第三十七話 さよならの夜
夜の帳が下りる頃。辺りは生茂る木々に覆われており、フクロウの鳴く声が静かな闇の中に響き渡ります。
場所は高級住宅街。そこにはくすんだ金髪を二つのおさげにした少女の姿が見えました。
なるべく周囲に気取られないよう、こっそりと。その少女———ミーア・バンプキンは、目立たないように全身真っ黒な服を着ていました。日焼けが治まったミルク色の肌とくすんだ金色の髪だけが、闇夜の中に浮かび上がっています。首元で揺れるアンティークの鍵をお守り代わりにギュッと握り締めながら、彼女は暗い夜道を早足で歩いて行きます。
日中、アランから聞いた物置小屋が荒らされていた話。それが妙に引っかかり寝付く事ができなかったミーアは、寝台の上でゴロンと動き回りながら迷いに迷って———マーリオの隠れ家に行ってみよう、と決意したのでした。
今更行ってもなにもないかもしれない。ミーアの心中はそればかりがぐるぐると回り続けて燻っています。 ……怖かったのです。マーリオの身体がどうなったのかを確かめるのが。
マーリオの魂は消滅してしまった。ならば、その肉体も、同じく……
悪い想像を思い浮かべてしまい、ミーアは慌てて首を強く振ります。
アランの話の中では、建物の惨状だけしか語られてませんでした。もしまだマーリオの身体があるのならば話に出て来なければおかしいのです。なければないで、この目で確認できればミーアは本当の意味で納得できます。それはつまり、マーリオの身体が彼の従兄弟である前国王の指示により、丁重に葬られたのだと考える事ができましたから。
入り組んだ林を早歩きで抜けて行き、開けた場所へ出た瞬間、ミーアは目の前の惨状に絶句しました。
「……ひどい、どうして、こんな……」
屋敷の周りはぐるりとロープが張り巡らされており、所々に立ち入り禁止の立て札が建てられています。玄関は扉の部分が大きくひしゃげて無理にこじ開けられた形跡があり、マーリオ邸を美しく飾っていた白薔薇すらも、窓の破片ごと踏み潰されて無残に散らされていました。
あんなにも綺麗だったマーリオの隠れ家は、今では見る影もありません。ミーアは怒りと悲しみが混ざり合う感情に支配されそうな心を必死で押さえ込みます。唇をギュッと引き結びながら、ロープを潜っていき、一歩、また一歩と屋敷の中へ向かって歩いて行きます。
抉れた地面を避けるように慎重に進んでいき、玄関の前まで辿りつくと、扉の取手に触れて試しに引いてみます。すると、軽い手応えで扉はあっさりと開きました。今は警備隊が引き上げた後らしく、中はガランと静まり返っています。
物が散乱し、ガラス辺が飛び散る廊下をミーアは足音を立てないようにゆっくりと、けれど、迷わずマーリオの眠る二階へ向かって歩いて行きます。階段を上りきり、突き当たりの一番奥の部屋まで進み、扉の取手に手を掛けて———静かに目を瞑ります。
ここにはもう、マーリオがいないかもしれない。けれど……ミーアは細く息を吐き出して目蓋を開きました。
取っ手を握り締め、扉を開くと、さあ、と初夏の夜特有の湿り気を帯びた風がミーアの頬を撫でて行きます。窓が開いている様で、レースのカーテンが風になびいて揺れていました。差し込む月明かりを頼りにカーテンに隠れている寝台へミーアは近寄ります。見下ろす程の距離まで来て———べットの上には誰もいないのを確認しました。
「……やっぱり、いない、です、よね……マリー様……」
——————ギイ
背後から閉めた筈の扉が開く音がして、ミーアはハッ! と振り返りました。
「だ、誰! ……です、か……?」
「おや……その声は……ミーアさん?」
「え……?」
暗闇に目を凝らして声の主を見極めようとする間、コツコツと靴音を響かせながら、よく見知った人物がミーアへ向かって歩いて来ます。烏の濡れ羽色にも似た真っ黒な髪に、紫色の艶めかしい瞳の彼は、右耳のピアスを揺らしながら意外そうに片眉をあげています。
「どうしてここへ来たのですか? しかも、ミーアさんお一人で。 ……そうだ、貴女はご存知でしょうか? 昨夜、この場所に賊が侵入したのだそうですよ? 僕も好奇心からここへ侵入してみましたが、ご覧の通り荒らされているばかりでめぼしいものはなさそうです。 ……さあ、ここは危険ですから僕と一緒に戻りましょうか」
「…………ヘリオ君こそ、どうしてここにいるんですか……? だって、ここって、マーリオ様の……」
「ええ。そのマーリオ氏の隠れ家だそうですね? 実は僕、ここを荒らした人物を知っているのです。大事な友人である貴女になら教えてさしあげても宜しいのですが……」
「ほ、本当ですか……? でも……」
好奇心だけで、わざわざ荒らされている建物へ入るでしょうか。それに、この場所がマーリオの隠れ家であるのは限られた人物しか知らないはず。どうして彼は知っているのでしょう。それこそ、ミーアのようになにか目的でもあれば別ですが……
彼の申し出に躊躇い、疑心を抱いてしまったミーアを、ヘリオは見逃しませんでした。
「……いえ。やはり辞めておきましょうか。今ミーアさんは僕を疑ってらっしゃいますね? 僕がこの場所を荒らした犯人ではないか、と。 ……当然かも知れません。学園を休んだくせにここへいるのですから」
「そ、そんな事……」
違う、とは言い切れませんでした。けれど、生活態度はどうであれ、自分に親切にしてくれたヘリオを疑いたくないという気持ちもあり、ミーアは口籠ってしまいます。
「では、貴女に秘密を一つ、お教え致しましょう。この地で仲良くして下さった貴女へのお礼、とでもいうのでしょうか。 ……この美しかった隠れ家に手を掛けたのは、恥ずかしながら我が国の工作員達です。マーリオ氏が生きている、という話を掴んだ彼らは、氏の殺害を目論んでいました。僕は彼らを止める為にこの地へ来たのですが、どうやら氏の身体を見つける事が出来なかったようですね。このような事態を招いてしまい、申し訳ありません」
まるで舞台俳優のように、ヘリオは恭しく頭を下げます。窓辺から差し込む月明かりがスポットライトのように彼を照らし、ミーアは一瞬、本当に舞台の演目を見ているような錯覚に陥ります。
「で、でも! それならヘリオ君は悪くないじゃないですかっ! その、テトラの工作員の方々はどこへ行ってしまったんですか? それに、どうしてヘリオ君はここに……?」
「……次に彼等が何処を狙うかを調べていたのです。なにか手掛かりが残されていないかと。彼等はマーリオ氏の生家であるビスコンティーヌ邸にも侵入しているのですが。こちらの事件も含めて情報規制がなされていた筈ですが、どこから漏れたのでしょう?」
「あ、それなら、アランさん……学園長の息子さんが警備隊の方でして、それで教えて頂いて……」
「そうでしたか。でしたら貴女が知っているのにも納得です。 ……失礼。僕の側にいるミーアさんに危害が加わらないようにと、貴女を疑わしい人間達から遠ざけていたのですが、却ってよろしくない結果を迎えてしまったようです。実は、あちら側にも僕が来ている事がバレてしまいまして。貴女とお会いしていたら、今度は貴女が狙われてしまうかも知れません。 ……ですから、今日でお別れです」
「ヘリオ君……?」
「短い期間でしたが、貴女と友人でいられてとても楽しかった。なんせ、落ち着きのない貴女の隣にいるだけで退屈する暇はありませんでしたから」
口元に艶めかしい笑みを浮かべたまま、ヘリオは身体の向きを変え、扉の方へ一歩足を踏み出し掛け———なにかを思い出したように「ああ」と呟きながら、ミーアの方を振り返ります。
「そうだ。ドレスは後日貴女の家に届くよう手配してありますから、どなたか親しい男性と緑陽祭へご参加下さい。それでは……さようなら。ミーアさん」
「ま、待って下さい! ヘリオ君!」
扉に手を掛け、部屋を出て行くヘリオをミーアは慌てて追いかけます。ですが、薄暗い廊下へ飛び出した先に、彼の姿を捉える事が出来ません。
「ヘリオ君……」
彼の名を呼びながら屋敷を探してみるものの、見つける事は出来ません。全ての部屋を訪れてみるうちに、やがて彼がここからいなくなってしまったのだと分かると、ミーアは項垂れながらマーリオの隠れ家から立ち去り、自宅へ続く道を戻って行きました。
翌日、ヘリオトロープ・ヴィオルから、留学手続きを解除する書類を受け取ったとの話をアランから聞き、ミーアは自宅に届いたライラック色のドレスを抱え、彼の面影に思いを馳せるのでした。




