子供と大人の宝箱
「「「たっだいまぁーーーー!!」」」
「ああ、帰ったのか。おかえり……って、なんか荷物増えてないか?」
リビングの扉を開けて出迎えたカルムは、俺たちの手に抱えられた飴玉とまんじゅうを見てぎょっとしていた。紙だけ持って出かけたはずが、お菓子に代わっていたのでそりゃあ驚きもするだろう。
俺はお土産の紙ヒコーキを母さんの写真の前へと置き、遊びの余韻が残っているままに口を開いた。
「近所の人と紙ヒコーキを作ったんだ! そのお礼にって、みんなからお菓子を貰って。それで今度、プレナントで大会を開くことになったから! よろしくっ!」
「はっ? た、大会!? 大会ってなんだ!?」
テンションが高いせいでまるで会話が繋がらず、困惑しているカルムにフィノがおっとりとした声で説明をする。
「みんなで紙ヒコーキを作ってたらね、町長さんが来て。ぜひ町のイベントにしようって、おはなしになったの。いちばん飛ぶ紙ヒコーキを作れるのが誰なのか、競うイベント? なんだって」
「みなさんとっても筋が良くって、すぐに自己流の折り方を編み出していましたわよ。白熱の戦いで、これは大会も楽しみですわね!」
「「「ねーっ!」」」
「いつの間に……」
カルムは「理解が追い付かない」といった感じに呆けていた。
けれど俺も、最初はふたりと精霊たちだけで遊ぶつもりだったから、ここまで大所帯になるだなんて正直思ってもいなかった。
いつの間にか人の数が増えていて、その中に町長も混じっていたんだ。
それで老若男女が年の差も関係なくワイワイとはしゃいでいるのを見て、「これは新たな町の催し物にできそうだ」と、思ったんだそうだ。
「……まあ『勇者誕生の地』なんて呼ばれだしても、プレナントの催し物なんていまだに、町の開拓記念日と、教会のバザーとウェスティンの誕生会ぐらいしか無かったからな。……栄えるのはいい事か」
中途半端に納得し、カルムは作業を再開するために食糧庫から俺たちの作ったクッキー生地を取り出した。
三つ冷やしていたはずなんだが、それに加えてもう三つほど、他の食材と一緒に保管されている。
「あれっ? なんか、生地が分裂して……。ま、まさかカルム……セーアたちが遊んでいたあいだに……!?」
「ん? ああ、追加で作っておいたぞ」
「うわぁごめんっ! やってくれてたなんて……!」
「いや、家事もあらかた済ませて暇を持て余していただけだ。遊びに行くのだって子供の仕事のうちなんだから、そう気にするな」
さらりと優しい言葉を言ってのけたカルムは、なだめるように俺の頭をゆっくりと撫でた。
そんなやり取りを眺めつつ、チェルがおもむろに首を傾げる。
「あのぉ。カルムにーさまって、おいくつなんですの?」
「ん、俺か? 二十六だが」
「二十六……。セーアちゃんはわたくしたちと同じですから、七歳で……。二十六、ひく七で、じゅうきゅう……」
何やら指折り数えていたチェルは、またもや不思議そうに首を捻った。
「年の差が十九歳もあるのに、おふたりはずいぶんと親密ですのね? さっきからセーアちゃん、カルムにーさまのことを『カルム』って呼び捨てにしていますし。にーさまだって、セーアちゃんにお菓子を食べさせたりしてて……」
自覚がなかったのでカルムのほうを窺ってみると、彼は「気づいていなかったのか」とでも言いたげに、深く目を閉じて頷いた。
「こう見えて、人の目がない所ではしょっちゅう呼び捨てになるんだ。こいつのことは実の妹も同然に思っているから、呼び捨てだろうとまったく構わないんだが」
「そっ、そうそう! そうなんだよ!」
カルムの弁明に乗る形で、俺も慌てて彼の腕を取った。妹っぽく見えるよう、控えめに抱き着く。
「『お兄ちゃん』って呼ぶのが何となーくよそよそしいからって、人目がないところでは『カルム』って呼んでるんだよね! だからそうっ、こっちの方が自然というか! 慣れちゃってる、っていうか……。ね、ねぇーっ?! カルム!?」
「あっ、ああ……?」
見上げてみると、困惑なのか拒否反応なのかもよく分からない、非常に複雑な顔をしたカルムがこちらに目線を送っていた。
「実の妹も同然」というぐらいだったら、たとえ全身に鳥肌が立とうともこのぐらいは耐えて欲しい。俺もかなり羞恥心に耐えている。
「それともカルムは、名前で呼ばれるより『お兄ちゃん』のほうが良かった? なぁーんて……」
「そうだな。たまにはそう呼ばれるのもまんざらじゃない」
「えぇーーっ!? やだぁもう、カルムお兄ちゃんてばぁっ!」
「ぐふぅっ!?」
戯れるふりをして、なぜかクソ真面目な顔で答えやがっ……答えたカルムの腹に、軽く一発パンチを入れておいた。
好きで呼んでるんじゃないんだから、冗談でも『お兄ちゃん』なんて言わせないで欲しい。精神にクる。
「そっ、そんなことよりもさ! 生地も休ませたし、そろそろ型抜きして焼こうよ! ねっ!」
誤魔化しのために、袋に入っていたクッキーの型をバラバラと取り出していく。
星にハート、木の葉に花、いろんな動物に王冠……さまざまな形のものがあったが、俺はそのうちの大きなハート型を選んだ。
複雑な形じゃないし、焼けて膨らんだとしてもデザインが潰れるような失敗は無いはずだ。
「セーアはハートにするね。形が綺麗に焼けそうだし」
「わたくしもそうしますわ!」
「わたしもー」
ちょうどデザイン違いで同じ大きさのハートが三つほどあったので、俺たちはそれを使うことにした。
「こんなに種類があるのに一つだけか?」とカルムは首を捻っていたけれども、形を出来るだけ統一したほうが、見栄え的には整って綺麗に見えるだろう。
型抜きを終えて鉄板に並べ、オーブンに入れて焼き上がりを待つ。
そのあいだにエチェットが試しに作っておいてくれたクッキーを食べ、図案を眺めながら、それぞれの担当デザインを決めることにした。
あらかじめ決めておいた方が、失敗しないだろうとの理由だ。
「んーと、セーアはねー……これにしようかな? リボンが巻いてあるデザインのやつ。縦と横に二本ずつ線を引いて、その中をゆるいクリームで塗るだけだから。失敗しにくそう」
「あっ、ずるい。逃げですわね!」
「逃亡者!」
俺の弱気な発言に対し、ふたりが辛辣な評価をする。
もっともだけど、これはリスク回避というものなんだよ。大人の戦略のうちなんだ、うん。
「そう言わないで。お客さんに手渡しする以上は、なるべくなら綺麗に見せたいんだってば。それで、ふたりはどうするの?」
「お花のレースにしますわ! あるだけでも華やかですし、何よりも見た目が可愛らしいですもの。フィノはどうしますの?」
「これにする。全面が塗られてて、真ん中に文字があって、端にレースが付いてるこれ」
図案のひとつを指さすフィノ。緻密な描き込みや可愛らしい絵がメインじゃなく、あくまで文字で気持ちを伝えることに特化したデザインだ。
確かに今回のように店で配るような場合になると、メッセージが書いてあるクッキーというのは、必要不可欠な存在になるだろう。
「そっか、メッセージクッキー! その手があったかぁ!」
「さすがはフィノ、分かってますわね! ただ可愛らしい絵が描いてあるだけのクッキーなら、その辺のお菓子屋さんで買うのと何にも変わりませんもの。気持ちが伝わるようなものじゃないといけませんわよね!」
俺とチェルの言葉に、フィノはむず痒そうに足をモジモジさせる。
「ちょ……ちょっとでも、一人ひとりのお客さんに直接、想いを伝えたいなって思って……。わたし、そういうの上手くできないから……。ふたりみたいに……」
「とんでもありませんわっ!」
チェルはバッとその場で身を翻すと、やや芝居がかった動きで自らの胸に手を当ててみせた。
「わたくしだって最初っから得意だったわけじゃありませんもの。じいやとばあやに付き合って貰って、何度も練習を重ねることで、ようやく喋りが上達するようになったんですのよ。それまでは……とてもじゃないですけど、上手なほうではなかったですわ」
「えっ、チェルが?」
「意外。元から上手そうなのに」
俺とフィノの反応に苦笑を零しつつ、チェルはおよそ彼女らしくないと思えるような、儚げな笑みをふっと浮かべる。
「これでも結構な頑張りがあったんですのよ? わたくし、元々はかなりの引っ込み思案だったんですもの。フィノよりも酷くって、どこに行くにも必ずお兄さまにしがみ付いていて。同年代の子には、よく『ひっつき虫のチェル』なーんて言われて、からかわれていましたもの」
「ひっどい。チェルのことをそんな風に言うなんて!」
フィノは怒りを表すように、頬をぷっくりとさせた。
「今のチェルを見たら、絶対に『ひっつき虫』だなんて酷いこと言えないのに」
「うん。フィノのいう通りだよ」
チェルの表情を晴らしたくて、俺もフィノに続いた。
「人前でも自信を持って喋れるようになっているし、ステージの上ででも、ちゃんと失敗せずに綺麗に踊れていて。チェルの努力はこうして身になっているし、ホントに凄いな、って思うよ。……セーアなんて、二度もダンスを間違えちゃったのにさ! しょっぱなから盛大に噛んじゃったし! あっははは!」
ここで一発笑いを交えようと自らの失敗例を出してみたんだが、つい昨日のことだ、傷はまだ癒えてはいなかったらしい。
ただ抉るだけの悲惨な結果になってしまい、笑っている間にもどんどんと気分が沈んでいく。
「あははははっ! あははっ……。は……。……ホンッとーにごめん! センターのくせに振りを間違えたりして。もっと練習して、次は失敗しないよう全力で努めますのでっ!」
「あら。わたくしだって失敗していましたのよ?」
「「えっ?」」
思わぬカミングアウトに、俺だけでなくフィノまでもが声をあげた。
だってダンスの時も、それ以降もずっと息を合わせるためにチェルの様子を窺っていたけれど、失敗していた場面なんてまるで記憶にない。あるのはいつも通りに笑顔でこなしていた、ごく自然体なチェルの姿だけだった。
だから「失敗していた」などと本人の口からこうして言われてみても、にわかには信じがたい。
俺たちが落ち込まないようにと、わざと話を合わせようとしてくれているんじゃないか――なんて、思ってしまう。
「ふふっ。気づいていなかったですの?」
悪戯っ子のようにチェルは目を細めて笑い、「だったら、誤魔化しは成功ですわね?」と、満足そうに言った。
「モデルのお姉さまたちが事前に忠告してくれていた、ランウェイの段差。あれにつまづいて、危うく転んでしまうところでしたのよ。観衆の目の前で、大恥をかいてしまうところでしたわ」
「でっ……でも、そんなの全然……?」
フィノと目を合わせる。彼女もまるで気づいていなかったようで、「ぜんっぜん、わからなかった」と、しきりに首を振っていた。
「だって、すごく楽しそうにくるくるーって踊ってたから。チェル、緊張してないのかな? すごいなって、思ってた」
「まさか」
ふたたび苦笑し、チェルはクッキーの傍に置いてあった、湯気を立てているカップを握り込む。
「セーアちゃんに励まして貰ったあともずっとガッチガチで、おかげでステップを踏んでいる最中、段差に足を取られてこけてしまって。『あぶない!』って思った瞬間に、急いで体を捻って体勢を立て直したんですの。それがフィノの言った、『くるくる』の部分ですわね。あれ、ただ単に誤魔化しで入れただけの振りなんですのよ? 綺麗なターンに見えていたなら、幸いでしたけど」
そう言い、ちょっぴり恥ずかしそうに肩をすくめてミルクティーをちびちびと飲むチェル。控えめな飲み方なのは、少しばかり猫舌だからだ。
仕事でいつも出されるお茶は、「子供が飲むものだから」という理由で適度に冷ましてくれている。
けれどカルムが淹れてくれたこのお茶に関しては、常日頃から俺が「食のことで子ども扱いはするな」と言ってあるので、いつものくせで、熱いままで淹れてしまったんだろう。
時おりふうふうと息を吹きかけ、ほんのりと頬を赤くさせながら、チェルはカップ越しにこちらを見つめる。
「失敗しないように見える人でも、それはただ、その人がうまく誤魔化しているだけだったりするんですのよ。いいですこと? セーアちゃん、フィノ。わたくしもね、いぃーーーーっぱい! 失敗するんですのっ!」
拳を握った力強い宣言に、俺たちはつい声に出して笑ってしまった。
「あはははっ! ……そうだよね。チェルも失敗することぐらい、あるよね?」
「とーぜんっ、ですわ!」
「なんか、安心した」
笑いの合間にミルクティーを啜り、フィノがそっと伏し目がちに零す。
「わたしばっかり、こんなに失敗しちゃうのかと思ってたから。二人は前を向いてどんどん道を進んでいるのに、わたしだけが全然……って。でもそれは、ただの勘違いだったんだね? みんなもっと、見えないところでたくさん失敗してるんだ」
「そうですわよっ!」
椅子を押して立ち上がり、両の拳を握ってまたしても力説するチェル。
「誰しもが、かならず人生の中で失敗を経験する。そこから立ち上がって、どんなに無様でも自力で這い上がれる人こそが、ひと握りの成功をつかみ取るんだ! ……って、じいやが前に教えてくれましたわ!」
「それじゃあ、失敗つながりで言っちゃうけどさ」
この際だから話してしまえと、俺は羞恥心が湧いてくるのを抑え、なるべく明るい声で告げた。
「セーアね。撮影会のとき、お客さんの目の前で勢い余ってタイツ脱いで破っちゃった!」
「「えええええっ!!?」」
「しょ、しょうがなかったんだよ。布が必要なのに、使えそうな物が手近に無かったからさ。まさか、衣装を破くわけにもいかなかったから……タイツだったら既製品だし、ブランドの商品ってわけでもないから、いいかなー? って思って。えいや! って勢いで脱いで、破いた……わけなんだけど」
「わけなんだけどっ?」
なんの期待からか、早く聞かせてくれとばかりに身を乗り出す二人。
フィノのハードルを下げるためにも、あえてセーアのイメージを崩すようなことを話そうと思ったんだけど……なにか面白い話をしてくれるものと、勘違いさせてしまったのかもしれない。
大変申し訳ない。これは単なる、女装野郎の失敗談なんだ。
「あれっ、やたらと脚の風通しがいいな? おかしいなーって思っていたら、下に履いてたペチコートパンツを着替えの時に脱いじゃってたんだよね! ほら、ボリュームもあるパニエも一緒に履いてたでしょ? だからそのー、スカートの中が蒸れそうだし、暑くなりそうだしで良いかなーって……。タイツを破っちゃってからは、素足のままだったし、パニエのなかも下着だけでさ。撮影会の最中、ずぅーーっと……スースーしてた……」
二人は思い出したのか、ぷっと吹き出した。
「そういえば衣装替えの時も、マネージャーから何かグチグチと怒られてましたものね? セーアちゃん」
「別室でも聞こえてたよ。でも、なんでタイツなんて破ったの?」
フィノの素朴な問いかけに、俺は頬を掻きながら笑う。
なんでそんなことをしたのか? なんて。俺があの時の自分に一番訊いてみたいぐらいだ。
「……お客さんが泣いてたんだよ。見せようと準備してくれていた、手作りのぬいぐるみが破けちゃって。ずっと『ごめん、ごめん』って、繰り返し謝っててさ。セーアに会うのも辛かったみたいで……なんとか笑って欲しかったから、手近な物でセーアが修理できないかな? って思ったんだ。でも撮影会の最中だったから、時間もないし、技術もないから応急処置ぐらいしか出来なくて。破ったタイツを、包帯に見立てて巻くぐらいしか……。あっ、いやその! 脱ぎたてを渡しちゃったのは、さすがにその……たいへん、申し訳なく思って……。反省、しておりますので……。なにとぞご容赦をば……。いただきたく……」
チェルとフィノ、それから横でじっと聞いていたカルムの視線と場の沈黙とに耐えかねた俺は、身を縮こませながら粛々と頭を下げた。
とっさに取ってしまった行動とはいえ、さすがにこれは言い訳のしようもない。だってほかほかの脱ぎたてタイツを客に渡してしまったのは事実だし、実際に目の前で脱いだんだから。下手をすればわいせつ罪だ。
「たっ…………タイツ脱いだの、渡しちゃって…………ごめんなさい…………」
しばらくの無言のあと、「ブふぅッ!」という、破裂音のようなカルムの笑いが響いた。
「くくっ、クククク……! ふふふっ、あっははははは! おまえっ、お前というやつは本っ当ーに……! おもっ、おもしろ……! ははははっ、あっはははははは!」
「ふふふっ……!」
カルムの笑いにつられ、チェルも耐えかねたように肩を揺らし始める。
しまいにはフィノまで混じり、笑いのコーラスみたいになってしまった。
「ふふふふっ! セーアちゃん、ヘンな言葉遣いになってるよ。おもしろいっ!」
「ダメですわ、笑いが引っ込まなくなっちゃ……! ふふふっ、ふふ……!」
「脱ぎたてを渡したからって、そんなに……! 変態行為を咎められたみたいに……! シュンとして、うつむいて……! ふふふっ、はははははははっ! ダメだ、笑いが収まらない……! もっ、もうダメだ……!」
「笑うなコラあああああああぁぁぁッ!!!!」
一喝しながらドンッと地面を踏みしめてみたのだが、それすらも面白かったようで、収まるどころかさらに笑いが吹き出す結果になってしまった。
フィノが珍しくひーひー言いながら指をさしている。
「うさぎっ……! うさぎの足ドンみたい……!」
「ちょ、ちょっと笑いすぎですわよフィノ。セーアちゃんが怒って……ふふっ、でも可愛い……!」
「うさぎか……なるほどな」
そう呟いた直後、カルムは「ぷふッ!」とまた盛大に吹き出した。おいこらカルム、いくら何でも笑いすぎだろ。普段はお前、物静かで腹を抱えて大笑いするようなタイプじゃないじゃん。なんで俺の前だとそんなに大爆笑するの? ねえ何で?
「確かに気性が荒くて、ワガママなところは……くくっ、……よく似て……。思春期のうさぎは攻撃性が高くなって、噛んだりだとか、暴れたり、しやすくなるそうだぞ……? 不満な時にブーブー鳴くのも、お前によく似て……。ブふっ、ふふふふっ、ダメだ笑いが……!」
「もおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!! わあぁぁ、らあぁぁ、ううぅぅ、なああああぁああぁぁぁッてばあああぁぁぁぁぁ!! カルムだってさっきから、プップ、プップ鳴いてるじゃん!! セーアと変わらないじゃんよぉッ!! ……あれ? じゃんよって何だ……。言ってるじゃないのよ……? あれ……?」
昂ぶるあまりにセーアの口調が分からなくなってしまった。
もうどうにでもなれだ、こんちくしょう!
「いや、すまんすまん。お前を怒らせようとしてるわけじゃ……。くくっ、クククク……!」
「――ゴホンッ!! ……まっ、まあセーアちゃんもわたくしも、誰だって当たり前に失敗をするものなんですのよ。だからフィノだけのことじゃないし、仮に失敗したとしても、うまく軌道修正が出来れば充分なんですのっ!」
チェルがうまいこと(?)話を戻してくれた。
しかしカルムはいまだに笑いを堪えている。まったくコイツは、チェルたちが帰ってからも思い出し笑いをしていそうだ。そしたらあとでもう一発入れてやろう。暴力じゃないぞ、あくまで突っ込みなんだからな。
「カルムお兄ちゃんコラあぁ!! いい加減にしろぉっ!!」
「本っ当にすまん。わざとじゃない」
その時ちょうどオーブンのタイマーが鳴り、クッキーが焼け、いよいよアイシングクリームで描く段階に入った。細かな作業をする緊張感から、自然と息をするのも忘れていく。
紙とは違って、クッキーをキャンバスにするので露骨な間違いは出来ない。
ただ固いクリームの部分であれば、楊枝で削ぎ取るなどして多少の修正は効くそうだ。が……主線以外の部分、塗りの段階に入ってしまうともう、下手をすれば直しが効かない。
「…………あッ!」
手元に集中していたチェルが短い悲鳴をあげた。
「か、カルムにーさまぁ! にゅるって! にゅるってなって……!」
「どれ。とりあえず直すぞ」
「おねがい、しますわぁぁ……」
花のレースを描いていたところを、コルネ(小さい絞り袋)からクリームが思わぬ挙動でにゅるっと出てきてしまい、はみ出してしまったみたいだ。
即座にカルムが助けに入っていたが、彼もまたキルティングクッキー――斜めに格子を描き、ダイヤモンド型の部分を塗ってぷっくりさせ、線が重なる位置に点を描いたおしゃれなデザインのクッキーだ――に取り掛かっているので、なんだかバタバタとしている。
「カルムおにーちゃん!」
「どうした!?」
今度はフィノが泣きそうな顔で固まっていた。
「文字の綴りを、途中で忘れちゃって……。もうクリームで書き始めちゃってて……。『来てくれてありがとう』って、どう書くんだっけ……?」
「教えるからとりあえず落ち着け。手元がプルプル震えているぞ」
「うぅ、はやくたすけて……」
とまあ、やたらと救助を求める声が聞こえてくる。
俺もさっきカルムが作っていたアイシングクリームのパーツを貰い、仕上げとしてクッキーに貼り付けているところなので、ある意味では彼に助けを借りている状態といえた。
「――よしっ、完成!」
夕方過ぎにはなんとかノルマを達成し、結果的には七十枚近くのクッキーを作ることが出来た。あと一回分ぐらいなので、残りの枚数は俺とカルムで作ることにしよう。
余りの生地は焼き縮みがしやすいそうなので、チェルとフィノが持ち帰るためのお土産用のクッキーになった。
几帳面なカルムが丁寧に包んでくれたので、お店で売っているのと遜色ない見た目だ。今の彼だったら、冒険者以外のどんな職業だってこなせてしまいそうな気がする。
「忘れ物はないか?」
「ええ、大丈夫ですわ!」
「だいじょーぶー」
身支度を整え、帰りの準備を進めている二人。
その作業を見守っていた時、ふいに彼女たちのカバンに目が留まった。大きなリボンが特徴の、ピュティシュ・アルマの売れ筋である子供用の手提げカバン。
その持ち手のつけ根部分に、イベントで大活躍した、イオニアさんが贈ってくれた例のバッジとリボンが飾られている。
「あっ、これ……!」
「うふふっ。仕舞っちゃうのも勿体ないですから、こうして持ち歩けるようにしてみたんですの。可愛いでしょう?」
「作るのも簡単なんだよ。カバンの持ち手にリボンを結んでね、真ん中にバッジを付けるの。バッジはフェルト製で加工ができるから、フリルを付けてロゼット風にしてみたんだ」
ちゃんとそれぞれのイメージカラーでまとめ、カバンにも合うようなデザインになっている。
しかし、『ロゼット』とは何だろう。まったく聞き覚えがない。女性の名前か何かだろうか?
そう疑問に思っていると、表情から察したのだろう、チェルが補足してくれた。
「ロゼットというのはですね、ブローチ型の勲章のことですわ。バッジの周りに、リボンのヒダヒダが付いているんですの」
「パルちゃんがやってたとかで、流行っているんだって。神界でも……オシ……、オシカツ? とか何とかで、流行したことがあったって」
「わたくしたちを助けてくれた、大事な大事なお守りですもの。可愛く持ち歩いてあげて、大切にして差し上げたいじゃありませんの。ねっ?」
ロゼットをひと撫でしたチェルは、俺たちに向けてニコッと微笑んだ。それから思い出したように、カバンから一枚の便せんを取り出す。
「セーアちゃんにも作り方を教えてあげようと思って、書いておきましたのよ。はいっ、どーぞ!」
「うん。ありがとう」
「バッジとリボン、捨てちゃってない?」
「え? 取ってあるけど……なんで?」
受け取る間際、フィノが不安そうな表情で訊いてきた。
どうしてそんな事を訊くんだろうと思っていると、彼女は少し躊躇ったあと、ポツポツと答えだす。
「子供にとっての『たからもの』はね。大人の目には、『捨てるもの』に映ることもあるんだって。ゴミ……って、ことなのかな。絵本に書いてあったからね、わたし、大切な物はなるべく宝箱に入れるようにしてるの」
「大人の、目には……」
――不要品。ゴミ。廃棄するもの。大人の目には、そう映ることもあるのかもしれない。
子供のそれは、市場価値なんかではとうてい計れないからだ。その場で描いた即興のらくがきや、折れ曲がった雑誌の付録。お祭りの出店で買った、安っぽいプラスチックの指輪。
浜辺で拾っただけのシーグラスでも、そこに思い出が伴えば、誰かにとっての『たからもの』になる。
価値の付けられない唯一無二の宝になって、やがて思い出とともに、大切に仕舞われるんだ。土に埋められることのない、タイムカプセルみたいに。
でも同時に、他の誰かには『くだらないもの』にも映ってしまう。
――午後の空に飛ばし合った、みんなで笑いながら作った紙ヒコーキさえも。
「……大人はね、分かっているんだよ。〝物にはいつか、捨てるべき時が来るんだ〟ってことを。その『いつか』は人によっても全然違って、執着のない人なんかは、ビックリするぐらいにあっさりと手放すこともあるけど。……本当に、本当に大切なものは……大人だって、捨てないよ。……捨てられないんだよ。だってそこに、思い出があるから」
傍らで聞いていたカルムがシャツの胸元を握った。チャリッと、擦れた音がする。
俺も母さんの写真の前に置いた紙ヒコーキを見つめながら、あの日に感じた最後の抱擁を思い出す。
「……思い出もいつかは褪せて消えていく。だから物に想いを宿して、出来るだけ長く、可能な限りに憶えていようとするんだ。子供は『今日』を、大人は『誰か』を。……忘れたくなくって、自分にとってのたからものを、ずっと、ずっと大切にできるよう、宝箱に仕舞うんだよ」
「宝箱……?」
ふたりは視線を合わせてから、よく分からないと言いたげに続けた。
「でも……パパもママも、わたしのみたいな宝箱は持っていなかったよ? 宝石やアクセサリーが入ってるのはあったけど……」
「大人にとっての『たからもの』や宝箱って、そういうのじゃありませんの? お金に替えられるものばっかり入っているというか……」
その言葉を聞いた俺とカルムは横目で見合い、ちょっぴりキザに笑った。
「大人にとっての、本当の意味で価値が付けられない宝箱というのはな。ここだ」
示された箇所を見ても、チェルたちはいまいちピンとはきていない様子だった。
でも彼女たちにもいつか、知る時はやって来るんだろう。特にチェルにとっては、それほど遠くない頃に。
その宝箱にも期限があって、中に仕舞っていたものを箱ごと、土へと還す日がやってくるのだと。
「……イベントさ。色々あったけど……やって、良かったよね。……そう思って、いいんだよね?」
俺の問いかけに対し、チェルとフィノはあどけなく笑った。
「まだ早いよ」
「その答えは、お客さんにクッキーを渡す時ですわねっ!」




