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離宮の地下書庫

 一週間の森通いが終わり、アデルリーナはロシュタットの歴史書を読み始めることになった。教育担当はルドヴィックだ。


 地下書庫の中からまずは写本され現代語で書かれているもの、写本されてはいるが古語のままのもの、次に写本がないものという順番で読み進めていく。あらかたそれらを読み終えてから、最奥の第三書庫に入ることになっている。


 アデルリーナの学習時間割は午前が座学、午後が実技と割り振られているので、座学の時間のほとんどを歴史書を読むだけに費やすことになった。


 アデルリーナは少しでも多く歴史書を読み進めたい。特に『響きの糸』について詳しく書かれているものを読みたいのだ。恐らく秘事であるそれらは第三書庫にあると思われる。だからと言って期待通りのものがあるとは限らないのだが、それでも気持ちは逸る。


「アデルリーナ姫様、ご自分のお知りになりたいことを急ぐあまり、大事なことを見落とすこともございます。関係なさそうなことも、後で振り返るとそういうことだったのか、とわかることもあるのですよ」


 アデルリーナが焦っていることがわかったのか、ルドヴィックが穏やかな声で言う。見透かされたようでアデルリーナは少し俯く。


「歴史書に入る前に、少しお話をしましょうか。アデルリーナ姫様はロシュタットについて、どのくらいご存じですか」


 どのくらい、と言われても困る。思いつくことを言葉にしてみる。


「ファナーク王国の北にあります」

「はい、そうですね」

「三方を大きな山に囲まれていて、大きな川もある森の国です」

「ええ、それから?」

「えっと、王国で一番広い領地なのだそうです」

「そのとおりです、他には?」

「港があるから交易が盛んと聞いています」

「ええ、外国からの船も多いです」

「特産品は、木材、毛織物、鉄や銅の鉱物、それと塩……」


 ルドヴィックは満足そうにうなずくと片手をあげてアデルリーナの言葉を止める。


「そうですね。それ以外にもいろいろありますが、その中でも特に、鉱物と塩は重要な産物です。そういったもの以外で、ロシュタットにはあって他の領地にはないものがふたつあります」


 鉱山や塩泉は所有権を巡って戦争になることも少なくない貴重な財産だ。だけど、それ意外に何か特別なものがあるのか?


「王様や他の領地にもないのですか?」

「はい、ございませんね」


 アデルリーナは首を傾げる。想像できない。


「水道と床暖房(ハイポコースト)ですよ」


 ルドヴィックが得意げにいうが、アデルリーナは一瞬ポカンとしてしまった。日々の生活で当たり前のものではないのだろうか? 


 驚いた顔のアデルリーナを見てさらに続ける。


「ああ、多くはありませんが、水道は整備されているところもありますね。ですが、下水道までは行き届いていないでしょう」

「水道がないと、お水がないと困りませんか?」

「もちろん困ります。ですから、井戸はあります。川の水もあるでしょう。ですが、その水がきれいかどうかはわかりません」


 ますますわからない。


「ロシュタットでは汚れた水が混じらないように、きれいな場所から水を運んだり、汚れていない湧き出ているものを使います」


 もちろんだ。そのために山の方から水道橋を作って水を引いていることくらい知っている。


「汚物や汚れた水は決められた場所や排水路に捨てるようになっていて、それを浄化してから川に戻すようになっています。いわゆる上水と下水はしっかり分けているのです」

「それは当たり前のことではないの? きれいなお水が汚れてしまったら使えないでしょう?」


 今回の洪水でも汚水が街の中に流れ込んでしまってかなり困ったはずだ。


「そのとおりなのですが、当たり前ではないのです。多少汚れても使えなくはないですしね」

「でも……」


 そんなお水、嫌だわ、とアデルリーナは思った。


「ロシュタットにやってきた祖先の方々も、アデルリーナ姫様と同じように嫌だったのでしょうね。だから浄水と汚水を分けるようにしたのでしょう」

「その仕組みは祖先の方たちが作られたの?」

「はい。もちろん長い年月の間に改良されてはおりますけれど」

 

 移住してきたばかりの時代は、住人も多くもなかっただろうし、下水など無くても自然のままに放置していてもそれほど困ることもなかったはずだ。

 なのに、そういったことをおろそかにしなかったのは、何か訳があったのだろうか。


 ルドヴィックがさらに話を続ける。


「祖先たちは南からやってきたと言うことですので、ロシュタットの冬は辛く厳しかったでしょうね。だから床暖房(ハイポコースト)は必需品だったのだと思います」


 ロシュタットの城では、鍛冶工房や厨房からの暖気をうまく利用して城の中を暖めている。もちろん、全部の部屋に行き渡らせることはできないが、それでもかなり違う。


 平民たちも村にあるパン焼き窯などの火を使う場所の近くに集会所を設け、冬の手仕事などをそこで行っていたりする。


「でも、なぜ、他の領地にはないのですか?」


 これほど便利で快適なものが無いなんて信じられない。


「それは、こうしたものを作るには高度な技術が必要なのですよ」

「技術?」

「はい。隙間なく石を積んで、崩れないよう、水や空気が漏れないようするだけでも大変なのです。それを長い距離や大きな建物ですと、かなり緻密に計算して、それを加工して組み立てるのですから」


 詳しいことはよくわからないが、城や教会を建てるだけの技術はあるのだから、作ろうと思えば作れるのではないだろうか。

 なんとなく納得できないような顔をしているアデルリーナの疑問を読み取ったのだろう。


「あとは優先順位ですね。ロシュタットでは遠い祖先が基盤を作り、それを継続させてきました。けれど、新たに作るとなると、その経費は膨大になります。水にしろ床暖房にしろ、差し迫って必要ではないとすれば、もっと必要なことに費やすでしょう」


 もっと必要なこと、この時代の城は居住のためというよりも要塞だ。教会は神の権威を知らしめる存在として荘厳であることが求められる。生活が快適であろうがなかろうがそれは二の次ということか。


「さらに言うならば、何もないところにものを作るよりも、作り替える方が二重に手間もお金もかかります。生活の基盤ができあがってしまってから整備するよりも、あらかじめ造っておいた方がいいと祖先たちは考えたのだと存じます」


 ゆくゆくは必要となるだろうから、あらかじめ作っておく? そう考えられるだけのものを持ち合わせていたということならばそれはすごいことではないのだろうか?


 アデルリーナは、遙か昔に南の地からこの地に移り住んだ祖先たちがどういう人たちだったのか、強く知りたいという欲求に駆られた。


「ルドヴィック、祖先様たちのことを学ぶことはできるのですか? この地下書庫、そしてあの奥に残されているのですか?」

「はい。けれど、それが全てではございません。度重なる侵略や服従の時代もございましたので、その都度祖先たちは森の中、廃坑となったところなどに隠し伝えて参ったのです。今ここにあるのは、それらを集めたものでですが、各家門にもそれぞれ伝えられるものがございます」

「それぞれ?」


 トレアンダのシデラリア家、スカルティオのピエナント家、モントリオとロシュタットのサリオスティ家がここに移り住んだと言われる古くから続く家門だ。各領地にある城伯はそれぞれの家門に属している。


「はい、各家門ごとに得意な分野がございます」

「ええ、シデラリア家は製鉄などの金属加工、ピエナンテ家は土木建築系、サリオスティは紡績、医薬など幅広いけれど、交易が一番だと」

「そのとおりです。私たちはロシュタット公の封臣ですが、門外秘出の技術や方法がございます。それを守り、発展させてきたものが今の技術や製品なのです」


 ロシュタットの各家門の製品は、多くの国や領地から取引を求められるものが多い。他の追随を許さない高級品ともいえる。それがロシュタットの経済を支えているのだ。


「今のロシュタットがあるのは、その祖先様たちのおかげということなのね」

「そうです。それと当初の祖先だけでなく、代々守り伝えてくださった方々がいたからこそなのです」

「ではわたくしたちもそれを受け継ぎ、子々孫々に繋げなくてはなりませんね」

「おっしゃるとおりです。ですがアデルリーナ姫様、今の時代に私たちが活用できているのはおそらく祖先たちが残したものの一部に過ぎません」


 優れた技術や製品があるのならば、使えばいいだけだ。どうして活用できていないのだろう。


「残っている記録を見ても、ここに移り住む前、祖先たちはとても豊かな暮らしをしていたのだろうと思われます。ですが、ここに到着した時には、まず生きていくことが最優先だったのでしょう」


 確かに生きるためには生活、衣食住だ。住む場所、食べもの、そして衣服。そういったものが充足されないうちは他のことなど後回しだ。


「……そのとおりですね。なのに、そのような中で、ご自分たちの持つものを後の世に伝えようとしてくださった……」

「そうです。水道にしても床暖房(ハイポコースト)にしても、ご自分たちに必要と考えたのは間違いないと思います。ですが、無いままでも凌ごうとすればできたかもしれません。先見の明があればこそ活用しようとしたのです。それがずっと将来の子孫にとっても役立つはずとご存じだったのでしょう」


 あればいいから作るというわけではなかったはずだ。それこそ優先順位を考えなければいけない時代に、別の何かを犠牲にしたこともあるかも知れないのだ。


「これまでも多くの苦難がございました。度重なる他民族との戦い、征服され従属せざるを得ない時代や飢饉や疫病。今になってやっと、祖先たちの功績に目を向けるゆとりができたと言えるでしょう」


 今でも異民族や異国、他領地との戦いはある。けれど、普段は日々生死をかけて過ごすというほどのことはない。もちろんいつでも戦えるだけの準備は怠っていないし、その覚悟もある。


 それでも、音楽や絵画、彫刻、詩歌などの芸術にも目を向けることができ、実用的でない飾りのついた衣装や宝飾にもお金や時間を費やすことができている。力のある王や諸侯、教会では競い合うように贅沢品を収集しているのも事実だ。


「ルドヴィックは、ここにある祖先様の残されたものを全て読んだの?」

「とんでもない! 写本された現代語のものが終わり、古語のものに入ったところです」

「難しいの?」

「現代語のものはそれほどでもございません。むしろ子供たちにも教えられているような内容もありましたので、アデルリーナ姫様ならば時間もかからないと存じます」

「古語の方は?」

「今のところ、それほど難解ではありません。ただ、時代が古くなるとわかりませんが」

「わたくしも少しだけ古語のお勉強をしていますけれど、大丈夫でしょうか?」

「ベルナディッタ様とロミエラ様はこの部屋の本ならば読んでいらっしゃるそうですので、教えていただけると思いますよ」


 ベルナディッタたちの方を振り返ると、二人は頷いた。そういえば、この部屋までは入れるのだった。


「わたくしたちは幼い時から古語を教えられております。ここにある現代語訳の写本は、モンリッジョの子たちが勉強しながら作ったものなのですよ」

「はい。この城にある歴史書はロシュタットの宝であり、それらを次代に繋げていくことが役割だと父は申しております。なので、好むと好まざるとに関わらす、モンリッジョの城の子は必ず読まされるのです」


 ロミエラは少し苦笑しながら言う。ベルナディッタが言葉を続ける。


「ですので、この部屋にあるものについてはお任せください。ですが、奥の書庫はわたくしたちは立ち入れませんので、ご容赦くださいませ」

「奥の資料については持ち出してはいけないの?」

「写本されたものでしたら許可されます。けれど、原本はできません」

「ならば、わたくしが書き写したものを見て教えていただくことはできるのね?」


 ベルナディッタはルドヴィックの顔を見る。


「ええ、私よりもお詳しいと思いますし、実は、私もここの資料を読むのは初めてなので、解釈の違いなどもあるかもしれませんので、ベルナディッタ様たちにもお手伝いいただければ助かります」


するとベルナディッタが頷きながらクスリと笑う。


「はい、承知いたしました。ですがルドヴィック様、ご自身の研究を優先なさいませんように」


ルドヴィックが少し慌てたように手を振る。


「いや、そんなことは……」

「ふふ、昔からルドヴィック様は本を読むことがお好きでしたから。よく子供部屋の頃から図書館に篭っておいでしたよね」


 揶揄うように言って、ベルナディッタはアデルリーナに向き合う。


「アデルリーナ姫様、わたくしでお手伝いできることでしたら、何なりとお申し付けくださいませ。この城で生まれ育ちましたので、森のことも多少わかっております。ロミエラともども、お支えしたく存じます」

「ありがとう。とても頼りにしているわ」


 後からアデルリーナがルドヴィックから聞いたところによれば、ルドヴィックはモントリオの嫡男でなければ、修道院に入って神官として研究に没頭したかったという。


「次男か三男だったらよかったのに、と思うことはございましたよ。ですが、姉妹しかおりませんでしたし、執事としての仕事も嫌いではありませんでした。セルペンテス様とステファーノ様をお支えできたのは嬉しゅうございました」

「でも、わたくしのために森の離宮に来ることになってしまったのね……」

「いいえ、アデルリーナ姫様。前にも申し上げましたが、私は自ら志願してこちらに来させていただいたのです。それは、まあ、ベルナディッタ様にはお見通しのようでしたが、こちらにある資料を読ませていただけるという期待からなのは否定できません」

「そうなの?」

「はい。実のところ、このような時でなくてはモンリッジョの資料など拝見できませんから、私にとっては渡りに船のようなものでございます。あ、もちろんアデルリーナ姫様のお役に立ちたいというのは本当ですよ」


 なるほど、ベルナディッタが「ご自分の研究を優先させないように」と言った意味がよくわかる。きっと本にのめり込んでしまうと周りが見えなくなるタイプだろう。


「うふふ、ルドヴィックがサボっていたら、お父様に言いつけますからね。ちゃんとわたくしの先生役をなさってくださいませ。ところで、エンハルト兄様はまだ森で訓練をお続けになるのかしら?」

「アデルリーナ姫様が森へ行く際には護衛としてついて行っていただきますので、その時はそうなるでしょう。それ以外の時は、こちらで写本を手伝っていただこうと思います」

「こちらで?」

「はい。エンハルト様もゆくゆくは家令として領地経営をお支えすることになるのです。勉強しておいて損はないのではございませんか?」

「そうね。次期領主となるクラウディオお兄様の相談役ですもの」


 こうしてアデルリーナのロシュタットの歴史を紐解く勉強が始まったのだった。

ロシュタットの歴史の学習が始まりました。ロシュタットの祖先たちが残した遺産。どんなものが飛び出すのか楽しみです。

タイトルに副題を加えました。アデルリーナの奮闘にもご期待ください。

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