第五十三話 初めての外出
父上の命により、私は今、毎日この部屋に閉じ込められ、反省するほかない身となっていた。執事の話では、あと数か月もすれば、私は七歳の誕生日を迎えるらしい。それを機に、家では数人の家庭教師を招き、剣術、魔法、礼儀作法、音楽、そして社会についての知識を学ばせる予定だという。その後はさらに政治的素養も身につけ、一人前の貴族として育て上げたうえで、帝国政界の保守派に身を寄せ、時機を見て宗教派の勢力を打ち倒すのだそうだ。
学ばなければならないことは、実に多い。勉強そのものは別に嫌いではない。けれど私は、一人きりで覚えるより、誰かと一緒に学ぶほうがずっと好きだった。
私の記憶の中に残っている母上の姿は、いくつかの笑顔だけだ。天気の良い日になると、母上はよく私を家の近くの公園へ連れて行ってくれた。そして道すがら、周囲の貴族たちにも丁寧に挨拶していた。
けれど私は人見知りが激しく、そのたびに母上の背後へ隠れてしまっていた。そんな態度は貴族らしくない、と苦言を呈する者もいたが、母上はいつも相手の言葉をやわらかく退け、私を庇い、慰めてくれた。
だが、母と呼べる存在は、もうこの世にはいない。
悲しいし、寂しい。けれど、私がそうして悲しみや孤独に沈みかけるたび、老執事はまるで私の胸の内を見透かしたように言うのだ。常に強くあれ、と。カルロ家を再興することこそ、お前の肩に置かれた第一の使命なのだ、と。
どうすれば家を再興できるのか、私にはまだよくわからない。だが、それでも確かに、自分の内側に何かが私を前へ押しているのを感じる。それがきっと、いわゆる使命感というものなのだろう。もっとも、その使命感が具体的に何を成せと私に求めているのかまでは、まだ見えていないのだけれど。
私は寝台からひらりと飛び降りた。今度はうまく着地できて、床の上に置かれていた小さな革靴へきちんと足が収まる。靴を履き、机の前に腰を下ろして、執事が今日の課題として置いていった本へ目を向けた。それは光の領域で使われる文字の教本だった。何をするにも、文字を正しく書けることは基本中の基本らしい。
とりわけ署名は、父上が頷くまで徹底して練習しなければならない。机の脇に積まれた厚い紙束を見て、私は小さくため息をつき、今日の勉強を始めた。
その頃、別室では、執事ドワインが円卓の前に立ち、目の前の屋敷の主へ深く頭を垂れていた。
「旦那様、このたびは私めが旦那様より仰せつかった役目を果たせず、坊ちゃまをお守りできませんでした。まことに重大な不手際にございます」
パドリグスは眉を寄せ、複雑な面持ちで執事を見やった。
「ドワイン。あいつのために情けを乞いに来る必要はない。私との約束を破った以上、罰は受けさせねばならん。それが貴族の掟だ」
「おっしゃる通りでございます。……では、坊ちゃまには、どの程度のご反省を命じるのがよろしいでしょうか」
ドワインは婉曲に尋ねた。要するに、パーリセウスをいつまで部屋へ閉じ込めておくのか、その時期を確かめたかったのだ。パドリグスはその真意を察し、深く息を吐く。
「はあ……。数日したら、あいつを連れてカルロ家分家の領地へ赴け。礼の品と、この本を持ってな」
「かしこまりました。彼らの助力があったからこそ、我らはこの地に身を寄せることができたのですから」
ドワインは理解した。それは、若き主人に再び外出を許す口実であり、同時に、謹慎の罰もその時をもって密かに解かれるということでもあった。
「それから、分家の奥方は身籠ったばかりだと聞く。古典書を好むそうだ。だから、その本はあの方へ贈るためのものだ」
パドリグスはそこで一度言葉を区切り、視線を深くドワインへ向けた。
「……ただし、必ず“お一人でお読みになるように”と、念を押せ」
その含みを持たせた眼差しだけで、老執事は主人の意図を悟った。彼は円卓の上に置かれていた贈答品と書物を、外見の整ったひとつの箱に丁寧に収め、魔力によってそれをふわりと宙へ浮かせる。
「では、私はこれで失礼いたします」
「うむ」
パドリグスは身を翻し、静かに窓の外へ目を向けた。視線の先には、遠く連なる山脈があった。
「かしこまりました」
ドワインは箱を伴い、音を立てぬよう扉を閉めると、そのままゆっくりと階下へ降りていった。
それから数日後。
昼下がりの陽光が部屋の中へ差し込む頃、私はちょうど執事が用意してくれた昼食を食べ終えたところだった。焼いた魚の切り身、野菜のスープ、乾いたパンひとつ、それに葡萄の房が一本。食器を扉脇の棚へ戻し、私は机へ引き返して、また今日の勉強を続けようとした。
すると、まるでこちらの動きを見計らっていたかのように、しばらくしてから執事が扉を軽く叩いた。
「坊ちゃま、お出かけのご準備をなさってください。下へお降りになって、お召し替えを」
……え?
今、聞き間違えたのだろうか。
お出かけ?
私はまだ謹慎中ではなかったのか?
私は一瞬、その声が聞こえなかったふりでもするように、深い戸惑いの中で固まってしまった。父上の命令は絶対だ。いったん下された言葉が覆ることなど、そうそうあるはずがない。
「坊ちゃま? 失礼いたします」
私は振り返った。食器を手にした執事が扉口に立っている。私の目には、まだ疑いと戸惑いがありありと残っていたに違いない。
執事は小さく笑い、先ほどと同じ言葉をもう一度繰り返した。下へ降りて着替えるように、と。
その瞬間になってようやく、先ほどの言葉が聞き違いではなかったとわかった。それはつまり、堂々と外出してよいということだ。執事がこっそり私を連れ出して遊ばせてくれる、などという話ではない――もっとも、彼は一度だってそんなことをしたことはなかったけれど。
外へ出られる!
私はそこでようやく本を置き、靴を履き直すと、廊下へ飛び出した。
左右から螺旋を描いて下る二本の階段は、一階の踊り場でひとつに合流している。その踊り場には、光明神の像が建っていた。
もっとも、私たちの家は、父上が邪教と呼ぶ光明神教派を信仰しているわけではない。だが、今の立場上、敬虔な信徒であるふりをしておかねばならないのだ。私には光明神と太陽神の違いなどよくわからない。けれど、執事に教えられた言葉をそのまま繰り返していれば、大抵は問題にならない。
私は最後の一段を弾むように飛び降りた。目の前には、久しく見ていなかった、陽光に満ちた広間が広がる。白い家具がきらきらと光り、まるで宝石箱の中へ入り込んだようだった。
だが私はそこに見惚れて立ち止まることもせず、そのまま右手の廊下へ走り、更衣室へ飛び込む。そして自分専用の戸棚を開け、外出用の服を探し始めた。
今日という日は、きっと記念すべき日になる。だから私は、母上が買ってくれた服を選んだ。こんな日にこそ、自分がいちばん好きな服を着て外へ出たいと思ったのだ。
だが、そのささやかな期待は、たちまち打ち砕かれた。
着替えを終えて扉を開けた瞬間、ちょうど通りかかった執事と目が合ったのだ。彼はほんの一瞬、何とも言えない複雑な表情を浮かべた。だが、すぐに小さく微笑む。
「坊ちゃま、まことに申し訳ございません。そのお召し物は、坊ちゃまのお気品によくお似合いでございます。ですが本日は、もう少し正式なお装いでお願いしたく存じます。私の説明が足りませんでした。どうか、お忘れになったことをお許しください」
執事の説明を聞き終えると、私は肩を落とし、しぶしぶ戸棚の前へ戻った。そして深い紺色の礼服を取り出す。重たくて古臭くて、少しも格好良くない。
けれど、もうそんなことはどうでもよかった。外へ出られるのなら、それだけで十分だ。
私はまた急いで着替えを済ませ、今度こそ明るい気持ちで玄関へ向かった。だが、屋敷の大扉を抜けたところで、ちょうど父上と鉢合わせてしまう。父は階段の前で、出発前の車列の装いを確かめていたところだった。
私は一瞬で胸が冷えた。ここで気が変わり、やはり部屋へ戻れと命じられるのではないか――そんな不安が、たちまち頭を支配する。
実際、父は一瞬だけ眉をひそめ、私の服装を黙って眺めた。だが、すぐに視線は、光の魔力によって形作られた天馬の車列へ戻る。六頭の天馬はいずれも神々しい光をまとい、見るからに立派だった。
その隙を逃さず、私は老執事の乗る馬車へ小走りに向かった。ここで父にもう一度じっと見られたら、せっかくの外出が取り消されてしまいそうな気がしたからだ。
「坊ちゃま、どうかお足元にお気をつけて。ゆっくりお乗りくださいませ」
執事はため息交じりに私をたしなめた。そのため息に、後方の馬車に乗っていた臨時雇いの使用人たちが、思わず小さく笑う声が聞こえる。
私はもう、父上がこちらをどう見ているのか確かめる勇気がなかった。歩調を落とし、なんとなく貴族らしさというものを真似しながら、平静を装って馬車へ乗り込む。使用人たちがそっと横の扉を閉めた。
薄い布のカーテンをめくり、私は窓越しに父上を盗み見た。父は私の失態に腹を立てている様子はなく、むしろどこか深い憂いを抱えているように見えた。
「それでは旦那様。予定通り、三刻ほどで戻ってまいります。どうか、しばしお待ちくださいませ」
「うむ」
父の返答は、ひどく短かった。だがその声には、相変わらず貴族らしい威厳が滲んでいる。将来は自分も、ああして貴族らしい構えを身につけねばならないのだろうか――そう思うと、私は何とも面倒な気分になった。
執事の号令とともに、車列はゆっくりと動き出した。天馬は空を翔けることもできる。だが、この通りを抜けるまでは、あえてゆっくりと歩ませるらしい。まるで行列のように進むことで、貴族たる家の違いを周囲へ見せつけるためだ。
私は後ろの馬車へ目をやった。そこには使用人たちが、かなり多くの荷物を積んで見張っている。いったい私たちはどこへ行くのだろう。どうしてこれほどたくさんの品を運ぶ必要があるのか。ドワインはそのあたりを何も説明してくれなかった。年を取って、また忘れてしまったのだろうか。
そうして私は、不安と期待を胸に抱えながら、この土地へ来てから初めての旅へと踏み出した。




