第八十四話 崩れかけた光
私はレシュオン閣下の後を追って廊下を抜け、屋敷の中央にある小さな中庭へ出た。
閣下はそこで足を止めることなく、そのまま光の魔力で私の身体を包み込み、私を連れて屋敷の最上階へと飛び上がった。
柔らかな輝きが、私たちの周囲を取り巻いている。
なぜだろう。
その光に包まれていると、張り詰めていた気持ちが、ほんの少しだけ和らいだ。
私は振り返り、レシュオン閣下の顔を見た。
けれど閣下は、ずっと上だけを見つめていた。
その目には、隠しきれない焦りが浮かんでいる。
どうやら、本当に深刻な事態らしい。
私たちは急いで最上階へ辿り着き、一つの広々とした寝室へ入った。
そこは、リリロット夫人が普段使っている部屋ではなかった。
中に用意されている寝台や薬、さまざまな器具を見る限り、夫人の出産に備えて、あらかじめ準備されていた部屋なのだろう。
私はすぐに、寝台へ横たわるリリロット夫人の姿を見つけた。
その周囲には、五、六人ほどの使用人が集まっている。
絶えず汗を拭っている者。
水を運んでいる者。
そばに並べられた薬を確認し、整えている者。
部屋の中では、ほかにも何人もの使用人が行き交い、いつ必要になるかわからない品々を慌ただしく準備していた。
レシュオン閣下は私を連れ、寝台へ近づいていった。
そして距離が縮まるにつれ、私はようやく、今のリリロット夫人の姿をはっきりと見ることができた。
胸の中にあった不安が、その瞬間、恐怖へ変わった。
普段なら白く輝くような夫人の肌は、今ではすっかり光を失っていた。
顔色は恐ろしいほど青白い。
まるで何かに喉を締めつけられているかのように、額や首筋から絶え間なく汗が滲み出ている。
両目はずっと閉じられたままで、意識を失っているように見えた。
それでも眉間には深い皺が寄り、顔は苦痛によってわずかに歪んでいる。
その姿を見た時、胸の奥から、ひどく覚えのある恐怖が込み上げてきた。
まるで、母上にあの出来事が起きた時へ、もう一度戻ってしまったようだった。
屋敷にはもともと専属の医師がいる。
しかし、その医師の表情も、レシュオン閣下と比べて少しも落ち着いているようには見えなかった。
だからこそ閣下は、わざわざ人を遣わし、ヴィスカルロで最も優れた医師を呼び寄せたのだろう。
私たち光族は、ほとんど誰もが光の魔力を扱える。
けれど、その力を使って傷を治し、身体を回復させ、さらには病の状態まで診断できる者となれば、専門的な知識と訓練が必要になる。
普通の者が、どれほど大量の光の魔力を持っていたとしても、それだけで同じことができるわけではない。
レシュオン閣下は寝台のそばまで歩み寄ると、妻の名をそっと呼んだ。
「リリロット……」
けれど、夫人から返事はなかった。
私は、これほど取り乱したレシュオン閣下を見るのは初めてだった。
閣下はそこでようやく、ここまでずっと握っていた私の手を離した。
私はその場に立ったまま、自分に何ができるのかわからなかった。
だから、ほかの使用人たちを真似して、清潔な布を一枚手に取った。
そして、夫人の腕や脚に浮かぶ汗を、そっと拭っていった。
一方、レシュオン閣下は、夫人の手を強く握っていた。
まるで祈っているようだった。
どうか無事でいてほしいと。
ただ、それだけを願っているように見えた。
しばらくすると、執事と女中たちが、一人の身なりの整った老人を連れて、慌ただしく部屋へ入ってきた。
白髪の老人だった。
雪のように白い短髪は綺麗に整えられ、厳格な顔つきも相まって、一目見ただけでも近寄りがたい印象を受ける。
老人は余計な挨拶など一切せず、真っ直ぐリリロット夫人のもとへ向かった。
周囲にいた使用人たちも、屋敷付きの医師も、すぐに脇へ退いて場所を譲る。
老人は眉間に深い皺を寄せた。
そして、両手を上げる。
掌に、柔らかな光が灯った。
それは光弾や強光束のように、魔力を一点へ凝縮し、攻撃へ変える光とはまるで違っていた。
老人の両手そのものが、光へ変わったかのようだった。
最初に、夫人の額へ掌を当てる。
続いて首の両側、喉、腹部。
さらに腕、大腿、ふくらはぎの内側へと手を移し、最後には足裏まで確認していった。
私はそばに立ったまま、その様子へ見入っていた。
この老人が何をしているのか、まったくわからない。
ただ、診察が進むにつれ、彼の表情がますます険しくなっていくことだけはわかった。
掌に宿る光も、次第に強くなっていく。
やがて私は、その光が夫人の皮膚の表面だけに留まっているのではないことに気づいた。
一部の光の魔力が、老人の掌からリリロット夫人の身体の中へ、少しずつ流れ込んでいるように見える。
しばらくすると、黒ずみかけていた夫人の肌に、ほんのわずかだが色が戻った。
それでも、その顔色は恐ろしいほど白いままだった。
突然、老人が手を止めた。
レシュオン閣下が、すぐに尋ねる。
「どうなのです、ヨゴル殿?」
老人はすぐには答えなかった。
重い表情のまま、厳しい目をしている。
その眼差しは、学院のクレメンティ教授を思い出させるほどだった。
近くに立っているだけで、身体がわずかに強張ってしまう。
老人はまず手を振り、使用人たちへリリロット夫人の世話を続けるよう指示した。
そしてレシュオン閣下へ、部屋の外へ出るよう目で促した。
レシュオン閣下は振り返り、私にも手招きをした。
どうやら、私も来いということらしい。
私たち三人は隣の部屋へ移った。
扉が閉じられてから、老人はようやく低い声で口を開いた。
「夫人の状態は、極めて危険です」
声そのものは静かだった。
けれど、その言葉の重さだけで、部屋全体がさらに静まり返ったように感じられた。
「すでに最も危険な段階へ入っていると見て間違いありません。いつ生命に関わる状態へ移行しても、おかしくないでしょう」
レシュオン閣下は、表面上こそまだ冷静さを保っていた。
けれど額から絶えず浮かび上がる汗を見れば、心の中ではすでにひどく取り乱していることがわかった。
当然だ。
閣下は、あれほど夫人を愛しているのだから。
老人の表情が、さらに険しくなった。
「それから、もう一点。夫人の体内から、異常な毒を確認しました」
「毒……?」
レシュオン閣下の声が、明らかに変わった。
「はい」
老人はゆっくりと頷いた。
「その毒は以前から夫人の体内を巡り、少しずつ身体を蝕み続けています。非常に深く潜んでいるため、普通の診察ではまず発見できません。私も、光の魔力を夫人の体内へ巡らせ、その流れを一つずつ感知することで、ようやく存在を確認できました」
そこで一度、老人は言葉を切った。
「まるで、身体の中へ潜り込んだ毒蛇です。しばらく時間が経っていると思いますので、その間に夫人の生命力を絶えず喰らい続けています。それだけではありません。すでに胎内の子供にまで影響が及び始めています」
老人の声は、さらに低くなった。
「このままでは、その子が無事に生まれてこられる保証さえありません」
そこまで聞いた時、レシュオン閣下はついに平静を保ちきれなくなった。
その顔には、はっきりとした動揺が浮かぶ。
そして、その中にわずかな怒りも混ざっていた。
けれど閣下は、老人の言葉を遮らなかった。
拳を強く握りしめ、続きを待っている。
老人は背筋を伸ばし、レシュオン閣下を真っ直ぐ見た。
「この毒を取り除けなければ、仮に夫人が無事に出産できたとしても、母子ともに安全であるとは保証できません。ただ、問題は毒が体内を巡っていることまでは確認できても、それが何によって作られているのか、まだ特定できていないことです」
「まず体内にある毒を採取して分析しなければ、それに対応した解毒薬を作ることはできません。しかし現在の夫人の状態を考えれば、我々にその時間が残されていないことは明らかです」
老人は、ゆっくりと息を吸った。
「そして、何より差し迫っているのは、夫人にすでに重い難産の兆候が現れていることです。ですから、これから先について、閣下には選んでいただかなければなりません」
レシュオン閣下の顔色が、さらに青ざめた。
老人は続けた。
「一つ目は、子供を諦める方法です。すべての治癒術式を夫人の生命維持へ集中させ、その間に毒を少しずつ体外へ排出します。この方法であれば、夫人が助かる可能性は高くなります。しかし、子供は……」
老人は、その先を口にしなかった。
けれど、私にもわかった。
部屋の中が、息苦しいほど静まり返った。
「そして二つ目は、直ちに手術を行い、子供を夫人の体内から取り出す方法です。こちらであれば、子供を無事に取り上げられる可能性を最大限まで高めることができます。しかし分娩と手術によって、夫人の身体はさらに弱ることになるでしょう。その瞬間、毒が最も衰弱した身体を一気に蝕む可能性があります。仮に命をつなぎ止めることができても、その後どのような後遺症が残るのか、私には保証できません」
老人は言い終えると、ゆっくりと両手を握った。
彼はレシュオン閣下の答えを待っている。
私はそのそばで、身動き一つできなかった。
ようやく、この医師が何を尋ねているのかを理解した。
レシュオン閣下は、選ばなければならないのだ。
これから生まれようとしている子供、この家にとって新たな希望となり、未来を受け継ぐ存在を守るのか。
それとも、自分が深く愛している妻、人生を共にしてきた伴侶を守るのか。
レシュオン閣下は俯いたまま、すぐには答えなかった。
けれど、この状況は、きっと彼がゆっくり考えることすら許してくれない。
やがて、閣下は顔を上げた。
「我が子をお助けください」
声は少し掠れていた。
それでも、その言葉自体には迷いがなかった。
けれど、強張った表情と赤くなった目元を見れば、閣下自身の心は、自分が口にした答えを少しも受け入れられていないように思えた。
老人はしばらく黙った。
そして最後には、静かに頷いた。
まるで、レシュオン閣下がそう答えることを、最初から予想していたかのようだった。
もしかすると、家の未来を背負わなければならない貴族にとっては、これこそが当然の選択なのだろうか。
「承知しました。まずは可能な限り夫人の状態を安定させます。その後、直ちに手術を行い、子供を取り上げます。子供の無事を確認した後は、引き続き全力で夫人の治療に当たります」
老人はそこで、わずかに言葉を止めた。
「ですが、どうか最悪の事態についても、あらかじめ覚悟しておいてください」
そう告げると、老人はレシュオン閣下へ深く頭を下げた。
レシュオン閣下は何も答えなかった。
ただ同じように、老人へ深く頭を下げた。
二人はそれ以上、言葉を交わさなかった。
まるで、この瞬間すでに、最も残酷な可能性を互いに理解し、黙って受け入れてしまったかのようだった。
やがて老人は、部屋を出ていった。
そこに残されたのは、私とレシュオン閣下だけだった。
今の私たちには、何もできない。
レシュオン閣下は、両拳を固く握りしめていた。
その身体から伝わってくるものは、悲しみだけではなかった。
怒りもある。
閣下は、何に怒っているのだろう。
夫人が何者かに毒を盛られたことに?
きっと、そうなのだろう。
では、その怒りは私に向けられているのだろうか。
それとも、屋敷の中にいる誰かへ?
あるいは、まだ私たちの知らない何者かへ向けられているのか。
私はそんなレシュオン閣下を見つめながら、尋ねることなどできなかった。
しばらくして、閣下はようやく私の方を向いた。
そして何も言わず、ただそっと私の頭を撫でた。
それから私を連れ、再びリリロット夫人のいる部屋の前へ戻った。
空気そのものが固まってしまったかのように、息を吸うことさえ苦しかった。
耳の奥では、自分の鼓動だけが、時計の振り子のように一定の間隔で響いている。
私たちは、その場に立ち尽くした。
ただ、待ち続けた。




