第九十五話 時は足早に流れてゆく
疲れ果てるまで戦う日が、一日、また一日。
言葉もなく本を読む時間が、一頁、また一頁。
秋の風は庭に積もった落ち葉を吹き散らし、忙しく行き交う使用人たちの姿だけが、変わり映えのしない日々の中に残された、数少ない景色となっていた。
私は剣を手に、静かに立っていた。
肌を撫でる風には、すでにわずかな冷たさが混じっている。
春にこの地へ移り住んでから、もう半年以上の月日が過ぎていた。
木の葉は青く茂り、やがて紅く染まった。
新しかった剣の刃も、やがて鈍った。
わずかに与えられる休息の時間は、長いことゆっくり話すことのできなかった老執事や使用人たちと、言葉を交わせる数少ない時間でもあった。
老執事は笑い。
使用人は泣いた。
私は、この百日の間に起きたさまざまな出来事を語った。
そして、この百日の間に出会った、さまざまな人々のことを語った。
私は背が伸びた。
老執事は少し痩せた。
けれど、二人の騎士は相変わらず雄々しかった。
決して広くはないこの裏庭は、それでも私の記憶の中で、最も見慣れた場所の一つだった。
身分を飾るための立派な庭木もない。
私が遊ぶための遊具もない。
あるのは、明るい灯りがいくつか。
一台の長机。
そして、数脚の椅子だけ。
暇な時には、ここへ座って茶を飲みながら話をした。
実戦形式の訓練を終えた後には、二人の騎士がここへ腰を下ろし、戦いの中で気づいたことや、私に足りなかったものを、一つずつ教えてくれた。
時は、足早に流れてゆく。
挨拶を運ぶ書簡。
別の街から訪ねてくる同じ一族の者たち。
変わらず人の心を和ませる、領主の微笑み。
少しずつ顔に血色を取り戻した夫人を伴い、二人は庭の外に立って、金色の光をまとった天馬の車列がゆっくりと空から降りてくるのを待っていた。
生まれてちょうど一月を迎えたことが、人々が再び集まり、祝福を贈る理由となった。
私の手から差し出した贈り物には、新しい生命への祝福と祈りを込めた。
願わくば。
太陽の光と、その神聖なる加護が、いつまでもこの子の身を守りますように。
その子が放つ光は、どこまでも純粋で。
どこまでも尊く。
私には、ただ憧れて見つめることしかできないほどに眩しかった。
晩餐の舞曲は、穏やかに、長く流れ続けた。
その旋律は、ついには老執事の足まで軽やかに踊らせた。
ぎこちない足取りを見て、夫人の顔にも、久しく見なかった笑みが浮かんだ。
私は踊らなかった。
けれど、心だけはとうに身体を抜け出していた。
空想の翼へ乗り。
まだ見ぬ未来の旅路を、どこまでも漂っていた。
時は、足早に流れてゆく。
大聖堂の鐘が、都市の隅々まで鳴り響いた。
秋も深まったこの季節。
ちょうど、この星に古くから伝わる祭典の日を迎えていた。
各地の貴族たちは、子を連れ、家族を伴い、この地へ礼拝に訪れた。
大病からようやく立ち直り始めた夫人は、長身で端正な領主の腕に縋るようにして、一歩ずつ歩いていた。
人々の歓声に迎えられながら、二人は神聖なる聖堂の中へ入っていく。
その後ろには、衛兵や執事たちに守られた、生まれたばかりの子供。
その子もまた、この地で司教から洗礼と祝福を受けるために連れてこられていた。
私も華やかな正装に身を包み、カルロ分家のすぐそばへ立つよう命じられた。
男も。
女も。
老人も。
子供も。
皆が、いつの間にか書き換えられていた祈りの詞を唱え、新たに据えられた神像の前へひれ伏した。
ほとんど裸身に近い姿のその神像は、誰にも侵すことのできない神聖な存在なのだと説かれている。
聖堂の中に堂々と掲げられた「光明」の二文字は、けれど私には、あの暗い時を思い出させた。
それでも、これほど多くの人々が見ている前では、私も皆と同じように頭を垂れた。
ただ。
口の中で唱えていたのは、昔の詞だった。
心の中で懐かしんでいたのも、昔の人だった。
人々の中には、いくつか見覚えのある姿もあったような気がする。
ほんの数か月前まで。
同じ教室に座り。
同じ授業を受け。
同じ学徒として言葉を交わしていた者たち。
けれど今は、互いに見なかったふりをすることしかできなかった。
司教が壇上へ上がった。
聖なる祈りの詞を唱え。
生まれたばかりの子供へ洗礼を授け。
苦悩を訴える者のために祈り。
高位の者たちへ、神の御旨を取り次いだ。
そのたびに、人々からは大きな歓声と賛辞が送られた。
やがて祭典は終わった。
鐘の余韻も消え。
あれほど密集していた人々も、少しずつ遠ざかっていった。
神聖さに満ちていた空気までもが、人の流れと一緒に去っていく。
あとに残ったのは、大聖堂の外に広がる、少しばかり散らかった光景だけだった。
私は聖堂の外にある庭園で足を止めた。
その中央にある噴水を眺める。
ぼんやりと水面を見つめているうちに、昔、この場所で道に迷った日のことを思い出した。
あの時は、老執事が私を探しに来てくれた。
やがて背後から、誰かがゆっくりと近づいてくる気配がした。
振り返って、私は驚いた。
先ほど壇上で祈りを捧げていた、あの徳望ある老司教だった。
もちろん、今回の私は迷子ではない。
ただここで、家族と一緒に帰る時を待っていただけだ。
穏やかな笑みを交えながら言葉を交わすうちに、老人はふと静かにため息をついた。
世の中は、あまりにも早く変わってしまう。
自分が守りたいと願っていたものさえ、気づけば、かつてとはまるで違う姿になってしまった。
ここ数日の賑わいを見て。
ようやく若い頃の教会の盛況を、少しだけ思い出すことができたのだという。
老人は、遠くを見ながら呟いた。
太陽は、今も変わらず世を照らしている。
ただ、それを讃える者が変わっただけだ。
讃える者も、本当は変わっていない。
ただ、人の心が変わった。
いや。
人の心すら、変わってはいないのかもしれない。
ただ、時勢がそうさせているだけなのだ。
ため息の余韻が、秋の風へ溶けていく。
老人は最後に、まだ若い私への期待だけを残し。
ゆっくりと歩み去っていった。
帰る時が来た。
レシュオン閣下と同じ馬車へ乗り。
渡り鳥と並んで、空を翔けた。
レシュオン閣下は言った。
雁にも、帰る時がある。
ならばいつか。
「光明」という名の幕を払いのけ、隠されていたものすべてが白日の下に晒される日も、必ず来るのだと。
カルロ家を再興する。
その言葉は、あまりにも大きく。
今の私には、まだ輪郭すらはっきり見えない目標だった。
けれど。
歪められた信仰を、もう一度正すこと。
苦しみの中で死んでいった人々に、無理やり背負わされた罪を洗い落とすこと。
教派に屈するしかなかった人々に、もう一度自由を取り戻すこと。
その方が。
私の胸を、遥かに強く震わせた。
それはまた。
私がレシュオン閣下と交わした、一つの約束でもあった。
時は、足早に流れてゆく。
冬が去り。
春が来た。
炉の火は燃え上がり。
やがて消えた。
靴は小さくなり。
服は窮屈になった。
馬車は揺れながら、ほかの街の市井を巡った。
商人は声を張り上げ。
金貨は澄んだ音を立てた。
子供たちは駆け回り。
笑い声は絶えなかった。
老執事は歩を進め。
色鮮やかな絹布の間を行き来した。
使用人は品を抱え。
衣服や靴が並ぶ棚の間を、何度も往復した。
騎士は左右を離れず。
馬車の列は、後ろへ長く連なった。
滅多にない外出のはずなのに。
まるで大遠征でも始めるかのような大所帯になった。
周りの者たちも疲れ。
私も疲れた。
そんな中。
見ず知らずの子供が、小さな飾り物を一つ、私へ差し出してきた。
受け取った私は、まだ礼を言うことさえできていなかった。
けれどその子は、それだけで嬉しそうに歓声を上げ、そのまま走り去ってしまった。
「貴族とは、人々から敬われる存在であるべきものです」
老執事は、いつも通りの平静な口調でそう評した。
けれど、その一言は。
私に、また一つ考えるきっかけを与えた。
貴族と平民は。
いったい何が違うのだろう。
こんな、ほかの者とはまるで違う黒髪をしていても。
貴族らしい衣装をまとい。
騎士を左右に従え。
後ろへ馬車の列を連ねて歩けば。
それだけで、人は敬意を抱くものなのだろうか。
それとも――
私の貴族らしい振る舞いが思った以上に上手で、あの子供まで見事に納得させてしまったのだろうか。
帰りの馬車へ乗り。
私は窓の向こうの空を眺めながら、そんなことを考え続けていた。
時は、足早に流れてゆく。
幼い日々は。
少しずつ、遠ざかっていった。
誕生日を祝う宴も終わった。
九歳になった私は、幼年期最後の誕生日を見送った。
そしてこの年は、私が旅へ出るつもりでいた年でもあった。
この半年の間。
私は毎日のように、防御のための光の障壁を鍛え続けてきた。
それでも今のところ、スレーやハンクの光斬を一撃だけ、どうにか耐えられる程度にすぎない。
これでは、とても中級学徒相当の実力を身につけたとは言えなかった。
一方で、攻撃魔法については、かなり自在に扱えるようになったと思う。
中でも強光束は、以前戦ったグリエンと比べても、今ならそれほど劣っていないのではないかと、自分では思っていた。
けれど残念ながら。
父上が私の成長を判断する時に見るのは、防御能力ばかりだった。
そして。
いつか父上が、私の防御なら十分だと認めてくれたとして。
本当に外へ冒険に出ることを許してくれるのかどうか。
それは、今でもわからなかった。
ただ。
母上のように、さまざまな惑星を旅したい。
各地で起きる魔獣の騒乱を鎮め。
ほかの街に暮らす人々が、少しでも安心して生活できるようにしたい。
そんな私の考えを聞いた時。
スレーとハンクは、それぞれ少し違う反応を見せた。
平民の出身であるスレーは。
母上のように冒険へ出て、平民たちがもっと穏やかで、少しでも良い暮らしを送れるよう力を尽くしたいという私の考えを、とても喜んでくれた。
もっとも。
私自身にとっては。
外の世界を自分の目で見たいという気持ちと。
魔獣と戦い、人々の暮らしを少しでも楽にしたいという気持ちは。
おそらく、半分ずつくらいなのだけれど。
一方のハンクは、私の考えそのものを否定はしなかった。
ただ、何度も念を押された。
冒険へ出るのであれば。
まず第一に、十分な実戦経験を身につけること。
そして最後には。
父上が目指しているもののため。
カルロ家の再興のために、その経験と力を使わなければならない、と。
二人は、そのことで時々言い争った。
けれど。
スレーも。
ハンクも。
そして私自身も。
それが簡単に実現できることではないと、よくわかっていた。
まだ、その時ではないことも。
ところが。
それから数か月後。
事態は、思いがけない形で動き始めた。
ただし。
その転機は――
決して、喜ばしいものではなかった。




