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明らかな双月の下、遥かなる地へ  作者: 蝦夷縞りす
玖・秋良と『過去』
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碌・遠き日の残響 後



 雀蓮(じゃくれん)は秋良が胸に受けた深手を両手で抑える。

 内臓へ達した傷は癒し手の力で修復した。出血も収まりつつある。

 しかし自らも浅からぬ傷を負った状態では、これ以上癒すことはできない。

 後は通常の手当をし、本人の治癒力に委ねるしかなかった。


――すまない……秋良。春時……。


 春時は、狐面の上から両手で顔を覆って立ち尽くしている。


「誰だ!?」


 雀蓮の鋭い誰何が飛ぶ。

 視えぬ雀蓮の――いや、春時のかたわらに突如現れた妖気。

 答えたのはしわがれた声だった。


「この身の名は、深羅(しんら)という」


 引きずる長さの外套をまとう小柄な老人――妖魔六将のひとりだ。

 老人と判別する元となるのは無数のしわが刻まれた口元のみ。目深にかぶった外套の頭巾が、顔のほとんどを隠している。


「久しいな、雀蓮。与えられた医師としての役割を逸脱し、師弟の真似事をした結果がこの末路か。この幼き兄妹に、お前と風凛(ふうり)を重ねでもしたか」


 深羅の嘲りにも、雀蓮は秋良を治療する手を止めない。

 だがその思いもよらぬ言葉に思考は乱されていた。雀蓮がたどれぬ記憶を深く探ろうとするより早く、深羅が続けた。


「いや、もはや双月界に属するお前には詮無き話。用があるのはこちらよ」


 深羅は地に落ちた双刀を拾い上げた。


「その身が滅んでも愛刀に念を残した妖魔六将・無月(むげつ)。後継となる新たな身体諸共もらいうける」

「待て、春時を……!」


 雀蓮は言葉を止めた。気配が消えたからだ。

 現れた時と同じく、深羅は自らの影から持ち上がった闇に呑まれ春時を連れ去ったのだ。

 同時に、深羅の言葉からもたらされた疑問も。雀蓮の中から消え去っていた。


 肩口に受けた血を意に介さず。秋良の治療を終え、さらに少しでも傷を塞ぐべく癒しの力を注ぐ。

 やがて意識は薄れ、闇に閉ざされた。


――声……歌、か?


 少女のささやくような小さな歌声。

 ややして自分が眠っていたことに気づき、雀蓮は跳ね起きる。

 同時にかたわらから跳んで離れた影があった。


「ぎにゃっ!?」


 自分がいつの間にか寝台で眠っていたことも驚いたが、床に降りてこちらをうかがう者にも驚かされた。


「い、今の聞こえた!? もしかして聞こえたから起きちゃった?」


 早口でまくし立てるのは少女の声だった。


「聞こえてたら忘れて! あまり聞かれたくないのに、あなたが怪我してるから仕方なくなんだから」


 しかし、床に降りたかすかな足音は人のそれではなかったように思う。

 もっと軽く、獣のそれのように聞こえた。声の元もかなり床に近い。

 元気な声を聞くうち、雀蓮の意識も明瞭になってきた。


「ここは……秋良……僕と一緒にいた少女は!?」

「あの子は、街道に連れて行って行商人の馬車に拾わせた」


 聞くやいなや寝台を降りようとした雀蓮を、声が制止する。


「その傷で動くのは無理!」


 雀蓮は、跳び乗ってきたそ(・)れ(・)に寝台へ押さえつけられた。

  胸にかかるのはふたつの手ではなく前肢。しなやかな身のこなしから、大型の猫科と雀蓮は推測する。


「一緒に連れてこられなくてごめんなさい」


 そう言って雀蓮の上で腹ばいになったのは、白銀色の美しい長毛を持つ大山猫だった。

 湖水のごとく澄んだ青色の瞳は、大きく瞳孔を開き雀蓮をうかがっている。


「里夢(りむ)だけじゃ、ふたり助けて運べないから。よりひどい傷のあなたを連れてきた」

「りむ……君の名か。ではここも君の家なのかな」

「ううん。ここはずーっと昔……里夢が仙猫になりたてのころ。大怪我をした里夢を助けてくれた医者の家」


 里夢は雀蓮が動かないことを確認しつつ、そっと身を引いた。


「その人がよくやってたから……怪我した者を放っておかないってこと」

「そうか……助けてくれてありがとう」


 雀蓮の礼に、里夢は慌ててそっぽを向いた。


「里夢はあいつとは違うから! ただでは助けないよ」

「ではお礼を。今はこの通り手持ちがないのだけれど」

「お金はいらないよ。あなたなら里夢の願いを叶えられるって。仙猫の勘がそう言ってるんだ」

「願い?」


 雀蓮の問いに、里夢はそれまでの冗談めかした様子を収めた。


「里夢は、人になりたい」


 その瞳に切なる願いをこめて、言葉を紡ぐ。


「仙猫としてのこの身体は、もうすぐ……仙力 を使い切ったら消えてしまう。残りの仙力は、あなたのために使うから、身体が消える前に人の身体にしてほしい」


 里夢の心の悲鳴が雀蓮には聞こえていた。

 恩人であり心を寄せていた医者との、寿命の違いによる別れ。

 彼の遺言通り仙力を他者のために使い続け、それでも埋まらない悲しみ。


「里夢は人としてあいつを助けて……人として死にたかった」


 雀蓮は医者として、治療を必要とする者を放っておくことはできなかった。


「わかった。君にできる限りの治療(こと)をしよう」


 里夢の仙力は、相手の求めるものを具現化するというものだった。

 雀蓮は、かつて自らが使用していたとおぼしき実験器具や治療具を里夢に求めた。それは深羅と邂逅した後に思い出された記憶の欠片にあったものだ。

 双月界では一度も目の当たりにしたことがないそれらですら。里夢の仙力は、雀蓮の記憶から忠実に再現した。


「ただし効果があるのは、里夢のなわばりになっているこの山にいる間だけ。昔、ちゃんと話聞かないで金を欲しがって山を降りた奴が怒ってきたことがあったっけ」 


 里夢はそのときのことを思い出したのか、口許に笑みを浮かべる。だがその表情は緩く、力ないものになっていた。

 仙力を使い果たしてから、里夢はずっと寝たきりになっている。

 雀蓮は、時折山へ紛れこむ患者の治療を手掛けながら。診療室の半分を占める大きな水籠内の調整を進めていた。


「あと少しだよ、里夢。明日には君を人の身体に移そう」


 振り向いた雀蓮の瞳はかつての青藍色ではない。里夢から授かった器具によりつくった義眼により真紅の瞳へと変わっていた。

 彼の背後、水籠の中にたゆたう小柄な影。それを見て里夢は青い湖水の瞳を細める。


「髪の色、里夢の毛の色と同じ」

「君の毛を元にして培養したからね。瞳の色は、僕と同じ色になる。本当は、その美しい瞳の色を残したいのだけれど」

「いい。人になれるのなら……それだけで……」

「里夢……?」


 雀蓮はぐったりと眼を閉じ動かない里夢へ駆け寄った。脈はなく、予断を許さない状況となっていた。


「予定していたよりも少し早いが、なんとかしよう」


 その手が、里夢の白銀の毛並みを、皮膚を抜けて体内へと入りこむ。

 血の一滴すら流すことなく、赤子の拳大ほどの結晶石を取り出した。仙力を使い果たす以前から仕込んでいたものだ。里夢を構成する彩玻動は全てここに取りこまれている。

 水籠内の液体が半分まで抜けたところで、雀蓮は濡れるのもいとわず籠内へ踏みこむ。


「さぁ、新しい身体へ」


 少女の身体の胸元、ちょうど心臓の位置へ結晶石を差し入れる。

 腕に少女を抱えたまま、雀蓮は経過を見守る。結晶石から全身へ、里夢の彩玻動が広がっていく。

 透き通るほど白かった皮膚にうっすらと血色が灯ったのは、籠内の水が完全に抜けた頃だった。


 里夢が満足に動けるようになるまでは数年を要した。

 その間も、雀蓮は春時と秋良のことを忘れたことなはい。

 だが医者としての雀蓮を必要とする者は途切れることなく。その場を離れ探しに出ることも叶わぬまま、今に至るのであった。




【里夢の仙力】相手の心を読みとり、記憶の中にある物質を具現化できる。また、その歌にはわずかながら生物の傷を癒す力がある。


【雀蓮と深羅?】妖魔六将として暗躍を続ける深羅は、雀蓮の過去を知っているようだ。雀蓮がそれを完全に思い出すのはまだ先の話となる。



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