38話
「ご来店ありがとうございました」
アイリスの魔法講座の後、雑談をしながら料理を食べた二人は老紳士の挨拶を受けて、ダガコトワルを出ていた。
「…………」
「どうしたの?」
ミツキがあっさりと魔法を扱ってしまったことに対して少しの間すねていたアイリスだったが、今はそのことについて気にした様子はなく、むしろミツキじっと無言でダガコトワルの店を見ていることに首を傾げていた。
「いや、またあの執事さんの気配を感じなかったなと思ってね」
「ああ、そういうことね」
アイリスは納得の表情を浮かべる。
「あの人は私も素性を知らないのよね。知っているのは各国の国王に大金を積まれても、高い役職を与えても、どこにも所属しなかったということくらいで」
「そ、そうなんだ……」
一体何者なのか。
そんな疑問が尽きない老紳士の話だったが、なんとなく触れてはいけないような気がしてミツキは頷くに留めた。なんとなく〝深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている〟という言葉が脳内に出てきた。
やはり触れない方がいいだろう。
なんとなくまた〝触らぬホニャララになんとやら〟という言葉が出てきたミツキは別の話題を振ろうとして、
『お兄ちゃん、盗賊団のアジトを見つけたのです!』
「っ!」
斥候をお願いしていたイザヨイからの連絡がやって来た。
『わかった。ありがとう今どこにいる感じかな?』
『今は盗賊団のアジトを見張っているのです!』
『そうか……一旦戻ってきてくれるかな? イザヨイがいればそこまで問題はないけど、万が一があるかもしれないから、そこにいるのは危険だ。場所は覚えてられるよね?』
『もちのろんなのです!』
ミツキは優秀な使い魔たちに感謝しながら、脳内会話の接続を切る。
「あ、そういえば使い魔ってそのまま街の中に入ったら危険だよね?」
「そうだけど……急にどうしたの?」
「うん、イザヨイたちにしていたお願いについて、結果が出たみたいなんだ。それで、今は一旦こっちに戻ってくるように指示してる」
「……なるほどね。使い魔については冒険者ギルドで使い魔の証を渡されるようになっているから、とりあえずあなたの使い魔たちに会いに行きましょうか」
「そうなんだ。わかったよ」
アイリスの言葉にミツキが頷いて、二人で森に向かって歩き始めた。
「そういえば、言ってなかったけど言われたものに関しては用意しておいたわよ。あとで渡しておくわね」
「ああ、ありがとう。あとでその──」
「いいわ、今日までのことは魔王討伐のお礼ってことで」
「……わかった」
アイリスの言葉にミツキは頷くが、内心ではちょっと不服だった。
(このままじゃあ本当にヒモになっちゃうな……なんとかお金をたくさん集められるようになって、ちゃんとお礼をしなくちゃ…………あれ?)
心の中で人生の目標の一つとしてアイリスへの恩返しを決意していると、ふと気がつくことがあった。
(そういえば、アイリスさっきお礼って言ってたような……)
「ミツキ? いきなり止まってどうしたの?」
「え? ──あ、ごめん」
なんとなくアイリスの発言が気になったミツキだったが、アイリス本人によって思考を中断される。
「早く行きましょう? 何もせずにあの子たちが来ちゃうと問題よ?」
「……そうだね」
ミツキはアイリスの言葉に頷く。
(……まあ、今はいいか)
これからミツキは初めての大きな依頼を受けることになる。しかもそれは対人間の構図になる可能性が非常に高い依頼だ。
(俺が人殺しが出来るかどうか、か……)
よく異世界召喚系の物語ではこの課題が問題になることがあった。
それだけに、ミツキの中にもどうなるのかという気持ちが芽生えてくる。
(まあ、でも、俺は大丈夫かな)
ミツキは自分のことをそう判断した。
別にミツキは人殺しについて楽観視しているつもりはないし、人の命を奪うことについての重さというものに気がついていないわけではない。
それでも、自分は可能だと断じているのだ。
その理由は──
(少しでも躊躇ったら、全てを失うかもしれないから……)
ミツキは未だに、目に焼き付いているあの凄惨な光景を思い出して、自分の決意を再確認する。
あの全てが紅に染まった光景を見てから、ミツキの価値観は大きく変わった。それこそ、日本人とは思えないほどの価値観だ。
それは子供の時に植え付けられただけに、非常に根強くミツキの心に残っている。
(まああとは、俺が逃げないかどうかってところだよね)
ミツキはそんな冗談を内心つぶやきながら、アイリスに追いついて、イザヨイたちがいる森へと向かった。




