第三十八話 学園長室にて
長期休暇前に行われる緑陽祭まで、後一週間と迫ってきました。
ミーアは、消えてしまった友人の穴を埋めるように学園長室へ入り浸り、その甲斐あってか、最近少し持ち直してきたようで、今は塞ぎ込んでいた以前とは見違えるほどに溌剌とした顔でお喋りに花を咲かせています。
「それにしても、ヒューバート先生のお爺さまが回復なされて良かったです。一時は本当に危なかったですものね」
「ああ、そうだねぇ。彼が元気になってくれて本当に良かった」
まるで自分の事のように嬉しそうに話すミーアに、アランも同意を示しました。
ヒューバートの祖父、アレンドラが意識を取り戻したとの一報が、学園長のアランの元へ入り、各々がホッと胸を撫で下ろしています。
アランは最後の同級生の命が危機に脅かされていた事に人ごとではないものを感じており、レジーはというと、祖父に付きっきりでいるヒューバートの身を案じていました。
居場所のない針の筵のような家の中で、唯一、ヒューバートの味方であったアレンドラが亡くなってしまったら、きっとヒューバートが心を病んでしまうのではないか。そう心配していたのです。
今はアレンドラの容態が落ち着き意識もはっきりとしているとの事なので、来週の緑陽祭に状況報告も兼ねて、一度、ヒューバートが学園に顔を見せにくる事になりました。
「ヒューバート君、お変わりはないでしょうか……? ここ1ヶ月程会っていないのもありますから、彼の様子も心配ですね。ずっとお爺様の側に寄り添っていたのでしょうから……」
「レジーさん……そうですよね、ヒューバート先生の力になれればいいのですが……あっ! なにかプレゼントをお渡しするとかどうです?」
「それはいいですね。ミーアさんならなにが良いと思いますか? 私ではあまりいいアイデアが思いつかなくて」
「えっ!? うーん、そうですねぇ……」
レジーに聞かれたミーアは腕を組み、ウンウン唸りながら考えます。
食べ物は……ヒューバートの方がいいモノを食べてそうですし、衣服もおそらく同じ筈。それならば……小物類ならどうでしょう。
男性が気軽に身につけられるモノならば、タイやハンカチーフ等がいいかも知れない。
なら、時期的にも緑陽祭が近いからスーツに彩りを添えるものがいいかも。次々にアイデアが浮かぶ中、最後にミーアが思いついたのは、ヒューバートの瞳と同じ色をした水色のタイでした。
「えーと……タイ、とかどうでしょうか……? ヒューバート先生の瞳と同じ色のものならきっと喜んでくれるんじゃないかなって、思うんです!」
ミーアの答えを聞いて、アランは深く頷きながら賛同します。
「それはいい。実用的なものなら彼も気軽に使えるだろうし、何本あっても困らないだろうから。そうだ、ミーアさんが選んでくれれば、きっと彼も喜んで身につけてくれるでしょう。どれ、費用は僕がだそうじゃないか」
「えっ! いいんですかっ!? あ、ありがとうございます……! それでしたら、これから皆さんで買いに行きませんか?」
「ああ……悪いねぇ。実はこの後、テトラのお偉方に手紙を書かなくてはいけないんだ。ヴィオル君が急に留学をやめてしまった理由を先方に説明しないといけないんだよ。彼の独断でいなくなってしまったとはいえ、一応はこちらでお預かりしていた大切な生徒だったからね」
「あ……そうなんですね……」
「しかし、突然居なくなってしまって僕にもなにがなにやら。彼は現在も国に帰っていないようでね。あちらも気を揉んでいるのか、見つけ次第身柄を引き渡して欲しいだなんて、物騒な事まで言いだす始末だしね」
「え……」
「……彼、なにか良くない事をしていたのではないですか? いくら上級貴族の子息とはいえ、一介の生徒がここまで言われますでしょうか?」
直接ヘリオと話した事のないレジーは、今も懐疑的に思っているらしく途端に口調が厳しくなります。レジーにとっては、ミーアを孤立させるような動きをしていた彼を許す事がどうしても出来ないのです。
「レジーさん……でもヘリオ君が何者であれ、きっと何処かで元気にやっていると思います。彼、ああ見えて結構強かなところがありますし。そのうちひょっこり顔をだすんじゃないでしょうか?」
テトラの工作員を止めるのが使命だと言っていたヘリオの事です。もし命を狙われるような事が起こっても、猫のようにしなやかで抜け目ないところがある彼ならば上手く切り抜けられる。きっと、今もどこかで元気にやっているに違いない。ミーアはそう思います。
「とまあ、そんな事情があるから、君たち二人で買いに行ってもらってもいいかな? タイなら繁華街におすすめの店があるんだ。そちらに行ってみてご覧?」
「あ……はいっ! 是非行ってみますね!」
「でしたら一度図書室を施錠して参ります。ミーアさんはここで少し待っていて頂けますか? すぐに戻ってきますので」
「ええ! もちろんですとも!」
アランの提案に概ね了承し、長椅子から立ち上がったレジーは学園長室から出ていきます。その後ろ姿を眺めていると、向かい側に座るアランから声を掛けられました。
「ところでミーアさん。君はヒューバート君とレジー君、どちらと緑陽祭へ行くのかな?」
「うえっ!? な、ななに言ってるんですかアランさんっ! いくらなんでも私なんかが……」
「おや、そう自分を卑下するものではないよ。君はとても魅力的だ。あの二人も君のことを良く思っている筈だと僕は思うけれどね。君のお陰かな? 表情にどこか陰りのあった彼等が明るくなったのは。それこそ、昔と比べたら見違える程に、ね」
「……そう、でしょうか。私なんかで力になれたのなら嬉しいです」
ぼっと頬を赤めてからパタパタと手で仰ぐミーアの様子を眺めて、アランは面白そうに口元に笑みを湛えます。
「ちょうど二人とも独身だし、歳は……まあ、ひと回り程違うけれど。でもね、ミーアさんがどちらと深い関係になったとしても、僕は応援しているからね」
「も、もう! アランさんってば! 変なことばかり言って!」
「いや。案外わからないものだよ。時に人生は自分が描いていたものとは思いもよらない結末を迎えたりするものだからね」
「……なんだか、アランさんが言うと説得力がありますね……」
「でしょう? さあ、少し多めにお駄賃を入れておくから、なにか美味しいものでも食べておいで?」
「わあ! いいんですか? ……では、お言葉に甘えて」
ずっしりと重たい革袋をアランから受け取ると、扉をノックする音がします。ちょうどレジーが帰って来たようです。ミーアは「では、行ってきます!」と元気よく挨拶をしながら扉を開き、レジーと共に繁華街へと向かいました。




