第四十五話 神の力
ガリシュ・タイムとトリヤ・スペースの攻撃が、まさに降り注ごうとしたその瞬間――最前列にいた獣じみた逆世守護神が、真っ先に暴れ出した。
そいつは二対の巨爪で立て続けに幾筋もの空間裂隙を切り裂き、そのまま一直線にトリヤ・スペースへ襲いかかる。利爪の一振りごとに裂隙はさらに拡大し、その様はまるで、この怪物の牙と爪そのものが、初めから空間を引き裂くためだけに備わっていたかのようだった。その狂気じみた野性は、眼前にそびえる巨大な黄金法陣――“威力”などという言葉では到底測れない空間の震動を吐き出し続ける、それを前にしても、欠片ほどの恐怖も、ほんの一瞬の躊躇も生まなかった。
だが、その獣型の逆世守護神以外は動かない。残る逆世守護神たちも、ソロムネスも、共に前へ出て食い止めようとはせず、その場に留まったまま防御の構えだけを取っていた。まるで、あの黒衣の少女主神の指先に繋がれた、無言で残忍な四体の操り人形であるかのように。
トリヤ・スペースとガリシュ・タイムは、同時に口を開いた。
それは宣言というより、ほとんど歌唱に近い響きだった。そして二柱は、塵世における比類なき最強の裁きを告げた。
「空の審判」
「時の審判」
刹那、二柱の神体から二筋の黄金光が同時に解き放たれた。
その光景は、眠り続けていた火山が突如として覚醒したかのようであり、あるいは宇宙の果てで超新星が一斉に爆ぜたかのようでもあった。時空を司る二柱の守護神は、姿勢一つ変えぬまま、その黄金の奔流だけを絶え間なく逆世守護神たちのいる方向へ押し進めていく。
金光が触れた場所では、物質も、魔力も、空間構造そのものさえも、音もなく消え去っていった。だがそれは、単なる爆砕でも、ありふれた意味での消滅でもない。むしろ“存在”そのものが剥ぎ取られ、そのまま黄金の奔流へ呑み込まれ、攻撃の一部へと組み替えられていくような現象だった。金光が通過した後の空間は透明になり、そこには最初から何一つ存在していなかったかのように見える。
あの巨爪で空間を引き裂いていた獣型の逆世守護神でさえ、その審判の進行をほんの一瞬たりとも鈍らせることはできなかった。
そいつは自ら切り裂いた裂隙ごと黄金の奔流に呑み込まれ、たちまち虚無へと変わった。
そして、その無音にして不可逆の審判が、続けて残る逆世守護神たちをも呑み込もうとした、その時だった。黒衣の少女主神が、唐突に耳を刺すような歪んだ異嘯を放った。
彼女は両手を激しく掲げる。
直後、その前方の空間が、まるで巨龍が大口を開いたかのように裂けた。そしてその裂け目から、濁りきり、腐臭を帯び、見る者の本能に直接嘔吐感を刻みつけるような“逆世の宇宙空間”そのものが、途切れることなく吐き出され始める。それは強引に戦場前方へと押し広げられ、塵世の空間に重なるように展開されていった。
同時に、他の逆世守護神たちも即座にその逆世空間の拡張へ加わる。
アロデロスは十本の腕に握った武器を同時に振るい、空間裂隙をさらに引き裂いて、逆世宇宙そのものを無理やり押し広げた。
一人の逆世の守護神は、鮮紅の巨大な口にも見えるローブを大きく開き、周囲の空間そのものを直接呑み込んでいく。
もう一人の逆世の守護神は、樹根のようにねじれた触手を伸ばし、空間を吸い上げることで、その周辺を萎縮させ、崩壊させていった。
そしてソロムネスは、毀滅の剣を振るい、極めて強大な破壊力の衝撃波を凝縮・解放することで、その展開された逆世宇宙をさらに安定させ、拡張させていた。
次の瞬間、時空の双審判は、ついにその歪みきった暗黒の逆世宇宙と正面から激突した。
だが、息を呑むべきことに、黄金の光は一切その勢いを失っていないにもかかわらず、もう黒衣の少女主神にも、アロデロスにも、他の逆世守護神たちにも届かなくなっていた。まるでそれは、より高次の空間構造によって強引に流路を書き換えられ、果てなく展開された逆世宇宙の深奥へと、ただひたすら流し込まれているかのようだった。
智慧の神・プルドリセは、その瞬間、閉じていた双眼を開いた。淡青にして金の光を宿すその眼差しは、初めて見るほど重く、ほとんど陰りを帯びていた。
「……あれが、奴らの逆世だ」
その声は低く、しかし明瞭だった。
「奴らは審判そのものを、強引に自分たちの宇宙へ流し込んでいる」
構造の神・セウロも、続けて低く口を開く。
「もしそうであるなら、あちらの主神は著しく弱体化するはずだ。たとえ逆世空間全体がそのまま崩壊しないとしても、少なくとも大半は直接消し飛ぶ」
そしてパーリセウスは、創造の瞳と、あらかじめ授けられていた一部の権能を介して、塵世各地に起きつつある変化を見ていた。
空間裂隙から途切れることなく溢れ出していた悪魔たちが、今まさに急激にその数を減らしている。
それだけではない。新たな裂隙も、もはや生まれていない。各領域でなお激しく膨張していた侵略の勢いそのものが、根本から断ち切られ始めていた。
パーリセウスは、時空双審判を維持し続ける二つの小さな影を見やり、その眼差しに深い敬意を湛えた。
「感謝いたします、守護神……どうやらこの一撃は確かに効いています。たとえ奴らを直接滅ぼし切れなくとも、次の一撃なら、必ずや大打撃を与えられる」
だがその遥か向こうで、肩に毀滅の剣を担いだソロムネスは、ただ冷然とその光景を見つめていた。
仮面のような兜は、その表情を完全には覆い隠していない。むしろ、その目の奥からは、あからさまな嘲りにも似た冷笑が、ゆっくりと滲み出ていた。
「ガドルートが時空の双審判を防げなかったこと自体は、別に驚くには値しない」
ソロムネスは、僅かな笑気を含んだ、不快な声色でゆっくりと口を開く。
「だが主神イレーンナが自ら逆世宇宙を開き、そこへ私と、アロデロス、ロゼメルシュラ、ゼプロスが揃って裂隙を拡張した。ここまでしてこの一撃を呑み込めたなら、それで十分だ」
その口元が、わずかに吊り上がる。
「この後は、主神に残りの爪牙を喰わせ、その反動で奴らの宇宙の支柱――定則を叩き潰せばいい」
そこまで言って、ソロムネスはついに隠そうともせず笑った。
その笑みは陰惨で、邪悪で、しかもどこか愉悦に濡れていた。黄金法陣の向こうで厳戒するパーリセウスを、まるで最終的には必ず自分の手中へ落ちる玩具でも眺めるかのように、じっと見つめている。
次の瞬間、逆世主神・イレーンナが、再び歪んだ長鳴を放った。
この時なお、展開された逆世宇宙は、トリヤ・スペースとガリシュ・タイムの時空審判を、絶え間なく喰らい続けていた。表面上、この戦場にはまだ新たな大変動は現れていないように見える。
だが、創造の瞳を通して見れば、パーリセウスにはすでに分かっていた。各領域に散らばっていた、億をも数える悪魔たちが、いまやより高位の意志に強制的に引き剥がされるように、急速に蒸発し、崩れ、膨大な滅びの黒霧へと変わって、それぞれの空間裂隙へ吸い戻されているのだと。
そして回収されたその毀滅の力は、イレーンナの背後に開く逆世裂隙を通じて、絶え間なく彼女の小さな身体へと注ぎ込まれていた。
力が急速に注入されていくにつれ、彼女の眼に燃える紫の炎は、さらに激しく燃え盛っていく。あまりに強く、視線の通る先さえも、そのまま焼き貫いてしまいそうなほどに。
だが、彼女が本当に見据えている相手は、トリヤ・スペースでもなければ、ガリシュ・タイムでもなかった。
それは、神々の後列に静かに立ち、あまりに静かで、まるで最初から存在感そのものを消していたかのような灰色の聖母――アレサだった。
正義の神・フルガは、イレーンナのその眼差しに宿った、実体を持つほど濃密な殺意を最初に察知した。
時空の双審判が終息し、黄金法陣が消えたその刹那、彼は一切の躊躇なく双剣を握り締め、その身を正面突破の神聖なる光と化して、イレーンナへ向かって真っ直ぐに斬り込んだ。
その直後を追ったのは、贖罪の神・ケンデルーと、戦争の神・卍グラス。
塵世の三柱は、ほとんど同時に突撃を開始したのである。
だが、その三柱がイレーンナへ迫ろうとしたまさにその瞬間、逆世守護神・アロデロスが真正面に立ちはだかった。
十本の腕が一斉に振り上がり、十種の武器が同時に交差し、閉じる。その一瞬の動きだけで、三柱の攻撃すべてが真正面から受け止められた。神力と魔力の衝突で生じた震動は、目に見えぬ衝撃波となって四方へと走り、進路上にあったあらゆる惑星を一瞬で砕き散らしていく。
その一方で、逆世守護神・ロゼメルシュラは、まるで巨大な口のようにも見える広大なローブを大きく開き、そのままトリヤ・スペースとガリシュ・タイムへと襲いかかった。時空の二柱をまとめて呑み込むつもりだったのだ。
しかし次の瞬間、構造の神・セウロの巨刃が空を裂き、そのローブごとロゼメルシュラを真っ二つに断ち切った。
だが直後、その断たれた胴体は、そのまま二つの個体へと分裂した。
そのうちの片方は、なおもトリヤ・スペースへ向かって猛然と突進する。
だが、トリヤ・スペースが動くより早く、パーリセウスが先にその間へ滑り込んでいた。創造の剣と幻想の剣が交差し、その分身体のローブを一気にずたずたに切り裂く。
しかし、そのまま完全に仕留めようとしたその瞬間、プルドリセが突如として介入した。
無数の細長い神の腕が一斉に伸びる。暴走しかけていたローブの分身体を先に呑み込ませ、その直後、パーリセウスを一気に後方へ引き戻した。
プルドリセの冷静な声が、直接パーリセウスの脳裏に響く。
「アレは、代償を一切顧みずに喰らっている。呑み込まれた先で何が起きるか、誰にも保証はできない」
ほとんど同時に、ゼプロスもまた攻勢へ転じていた。
その無数に蠢くねじれた触手は、生きた毒の森そのもののように、塵世守護神全体へ向けて一斉に広がっていく。しかも、その触手はまだ対象へ触れてもいない段階で、周囲に拡散している神力と膨大なエネルギーをすでに強引に吸収し始めていた。
これを見て、生命の神・クイターと、平和の神・ヘルガティラが同時に動く。
一柱は法杖を掲げ、生命力の流動そのものを抑制する結界を展開した。もう一柱は長鞭を一閃させ、活力を失って急速に萎れ始めた触手群を、まとめて叩き砕く。
そしてソロムネスは、最も忠実な侍従であるかのように、終始イレーンナの傍らを離れなかった。彼女の傍に立ち、先ほどまでとは明らかに異なる、より危険な一撃を、共に静かに練り上げていた。
その時だった。
トリヤ・スペースとガリシュ・タイムが、同時に互いの手を握る。
次の瞬間、この場で交戦中だった塵世守護神と逆世守護神たちは、ことごとく半透明の特殊空間へと一括して引きずり込まれた。
その空間の内部では、時間の流れそのものが異様に遅い。
これこそがトリヤ・スペースとガリシュ・タイムの選択だった。戦場の一部を強制的に切り離し、極端に遅い時間流の中へ閉じ込めることで、他の守護神級同士の衝突を一時的に封じ、そのあいだに自分たちはイレーンナへ集中し、同時にパーリセウスへソロムネスを討って戦況を覆すための余地を与えようとしたのだ。
だが、その背後で、これまで沈黙を守っていた灰色の聖母・アレサが、何かに気づいたように突如として身を強張らせた。
深く垂れたローブの下、その顔は常に慈悲に近い静けさを湛えていた。だが今、その面差しに初めて隠しようのない動揺が走る。
彼女ははっと顔を上げた。
灰色の瞳の奥で、花弁のようにゆっくりと開いていく紋様が、他の誰にも見えない光景を映し出している。
彼女は見てしまった。
塵世の柱――定則を。
そして、自らの権能の根源であるはずのその存在が、今まさに何者かの力によって少しずつ剥ぎ取られ、奪われていく様を。
彼女は告げようとした。今すぐトリヤ・スペースへ、この事実を伝えねばならないと。
だが、その声が唇を離れるよりも早く――
イレーンナの攻撃が、すでに始まっていた。




