第7話 当たりなのに、いらない
「何だ、そのでかい袋」
玄関の向こうで、花巻が紙袋を抱え直した。白い蓋が袋の口からはみ出し、丸い胴が持ち手を引っ張っている。午後7時に来ることは了承したが、連絡では、渡したいものがあるとしか聞いていない。
「母が福引で当てた漬物の容器です。私、同じ物を持ってるので、玖城さんに」
「いらない」
「そう言わずに。せっかく持ってきたんですから」
「俺、漬物なんてつけたこともないし、これからつける予定もない。だからいらない」
「うちの母も、最初はそう言ってたんですけど」
「お前の母親の話じゃなくて、俺の話を聞けよ」
廊下で話している間にも、袋の持ち手が細くなっていく。破れそうなので中へ通した。花巻は食卓まで運び、置く場所を探して俺を見る。俺は募集要項を2冊よけた。いつもなら、それで十分だった。
袋から出てきたのは、本当に漬物の容器だった。透明な胴に緑色の押し板が入り、蓋には大きなつまみがついている。側面の紙には、8リットル、とあった。空なのに、机の真ん中をほとんど占領していた。
「こんなでかいので、どれだけ漬けるんだよ」
「母は、たくさん漬けたほうがおいしくできるって言ってました」
「いや、俺は1人暮らしだぞ。仮に漬けても、これいっぱい作ったら食い切れねえだろ」
「ご近所に配れば――」
「そんな近所付き合いなんぞしてないわ! 漬物配るために始めろってのか?」
花巻は、俺の向かいへ座った。蓋越しに顔が見える。図面を広げている時より、相手が遠かった。俺は容器を横へずらし、椅子を引いた。
「田舎の商店街で、毎年お祭りの時に福引をするんです。同じ景品が毎年あるので、これ、去年も母が送ってきたんですよ。昨日届いた荷物にも入ってて」
毎年これを景品にしているのか。1度ならともかく、翌年もまた8リットルの漬物容器でいこうと決めた奴がいるわけだ。こいつの田舎には、こいつみたいなのがほかにもいるんだろうな。
「じゃあ、お前が使えよ。2つで」
「今あるのも使い切れてないんです。1人暮らしなので」
「俺も1人暮らしだろ。お前が持て余してる物を、なんで俺なら使えると思ったんだよ」
「母が、男の人はよく食べるって言ってたので……」
「俺はそんなに食わねえよ。それに、食べる前に俺が漬けなきゃいけないだろ」
花巻は容器の蓋を押さえたまま、袋に戻そうとはしなかった。俺は側面の紙を指した。白菜ときゅうりの絵がある。どちらも、俺が一度に買う量とは違った。
「これ、当たりなんですよ。参加賞の袋ではなくて、ちゃんと鐘も鳴ったそうです」
「お前が引いたわけでもないだろ」
「母が当てたら、私も嬉しいじゃないですか」
言い返す声が、さっきより強くなった。そこへ文句をつけるつもりはなかったので、俺は容器から手を離した。花巻は蓋の上を指で撫で、側面の紙をこちらへ向け直す。
「3等です」
「3等なのは分かった。俺に8リットル要らないのも、分かってくれ」
「全部使わなくても、少しだけ漬けられます」
「少しだけ入れるために、これを置くのか」
俺は台所へ目をやった。鍋も皿も、使う分だけを棚へ収めている。花巻もそちらを見た。流しの下まで確かめようと腰を浮かせたので、手で止める。
「収納場所を探すな。入ればもらうって話じゃない」
「……便利なんですけど」
花巻は座り直した。俺が怒った時のようにペンを出すのではなく、容器を自分のほうへ寄せる。だが、袋には戻さない。透明な胴の向こうに、彼女の両手が重なって見えた。
「うちの田舎だと、どこの家でも漬けるんです。母は塩を控えめにして、隣のおうちは唐辛子を入れて。家ごとに味が違うので、おすそ分けをもらうのも楽しみなんです」
「うちのは、父がお弁当に入れて持っていきます。たくさん漬けたら、隣にも持っていって」
「ここにも持ってきてるだろ、お前」
「今日は、漬ける前のものです」
「一番遠いところから来たな」
花巻が笑った。俺も笑ってから、また容器を見た。最初から漬けてあれば、食べる分だけならもらっていたかもしれない。だが、それを言うと次は中身が入って来る。今ここで、8リットル分の約束はしたくなかった。
花巻は鞄から小さな袋を出した。薄切りの乾燥りんごが入っている。それなら、机の端に置けた。
「こっちも母からです。食べますか?」
「それは食う」
「返事、早いですね」
「8リットルの漬物容器と違って、こっちはそのまま食えるからな」
彼女は袋の口を開けた。酸味が残った甘い匂いがする。俺が1枚取ると、花巻も自分の口へ入れた。噛みながら、容器の取扱説明を読む。まだ諦めていないらしい。
「お砂糖を入れてもいいんです」
「8リットルも使わない」
「お米は?」
「漬物の容器が欲しい人を探せ」
花巻は蓋から手を離した。代わりの用途を足しても、欲しいものになるとは限らない。そこまで言いかけたが、口を閉じた。今日は企画の添削をする約束ではない。俺は乾燥りんごをもう1枚取った。
「お前の会社、誰かいないのか」
「聞いたんです。でも、欲しいと言った方は、いなくて」
「俺は最後か」
「最後ではないです。津村さんには、まだ聞いてません」
「俺より先に聞けよ」
「今日は、こちらへ来るお約束があったので」
順番の問題だった。誰かに使ってほしいのだろうが、俺はもう断っている。俺は容器を軽く押した。花巻は両手で受け止めた。
「津村さんがもらわなかったら、どうする」
「父に相談します。お店へ来る方で、使いそうな人がいるかもしれません」
「また送り返すのか」
「そこが、ちょっと困ってます。送料もかかりますし」
遠くから来て、俺の家を経由して、遠くへ戻る3等だった。当てた時には、そんな旅をすると思っていなかっただろう。花巻は袋の持ち手を整え、容器を入れる向きを確かめ始めた。もう引っ込めるつもりらしい。
俺は湯を沸かそうと立った。棚の前でカップを2つ取ると、その奥にある茶色い袋へ、花巻の目が向いた。
「あの、それ、コーヒー豆ですか?」
「もらい物。挽くやつがないから置いてある」
「まだ開けてないんですか?」
「粉じゃないからな。今日飲むのはこっち」
インスタントの瓶を持ち上げたが、花巻は茶色い袋を見たままだった。俺はそれも取って、机へ戻った。透明な窓から、豆が見えている。消費の目安まで、まだ日があった。
「欲しい?」
「はい。うちで挽けます」
「なら、持ってけ」
俺が渡そうとすると、花巻は手を出しかけて止めた。隣の容器を見ている。何を考えたかは、声に出す前に分かった。
「それと交換はしない」
「まだ言ってません」
「時計でも傘でもなく、それしか置いてないだろ」
花巻は悔しそうに、乾燥りんごの袋を持ち上げた。
「こちらもあります」
「そっちならいい」
「じゃあ、こちらと交換で」
彼女は残っているりんごを確かめ、袋の口を閉じた。先ほどまでは2人の真ん中にあったものを、俺のほうへ置く。それから豆の袋を受け取った。容器の後ろへ隠していた鞄を引き寄せ、豆を入れかけて、もう一度こちらを見る。
「本当に、こちらでいいですか。りんご、さっき食べた分もありますけど」
「俺も食った。残りは明日食う」
「豆のほうが、高そうですよ」
「飲めないまま置いてあるほうが、もったいないだろ」
花巻は袋へ目を落とした。指先で窓の部分を押すと、中の豆が動いた。俺は湯が沸いたので台所へ戻り、カップへ粉を入れた。持っているのに使えない物なら、俺にもあった。
自分が欲しい景品を先に選んで、引く権利だけ誰かへ渡せば。
湯を注ぐ手を止めた。まだカップが半分しか満たされていない。残りを注ぎ、もう1つにも湯を入れる。今日は俺がゲームを作る日ではなかった。思いついた続きを、花巻へ言う必要もない。
カップを運ぶと、彼女は豆の袋を鞄へ収めていた。代わりに、漬物の容器をまた机の真ん中へ戻す。
「こっちは?」
「それは、まだお前の」
「分かってます。豆と一緒には入らないので」
俺はコーヒーを飲んだ。花巻もカップを取り、容器の向こうから俺を見る。今度は押しつける気配がない。蓋のつまみを避けて顔を傾け、笑っていた。
「その商店街の福引でも、当たった物をその場で交換するんです。工具屋さんも、お菓子屋さんも景品を出してるので、いろいろ当たるんですよ」
「当てたものを?」
「はい。欲しい方が見つかれば。母も、向こうで聞いてくればよかったんです」
「お前へ送るつもりだったんじゃないか」
「去年のを覚えてなかったみたいです。昨日電話したら、もうあるんだっけ、って」
初めから2つ使わせたい母親ではなかったらしい。花巻は蓋へ手を置き、コーヒーを飲んでから続けた。
「前に父と行った時、私に台所の物とお菓子が当たったんです。台所の物は、母が欲しがっていたので持って帰りました」
「父親は?」
「工具が欲しかったんですけど、当たらなくて。もう同じ工具を持っている方がいたので、私のお菓子と交換してもらいました」
そこで彼女は、机の乾燥りんごを指した。袋はもう俺の側にある。
「私、そのお菓子を食べたかったんですけど」
「お前だけ損してるじゃん」
「父が帰りに買ってくれました」
「結局、金も使ったのか」
「違うお菓子です。父が選んだほうが大きかったので、私はそっちのほうがよかったです」
花巻は両手で、袋の大きさを作った。漬物の容器へ片手が当たり、慌てて押さえる。地元の祭りの賑わいより、家へ持ち帰る荷物のほうが目に浮かんだ。工具と台所の物と、途中で買った大きな菓子。引いた時から、持っている物が全部同じ人の手に残ったわけではない。
「当たった時より、帰る時のほうが嬉しかったです。みんな、欲しい物になってたので」
そう言ってから、花巻は容器を見た。まだ誰も欲しがっていない3等だった。俺へもう一度差し出すことはせず、蓋の紙を剥がしかけてやめる。
「これも、使ってもらえればいいんですけど」
「まず欲しい奴を見つけろ。剥がすと、何なのか説明し直すぞ」
「それは、そうですね」
紙を撫でて戻した。俺はコーヒーを飲み、乾燥りんごの袋を棚へ置くために立ちかけた。花巻が、急に鞄を開けた。
豆を戻すのかと思ったら、手帳が出てきた。カップの脇へ置き、閉じたまま考える。やがてペンを取り、容器の陰でページを開いた。
「どうした」
「ちょっと、待ってください」
俺は座り直した。紙の上をペンが走る音がする。容器が邪魔で、文字は見えない。花巻は途中で一度顔を上げ、乾燥りんごの袋と、自分の鞄を見比べた。また手帳へ戻った。
書いたものを俺へ向けるのかと思い、机の端を空けた。花巻はその空間へ、カップを移しただけだった。俺は手を引いた。
「何を思いついた」
ペンの音が止まった。花巻はこちらを見て、手帳を胸へ寄せた。隠す必要があるほど見えてはいなかったが、その動きで、続きを聞きたくなった。
「言ったら、出られなくなりますよ」
「……そっちか」
「はい」
俺は椅子の背へ寄りかかった。前にそう言ったのは俺だ。中身を知らないゲームなら出たい。相談を受けて作ったゲームには出ない。その2つを、玄関まで見送りながら確かめたばかりだった。
花巻は手帳を開き直した。今度は俺へ見せる向きではなく、自分の腕の内側で書く。俺が黙ったので、また書いていいと判断したらしい。
「福引にするのか」
「それは、今お話ししたので。考えてみようと思います」
「そこからどうするかは、言わない?」
「言いません」
返事が早い。断るところだけを、先に決めたようだった。何もかも固まった顔ではない。手帳へ目を落とすとペンは何度も止まり、小さく首を傾げる。それでも、俺へ聞こうとはしなかった。
俺は容器のつまみを、指で一度押した。回せば押し板が下がるのだろう。中身が何も入っていないので、触っても意味はない。花巻が手帳から顔を上げた。
「使いますか?」
「使わない。考えてるだけ」
「こちらの使い方を?」
「お前の話をだよ」
花巻の口元が緩んだ。俺の言葉を聞いてから、手帳を閉じる。考えたことを話さずに帰れる顔になったのが、余計に気になった。
「まだ、何も出来てません。会社で確かめます」
「津村さんに?」
「装置のことは、お願いしたいです。でも、その前に、何をしていただくかを決めないと」
作れるからといって、先に作るわけではないらしい。俺は頷いた。そこで口を出せば、何をするゲームなのか聞けてしまう。花巻も返事を待たず、手帳を鞄の奥へ入れた。豆の袋を上に置き、紐を締める。
「先週の木曜日に出した案は、どうなった?」
「もう少し考えることになりました。今日思いついた福引は、これからです」
「何を言われた?」
花巻は口を開きかけ、俺を見た。俺も、聞いたあとでしまったと思った。どこが駄目だったかを聞けば、出したものまで分かる。
「……そこは、お話ししてもいいところか、考えてからにします」
「そうしてくれ」
「玖城さんも、聞く前に考えてください」
俺はカップへ手を伸ばした。空だった。何かを飲んでいれば、返事をせずに済んだのだが。花巻はそれを見て笑った。仕事の失敗を隠して笑っているのではない。今日は俺のほうが、自分で決めた条件へ何度も引っかかっている。
「困ったら、会社で聞きます。何を直すかは、私が決めます」
「分かった。俺の好きそうなところを、無理に足すなよ」
「まだ何も聞いてないのに、直すところを決めないでください」
そこまで返されると思わなかった。花巻は顎を上げ、それから容器を袋へ収めようとした。言い返した勢いでは入らない。蓋を斜めにして、底から押し込む。俺は片側を持った。ようやく収まると、2人で手を離した。
「私、福引は好きです。さっきの交換も、楽しかったですし」
「俺は、8リットルを断るほうで忙しかった」
「でも、りんごは残りましたよ」
花巻が、俺の袋を指した。俺もそれを見た。コーヒー豆の置いてあった棚が空いている。明日食うものが1つ増え、飲めないものが1つなくなった。こいつが喜んでいること全部へ、文句をつけるつもりはない。
「豆、挽いたら飲めるんだな」
「はい。楽しみです」
その声を聞いて、袋を渡してよかったとは思った。花巻は鞄を肩へ掛け、紙袋の持ち手へ指を通した。
俺は先に立ち、玄関の扉を開けてやった。袋が大きいので、靴を履く時だけ廊下へ置く。手帳は出てこない。俺の家の机へ、今日の控えが残ることもない。
「できたら教えろ」
花巻が顔を上げた。俺は扉を押さえたまま、言い足す。
「中身じゃなくて、できたってことを」
「はい。ご案内できるようになったら、送ります」
すぐには送れない、と分かる返事だった。俺は頷いた。花巻は靴の踵を直し、鞄を掛け直す。紙袋へ手を伸ばす前に、こちらを見た。
「あの、次まで、これを置いておいても」
紙袋を持ち上げかけた花巻の腕へ目をやった。袋を避けるように、鞄を背中へ回している。空とはいえ、あの大きさだ。ここまで抱えてきた物を、また持って帰らせるのは、さすがに気の毒になった。
「……置いとけ。今日は」
「使ってくださるんですか?」
「置いとくだけだ。欲しい奴が見つかったら、そいつに渡せ」
「じゃあ、漬け方も今度――」
「作るとは言ってないだろ」
花巻は笑って、紙袋を廊下の端へ寄せた。今度は鞄だけを持ち、靴を履き直した。
花巻を見送って戻ると、廊下に8リットルの漬物容器が残っていた。中身を作る予定は、まだない。
────────── ここから付録 ──────────
第7話の記録 景品の行き先
企画メモ:作成なし。花巻の手帳の内容は、玖城が見ていないため記載しない。
8リットルの漬物容器:花巻の母が地元の福引で当て、娘へ送付。花巻は同じ品を既に持っている。玖城は使うための受け取りを断ったが、帰り際、かさばる容器をまた運ばせるのを気の毒に思い、ひとまず自宅へ置いておくことにした。使い道と最終的な行き先は未定。津村への打診はまだ行っていない。
コーヒー豆と乾燥りんご:玖城が所有する未開封の豆と、花巻が持参した乾燥りんごの残りを交換。豆は花巻の鞄へ、りんごは玖城の手元へ移った。
福引の新企画:方向のみ共有。内容・条件・手帳の記述は非公開。完成、採用、開催はいずれも未確定。
担当者の所見:「漬物の容器は置かせていただきました。使っていただけるかは、まだ分かりません」
上司の意見:「次の案は、まず社内で確認します。参加を希望する玖城さんへ内容を伝えないでください。漬物の容器は、企画書に添付しなくて結構です」
花巻家流のおいしい漬物の漬け方
まずは、きゅうり1本から。洗って薄く切り、清潔な袋に入れて塩をひとつまみ振る。袋の上から軽くもみ、冷蔵庫で30分ほど置く。出てきた水気を絞り、味を見て足りなければ塩を足す。保存用にはせず、その日のうちに食べ切る。
母は塩を控えめにする。唐辛子を入れるのは隣のおうちの味。辛いものが好きなら、食べる分に好みで加えてもよい。
花巻のひと言:「8リットルいっぱいに作らなくても、おいしくできます」
玖城流のおいしいコーヒーの淹れ方
インスタントコーヒーを用意する。瓶に書いてある量の粉をカップへ入れ、湯を注いで混ぜる。2人で飲むなら、カップも2つ用意する。
豆しかなく、挽く道具もない場合は、挽ける人に譲る。乾燥りんごと交換してもらえたら、それを食べながら飲む。
玖城のひと言:「先に道具があるか確かめろ。漬物もな」




