第八十六話 光を失う生命
子供を無事に取り出すことができた。
そう思い、ほんの少しだけ気を緩めかけた、その時だった。
「気を抜かないでください! 夫人への魔力供給を続けなさい! 手術はまだ終わっていません!」
ヨゴル閣下の鋭い声が響き、私は一瞬で我に返った。
周囲にいた者たちも、すぐにもう一度意識を集中させる。
私も慌てて、掌から光の魔力を送り続けた。
ヨゴル閣下は再び指先へ細い光刃を作り出し、夫人の腹部の処置を続けている。
子供はもう取り出したのに。
どうして、まだ終わっていないのだろう。
そう疑問に思った直後、ヨゴル閣下は夫人の身体の中から、かなり大きな”肉の塊”を一つ取り出し、すぐそばに用意されていた器へ移した。
それが何なのか、私にはわからなかった。
ただ、あれほど大きなものが人の身体の中から取り出されたことに、ひどく驚いた。
身体を切り開かれ、これほど大量の血と液体を流し、さらに身体の中からさまざまなものを取り出されても、人はまだ生きていられるのか。
母上も、私を産んだ時には、こんな苦しみを味わったのだろうか。
そう考えた時、私は初めて、目の前にいるリリロット夫人へ、今までとはまったく違う種類の敬意を感じた。
「これから縫合に入ります」
ヨゴル閣下が言った。
「傷口の処置が終わり次第、すぐに後続の治療へ移ります。ほかの者は、今のうちに治療に必要な薬と器具を準備してください!」
「夫人の容体は、依然として極めて危険です!」
数人の執事や使用人が、すぐに部屋を出ていった。
ヨゴル閣下は引き続き光の魔力を使い、夫人の傷口を処置している。
額にはすでに大量の汗が浮かび、顔にも、部屋へ入ってきた時にはなかった疲労の色がはっきりと現れていた。
彼は手を動かしたまま、低い声で告げた。
「夫人の状態は、今も悪化しています」
「この毒は、身体が衰弱するほど、感覚や魔力の循環をさらに蝕んでいきます。今の夫人には、我々の声が聞こえていない可能性が高い。周囲を見ることも、すでにできなくなっているかもしれません」
レシュオン閣下が、勢いよく顔を上げた。
「ヨゴル閣下……」
「治療は続けます」
老人は手を止めなかった。
「ですが、今すぐこの毒を完全に取り除ける薬はありません。現状では、可能な限り夫人の生命を維持しながら、毒が広がる速度を遅らせるしかありません」
それを聞くと、レシュオン閣下はすぐに執事や使用人へ命じ、治療や魔力の回復に使える薬をすべて準備させた。
残った者たちは引き続きリリロット夫人の周囲を囲み、絶えず光の魔力を送り続けた。
ヨゴル閣下はすでに、私にはまったく理解できない治癒術や排毒術を使い始めている。
そこまで来ると、もう私が治療そのものに加われる余地はなかった。
それでも、私は夫人の腕から手を離したくなかった。
ただ必死に、自分の光の魔力を彼女の体内へ送り続けた。
ほんの少しでもいい。
私の魔力で、少しでも身体が回復するかもしれない。
もう少しだけ、耐えられるかもしれない。
そう願った。
けれど、リリロット夫人の肌は、それでも少しずつ光を失っていった。
もともと白く美しかった肌には、徐々に灰黒い色が広がっていく。
顔からも、少しずつ生気が消えていった。
表情は固まってしまったかのように動かず、呼吸さえ、注意して見なければわからないほど弱い。
もし周囲の皆が必死に治療を続けていなければ、私は目の前の夫人が、すでに命を失っているのではないかと思っていただろう。
けれど今の私たちにできることは、ただ光の魔力を送り続け、魔法によって可能な限り彼女の生命をつなぎ止めることだけだった。
それだけだった。
私は、心の中で祈り始めた。
神様。
どうか、リリロット夫人を助けてください。
けれど、自分が誰に祈ればよいのかさえ、私にはわからなかった。
光の領域で古くから信仰されてきた太陽神なのか。
それとも、今ではますます多くの者が信仰する光明神なのか。
誰でもいい。
どちらでもいい。
どうか。
どうか、夫人を助けてください。
涙が目尻から流れ落ち、リリロット夫人のそばの寝具へ、ぽつりと落ちた。
時間そのものが止まってしまったようだった。
どれほどの時間が過ぎたのか、もうわからない。
ヨゴル閣下の動きも、少しずつ遅くなっていった。
その顔には初めて、どうすることもできない者が見せるような、深い無力感が浮かんでいた。
排毒魔法も、治癒魔法も。
何をしても、目の前で進み続ける悪化を、本当の意味で食い止めることができない。
そしてついに、レシュオン閣下の目からも涙がこぼれた。
左腕には、生まれたばかりの子供を抱いている。
右手では、リリロット夫人の手を強く握っていた。
その声が、もう妻の耳に届いていないかもしれない。
それでも閣下は、何度も同じ言葉を繰り返した。
「すまない……リリロット」
「本当に、すまない……」
絶望が、少しずつ部屋全体を覆っていった。
生まれたばかりの子供は、今も太陽のような眩しい光を放っている。
けれど、その子を産んだ母親は、すぐ隣で、少しずつ自らの色を失っていた。
誰もが、もう何をすればよいのかわからなくなりかけた――その時。
部屋の扉が、外側から勢いよく開かれた。
「遅くなった」
あまりにも聞き慣れた声が響き、私は思わず振り返った。
「レシュオン。今すぐ全員を部屋の外へ出せ」
「お前と、ペラルドだけ残れ」
私は呆然と、扉の方を見た。
父上だ。
父上が来た。
レシュオン閣下から、すでに人を遣わして父上を呼びに行かせたとは聞いていた。
けれど、まさか本当に、この瞬間に間に合うとは思っていなかった。
父上は足早に寝台へ近づいた。
そして、リリロット夫人の状態をほんの数度確認しただけだった。
しかし、その顔には、ほかの者たちのような動揺が浮かばない。
なぜだろう。
私は一瞬、父上がまるで、夫人がこのような状態になることを最初から予想していたかのように感じた。
父上はすぐに顔を上げ、寝台のそばに残っていたヨゴル閣下を見た。
「大変申し訳ありません、ヨゴル閣下」
「この先の治療につきましては、一度この部屋から退出していただきたい」
老人は明らかに驚き、すぐに眉をひそめた。
「私はレシュオン閣下のご依頼を受け、リリロット夫人の治療のためにここへ参った医師です」
「これほど容体が危険な時に、私へ退室しろと仰るのですか?」
父上の口調は、貴族としての礼節を崩してはいなかった。
けれど、その声音には、話し合う余地をほとんど残さない強さがあった。
「今が特殊な状況であるからこそ、お願いしております」
「無礼は承知しています。しかし、この先の治療は私が直接行います」
「どうか、直ちにご退出ください」
ヨゴル閣下は、当然ながら納得していないようだった。
だが、その時にはレシュオン閣下まで彼へ向かって頷いた。
「ヨゴル閣下、これまでリリロットのために力を尽くしてくださったこと、心より感謝しています。ですが、ここから先は一度、パドリグス閣下に任せてください」
レシュオン閣下本人からそう言われてしまえば、ヨゴル閣下もこれ以上は強く反対できなかった。
老人は、私には聞き取れない言葉を低くいくつか呟いた。
それから自分の道具をまとめ、不満を隠さない顔のまま部屋を出ていった。
扉が、再び閉じられた。
広い部屋に残されたのは、父上と、レシュオン閣下と、私。
そして、寝台へ横たわるリリロット夫人だけだった。
父上は一瞬も無駄にしなかった。
すぐに懐から、小さな瓶を一つ取り出した。
中には、青い液体が入っている。
とても美しい色だった。
ほとんど透明に近い青い液体が瓶の中で静かに揺れ、わずかな光まで帯びている。
私とレシュオン閣下はただそばに立ち、父上の一挙一動を見守ることしかできなかった。
父上は寝台のそばへ進み、リリロット夫人の固く閉ざされた口を慎重に開いた。
そして瓶の中の薬液を、少しずつ口へ流し込んでいく。
ただし、すべては使わなかった。
三分の一ほどを、意図的に瓶の中へ残した。
続いて残った青い薬液を、夫人の目尻、鼻の下、耳の脇、喉元へ少量ずつ塗っていく。
さらに、先ほど縫合を終えた腹部の傷口の周囲。
最後には、両手と両足にも少しずつ塗った。
青い液体は皮膚へ触れても、普通の薬液のように表面へ残らなかった。
少しずつ肌の中へ染み込んでいく。
それに合わせるように、青い輝きも徐々に消え、まるで身体そのものへ吸収されていくようだった。
すべてを終えると、父上は今度は分厚い本を取り出した。
素早く頁をめくり、ある場所で手を止める。
そして、私が今まで一度も耳にしたことのない、複雑な詠唱を始めた。
一節、また一節。
途切れることなく、長い呪文が続いていく。
同時に父上はもう片方の手を伸ばし、掌を下へ向けて、リリロット夫人の身体の上へ静かにかざした。
光が、次第にその掌へ集まり始める。
詠唱が進むにつれ、集まった光はゆっくりと散開した。
やがて無数の小さな光点へ変わり、空から降る雨粒のように、リリロット夫人の全身へ均等に降り注いでいく。
すると――
夫人の皮膚の下に潜み、肌を灰黒く変えていた何かが、少しずつ光によって洗い出されるように動き始めた。
一筋、また一筋。
暗い黒色の痕跡が、皮膚の下をゆっくりと移動していく。
最初、それらは身体のあちこちへ散らばっていた。
けれど父上が詠唱を続けるほど、掌から降り注ぐ光は、まるで巨大な網のように夫人の身体全体を覆っていった。
黒い痕跡は、その網に追い立てられるように、少しずつ一つの方向へ集められていく。
腕から、脚から、腹から、胸元から。
すべての黒い痕跡が、最後には夫人の喉へ集まった。
父上が、突然詠唱を止めた。
「レシュオン。リリロットの身体を起こせ」
レシュオン閣下は、ほとんど反射的に従った。
寝台の端へ腰掛け、リリロット夫人の肩を慎重に支えながら、上半身を起こす。
父上は同時に、そばに置かれていた器を素早く取り、夫人の胸元へ差し出した。
「ごほっ……!」
リリロット夫人の身体が、突然大きく震えた。
次の瞬間、大量の黒い血を吐き出した。
ほとんど漆黒に近い液体が、器の中へ落ちる。
その表面には、見るだけで不安になるような、紫色の鈍い光まで浮かんでいた。
そして、その時だった。
ずっと固く閉ざされていたリリロット夫人の瞼が、わずかに震えた。
ゆっくりと、本当にゆっくりと、両目が開かれていく。
「リリロット!」
レシュオン閣下が、ほとんど叫ぶように妻の名を呼んだ。
夫人の眼差しは、まだ焦点が合っていなかった。
周囲で何が起きているのかも、ほとんど理解できていないように見える。
それでも呼吸は、先ほどより明らかに安定していた。
肌を覆っていた灰黒い色も、少しずつ薄れていっている。
レシュオン閣下は、呆然と妻を見つめた。
そしてリリロットが本当に意識を取り戻したことを確認すると、勢いよく顔を上げた。
信じられないものを見るように、父上を見つめる。
「パドリグス閣下……これは、いったい何の毒なのですか?」
父上は、すぐには答えなかった。
器の中に溜まった漆黒の血へ視線を落とす。
その表情は、依然として厳しいままだった。
「レシュオン、ここで話すことではない。リリロットの状態が本当に安定してから、私の知っていることをすべて話す」
父上は一度、寝台の上の夫人へ目を向けた。
そして続ける。
「これからは、お前が最も信頼できる者だけにリリロットの世話をさせろ。人数も極力絞れ。身元が確かで、絶対に問題がないと確認できる者だけだ」
そこまで言うと、父上の声は明らかに低くなった。
「それ以外の使用人も、医師も、必要のない者はすべて遠ざけろ。この件の真相が明らかになるまでは、誰一人として、リリロットへ直接接触させるな」




