第九十四話 何のために
一日の訓練を終えた私は、扉を開き、自分の部屋へ戻った。
レシュオン閣下の屋敷から帰ってきて、もう何日かが過ぎている。
今になって振り返ると、あちらで過ごしていた時間は、本当にあっという間だったように思う。
むしろ、少し帰りたくなかったとさえ感じてしまうほどだ。
ここが、本当の自分の家なのに。
レシュオン閣下の屋敷も同じカルロ家に属しているとはいえ、あちらはあくまで分家だ。
貴族の決まりでは、宗家と分家の間には明確な区別があり、それに伴う細かな礼法や規則も多い。
もっとも、私たち二つの家の関係は、もともと普通の宗家と分家とは少し違っていた。
今はさらに特殊な状況でもある。
だからこそ、ドワインやユーナも、あちらとこちらを比較的自由に行き来できているのだろう。
聞いた話では、あと数日もすれば、まずユーナがこちらへ戻ってくるらしい。
その後、老執事のドワインも帰ってくる。
リリロット夫人の世話については、ようやく以前からレシュオン邸に仕えていた者たちへ任せられる状態になったという。
ただし、今回の一件の後も屋敷へ残ることを許された使用人は、以前より三分の一以上も少なくなってしまった。
今後どうしても人手が足りなくなれば、こちらの家から何人か助けに出すことになるかもしれない。
そして、私がレシュオン閣下のもとから戻って以来。
スレーとハンクおじさんの訓練は、ますます厳しくなっていた。
以前なら、一日に何十個の移動標的を破壊するとか、二人と何度か本気に近い練習戦をするとか。
その程度の目標を与えられることが多かった。
ところが今は、まるで違う。
毎日、体内の魔力を完全に使い切ること。
それだけではない。
体力も、剣を振ることすら難しくなるほど消耗するまで、訓練を続けさせられる。
終わった頃には、一番軽い片手剣さえ、まともに握れなくなりそうな日もあった。
外へ冒険に出たいと言い出したのは、私の方だったはずなのに。
それを本当に一つの計画として真剣に進めているのは、いつの間にかスレーとハンクの方になっていた。
まるで、二人の方が一刻も早く私を外へ送り出したがっているみたいだ。
けれど、よく考えてみれば。
私が本当に望んでいるのは、必ずしも「冒険者になること」そのものではないのかもしれない。
ただ、ずっと家の中に閉じ籠もっていたくないのだ。
この家での生活は、どうしても息が詰まる。
毎日。
訓練。
勉強。
礼儀。
そして、また訓練。
魔法や戦闘の修行が嫌いなわけではない。
むしろ好きだ。
ただ私は、もう少し自由な暮らしに憧れていた。
いつ戦うのか。
いつ外を探索するのか。
そして、いつ静かに本を読むのか。
それを自分で決められるような生活に。
今、私は机に座り、レオン導師からもらったあの本を読んでいた。
毎日の訓練が終わる頃には、魔力はほとんど空になっている。
残った体力も、食事をして、身体を洗うだけで精一杯だ。
それでも、そのあと私はここへ座り、本を開かなければならない。
だから最近は、毎日ひどく疲れていた。
以前なら、元気が有り余っていて、夜遅くまで起きていると誰かに早く寝るよう注意されたものだ。
今では、そんな必要すらない。
寝台へ横になった瞬間。
目を閉じれば、そのまま意識がなくなる。
本を読んでいる途中で眠くなることも多かった。
同じ頁。
同じ行。
そこをずっと眺めているのに、書かれている内容がまったく頭へ入ってこないことさえある。
この本の内容を、誰かに採点されるわけではない。
全部読み終えるよう急かされることもない。
わからなかったからといって、罰を受けるわけでもない。
だからこそ。
私は逆に、この本を本当に理解したいと思っていた。
今の私にとって、この本はおそらく、学院で過ごした楽しい時間を思い出させてくれる、数少ないものの一つだからだ。
そして。
もう一度思い出したい人たちへと、つながっているものでもあった。
だから、どうしても本を閉じなければならない時には、いつも少し残念な気持ちになった。
もちろん、もう一つ理由がある。
この本は――
本当に難しいのだ。
たとえば、今読んでいる箇所には、こう書かれていた。
『周知の通り、術者は自身から遠く離れた空間に、何の媒介もなく独立した光源を形成し、そこから直接光束を放って攻撃することはできない。
光族が光属性魔法を行使する際には、自身を魔力の媒介とし、体内の基礎魔力を光の魔力へ変換した後、身体表面を通じて外界へ伝達し、周囲の魔力場と共鳴させることで光を形成し、放出する必要がある』
ここまでは。
どうにか理解できる。
けれど、この後から急に難しくなる。
『この過程において、光の魔力は体内から身体表面へ、さらに身体表面から外界へと伝達される。
ゆえに、その初期伝達方向は放出以前の段階ですでに定められている。
したがって、この方法によって形成された光束もまた、明確な初期方向を有し、その方向に沿って直線的に放出される』
私はその数行を、長い間じっと眺めていた。
何というか。
わかったような。
何もわかっていないような。
つまり――
普段私たちが放つ光属性魔法が、一つの方向へ真っ直ぐ飛んでいくのは、魔法を使う時点で、魔力そのものが体内から外へ向かって流れているからなのだろう。
身体から出る前に、すでに進む方向が決まっている。
だから、実際に外へ放たれたあとも、その方向へ進み続ける。
たぶん。
そういう意味だ。
……たぶん。
私は机へ突っ伏しそうになりながら、指先で頁の端を軽くつまんだ。
ということは。
これが、真理なのだろうか。
考えてみれば、確かに私は今まで、一度放たれた光束が途中で勝手に曲がるところを見たことがない。
レオン導師も。
オスワルドも。
あの天才、グリエンも。
強光束は、すべて真っ直ぐ飛んでいた。
でも……
本にそう書いてあるからといって、本当に絶対なのだろうか。
私はふと、グリエンとの戦いで使った明光術を思い出した。
あの時。
すでに身体を離れていた光球へ、細い魔力の糸をつなげていた。
そして、その糸を使って、実際に飛行方向を変えることができた。
もちろん、あれは強光束ではない。
それでも身体から離れた魔法が、そのあと一切制御できなくなるわけではないことは、少なくとも確かめられた。
なら、問題が「身体を離れる前に、進行方向が一つに決まってしまうこと」なのだとしたら――
最初から、一つの方向にしなければいいのではないだろうか。
もし。
身体の中にある光の魔力を、最初から二つへ分けたら?
外へ放出されたあとも、それぞれ別の方向へ進むのではないだろうか。
でもどうやって、身体の中で魔力を分ける?
私は頬杖をつき、窓の外に広がる明るい空をぼんやりと眺めた。
どうすれば魔力を二つへ分けられるのだろう。
そんなことを考えているうちに、瞼が少しずつ重くなっていく。
もし体内に、独立した二つの光の魔力源を作って。
そこから別々に……
それで……
……
次にゆっくりと目を開いた時。
扉の外から、軽いノックの音が聞こえていた。
「パーリセウス坊ちゃま。夕食のお時間でございます」
「え?」
私はぼんやりと顔を上げた。
窓から差し込む光の位置が、先ほどとまったく違っている。
慌てて時刻を確認した。
どうやら、いつの間にか机へ突っ伏したまま眠ってしまったらしい。
しかも、もう一時間近く経っていた。
私は慌ててハンカチを取り出し、机の上に残っていた涎の跡を拭いた。
これをドワインに見られたら、絶対に叱られる。
貴族が机へ突っ伏して眠るなど、何事ですか。
しかも、涎まで垂らすとは。
あまりにもみっともない。
もう、どんなふうに説教されるのかまで想像できてしまった。
私は扉の外で待っていた執事と使用人について、食堂へ向かった。
父上は、すでに上座へ腰掛けていた。
私は一礼してから、自分の席へ着く。
目を覚ましたばかりだからだろうか。
まだ少し頭がぼんやりしていた。
なぜか、胸の奥にも小さな不安が残っている。
「今日の訓練はどうだった?」
父上の厳しい声が聞こえ、私はすぐに背筋を伸ばした。
「はい。今日は二人の騎士閣下との対戦で、強光束を六回連続して使用し、スレー閣下の動きを封じました。そのあと、二度の光斬で光の障壁を破壊することができました。今まででは、一番早く勝てた練習戦です」
けれど、父上の目には、少しも喜びが浮かばなかった。
「私が聞いているのは、防御の訓練についてだ」
そっちだったのか。
なら、最初からそう聞いてくれればいいのに……。
「は、はい。元の光の障壁の外側へ、もう一枚光の障壁を重ねました。それで防御力を上げ、最後にはハンク閣下の光斬を一度、防ぐことができました」
父上の表情は変わらなかった。
「光の障壁で重要なのは、何枚重なっているかではない。魔法攻撃であろうと物理攻撃であろうと、光の障壁が防御に利用しているのは、根本的には術者自身の魔力強度と、衝突時に生じるエネルギーの反発だ。単純に層を増やしたからといって、防御力まで同じ割合で上がるわけではない」
父上は、少し間を置いた。
「防御層の数そのものを重視して研究しているのは、氷の領域の一部の障壁術式くらいだ」
どうやら今日、私が一生懸命考えた方法は、父上にとって大したものではなかったらしい。
でも……
氷の領域では、障壁の層の数を研究しているのか。
それは少し面白そうだ。
いったい、どんな場所なのだろう。
「それから」
父上の声で、私は慌てて意識を戻した。
「王剣騎士から受ける一つ一つの攻撃を、本物の魔獣から受ける攻撃だと思って防ぎなさい。実戦の魔獣は、お前が準備できるまで待ってはくれない。訓練だからといって、攻撃の間隔を調整してくれることもない。本当に危険な状況へ入れば、攻撃は今のスレーやハンクより速く、もっと不規則になる」
「はい。ありがとうございます、父上。覚えておきます」
ところで。
料理はまだ来ないのだろうか。
スレーとハンクも、まだ食堂へ来ていない。
周囲には数人の使用人がいるだけ。
私は一人で父上の前へ座り、ずっと教えを受け続けている。
「戦う時には、強い使命感を持ちなさい」
父上が私を見た。
その瞳は、相変わらず鋭く、明るい。
あの目に見つめられると、まるで心の中まで見透かされているような気がした。
使命感。
それはいったい、何なのだろう。
何があっても、絶対にやり遂げなければならないことがあるということ?
誰かと約束したのなら、どんなことが起きても、それを守り抜こうとすること?
それとも。
何もしないまま終わるのが嫌で。
どうしても前へ進み続けたいと思う気持ちなのだろうか。
父上の言葉を聞いていると。
確かに胸の奥から、何かが湧き上がってくるように感じた。
もしかすると。
これを、使命感と呼ぶのかもしれない。
「父上の仰る通り……私にも、確かに何か、とても強い使命感のようなものがある気がします」
私は少し迷いながら口を開いた。
「ただ……それが、何に向かっているのかが、まだわかりません」
「そんなもの、決まっている」
父上の声音が、少しだけ重くなった。
「カルロ家を再興するためだ」
私の答えが気に入らなかったらしい。
けれど、それも当然なのだろう。
自分でも、今の言葉は少し妙だったと思う。
それでも……
昔からずっと。
私には、奇妙な感覚があった。
見えない手綱のようなものに、どこかへ引かれているような。
あるいは。
背後から、何かにずっと押され続けているような。
私は、何かをしなければならない。
けれど。
何を?
その時、ようやく使用人たちが料理を運び、食堂へ入ってきた。
私は顔を伏せ、目の前へ並べられた夕食を食べ始めた。
それでも頭の中では、先ほどの問いがずっと消えなかった。
私は。
いったい、何のために強くなりたいのだろう。
そして。
何のために、こうして立ち止まることなく、前へ進み続けているのだろう。




