジーナ! 一度、馬から降りろといつも言っているだろう!」
門番が怒鳴ると、エルジーナはちらりと振り向いて
「ゴメンなさい! この子が止まってくれないの!」
「まったく! 止めようともしないくせによく言うよ! 今度は目の前で門を閉めてやるからな!」
門番たちはそういいながらも、エルジーナの姿が見えると、いつも一般の通行人とは別の通用門の扉を開けていてくれるのだった。
彼らの呆れたような声を後ろにして、門を抜けると一番に初めに目に飛び込むのは、神殿の尖塔だ。神殿はただの建物ではない。
それは天空と地上の間に開かれた『門』であり、神々の意志が降りる場所だと認識されていた。
正面には広い階段がありその上にそびえる正面の柱廊には、6本の太く、ずんぐりとした柱が立ち並ぶ。均整が取れたスマートさはないが、力強く、土着的な威厳が漂っている。
屋根の上には、彩色されたテラコッタのフィルマントゥムの像。雷を背負い、黄金の杖を持っている。
外壁は黄土色の凝灰岩だが、そこかしこに色鮮やかな装飾パネルが埋め込まれ、深紅や群青、金を模した顔料で描かれた神々の姿、蛇の文様、幾何学模様。
光が差し込めば、まるで神殿そのものが生きているかのように彩りが脈打つ。
神殿は四つの扉口を持ち、その奥には四神、天空の神フィルマントゥム、大地の神ガリニア、水の女神メーニルヴァ、火の神フォンティスがそれぞれ祀られている。
それらの像のさらに最奥にあるのは、「隠された神」であるティスペロスの間だ。
この神殿はエントニア王国の都エティスキアの中央神殿に模して作られている。
神殿の周りには広場があり、集会はここで行われるだけでなく、定期的に市が立つ。
この広場から門までの石畳の道に沿って、宿屋、馬屋、食堂や商店が並ぶ。
店の壁は日干しレンガ、柱は木、木板か素焼き瓦の簡素な建物が軒を連ね、ところどころにテラコッタの装飾が施されている大店がある。
店先には、パン、オイル、魚などの他、陶器や香料、装飾品が並べられ、庇から張られた日除けの白い麻布が強い日差しから商品を守っている。
エルジーナはその道も脇目も振らずに駆けていく。時折、顔見知りのおかみさんが声をかける。
「おやエルジーナ! 船が着いたのかい? 良さそうな品はあったかい?」
エルジーナは片手をあげて応える。
「それは見てのお楽しみよ!」
「もったいつけちゃって! でもそうだね。楽しみにしてるさ」
そうした声を聞きながら、東に折れると商店街の賑やかさとは違う街並みが現れる。工房街だ。
鉄・青銅器鋳造・陶工・織物・染色工房が集まり、資材置き場、炉、水場などが点在し、そこここに煙が立ち上り、工具の触れ合う金属音が響く。
エルジーナは工房街の一番奥にある織物工房に馬を止めた。工房といってもかなり広く、小さな工場のようだ。
「叔母さん! 船が着いたわ!」
エルジーナは事務所の扉を開けて勢いよく声をかける。
ところが返答がない。
「騒がしいわよ、もう16にもなって。大きな声を出さなくても聞こえるわ」
いつもならば、そんな風に笑いながら小言をいう叔母なのに。
不思議に思って奥の部屋を覗くと、誰かと深刻な顔で話し合っていて振り向きもしない。
「叔母さん?」
相手は? と見るとエルジーナの父のバトロスである。
叔母と父が振り返ってエルジーナを見る。顔色が悪く、表情は硬いままだ。
「何かあったの?」
おそるおそるそう尋ねると、叔母のマキアリスは小さく首を振る。
「まだ何もないわ」
「まだ?」
「ええ、まだ。もうすぐ『理の巫女』から通達がくるでしょうけれど……」
エルジーナは驚く。
「叔母さんも銀色の鳥を見たの?」
今度はマキアリスが驚く。
「銀色の鳥がきたの? ああ、やっぱり……」
マキアリスはバトロスを振り向く。
「そうか、マキアリスの予感は当たったな」
父の声も暗い。エルジーナは訳もわからず二人の顔を交互に見る。
サリオスティアはエントニア王国に属している自治都市だ。
都市の運営はルクモと言われる政治や経済を司る者たちが行っている。ルクモは後世で王や王族と呼ばれることもあるが、ここでは市民の有力者である。
貿易商であるエルジーナの父と、織物工房を営む叔母のマキアリスもその一人だ。その二人が深刻な顔をしている。
エントニアは温暖な気候で麦、オリーブ、ブドウ、オレンジやレモン、サトウキビなどの多様な作物は豊かに実り、山脈には金や銀、鉄、錫などを産出する鉱山があり、さらには岩塩鉱床を有している。
豊かな資源があれば、当然のことながら技術も発展する。製鉄、織物、染色、木工、彫刻、陶芸が発達し、中でも粒金細工は他国では真似できない精緻さである。
道路や水路は整備され、公衆浴場や施療院もあり衛生や医療面も充実している。交易も盛んで他国からの貴重で珍しい産物が入ってくる。つまり、市民の生活は豊かであった。
これらすべてが神々の加護によるものだと信じられているのだから、神の声を聞く巫女たちの声明は、市民にとってはまさに天の声だ。
バルテスはエルジーナに向き合う。父のこんな真剣な顔を見たことはない。
「エルジーナ、マキアリスにはわずかであるが、『聞こえの巫女』と同じ力がある。それはお前にも受け継がれているはずだ」
「……それって、何かの音が声のように聞こえること? 気のせいではなく?」
父と叔母は揃って頷く。
「お前は時折、土や風が笑っていると言ったりしただろう? そうすると、必ずそこの土地は実りが豊かだった。それに、いつぞやは水が歌っていると言って川の底から砂金を掬い上げて、そこから金山が見つかった」
確かにそんなこともあった。でも、それは単なる偶然なのでは?
エルジーナはとまどいながらマキアリスを見る。
「ええ。我が一族には遥か昔の『聞こえの巫女』の血が流れていて、巫女ほどの力はないけれど、一族の女にはわずかながらその力が伝わっている。エルジーナはこの数日、何か聞こえなかった?」
思い返せば、確かにここ数日寝つきが良くない。わけのわからない唸るような、叫ぶような声が聞こえてくるからだ。
嵐の前などに聞こえる声よりも強く、地の底からせり上がってくるような薄気味の悪さがあった。
エルジーナが頷いた時、サリオスティアの神殿の鐘が短く3回鳴らされた。それが3回繰り返される。
緊急の合図で、市民は取るものもとりあえず参集しなくてはならない。
エルジーナたちは顔を見合わせ、神殿に向かって走り出した。
ふるさとは遠くにありて思うもの。そして優しく招くもの。よしや隔たれて届かぬ処に居るとても、恋うる場所にぞありけりや。ひとり異国の夕暮れに故国を思い涙ぐむ。そのこころもて遠き故国にかへらばや、遠き故国にかへらばや。
主人公はまだ登場しませんが、これは始まりの物語。この先も楽しんでいただけるとうれしいです。




