ロシュタットの古文書
第一書庫にあるロシュタットの歴史書は現代語に訳された写本されたものだけだ。第二書庫には古語で書かれたものと木簡、第三書庫は石板や陶板がほとんどで、パピルス紙もわずかながらあるが、もともと保存に向かないため紙であるから傷みがひどい。けれど、そのパピルス紙こそがはるか遠い故国から運んできたもので、大切に保管されてきたという。
アデルリーナは予定どおり写本されている現代語のものから読み始めたが、確かに子供たちが教えられている内容も多く、語り継がれているものとの差はあまりなかった。
それでも記録や伝承以外の機器や建物の構造の設計図のようなもの、薬の調合や農産物の栽培方法など、生活に欠かせない事柄が多く、ロシュタットの文化の根源を垣間見たような気がするのだった。
次に第二書庫に移った。こちらも大半は現代語に訳されているが、まだ訳されていないものは現代語に置き換えて写本しながら進めるため時間がかなりかかる。
ロシュタット領主や封臣領主の直系は幼い時から古語を教えられて育つ。それは学ぶと言うよりも第二言語のように自然と身につけるものだ。だから、アデルリーナも古語を読むことはさほど苦にはならないが、書き写すとなるとそれはなかなか大変な作業だ。
アデルリーナの学習に合わせて、できるだけ翻訳写本を作ってしまおうというのはルドヴィックの考えだ。いつ戦争や災害によって資料が散逸し失われてしまうかもしれない。そうならないように予備を残しておくことは必要なことだとアデルリーナも思う。
それに古語本に取りかかってみると思っていた以上に面白い。故国の神話や開拓の苦労話、鉱山の発見、侵略者から逃れて森や廃坑の中に隠れたり、異民族の支配下でも高い技術を盾にして交渉して権利を勝ち取ったり、さながら冒険譚を読んでいる気分になる。
開拓し、村ができ、町となって、古代の帝国下にあった時代からファナーク王国下に至るまでのロシュタットを守るための戦いの数々。飽きることなく読み進めていく。
こうして午前は歴史書を読み、午後は乗馬、武術、音楽に詩歌、機織りや糸つむぎ、裁縫、染め物などの実技に加えて、週一の森通いが続けられた。森では素材の収集、薬の調合に加えて、自然や精霊とつながることを教えられた。アデルリーナの内側と外側を繋ぐことを意識して行う一種の瞑想といったもいいだろう。
そうこうするうちに二月が過ぎていき、アデルリーナはやっと第三書庫の資料に手をつけることになった。
ルドヴィック、エンハルトと共に入室し、いつもならば森へ行くために素通りする書棚を前に、アデルリーナは胸がドキドキしてきた。
「ルドヴィック、どこからはじめればいいのかしら? 端から順番に読むべき?」
勢い込んでそう尋ねるアデルリーナに少し眼を細めてルドヴィックは笑う。
「アデルリーナ姫様、資料は逃げませんよ。順番でもいいですし、ぐるりと見渡してみて、気になったものからでもいいですから」
「あ、そうよね。石板や木簡だけじゃなくて陶板もあるし、パピルス紙は脆いから、ちょっと扱いを注意しないといけないわね。とりあえず見渡してみるわ」
隅の方から眺め始めた時、胸の奥で小さく何かが鳴った。最近では胸の内に扉を意識しなくても無闇に音が聞こえることはなく、聞きたい時は扉を開けるようにしていたので、アデルリーナは首を傾げる。すると、もう一度音が聞こえた。
右側が気になってそちらに視線をやると、壁に立てかけられているいくつかの陶板が目に入った。
「これは?」
アデルリーナが陶板を手に取ると、急に頭の中に知らない言葉が流れてくる。いや、知らないのではない、かなり古い時代の言葉だ。おそらく、この地に到達したという祖先たちが使っていた言葉。
眩暈がしてアデルリーナはその場に座り込む。驚いたエンハルトとルドヴィックが駆け寄ってくる。
「アデルリーナ様!」
「姫様! どうなさいました?!」
「あ、大丈夫、です。少し眩暈がしただけで……」
少し息を吐いて、アデルリーナは陶板をもう一度見る。文字を書いてから焼き上げたのか、文字の色は褪せていない。びっしりと文字が埋まっている。
「この板が、わたくしを呼んでいたようです。それで、急に頭の中に言葉が流れ込んできて……」
「これが?」
エンハルトは不思議そうに板を見る。ルドヴィックが陶板を裏返したり、近くでみてみたりしていたが、やがて目が輝き出した。
「これはかなり古いもののようです。是非とも一緒に読んでみましょう」
***古文書***
私はファビオ。
エントニア王国のサリオスティアに住んでいた商人だ。なぜこの地にいるかと言えば、我が故郷のお山が火を噴いて、町が全て溶岩と灰の下に埋もれてしまったからだ。
火山の噴火直前に『聞こえの巫女』の警告があり、それを信じて船に避難した者は、下働きも含めて118人。
すぐにも戻れると信じて乗り込んだはずの船上から見た町の光景は筆舌に尽くしがたく、なによりも私の精神に耐えがたい苦痛を強いる。思い出すたびに胸が苦しく息ができないほどだ。それゆえ、今ここにその時の詳細を記すことはできそうにないことを許してほしい。
お山の向こう側も悲惨な状況だということは想像に難くなかった。溶岩と火山灰が降りそそぐ中、帰る場所を失った我らは住める場所を探して故郷を後にした。このときにはいつか戻る、戻れるという気持ちがあった。
幸いにして我らの航海術は優れていた。我らは北へと船を進めた。南方の大陸は紛争が多かったということもあったが、銀色の鳥が我らの船の前で誘導するように飛んでいたからだ。
そう、我らはその鳥を「理の巫女』の使いだと信じたのだ。
その鳥は常に船の前を飛んでいた。途中で入り江を見つけては、住めそうなところを探そうとしても、銀色の鳥は陸地に近寄ろうとはしなかった。
今にして思えば、そこは異民族の土地であり、迂闊に近づけば攻撃されて船ごと沈められるか、略奪されてしまっただろう。
仕方なく、それまで友好的に交易していた港で食料や水を補給するに留めて、さらに北へと船は導かれた。
海岸に沿って北上し、三月ほど過ぎた頃だろうか。切り立った山が海に迫るところに河口があった。銀色の鳥はその河口から川に沿って上流へと導いてゆく。
川の両岸には湿地帯があり、そこを抜けると荒れた荒野の丘陵地が広がっていた。乾燥した岩場に針葉樹の低木が広がり、山から吹き下ろす風は強く、およそ住民どころか人の手さえ入っていないであろうと思われる原野だ。しかしそこで銀色の鳥は姿を消した。
我らはそこに降り立ち、住むことを決めたのだった。というよりもそれより他の選択肢はなかった。なぜなら我らが旅立ったのは夏の終わり。そしてこの地に着いたのは秋が過ぎ去ろうとする季節だ。冬が来る前に住める場所を確保しなくてはならない。
とにかく森の木を切り倒し家を建てた。得体の知れない獣もいるかも知れないし、何より不案内な土地だ。できるだけ固まっていた方がいいから、何家族かの共同住宅のようなものにした。
幸い森があり山があり川もあるから、材料は豊富にあった。家ができたら次に船の中から必要なものを運び込み、薪を集め、食料になりそうな木ノ実や果実を集めて回った。かろうじて生活できそうな形態を整える頃には短い秋はすぐに過ぎ去り、氷と雪に閉ざされる冬がやってきた。
吹きすさぶ猛吹雪、一瞬で凍り付く程の寒気。唸るような風の音。南の地からやってきた我らには、恐ろしく、心細く、この冬が永遠に続くかのように感じられた。
故国のめくるめく陽光、抜けるような蒼天の青さ、くっきりと白く浮かぶ雲、丘に広がるオリーブとブドウ畑、吹き渡る風に揺れるひまわりの花、天に聳えるような糸杉の並木。それらのすべてが愛おしく、哀しいほどに懐かった。
だが生きていくためには感傷に浸っている時間など無い。なんとか最初の冬をやり過ごし、雪解けを待って我らは再び動き始めた。
森を切り拓き、気まぐれに流れを変える川を水路を築いて治水を行い、畑を作った。持参した種や苗から試行錯誤しながらこの地で育つ作物を見いだし、森や野原から在来種で食用や薬用になるものを探した。
野生の羊を捕らえて家畜として飼い慣らし、放牧を始めるには数年かかったが、なんとか軌道にのせることもできた。故国の技術、経験と交易で得た情報や知識が我らの持つ財産だった。
厳しい環境の中、我らにとって大きな支えだったのは二人の『聞こえの巫女』に連なる者の存在だった。彼女たちは、我らには聞こえない風や土、草木と言った自然の中の音を感じ取ることができた。
彼女たちは自らを『響きの糸』と称した。言葉としてはっきりと聞こえるわけではない。この地の精霊たちが奏でてくれる音があるのだという。自分たちは響いた音から意味を見いだして伝える役目で、この地には糸を振るわせる存在がいるのだと。
耕作地では土に合った作物を迷いなく選び、鉄や銅の鉱山を見つけ出した。水路を作る際にも水を流すべき方向を示し、そうすると決まって水は治まっていった。
『響きの糸』私の妻と母は時折、銀色の鳥が我らをこの地に導いたのは、気候も環境も故国とは全く異なる地ではあるけれど、故国と同じような清らかな自然の精霊がいたからだろうと言う。
『理の巫女』は運命の神ティスペロスに仕える者。隠された存在で表には出てこないというティスペロスが我らをこの地に導いたのには何か意味があるのだろう。今はその意味がわからなくとも、はるか未来で解明されることを願っておこう。
厳しい環境下、暮らしがある程度定まるには七年ほどの年月が費やされていた。かつての生活には比べようもなく貧しかったが、それでも自給自足を続けながら、農地を広げ、鉱山からの鉄や銅の採掘も進み、鍛冶や石工、木工などの工房もできて、曲がりなりにも村の形が整ってきた。
小さな村だが、故国にあったような上下水道と床暖房、舗装を整えることについては誰も反対しなかった。こうした基盤の必要性をこの荒地にきて初めて実感したということもあったと思う。故国において、いかに自分たちが便利で清潔な生活に慣れていたのだということに尽きる。
それはともあれ、生活が落ち着いたことで、外へ目を向けるだけのゆとりが生まれた。つまり交易をはじめようとする動きが出てきたのだ。取引材料となる商品も出来て、少しづつではあるが近隣の町とは取引もしてきている。
そうなると何よりも気にかかるのは故国のことだ。幸い乗ってきた船も壊れていない。灰に埋もれた故郷はまだ復旧に至っていないだろう。だが出来るならば、交易先としてだけでもつながりを持ちたい。エントニア王国のどこかの都市と取引が出来たら、と逸る気持ちのまま出航した。
私も商人の一人として出向いたのだが、持ち帰ることができたのは、無惨にも故国滅亡の知らせだけだった
あの火山噴火によりサリオスティアだけでなく複数の街や港が失われ、周辺にあった鉱山がいくつか崩壊し、交通路も寸断された。国内最大の岩塩坑も火山灰の下に埋もれてしまった。
そうして国力が衰えたところへユリア帝国に攻め込まれ、国中が戦火に飲みこまれ、王都も王宮もことごとく灰燼に帰したらしい。らしい、というのは王都までたどり着くことができなかったからだ。
エントニア王国を滅ぼしたユリア帝国は、あの火山噴火を神の怒りに触れたためだとエントニア王国を呪われた地だと貶め、王国の何もかも、人々の生活も、文化も破壊した。そして言葉も、文字も使うことまでも禁じた。我らが出立してわずか三年のことだったらしい。
もともとユリア帝国は鉱山などの資源が豊かなエントニアを狙っていた。だから火山の噴火は渡りに船だったのだ。神の怒りを買ったためだとし、呪われた地は滅ぼさねばならないと破壊の限りを尽くしたというのだ。
戻ってきた我らの話を聞い仲間たちは、故国の悲劇に涙し、憤った。異民族に征服され、服従し、自分たちの歴史と文化が闇に葬られることは耐え難いと。
だが、ユリア帝国はエントニアを滅ぼしただけで、荒廃した領地以外の何も得てはいないのだ。鉱山も岩塩床も全て火山灰に埋もれた。故国の高い文化も技術も破壊することで無に帰してしまった。
そして気づいた。我らは逃されたのだと。故国は呪われた地などではない。むしろ、我らがここに、こうして生き残ったことこそが神の配慮なのだ。
おそらく、火山の噴火がなくても、遅かれ早かれユリア帝国はエントニアに攻め込んできたであろう。そして武力を持って王国を蹂躙し破壊し尽くし、生き延びるものさえいたかどうかわからない。
『響きの糸』たちは故国を去る時に「いきなさい」という声を聞いたという。行って生きること。そのための銀色の鳥の道案内。
神は我らが祈りと共に捧げてきたものを嘉納され、失うことを惜しんでくださったに違いない。それゆえ、我らはここに導かれたのだ。
ならば、故国の言葉と文字を用いて、知りうる限りの知識と知恵、技術と芸術、そして人々の営みを残すことが我らの使命だ。
言葉は人の考えや思いを形作る。文字はそれを伝え、残すものなのだ。それらを奪われるということは、自分たちの存在を踏みにじられるに等しい。
この先の未来を紡ぐ我らが子々孫々よ。この願いを汲んで、我らの言葉を用いて文化を築き、文字を用いて歴史を繋げていくことを願ってやまない。
*** ***
読み終えた三人は言葉もなく陶板を見つめていた。
祖先たちが故国と呼ぶエントニア王国は、今ではどこにあったのかさえ、定かではない。おそらくセントロムル帝国の南の方だろうとは予想できる。でも、確かめる術はない。
言葉と文字を残すことは文化を残すことになると祖先は思ったのだ。その思いと願いを受け継いできた次の世代の祖先たち。
困難や様々な障壁もあったに違いない。それでもこの時代にアデルリーナたちは古語を学ばされた、いや学ぶことができたことへのありがたさが胸に迫る。
一方で森の民のように文字を持たない民族もある。けれど、そのどちらにも共通するのは自分たちの言葉を守り、残していること。
文字や本に残すことはひとつの手段だ。「伝える」「伝わる」ということが何よりも大切だということをアデルリーナは知っている。言葉ではなく音で響き合う、その意味を。『響きの糸』はそういう存在なのだ。
初代の『響きの糸』の二人はどんな人たちだったのだろう、とアデルリーナは思った。
ロシュタットの起源が語られました。現在のロシュタットでは彼らが持っていた高度な文化が全て再現されているわけではありません。アデルリーナたちがこれから何を見つけ出せるのか、期待が高まります。




