伍・砂塵の瑠璃 前
村人をことごとく惨殺し、雀蓮にも深手を負わせ。
秋良をも手にかけようとした。
その事実を、幼い自分は受け止めることができず。事実を曲げて記憶していたというのか――。
雀蓮と再会した時の涙は、自責と謝罪の念もあったのだろう。
「あの無月という男が、兄……」
秋良を見て気づかないのは、自分が変わったからか……あの村の惨劇があった時点で、兄が兄ではなくなったのか。
いずれにせよ。妖魔六将側にいる以上、無月が倒すべき敵であるということに変わりはない。
「そうだ」
運び屋の秋良は感情のない声で淡々と告げる。
「それを知ったことで、心身共に深手を負ったと……薄れる意識の中で先生が言っているのが聞こえた」
「そして眠りの中あたしは……何も起こらなかった、その先を過ごしていたのか」
「そう願ったんだろう? あれさえなければ、自分には違う未来があったはずだ……と」
「そんな、そんな気持ちなんて……」
村娘の秋良は、震える手を拳に握り固めた。
火影にいる間も、その後も。
これまで、幾度となく握りつぶしてきたはずなのだ。
運び屋の秋良は苛立ちを声に吐き出す。
「消しきれていなかった『弱さ』が、『甘さ』がお前だ。運び屋で覆い隠していたのは、強くあるためじゃなかったのか」
「それは……」
「お前がここに引きこもり、ぬくぬくと暮らすほど、お前が締める割合が大きくなりやがった。その間俺は、ずっとこの闇の中だ」
蔑むような嘲るような表情で、運び屋の秋良が怒りをぶつける。
「知る? 目覚める? この事実を知ったお前が、そんなにふくれあがった弱さを抱えて戦えるのかよ」
それを目の当たりにし、胸に鈍い痛みが差す。
他人を拒絶し、怒りで武装し、辛辣な棘で守り固める。
自分はこれほどまでに、恐れていたのだ。弱さというものが、誰よりも自分自身に露呈することを。
「あ、あたし、は……」
声が震えた。
兄であるあの男と。圧倒的力量差のある妖魔六将と、戦う……?
唇を噛み震えを殺して、声を絞りだす。
「なぜ、戦うんだ」
「そんなもの。金と生きるために決まってる」
「そう、あたしが戦っていたのは、剣を振るっていたのは、生きるためだったはずだ」
なぜ、敵いもしない相手と戦う必要がある。
兄だと知らぬ状況でなら、なおのこと。
「生きるための最善を得るなら、戦いを回避するはず。それをしなかったのは、なにか理由があるんじゃないのか」
「理由だと……」
初めて、運び屋の秋良の瞳に戸惑いが揺れた。
「避けられぬ戦い、という状況じゃなかった。あの時、無月と戦うことを自ら選んだ事は覚えている。でもそれはなぜだ?」
記憶として思い出した、意識を失う前の状況。それを手繰りながら、村娘の秋良が続ける。
「まだ、思い出せていないものがあるんだ……なにか」
風翔国であの死闘を繰り広げる前。
陽昇国を出てからの記憶が、抜け落ちている。
「違う、もっと前だ……陽昇国に渡って……」
たまたま乗り合わせた商人の砂船が、盗賊に襲われた。
切り伏せたそれが賞金首だと知らされ、賞金引換所を訪ねたのだった。
引換所である地下酒場の主、吉満から勧められ運び屋の仕事を始めたのだ。
「そう、沙里に住み始めて……一年が過ぎた頃」
「沙流砂漠で見つけたものがあった……?」
砂漠に吹く、砂埃が混じった風の匂い。
気づけば辺りを包む闇は、橙色の淡い光に変わっていた。砂煙に霞む、砂漠の夕暮れだ。
「そうだ、岩と砂溜りの境に!」
運び屋の秋良は、砂を蹴り駆け寄る。
後を追った村娘の秋良は、岩と砂の間に輝くものを見た。
透き通った深い瑠璃色の石だ。
天然ままの形を磨いた、なだらかな隆起のある表面。
石の周囲を銀製の細い帯が二本、対の螺旋を描く形で包み込んでいる。
運び屋の秋良が手を伸ばし掴み取る。掌に銀枠の瑠璃石のみ残して、砂が流れ落ちていく。
「石、だけ……?」
違う。石は、腕輪の一部だったはずだ。掴み上げた時に、石だけを残して壊れた。
「腕輪を身につけていた。誰かが……」
「いた。いたはずなんだ。そのあと、石だけが手元に残った」
「そうだ……大切にしているこの石を、取りに来るだろうと」
言いかけて、はっと運び屋の秋良が口を紡ぐ。
それはあってはならないことだったからだ。
わずかな隙も作らぬよう、極力人との関わりを断ってきた自分が。
誰かに期待するなどと。
村娘の秋良は、次第に思い起こされる記憶を辿る。
「結局、取りに来なくてこちらから渡しに行ったんだ」
向かった場所は暁城。珠織人の居城だ。
「そうだった。それこそ村娘のなりをしてまでな」
運び屋の秋良が手中の瑠璃石を放り投げた。石は豪奢な寝台の上に転がる。
いつの間にか、周囲は暁城内の石壁に囲まれた広い室内に変わっていた。
あの時も、そうして怒りに任せて投げつけたんだった。
だが、肝心の相手が思い出せない。運び屋の秋良が声を荒らげる。
「あいつ、なにかにつけてこちらの気に障ることばかりしてた割に。さっと思い出せないのすら癪にさわりやがる」
その時。
かすかに声が聞こえた気がした。
「この声……」
「ああ、こいつだ」
ふたりの秋良が認識すると、声はより明瞭になっていく。
〝秋良ちゃん……毎日こうして話しかけてるけど、聞こえてるのかな?〟
毎日……村で過ごしている間、夢で呼ばれているような気がしたのはそのためだったのか。
〝えっとね、もうそろそろ出発しなくちゃいけなくって……〟
ああ、そうだろう。
元々先を急ぐ旅だった。供のあいつが、ここでの足止めを許さないはずだ。
〝あ、でもね。少しの間秋良ちゃんを待とうって最初に言ったのは、翠くんからなんだよ〟
想定外の事実に驚く。
それだけはありえないと思っていた。
〝冴空くんも秋良ちゃんのこと待ってたいけど……目覚めない時は、私たちと一緒に来てくれるって〟
聞くごとに、記憶が蘇ってくる。
冴空……任せた通り、無事にこいつを翠の元に送り届けたのか。
〝本当は目が覚めた秋良ちゃんに、ちゃんと伝えたかったんだけど……〟
どこからともなく響く声に、かすかな緊張が含まれる。
〝行く前に伝えておきたいから、今言うね?〟
【砂船】沙流砂漠での荷物運搬や人の移動に使用される。小さい物は人が、大きい物は駱駝が牽く。
【吉満】沙里の商人で酒屋をしている。既出の親族に琥珀の宿屋で息子の広満、潮の配達商人で吉満の兄、磯満がいるが、実は各地の商人組合に親族がいる。外見的遺伝子が強く、ほぼ似通った顔体型をしている。
【瑠璃石】はるかが『とても大切なもの』とだけ記憶している石。銀細工に革紐を通して首から提げている。魔竜士団編の良夜による追憶で、彼が栞菫に贈るつもりだった腕輪の一部と判明している。




