日常を取り戻せ!
それ以上は父さんの寝顔を見続けているのがどうしても辛くて、檻の前から逃げるようにして立ち去ってしまった。
――本当はもっと、言いたいことがたくさんあったはずなのに。
ポータルを目指して足早に通路を歩きながら、呼吸とは別の深いため息が漏れる。
みんなと紙ヒコーキを作っていたあいだにあった出来事も、アイシングのクッキーを作る過程がどれほど難しかったのかも。
カルムが揚げてくれた骨せいべいが美味しくって、いつかは母さんとの思い出を語りながら、父さんとふたりで酒を酌み交わしてみたくなったことも。
しばらくは男の格好になったククリアと風呂に入っていたせいで、父さんと入るのがなんだか恋しくなっていたことも。
此処に父さんがいてくれたらな――なんて、たびたび思ってしまっていたことも。
みんな全部、隠さずに伝えるつもりだったのに。
「思うように伝えきれなかったし。なんか、愚痴みたいになっちゃったよな……」
我ながら意地っ張りだし、どうしようもないぐらいに天邪鬼だ。
心配しているんならそれをちゃんと言葉や態度にも出すべきだし、相手に伝わらなければそもそもの意味がない。
なんせ父さんは自他ともに認めるほどの鈍感ヤロウなんだから。
そんな人相手に「察して」だなんて、どだい無理な話だ。だったら相手に押し付けるより、こっちが性根を正して少しでも素直になるほうが、ずっと健全だし早い。こういう時にこそセーアになってしまえばいいのに。
「……ほんっとーに、素直になれねーよな俺。ヘンなとこで子供らしくなれないし……可愛くねぇ」
通路の途中にあった石畳のかけらを蹴とばす。
斜めの方向に転がっていったそれは、檻の格子に当たってカンッと鋭い音を鳴らした。
その金属音がうす暗いなかに反響し、無意識に肩がすくんだ。
また両脇に並んでいる無人の檻が不気味なのもあって、自然と足取りが早くなる。
「けっきょく父さんの顔、あんまり見れなかったし……。父さんのことだから、近くで呼び掛けてやれば少しは起きるはずだと思ってたのに。起きないどころか、反応すらもしないし……。っていうか、起きろよな!」
本当の愚痴になっていることに途中で気づいたのだが、一人でいるのもあって口は止まらなかった。
「いつもあんなに『成哉、成哉』ってうるさいのに。いざ俺が気にして声を掛けたら反応しないなんて。寝言ぐらいは言えよ、寝返りするだとか歯軋りぐらいはしろよ、オッサンなんだから!」
かなり無茶苦茶なことを言っていると自覚はしていたが、心細さも相まって独り言は大きくなっていく。
ちなみに言っておくと、父さんは俺と違ってあんまり寝相は悪くないほうだ。歯軋りだってしないし、寝言もそんなに多くはない。
ただその寝方が今回に限っては裏目に出てしまっているので、ちょっと文句を言ってやりたくなっただけだ。
「なに静かに寝ちゃってんだよ、父さんのくせにさ。伝説の勇者様だろ? そんな男がやられてんなよ、父さんを黙らせるのは母さんかエチェットの役割だろ。それに母さんのほうがあの女よりもよっぽど怖いよ、だって叱る時にこっちのほっぺたを笑顔で引っ張ってくるんだぞ。謝るまでずぅーーーーっと。それで、『反省してる?』『反省した?』って何度も繰り返し訊いてくるし。あの怖さに比べたらぜんっぜん……!」
「あのぉー……。声、すっごい響いてますよ? 成哉くん」
「ふぁっ!?」
愚痴りながら通路をズンズン歩いていたせいで、曲がり角でエチェットが顔を出しているのにも気づかなかった。思いっきり独り言を聞かれてしまっていた。
「ずっと喋っているみたいだったから、寂しいのかな? と思って、先にカルムを帰らせて私だけ残っちゃいました。雄大さんのお見舞い、ちゃんとできましたか? 私も一緒に居たほうが良かったなら……、あれ?」
こちらを覗き込んでいたエチェットが、何かに気づいたように声をあげた。
「……成哉くん。目元が赤く……?」
「やっ! べッ、別に……! なん、でもない……です……」
「ふぅん。そうなんですか?」
しどろもどろになっている俺を面白そうに眺めながら、エチェットはからかうような調子で小首を傾げた。
「何もないのに、あんな大声で文句を言っていたわけですか。目を赤くさせながら?」
「そ、そう……」
「ふうぅぅぅ~ん?」
うまい言い訳が思い付かないまま、考えの最中にふと目にかかった横の髪をのけようとした。
そこで屈んだ拍子に白いふわふわの耳が視界に入り、何となしにつまんでみる。指先で軽く揉んでいると、エチェットの含み笑いが一瞬で消え去り、キラキラとした瞳になった。触りたそうにうずうずしている。
……そういえば、尻尾はまだ確認していなかったんだっけ。
思い出し、耳を触っていないほうの手を背中側へと持っていく。尾てい骨あたりを探ってみると、布越しにふかっとした毛の感触があった。
うん……。柔らかさを堪能するように揉みしだきながら、先の不安で気が遠くなっていく。
分かっちゃいたけど、やっぱりスカート越しに膨らんでるなこれ。
どうしよう。尻尾を出すためには、服に穴を開けないといけないのか? いったい何着穴を開ければ……。
いや待てよ、獣人向けのを買ってくればいいのか? でもそうなると、獣人用の女児向け服を着るはめになるんだよな。ほんとどうすんだよ。このままじゃ俺、うさぎ獣人の女の子になっちゃう……いやすでになってるけど!
ぐるぐると廻る思考と、混乱と羞恥心のあまりに俺は、なぜか自分から差し出すようにして尻尾を話の材料にしてしまった。
「えっと……。しっ……しっぽ、みてみる……?」
「良いんですか!? 見ます見ますっ!!」
なんで自分から見せるような真似をしているんだろう。
若干後悔しながら、跳ねて喜んでいるエチェットの胸元へと抱き込まれる。「んむっ!」後頭部を抱えられ、押し付けられる肉々しい圧迫感に思わずうめき声が漏れた。
「さぁて。成哉くんのしっぽ、しっぽ~っと♡」
「ちょ、変なこと言わないで! 元からくっ付いてるわけじゃないんだから……!」
エチェットはあらためて周囲を確認してから、俺の腰へとさりげなく手を添えると、スカートのウエスト部分をそっと下にずらすようにして覗き込んだ。
「あっ! ありますあります、ちょこんって生えてる! うわぁ、かわいい~! まっしろでふわっふわぁ~♡」
「あ、あんまり見ないで……。一応そこ、位置的におしりのうえ……」
まじまじと見られている気配がして、手のひらで遮ろうとする。すると、ぱっと手首を掴まれた。
「もうっ、自分から見せてくれたんじゃないですか。ちゃんとじっくり見せて下さいよ!」
「はっ、恥ずかし……。そんな、ところ……」
「いつも衣装でうさぎ耳と尻尾を付けてるじゃないですか。恥ずかしいことなんて何にもないですよ?」
「……だっ、だって……ただでさえ女の子の身体になっちゃってるのに、そのうえ耳と尻尾だなんて……。俺、父さんやカルムみたいな、強くてムッキムキの男になりたいのに。このままだと……」
「ええ。そうですね」
手首を掴んだままで、エチェットは屈んで耳元に顔を寄せてくる。
「このまま成長してしまうと、成哉くん、うさぎの女の子になっちゃいますもんね? それもたぶん、お胸の大きな。肉体の成長については、その体の創造主であるククリアの影響を受けやすいんだ、って本人が前に言っていましたもんね?」
「やっ、やめ……」
囁きながら、ブラウスの裾からはみ出ていた白い肌着を摘ままれる。胸元には小さめのリボン、裾に控えめなレースが付いた子供用の肌着だ。
年齢的にも胸は目立たないと思っていたので、これからの五年間もずっと肌着で通すつもりだった。でもいよいよ覚悟を決める段階に入ってしまっているのだと、エチェットの言葉に嫌でも自覚してくる。
「早いと一年後には膨らんできちゃうんですよ? 私の場合だって、そのぐらいの歳のころに変化があったんですから。運動の時には気になるようになってくるし、なにより服に擦れて痛くなるので、ブラは必ず着けたほうがいいですし。こんな薄くて柔らかい肌着なんかじゃ、対処できませんからね?」
摘まんだ布地をツンツンと引っ張られ、俺は返事ができずにスカートの裾をぎゅっと握りしめることしか出来なかった。
「それと体が大人になるに従って、月に一度は子宮の内膜が剥がれて血と一緒に流れてくるようになりますからね。それも約一週間のあいだ、昼夜問わずにずぅっと。痛みもありますよ、人によって程度は違いますけど」
「えっ!? なにそれ、病気!?」
言葉の響きがあまりにも強烈すぎて怖くなってしまい、スカートを掴んでいた手でエチェットにしがみ付いた。「いいえ?」と笑い、彼女は答えを口にする。
「生理、っていうんですよ。……まだまだ男の子ですね、成哉くん?」
つんっとお腹をつつかれ、自分の無知さにカッと頬が熱くなった。
まだ俺が小学生だった頃、保健体育の授業で男女の身体の違いについて学ぶ機会があった。でもほとんどは自分の性別に関してのことで、異性についてはあまり深くは教えられなかったように記憶している。
たぶん中学以降にゆっくりと知る機会が増えていくんだろうけど、そのあとに急激にゾンビが増殖していったのもあって、俺はついに知ることが出来なかった。
だからつまり、これが再教育の場になっているわけで……。
「ご、ごめん……。詳しいことは、あんまり知らなかった……」
彼女がいるくせに、俺はエチェットの体について基本的な知識すら持っていなかったのか。
自分ごとになって、ようやく知るだなんて――……。
「いいんですよ。いま知ったんですから」
エチェットは俺の耳元に優しく囁きかけると、慰めるように、耳たぶへとちゅっとキスを落とした。
「それに成哉くん、私の具合が悪い時にはお腹をさすってくれるじゃないですか? 症状が軽くなるように、って。温めながら。あれって、精霊の力を使ってくれているんでしょう?」
「それは……痛そうだったし、エチェットの守護精霊が『そうしてあげて』って言ってたからで……。ふつうの腹痛かと思って、よく分かってなかった。……そっか、そういう仕組みだったからなんだ……。ごめん……」
「もうっ。私だって、成哉くんの体について学んでいるところなんですから。お互いさまですよっ!」
「…………え?」
意外な告白に、俺は反省の意味で項垂れていた頭を持ち上げた。
「な、なんで?」
「だって成哉くん、前世ではその……精神的外傷とか環境なんかの影響で、男性機能が損なわれていたじゃないですか。だから今世ではその影響が出ないようにって、将来の妻として私、今からたくさん勉強しているんです。『ドージンシ』っていうのも、その一環なんですよ!」
同人誌が果たして性のお勉強に相応しいのかどうかはよく分からないが、エチェットの熱意が俺に向いてくれているのが嬉しかった。
「そっか、俺のために……。でも女の子のままだと、そのせっかくの勉強も……」
無駄になってしまう。そう言うよりも先に、エチェットが言葉を被せてきた。
「私はそれでもいっこうに構いませんよ? たとえ成哉くんが女の子になったままで戻らなくても、生涯を通して愛せますし、えっちな気持ちにだってなれます。あなたが成哉くんでさえいてくれれば、私は男だろうと女だろうと、生えていようといなかろうと、どっちだろうと気にしません。むしろ成哉くんが気にするのであれば、私が根性で生やしてみせます! 世界中を巡ってでもかならず!」
「えっ?」
一瞬聞き間違いかと思い、エチェットに訊き返してみた。
「えっと…………いま『生やす』だとか聞こえた気がしたんだけど…………?」
「はいっ! 言いましたよ!」
「…………誰に? 俺に?」
「私にですよっ!!」
バアァァァーーーンッ!!!!
……という効果音とともに背後に擬音が付きそうな自信に満ちた表情で、エチェットはフンッと豊かな胸を張ってみせた。
どうしてこの子はたまによく分からないことを平気で言うんだろう。そこもちょっぴり抜けてて可愛いし、大好きなんだけど……本当にたまに理解が及ばない時がある。
「さすがにエチェットには似合わないような……?」
なんとなぁーく相手の胸に目をやりながら呟くと、「でも生やすんですっ!」と、またしてもよく分からないことをエチェットは言った。なにが「でも」なんだろうか。
心のなかのツッコミは、当然ながら彼女には伝わらない。
「私が生やせば問題はありません! 機能的にはまったく!」
「いや……。俺は、自分のを取り戻したいだけで……」
「もちろん成哉くんのだって取り戻しますよ。それで成哉くんは私の子を、私は成哉くんの子を身ごもって、めでたく子だくさんでハッピーエンドです!! 万事解決っ!!」
「いや、してないしてないっ! ややこしくなっちゃってるから! ……そ、それに……」
密着していた体を少しだけ離し、エチェットの顔を正面から見上げる。
「それに俺は、父さんみたいに子供の憧れになれるような、格好良い父親になりたいから。デカい胸もいらないし、うさ耳と尻尾もいらない。――男に戻りたい!」
「…………そうですか。だったら」
こちらの頬に手を添え、さらりと撫でてから、エチェットは俺に笑いかけた。
「早くイルマニ神の気が済むようにして、ククリアの感情と力を安定させなくちゃいけませんね?」
「うんっ!」
そのためにはまず、チグルスさんが言っていたように、イルマニを信仰しているらしい奴ら――『反魂のなんちゃら』のアジトを突き止める必要がある。
――父さんの仇を討つため。
俺が大人になって、父さんのような、強くて恰好良い父親へと成長できるように。
「クッキーの配付会が今後のカギになりそうだ。イベントに来た人限定で配ることになっているから、あの女が俺に執着しているのであれば、来る可能性はゼロじゃない。会場にいた誰かに乗り移っているのなら、なおさらだ」
「向こうの容姿が分かっていないのを利用して、こちらに近づいて来るかもしれないと?」
「そうっ!」
大きく頷き、俺は近くにあるポータルが置かれた部屋へと急ぐ。
「もちろん、あてが外れる可能性はある。けどとりあえずは、配付会で様子見ってところだな」
「ダメだったら次ですよ! ククリアだって、成哉くんのお説教でちょっとはやる気を出してくれたようですし。チグルスさんも手伝ってくれるから、先の見えない状況なんかじゃ全っ然ありません! ダメだったらまた次、そのまた次です!」
エチェットも俺に続いてポータルに向かい、装置に飛び乗る。
ともに家の地下へと戻ると、そこでカルムが待っていた。
「ああ、おかえり。遅かったな」
チグルスさんも一緒にいて、彼らは何やら作戦会議をしている途中のようだった。何枚もの紙が床に置かれ、ペンでごちゃごちゃと書き込みがある。
「ウェスティン。俺もチグルスと一緒に、ピュティシュ・アルマの店員として、店に潜り込むことになったから。よろしくな」
「店にはもう、僕の名前で連絡しておいたからね。強引に話を進めているようで悪いんだけど……」
「いえっ!」
申し訳なさそうに言うチグルスさんを手で制す。
「俺が腹立ててるのはあいつらですから。俺も自分自身の全力で、あいつらの巣穴を暴いてやります!」
……イベントをテロ目的で利用されたんだ。
だったらこっちだって、イベントで誘い出してやる。無垢なセーアのふりをして、ウェスティンが――成哉がお前らを、罠へと誘導してやる。
「それで父さんを、日常へと戻してやるんだっ!!」
俺の宣言に、エチェットとカルムも頷く。
「そうだな。雄大がまた、お前らの送り迎えを出来るようにしてやらないと」
「ええ。そうですね」
エチェットは微笑みながら、床の上でらくがきを広げて寝ていた、もうひとりの人物の傍へと屈み込んだ。そっと毛布を掛け直してやり、散らばっていたうちの一枚を拾い上げる。
「ユエリスも待ち侘びているようですから。雄大さんがぶじに起きて、家族が揃うのを」
その紙には父さんを中心に、ユエリスと俺、エチェット、カルム、ロズ、師匠――そしてククリアの全員が手を繋いで笑顔になっている、あたたかな家族の絵が描かれていた。




