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明らかな双月の下、遥かなる地へ  作者: 蝦夷縞りす
玖・秋良と『過去』
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碌・遠き日の残響 中



 橋周辺に着いた雀蓮(じゃくれん)は入念に確認した。が、妖魔の姿も痕跡もない。行商人が獣を見間違えたのだろう。

 村へ戻る道を、秋良は気落ちした様子でついてくる。

 実戦に挑めることを期待していた彼女には残念だったが、村に危険が及ぶ要因となるものはない方がいい。


 木々が開けた先に村が見えたその時。


「――!?」


 雀蓮は足を止めた。

 背中に秋良がぶつかった感触を気にも止めないほど。村の奥から漂う濃厚な妖気に圧倒されていた。


 なぜ……村を出てからのわずかな間に。

 行商人が見たという妖魔ならば、道をそれていたとしても気がつくはず。

 別の場所から村へ侵入したのか。


 隣で小さく息を呑む音がし、雀蓮は我に返る。秋良を、あの中へ連れて行くわけにはいかない。

 知らず引き締まっていた顔を笑みに緩めて、膝を着く。


「秋良」


 視線を合わせた鳶色の瞳から不安が抜けていく。雀蓮は続けた。


「妖魔相手には戦えなかったけど、ひとつ訓練をしよう。僕が戻ってくるまでの間、秋良はひとりだけでここにいるんだ。できるかな?」

「簡単だよ、そんなの」


 秋良は得意げに言い切った。

 雀蓮にも自信があった。幼いながら剣の才がある秋良なら、獣や小さな妖魔が現れても対処できる。


「じゃあ、はじめよう。僕が戻ってくるまでだよ、いいね」


 秋良がうなずくのを確認して、雀蓮は村へと立ち入る。

 中は想像を絶する凄惨な状況だった。


 広がる血の海。

 剣で斬り捨てられ肉塊と化した村人が、いたるところに転がっている。

 逃げる間どころか、悲鳴をあげる間もなく斬られたのだろう。でなければ、これほどの人数を逃さず斬るなど不可能だ。


 妖気の元へ行くまでのあいだ、命ある者がいるならば助けたかった。

 しかし、救いを求める内なる声さえ聞く雀蓮に届く声はない。


「これは……?」


 遺体から彩玻動(さいはどう)が抜けはじめた。

 そのこと自体は自然の理。彩玻動は双月界を巡る大きな彩玻動流へと還っていくのだ。

 しかし今、村人たちの彩玻動はひとつのうねりとなり村の奥へと流れている。


 雀蓮はそれを追った。足音を立てず滑るように走る。

 村長宅の横を抜け壁に背をつけた。皮膚が痺れる程の妖気が、裏手から伝わってくる。

 村中から集まる彩玻動が向かう先も同じ。

 壁際から奥をうかがう。


 彩玻動は渦を巻き、大振りな直刀と細身の孤月刀へと吸い込まれていく。

 どちらも血に濡れている。

 あれだけの村人を斬ったとは思えないほど。いや、だからこそなのか。無数の刃こぼれが刀身を蝕んでいた。

 それらを持つには不釣り合いと思える、小柄な持主の姿。


「春、時……?」


 雀蓮は眼を疑った。

 村の男達と狩りに出かけたはずの春時が、何故。

 あの双刀は、守護石に封じられたはずの妖魔六将――。


「……っ!」


 思考は刺さる頭痛に遮られた。

 妖魔六将の名だけでなく、より深く知(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)はずなのに。今はもう思い出せない。


 双刀を手にした春時に、快活な少年の面影はもはやなかった。

 村の男たちであったろう肉塊と血の海の中央に立ってなお、感情のない冷たい瞳。視線の先には、彩玻動を吸うごとに妖気を増していく双刀があった。

 双刀に満ちる妖気が刃の欠けをも埋め始めている。


「春時!」


 名を呼んだ雀蓮は抜刀と同時に地を蹴った。

 師の呼びかけに春時はわずかの反応も見せない。

 どうすれば彼を救えるか。まずはあの双刀から引き離すべきだ。直刀を横から狙う。


「くっ……!」


 予想に反し、雀蓮の手に伝わる重い衝撃。

 直刀は微動だにせず。幼い春時の顔が歪み口が開かれた。


「ぐがあぁぁあ!」


 春時の声に獣の咆哮が重なったものが、彼の口から発せられる。

 直後、雀蓮の身体は刀ごと弾かれた。同時に自らも後方へ跳び着地する。

 予想していた追撃はない。春時は苦悶の表情で双刀の柄を握り、唸り声をあげている。


「彩玻動と妖気が、反発しているのか」


 雀蓮の青藍の瞳には診ることができた。

 春時の体内で、取り込まれた彩玻動と双刀から流れこむ妖気が激しく巡っている。


 雀蓮は推測する。

 双刀が本来存在していた魔界では、周囲の妖気を奪い力を増し、傷を癒していたのだろう。

 だが彩玻動は相反する力。双月界の者である春時を依代とし、刃を治すことはできたものの。彩玻動と妖気を同化させるまでには至らなかった。


 そして今、ふたつの力は互いに逆流しあい、ぶつかる位置ごとに春時の体内を損傷させている。


「このままでは春時の身体が持たない!」


 早急に体内の力の奔流を調和させる必要がある。なにか媒介となるものがあれば……。


 踏みこんだ雀蓮の足に、軽く固いものが触れた。

 狐の面だ。壊された物置からあふれたのだろう。雑然とものが広がる中で、それが近くにあったことは幸運だった。


 雀蓮は腰の革鞄から、村長夫人の治療に使用した薬瓶をふたつ出す。栓を口で抜き取り狐面の内、白木地に薬液をすべてふりかけた。

 春時の怒声が背後に迫り、薬瓶を捨てた手で狐面を拾いつつ横に転がり逃れる。

 立ち上がりざま面を腰帯に挟み、雀蓮は春時を振り返った。


 春時の手に孤月刀がない。

 気づくと同時に雀蓮の脇腹に痛みが抜ける。身体を捻り、回転しながら飛来した孤月刀の直撃を避けた。が、傷は浅くない。

 動いた先に振り下ろされる直刀を、自らの刀で逸らし流す。

 春時本来の力ではなし得ない重さと速さで繰り出される斬撃をしのぎきれず、雀蓮の傷は増えていく。

 狐面をつける隙をうかがいながら、わずかな望みにかけて呼びかける。


「聞こえているか、春時。妖気に呑まれないよう、自我を保つんだ!」


 しかし春時の瞳は冷たい殺意を宿し。その口からは未だ体内を蝕む痛みからくる怒りの唸り声が漏れ続けている。

 剣戟の合間に、小さな足音が聞こえたような気がした。


――まさか……!


 音と気配を追って横を振り向く。村長宅の影に立ちすくむ秋良の姿があった。


「あき、ら……」


 こぼれたのは春時自身のつぶやきだった。

 恐怖と驚きに眼を見張る秋良の姿は、春時の中に渦巻く妖気の闇にかき消される。


 この身体は離さない。

 お前を目覚めさせる者は消す。


 闇の中にかすかに灯った春時の意識は、執念とも怨念ともつかぬ声なき声に塗りつぶされていく。


「……ぅ、ぐああぁ!」


 春時の声は一瞬にして獣の咆哮にかき消された。

 雀蓮と春時が秋良へと駆け出す。

 横薙ぎに振るわれた一閃は、雀蓮のものではなかった。


 秋良の胸元から鮮血が吹き出す。

 返す刀で振り下ろされる直刀を雀蓮が秋良の前で防ぐ。片手では抑えきれず肩口へと刃が食いこむ。

 孤月刀が雀蓮の両目を掠めるのと、雀蓮がもう一方の手で狐面を春時の顔にあてたのは同時だった。


「う……うぅ……」


 春時は双刀を落とし、両手で狐面を抑える。

 そのかたわらで雀蓮は秋良の胸に手をあてて傷を塞ぐ。


 一時のことかもしれないが、今の春時からは殺気が失せていた。

 彼の中では彩玻動の巡りを整える薬の効果が、妖気にも上手く作用している。

 視力を失いながらも、雀蓮は春時の中から痛みや苦しみの声が消えていくのを感じていた。



【医師・雀蓮】本人をして医者と名乗ってはいるが、斎一民の一般的な医師にはない特殊な力を持っている。双月界の民にとって命の源である彩玻動の流れを診る眼。軽度の傷なら触れるだけで癒す手。患者本人も無意識に内に秘める苦しみや痛みですら聞き逃さない耳である。


【ふたつの薬瓶】雀蓮は斎一民の村である風和で、特殊な力は明かさずにいた。ただ、薬の調合においてもその知識と力は卓越しており、妖魔と化した動植物を素材として組み合わせることで並ならぬ効能を発揮する治療薬を生み出している。


【狐面】村長夫人に少量を薬湯に混ぜていたものをすべて使用した。雀蓮も確信しての処置ではなかったが、結果として春時の状態にも効果が見られた。

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