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明らかな双月の下、遥かなる地へ  作者: 蝦夷縞りす
玖・秋良と『過去』
151/152

参・影の刻印 後


 そうして二年が過ぎた頃、同期に入ってまだ残っている女児はいなかった。

 それまでいた部屋から移されると聞き、若い組織員の案内で訪れたその部屋には待ち受けている者がいた。


「やあ、久しぶり。期待通り、死なずにいるみたいだね」


 埋火(うずみび)だった。

 褐色の髪が長く伸びた以外、その顔に浮かべた笑顔の仮面は以前一度だけ会った時と少しも変わっていなかった。

 しかし切れ長の眼の奥に隠された『何か』はさらに大きくなったように感じる。


「それどころか、筋が良いと皆の噂になってるくらいだ」

「……あんたのことも噂で聞いてる」

「へぇ、それって良い噂かな。悪い噂かなぁ」


 教官たち同士での会話に時折登っている。火の名を持つ者の中でもより多くの仕事をこなし、幹部の上位に名を連ねるのも時間の問題だ、と。

 それと同時に、その仕事――特に、脱走者や掟に背いた者を処罰する手口の残虐さに恐れる声も聞いていた。

 秋良は口にせず、沈黙だけを返す。


「あれ、教えてくれないの?」


 埋火は締まりなく笑っているような顔で、瞳の奥ではこちらをくまなく観察している。

 秋良は歩み寄る埋火から眼を放さぬまま、後ろ手で扉を探る。


「ここに、なにをしに?」


 まるでそれを見計らったように、外から錠がかけられた音が聞こえた。

 わずかに眉を寄せた秋良に、眼前に迫った埋火が言う。


「知ってる? 『火影(ほかげ)』では女の組織員って貴重なんだよね。男にはない武器を使って、目標に近づく事ができるでしょ」

「なん……っ」


 秋良の言葉は不自然に途切れた。

 ゆらり、と。

 その男が動いたと思った時には、秋良は壁に押し付けられていたからだ。

 男が壁と平行に押し付けた腕に喉と肩を拘束され、少し動くだけで喉が絞まる。


 楽しげな忍び笑いに次いで、耳元でささやきが聞こえた。


「ものになりそうな子は『そういう』訓練も必要だってこと。……抵抗、しても構わないけど?」


 抵抗しようにも、訓練段階にいる秋良は訓練時以外の武器の携帯を許されていない。素手で抗える相手ではないことはわかっていた。

 なにより、今こちらを見下ろしている埋火のその眼が――こちらの反応を楽しもうとしている。

 期待通りの反応を見せることはしない。それがせめてもの抵抗だった。


 これが、ここで力を得るために必要なのであれば。

 生き延びるためにどんなことでもすると決めた。全ては生を繋ぐための道具でしかない。自らの身体さえも――。


 初めて砦の外に出たのは、それから半年が経った頃だった。

 ひとりではない。埋火と、彼の下についている数人の組織員と共に。

 街で手に入れた清楚な衣服に身を包み。

 組織員の一人に誘われて向かった屋敷で、屋敷の主と思しき中年の男に引き渡された。

 身を売る娘としてその男に買われた。それが今の自分だ。


 全ては聞かされた計画通りに、面白いように運んでいた。信頼を得るために、既に数度に渡って娘を紹介していたらしい。

 風翔国(かぜかけるくに)で名を馳せた将軍だというその男は、その日買った娘をなんの疑いも抱かずに寝所へと連れ込み。

 睦事の最中にかんざしを利用した暗器で首筋を衝かれ、あえなく息絶えた。


 初めて任された仕事は、そうしてあっけないほど簡単に片付いた。

 見も知らぬ男の命を奪うことなど、共に辛い訓練を乗り越えた仲間の処分に比べれば容易いことだ。

 もっとも、今となっては仲間を手に掛けることすら苦にならなくなっていた。


 自らの手で仕事を達成した興奮も、他者の命を奪った罪悪感も、そんな感慨のようなものは欠片も浮かぶこともなく。

 そんな秋良を埋火はますます気に入ったようだった。


 それからいくつも与えられた仕事をこなした。

 ただ命じられるまま、あてがわれた対象の命を奪う。なぜその者が死ななければならないのか? そんなことは気にも留める必要もない。

 それをしなければ自身の命が失われるだけだ。


 相手が依頼された標的だろうと。

 同じ年頃の、かつて同じ訓練を共にした相手だろうと。

 右も左も分からぬまま怯え逃亡を計った子供だろうと。


 急所をひと突き、ひと掻きすれば、あふれる血と共に簡単に絶命する。

 あの村で、村人たちの無惨な姿と、この手に触れた赤に震えていた頃の自分はもういない。


 今は、この手で血の海と無惨な肉の塊を生み出す。

 その行動にも、そうする自分自身にも。なんの響心も感じることはなかった。


 秋良は、数年ぶりに(ほむら)に再会した。

 左右に幹部達が並ぶ中、膝をつきその場に控える秋良に、焔はゆっくりと歩み寄る。

 石畳の床に落とした秋良の視線に焔の影が映ったとき、彼は足を止めた。


「『火影』の一員として、武器と名を授ける。受け取るがいい」


 重厚に響く声。

 秋良をこの道へ誘った声。


 眼前に差し出されていたのは、一振りの小曲刀。

 ここに来た時に奪われ、すでに諦めていた。

 しかしそれは紛れもなく兄から譲り受けたあの小曲刀だ。


 思わず顔を上げると、あの日と変わらぬ無表情な黒い瞳と視線が合った。

 そこから、焔の思惑を読み取る事はできない。


 両手を伸ばし小曲刀を受け取ると、焔はその場にいる全員に向けて告げる。


「今ここに影を生む新たな火が生まれた。名は『鬼灯(ほおずき)』だ」


 焔に促され立ち上がり、老若入り混じった幹部を眺めた。中には昼行灯や、教官として出会ったことのある姿もある。

 その端にいた埋火は、満足そうな笑みを浮かべてこちらを見つめていた。


【鬼灯】橙色の袋状のがくが特徴的。観賞用としては美しいが毒がある。花言葉のひとつが「偽り」。

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