伍・砂塵の瑠璃 後
はるかの声は反響し、どこから響いてくるのかわからない。
〝沙里の町では、みんな秋良ちゃんのこと守銭奴って怖がってたけど。私は少し一緒に暮らしてから……ううん、初めから秋良ちゃんは優しい人だってわかってたんだ〟
運び屋の秋良はそれを鼻で笑う。
「なにを言いだすかと思えば、くだらない」
〝沙流砂漠で倒れていた私を助けてくれて、そのあとも。なにも覚えていない私をそばに置いてくれてた〟
声と共に記憶がよみがえってくる。
あの時のはるかは、意識を取り戻しても赤子と変わらぬ状態だった。
重症の傷も自然治癒する得体の知れぬ娘ながら、放って置くこともできなかったのだ。
〝あの沙里の家、裏庭に小さな花壇があったよね?〟
そうだ。今となっては懐かしさすら感じるあの光景。
南に面した窓の向こう、高い石塀に囲まれた小さな空間。
麻の天蓋で砂漠の強い陽射しから守り。柔らかな光の下、乾燥に強い小さな花や低木を育てていた。
〝その庭をお世話してるとき。私がへました時に呆れるとき。泣いてる私に声をかけてくれるとき。秋良ちゃんは隠そうとしてても、やさしい気持ちが伝わってきた〟
「優しさ、だなんて……」
村娘の秋良がつぶやく。
〝それにね、賞金のために人を斬ったとき。秋良ちゃんは悲しそうだったの。本当はそうしたくないのにって、思ってたんじゃないのかな〟
優しさ。弱さ。
そんなものは、火影にいた時にとっくに捨てたつもりでいた。
だが、運び屋の秋良が言う通り、消しきれず存在していた。それが村娘の秋良だ。
〝秋良ちゃんを探している時にね、少しだけ風和の村にいたんだよ〟
ふたりの秋良は、はっと顔をあげる。
〝私、秋良ちゃんがたくさんのお金をどうしてるのかなって思ってたんだけど。七夕ちゃんと七生くんに送ってたんでしょう?〟
火影を離れた直後、一度だけ。風和のあった場所を訪れた。
人づてに火事で村はなくなったと聞いていたが、家がひとつだけ建っていた。家の裏手には村人が埋葬された跡も。
「あの時のあたしは、先生が村を殲滅したと思っていた」
旅人だった雀蓮を村に留まるように頼んだのは、春時と秋良だったのだ。
七夕たち姉弟が、村を再興すると話している声が……その場を離れたあともずっと消えなかった。
運び屋の仕事が安定した頃、吉満の親族づてに金を届けるよう依頼した。
「いくら金を送ったところで、あいつらの両親が帰ってくる訳でもないがな」
「だけど……そうしていて良かった。兄さんが元凶であったなら、なおさら」
〝だからね? 秋良ちゃんは……本当の秋良ちゃんと、秋良ちゃんが見せようとしている姿とはちぐはぐなんだって思ったの〟
「あたしは……焔の前で生きると決意したあの時から。自分のためだけに行動し、そのためなら他を手にかけるのもいとわないと……」
そう思って実践していた。
はるかや、運び屋の秋良が言うとおり、それは甘さや弱さを見せないようにするための鎧だ。
〝本当はずっと言いたかったの。秋良ちゃんに。無理しなくていいよって。私が、そのぶんがんばるからって。もっと早く伝えられていたら……〟
終盤、はるかの声は潤み止まった。
少し間をあけて、再び聞こえる。無理をしてつとめて明るく振る舞う、いつものはるかの声だ。
〝秋良ちゃん、暁城に来てくれたときに言ってたの。『栞菫様とみんなに呼ばれても、本人は自分が誰か分からない』それが……えっと、お茶碗だ、とかなんとか言ってたような……?〟
「またこいつは……」
「それは『茶碗』じゃなく『茶番』だな」
〝それから、ずっと考えてたの。私は誰なんだろうって。『栞菫』でもあるし、秋良ちゃんと暮らしてきた『はるか』でもある。結局、私はなりたい私になればいいんだって。今はそう思ってる〟
なりたい、自分に……?
〝だから秋良ちゃんも、どんな秋良ちゃんだっていいんだよ。今からだって、秋良ちゃんのなりたい秋良ちゃんになればいいんだもん〟
「本当に……救いようのない能天気さだな」
運び屋の秋良が嘲る。
それを見て、村娘の秋良は悟る。たしかに、その瞳にはかすかな温もりがあるように思えたのだ。
〝私は、どんな秋良ちゃんだって変わらず大好きだから〟
はるかの声が。言葉のひとつひとつが。
秋良が眼をそむけ続けてきた、気づくまいとかたくなに閉じていた心の奥底を開いていく。
「……ようやく、わかった」
そう言ったのは村娘の秋良だった。
「あたしは……たとえそれが弱さだとしても、人の心を失いたくなかった」
無垢で疑うことも知らぬはるかは、生きるために捨てざるを得なかった心そのものだった。
「はるかを守ることで、自分の本質を失わずにいることができたんだ」
その頬に涙が伝ったその時。
転がっていた瑠璃石が紺青の光を放つ。周囲を満たした光は収束し、帯となって一方を指し示した。
村娘の秋良は、導かれるように足を踏み出す。
理由はない。その方向に目覚めへの道があると感じていた。
数歩進んで、振り返る。
そこには腕組をしてこちらを見る運び屋の秋良の姿があった。彼女は泰然と言い放つ。
「行けよ。これから先に、俺はもう不要だろう」
村娘の秋良は、鳶色の瞳を細めて首を横にふった。
「それはできない」
「なに……?」
「あんたは、あたしが必死で生きてきた証だ。翠にも言ったろう? あたしたちは、これまでそうして歩いてきたんだ」
運び屋の秋良は、驚きに見開かれていた瞳を閉じた。
「過去を切り離すことはできない、か」
どんなに忌むべき過去であったとしても。
今の自分は、それも含めた積み重なる過去の選択の上に存在しているのだから。
再びまぶたが開かれた時、迷いはなかった。
常に生きるための最善を見出す瞳は、眼前に差し出されたもうひとりの秋良を映す。
小曲刀を振るい続けた古傷のある浅黒い手が、白くなめらかな手をつかんだ。
「――!」
刹那、まばゆい光が視界を満たす。
つながれた手から発せられたその光は、またたく間に全てを包む。
見えるのは白一色。いつの間にか音も消え。たしかに握りしめたはずの手の感覚……いや、全身の感覚すらない。
妙な浮遊感の中、唯一見えたものがあった。
瑠璃色の光――それへ向けて、必死に手を伸ばす。
ひんやりと、それでいてじんわりと温かさを感じるなめらかな石肌の感触。
それを確かなものとして感じたその時。手のひらから腕へ、肩から全身へ。感覚が戻っていく。
「秋良、ちゃん……?」
空気を震わせる音として、はるかの声が耳に届いた。
細く開かれた視界に、薄明かりが差し込む。伝わる感覚を追うと、その手は瑠璃石を握っていた。
瑠璃石を首から提げた主は、紫水晶の瞳を潤ませる。
「は、る……か……?」
「うん……おかえり、秋良ちゃん」
秋良の身体だけではなく、心が紛れもなくそこにあると確かめるように。
はるかは瑠璃石を握る秋良の手に、自らの両手を重ねた。
【七夕と七生】風和の村長の子。秋良を追う中、意識を失ったはるかを一時的に介抱してくれていた。幼い孤児たちを抱え、差出人不明の金をありがたく使わせてもらっている。(捌章弐話)
【秋良の庭】ひとときのつもりとはいえ、初めて家というものを持った秋良が限られた敷地に作ったもの。夢の中に生きた秋良は少し大きな庭に様々な草花を育てていた。(壱章玖話、玖章壱話)
【秋良と翠】秋良の対抗心と翠の言葉足らずで衝突しがちだったが、竜神化をためらう翠を秋良の言葉が後押しした。(伍章捌話)




