地下牢へ
「うん……。そうだよねっ!」
チェルの答えに頷きを返し、玄関の外へと出る。
空はすでに暮れかかって、薄紺の色を見せ始めていた。そのなかに散らばっている星くずがチロチロと瞬くさまは、ステージから見た、客が掲げるペンライトを想起させる。
――イベントは本当に成功したのか。
やって良かったどうかの答えを出すのは俺たちじゃなく、わざわざ会場まで足を運んで、ステージを見届けてくれたお客さんなんだ。
すべては、お客さんの反応次第。
店の人間として。俺はちゃんと彼らの意見や要望、感想と向き合って、リサーチして次に繋げていかなければならない。
今後のため――……それから、チェルとフィノのためにも。
そう思うとまた緊張がぶり返してきて、無駄に心臓がドキドキしてしまう。
無意識に呼吸が浅くなっていたことに気付き、空気を求めて喘ぐようにして、ぐっと首を上へ傾けた。ふうっ、と大げさに息をつく。
今からこんなになっているんじゃ、クッキーを渡す時になったら足どころか、全身まで震えてきてしまいそうだ。
「そういえば……お見舞いと言いつつも、けっきょくは普通に遊んじゃいましたけど。本当に無理はしていないんですのよね? セーアちゃん」
屈んで靴のベルトを留め直しながら、チェルがそんな問い掛けをしてきた。
「よく隠れて無理をしているから、心配になっちゃいますわ」
「もう全っ然へーきだよ! ほらっ、今からでも出勤できちゃうぐらいに元気!」
「休んで」
握り拳を作って張り切る俺を、そっと肩を叩いて諌めるフィノ。
その端的なツッコミに、俺たちに限らずカルムまでもが一緒に笑っていた。……ほんと、この半日でずいぶんと親しくなったよな。
ふたりと笑い合っているカルムを見ながら、ふとそう思う。
父さんとも、エチェットとも知り合いだし。
ユエリスも懐いてくれているしで、あと二人に会わせていないのは……ロズとメルダ師匠、それから……ククリア本人だけか。
お泊り会の時にウェスティンに扮し、さんざん好き勝手やってくれたことを思い出す。
あいつ自身は二人に興味を抱いて「友達になりたい」とすら思っているみたいだけど、自分から進んで関係を持つようなタイプじゃないし、あれでも一応はこの世界で信仰されている女神様だ。
現在の女神業を担っているのは六十一番目ことロイさんだけど、管理者が変わったことは世間には公表されていない。だから下手をすれば拝まれたり、崇められたりといった扱いを受けることだってある。
あの二人がそういう対応をするのはあんまり想像できないけど……本人はそんな関係性にはうんざりしているそうなので、会わすんだったら、なるべく慎重にしなければならない。
なんにせよまだ人馴れしている段階なので、そう焦って急かすようなもんでもないだろう。
「お邪魔しましたわ。それじゃあ、また来ますわね!」
「ばいばーい」
「ああ。気を付けて帰るんだぞ」
玄関口で見送っているカルムに手を振り返し、ふたりは夜道を歩き出す。その背中を追いかけながら、俺もまた後ろを振り返った。
「カルム、ちょっとお見送りしてくる! その間にエチェットたちが帰ってきたら、伝えておいて!」
「分かった。夕飯の準備をして待ってるから、なるべく早く帰って来いよ。お前も気を付けるんだぞ」
「はあぁーーーーいっ!」
返事をしながら再び前を見てみると、少し行った先で、ふたりがじっと立ち止まっていた。小走りで駆け寄っていく。
「お待たせーっ! 行こ!」
「良いんですの? 道も暗いのに……」
明かりが灯る家と行く先とを見比べながら、チェルが心配そうに尋ねてくる。
「いーのいーのっ!」と答え、俺は立ち止まっているふたりの背中を強引に押して歩きはじめた。
「なんだか喋り足りないからさ。もーちょっと先までっ!」
「ふふっ」
俺の言い訳に口元を押さえ、フィノはくすくすと笑う。
「それだとこの先も、『もっと』が続いちゃいそうだね?」
「そしたら『もっと』、『もっと』でずーーーーっと一緒だ!」
「まぁっ! セーアちゃんてば。うふふふっ!」
「あははは!」
笑い声を高らかに響かせ合いながら、俺たちは夕闇の下を歩き続ける。
通りには俺たち以外にも子供や、大人の姿なんかがちらほらと見受けられた。買い物を終えたばかりとおぼしき主婦や、仕事帰りのおじさん、おつかい中らしき兄弟など。
そんななかで、「またねー!」と言い合い、手を振り別れる三人の子供たちがいた。
一人はその場に取り残され、他の二人は笑い合いながら楽しそうに帰り道を軽快に走っている。
たまに振り返っては大きく手を振っていたのが、やがてはそれも無くなって、一人ぼっちの彼はトボトボと寂しげな足取りで別の道へと帰っていく。
そんな背中を眺めていると、どうしようもなく、未来の自分と重ねてしまった。
……やがてその時が来たとして。
俺はちゃんと、あんなふうに二人を見送れるんだろうか。
『もっと』、『もっと』とせがみたいのを、ぐっとこらえ、諦められるんだろうか。
「セーアちゃん?」
いつの間にか足取りが遅くなっていたようで、二人が訝しげに振り返っていた。
「どうしましたの?」
「置いてっちゃうよー」
「ごっ、ごめんごめん! 待って!」
急いで隣に並んで、また揃って歩き始める。
妙な間が空いてしまったことに焦りを覚え、なにか話さないと……と必死に考えた結果、けっきょくは、思考と地続きの話題しか出てこなかった。それでもいいかと、薄暗くなっていく空に向けて呟く。
「……たくさん緊張したし、失敗もしちゃったけどさ。そのぶん反省して、次のイベントに活かしていこうよ。今度はもっと、もぉーっと大きなステージに立てるようにさ!」
「ええ。そうですわね!」
俺の言葉にチェルは笑い、夜空にひときわ輝いているひとつの大きな星を指さした。
「目指すは一番星っ! 世界中に名が通るぐらいの、大人気のモデルになりますわよ! そのためにも、失敗をしたならちゃあんと反省会をしませんとね!」
「うふぇええ~……」
形容しがたい声を上げ、フィノが泣きそうな顔をする。
「反省会なんて、そんなぁ……。失敗を誤魔化せるかも分かんないのに……」
「慣れですわよ、慣ぁーれ! 言ったでしょう? わたくしだって失敗をすると。これまでに何度も失敗を重ねてきて、よーうやく誤魔化せるようになっても、いまだに寝る時になると反省の嵐なんですわよ!」
「あ、わかる。すっごくわかる」
チェルの意外な習慣に、自分もそうだとばかりにフィノは千切れそうなぐらいに首を縦に振っていた。
「夜寝る前に、『あの時にああすれば良かったのに』とか、『こうすればもっと……』って一日の反省会をしちゃうんだよね。でも失敗を思い返してると、どうしても気分が重たくなってきちゃって。……うまく反省、しきれないんだ」
「フィノ。そういう時にはですね、オトモがいるといいんですわよ!」
「…………おとも?」
「ええっ!」
前を歩いていたチェルは、ぴょんと跳ねるようにして元気よく振り返った。
「反省会を開くたびに、わたくし、大好きなぬいぐるみを抱きしめて元気を貰うんですの。その子が傍にいてくれて、何でも話を聞いてくれるから、どんな失敗だろうと糧に出来るんですのよ!」
「へえ。お兄さんから貰ったぬいぐるみ?」
本当に何気なーくそう口にしただけなんだが、何故かチェルは押し黙ってしまい、ぷくううっと風船みたいに頬を膨らませた。
普段だったら素直に「怒っている」と言ってくれるものなんだけど、ひと言も発さずに、まさに「むくれている」としか形容できない顔でこちらを睨んでいる。
彼女の猫を思わせる大きな紫色の瞳が、今は感情がむき出しになって瞳孔が細まっているようにさえ見えた。
「な、なんか怒って……?」
「なんでもありませんわ! 行きましょ、フィノ!」
「うん」
フィノの手を強引に取ったチェルは、そのままスタスタスターッと早歩きで行ってしまった。その足取りがあまりにも素早く、また周囲が薄暗いのも相まって、非常に追いかけづらい。
「えっ? ちょ、ちょっとチェル? 待ってよ、まっ……!」
うまく状況が理解できないながらも、慌てて追いかけようとしたその時だった。
「こんばんわ」
と、すぐ近くから呼びかけがあり、そちらに目をやってみると、そこに立っていたのはカッチリとしたスーツを着こなし、眼鏡をかけた生真面目そうな男性だった。
ちなみに言っておくと、マネージャーのアーシュアさんではない。
俺と同じく神託者のひとりで、元日本人で、英雄としての先輩でもあるチグルスさんだ。
技師大国チグルスの実質的な王であり、またこの世界に流通している魔法石を動力にした、機械装置のたぐいを熱心に研究・開発している著名な技術者。
「あっ! ち、チグルスさ……!」
「セーアちゃーんっ!!」
慌てて背筋を正そうとした瞬間に、少し遠くの方から、いつもと変わらないチェルの元気な呼びかけが聞こえてきた。
口の横に両手を添えて、メガホンみたいにして叫んでいる。
「また、休み明けにーっ!!」
「ばいばーい!」
「あ……。ば、ばいばーいっ!!」
ホッとしながら両手を振り返す。……良かった。
よく分からないけど、チェルの怒りは無事に収まったみたいだ。このまま休み明けまで引きずってしまうんじゃないかと思ったけど、どうやらその心配はなさそうだ。
「……ふふっ。年相応、っていう感じだね?」
俺と同じように二人に目を向けていたチグルスさんが、ふとこちらを見て微笑んだ。
「君が子供らしくいられているようで、何よりだよ。……なにしろ君は、僕らの中でもとりわけ酷い前世を送ったようだからね。今世においてはぜひ、存分に人生を謳歌して欲しいな」
「ありがとうございます。そう出来るといいですよね、お互いに」
「ああ。……それにしても……」
爽やかに受け答えをしていたチグルスさんが、急に不思議そうな面持ちで告げた。
「今日もまた、ずいぶんと可愛らしい恰好をしているね。それは衣装かい?」
「えっ? 衣装?」
いや、今日は普通に私服だ。しかもいつも着ているようなのと比べると、少し地味めな……。
ブラウスとスカートのことを言っているのかと思い、下を見てみる。と、とたんに羞恥でカアァッと顔どころか耳まで火照った。
……そうだった。一時間の休憩をする時には、いったん脱いだんだけど。
料理を再開するタイミングでまた着て、そのままハートのエプロン着たまんまなんだったぁぁぁ……ッ!!
「ちっ……! 違います違いますこれ、好きで着ているとかじゃなくてですね!? あくまでエチェットの、ええ、エチェットの趣味で仕方なく……! む、無理に着せられて……。仕方なくこんな恥ずかしい格好しててですね!? ええ分かってます、もちろん分かってます俺に似合ってないって!! 似合ってもないし恥ずかしいって!!」
「恥ずかしい?」
チグルスさんは眼鏡の奥にある瞳を丸くさせた。
「いや、よく似合っているよ。何も変なところはないと思うけど……?」
こう見えてチグルスさんはけっこう飾らずに物事を言うような人なので(もちろんちゃんと言葉は選んでくれるんだが)、この評価に関しても、嘘や方便ではないんだろうなと分かる。
ただ、こうしてたまに恥ずかしいことを真顔で言ってくるもんだから、言われているほうが居た堪れない。
「……俺の中身、知ってるくせに……」
「ごめんごめん」
控えめに笑っていたチグルスさんは、ふと真面目な顔になった。
「君がイベントの終了直後に倒れたと聞いて、心配していてね。様子を見に来てしまったんだけど……もしかして、出直したほうが良かったかな?」
チェルたちの後ろ姿を見ながら、少し申し訳なさそうにしている。声を掛けたタイミングが悪かったかと、心配しているようだ。
「いえ、ちょうどさっき別れたばかりですし。体調についても問題はないですよ、いつもの発作なんで」
「そうか。それじゃあ……良ければこれから、ちょっと僕に付き合って貰えないかな?」
「え、付き合う? どこにですか?」
「雄大が収容されている地下牢だよ。君はまだ行っていないんだろう?」
そう言われ、自分の表情がちょっと引きつったのが分かった。
転移ポータルを借りているので、行こうと思えば昨日の夜にだって行けた。でもそうしなかったのは、心の準備がまだ出来ていなかったからだ。
普段ならどれだけ深く寝入っていても、俺やユエリスが声を掛けるだけで、のそのそと起きてくる父さんが。
本気モードになると、風切り音や少し遠くの物音が耳に入っただけでも、目を覚ますような父さんが――……目覚めていない。
それはたぶん、精神にダメージを受けてしまったせいだ。
あの女に無理に這入られて、荒らされて。傷つけられてしまったからだ。
「一人ではきっと、行きづらいだろうと思ってね。……どうかな? ウェスティンくん。僕と、行ってくれるかい?」
俺の内心を見透かすように、チグルスさんは優しい声音でそう問い掛けてくる。
「はい。…………行きたい、です」
でも、怖くて――そう続けるつもりだったはずの言葉は、チグルスさんが俺の手をさりげなく取ったことで引っ込んだ。
「それじゃあちょっと、カルムくんに挨拶しに行ってもいいかな?」なんて言いながら、家のほうへとそのまま誘導される。
「さすがに七歳の子を、夜に無断で連れ回すわけにもいかないから。保護者に了承を得ないと」
「ああ……確かに。そうですね」
頷いてはみたものの、カルムが保護者というのはなんだかモヤモヤした。
だって俺のほうが一応、精神年齢的にはカルムよりも年上だし。……一応な。一応。
「ウェスティンくん、おまたせ」
俺がエプロンを脱いで廊下で待っている間にやり取りを済ませ、チグルスさんは数分と経たずに戻ってきた。
カルムから渡されたのだろう、なにか食べ物が入っているらしいお弁当箱を手にしている。ククリアのご飯かもしれない。
「カルムくんには悪いことをしてしまったな。本当だったら、雄大の身柄を渡したくはなかっただろうに」
「……いえ。あいつも大人なので、仕方のないことだとちゃんと分かっていると思います。……悪いのは、あの女だって」
一連のやり取りが察せるようなことを呟きながら、俺のあとに続いて地下室への階段を降りていくチグルスさん。
連合から借りた転移ポータルは、現在、自宅の地下に保管してあるとのことだった。お泊り会の時に、ダンスの練習で使ったあの鍛錬場だ。
中心に鎮座するようにして、いかにもSFチックな、ゴツい見た目の転移ポータルが置かれている。透明な天板の下には魔法石が嵌まっていて、ぼんやりと薄く輝いていた。
「さあ。ポータルの接続先は、連合の地下だよ」
先に乗るよう手振りで示しながら、これまでとはうって変わって、多少冷ややかな声と表情でチグルスさんは続ける。
「向こうに着いたら、君の知る情報も話して貰えるかな。これでもかなり切羽詰まっている状況でね。その女について……君もなにか、分かっているんだろう?」
「どうして、それを……」
「女について話す時、君から殺気が漏れていたから。察するに、君の過去と何かしらの関係があるんじゃないかな?」
言い当てられ、誤魔化すことも出来なくなった俺は、感情のままに話し始めた。
謎の女との会話から悟った、おおよその推理と――ロイさん、六十一番目から教えて貰った、その内容についてを。




