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明らかな双月の下、遥かなる地へ  作者: 蝦夷縞りす
玖・秋良と『過去』
150/152

参・影の刻印 中


 壁に松明だけが点在する石造りの廊下を、何往復したかは覚えていない。

 同部屋にいた子供は、何人も入れ替わった。

 だが、秋良はまだ生きていた。初期訓練と言われているものにも、慣れてきている。


 訓練を終えた同室の子供ふたりと、部屋へ戻ろうとしていた時。部屋近くの松明の下に、ひとりの青年が立っていた。

 彼は、秋良がその存在に気づくと同時に歩み寄ってくる。

 他にも同年代の子供がふたり連れ立っていたが、彼の視線は秋良だけに注がれていた。


 秋良が避けて行こうとすると、青年は壁に手をついて行く手を塞ぐ。戸惑う他ふたりを、青年は先に行くようにうながす。

 見上げた先には、こちらを見下ろす友好的な笑顔。しかし、褐色の長い前髪から覗く切れ長の眼には、笑みのひとかけらも見出せない。

 年齢は十近く違うだろうかと思っていたが、落ち着いた雰囲気がそう思わせるだけで。

 近づいてみると実際はもう少し下――十六、七歳くらいに見受けられた。


 これまでにも何度か、自分よりも上位の訓練を受けている者とすれ違う事はあった。しかし、今までの誰とも違う。

 なにが、と明確に言葉にはできない。

 自身の内のずっと奥深いところ……本能が秋良に警戒心を抱かせている。

 相手の真意を求めて、色素の薄い琥珀色の瞳を見返す。そこには緊張を含んだ自分の表情以外、映されていなかった。


 しかし彼自身は何かを納得した様子で、幾度か軽くうなずいて言った。


「なるほどねぇ。昼行灯(ひるあんどん)のじいさんが見込むだけはあるということか。君なんでしょ? (ほむら)様が連れてきたって子は」

「おい、埋火(うずみび)


 背後から聞こえたしわがれ声に、秋良だけでなく青年もそちらへ眼を向けた。

 通路をのっそりと歩いて来るのは背の曲がった老人――昼行灯だ。


 禿げ上がった頭頂部を囲む白髪は力なく下へ垂れ下がり、深い皺が刻まれた顔も皮膚が下がっているため表情が掴み難い。


 昼行灯の言葉が青年を呼ばわったものだと気づき、秋良は思わず青年を振り仰いだ。

 この若さで、既に『火の名』を受けている者がいるという事実に驚いたのだ。


 昼行灯は秋良の横まで来ると、腕を掴んで埋火から離した。背筋が湾曲しているせいもあるが、小柄な身体は秋良と大差ない身の丈だ。

 老人は下がった瞼の下から青年を見上げる。


「用命のねぇ者以外がこの区画に立ち入る事は禁止されているはずだぜ?」


 言って、温厚そうな外見からは想像もつかないほど鋭利な眼光を垣間見せた。彼の組織員としての一面を初めて目の当りにした秋良は密かに息を呑む。

 しかし埋火は微かにも怯むことなく、おどけた様子で首をすくめて見せる。


「用命以外で来るはずがないでしょう? ゆくゆく俺が引き受けることになるらしいから、ちょっと見に来ただけ」

「お前さんが……?」

「とりあえず用は済んだから早々に帰りますよ。行灯が夜闇に輝く前にね」


 言いながら踵を返しかけ、埋火はちらと秋良に視線を送った。


「成長が楽しみだね……外側も、中身も」


 その笑みに、深さの知れぬ深淵に上半身を押し込まれたような戦慄を覚えた。秋良は知らず自らの腕を掴む。


「お前、焔に連れてこられたって誰かに話したのか」

「……誰にも」

「あの野郎、どっから聞き出しやがったんだ……」


 昼行灯と呼ばれている老人は遠ざかる埋火の背中を舌打ちで見送り、秋良にしか聞こえないほどの声で言った。


「名を授かってるだけの実力は俺も焔も認めてるが――」


 言いかけて、昼行灯は唇を数度噛んだ。


「もう眼をつけられちまったんなら、言っても仕方ねぇかもしれねぇが……あいつにだけは気をつけろ。わかったな、ほの十二番」


 念を押すように肩を叩かれ、秋良はうなずきだけを返した。


 いろはで銘打たれた『ほ』の部屋に十二番目に入れられた子供。

『ほの十二番』

 それが、ここでの名前だった。


 毎日決められた時間に起き、広場へ行く。各自段階に応じた訓練を受ける。

 教官役を任されている組織員が数名指導に当たるが、それを取り仕切っているのが昼行灯と呼ばれているあの老人だった。

 物以下の扱いを受けるこの場所において、子供達を人間として扱ってくれる。

 拷問とも錯覚しかねない教官たちの指導下で死者が出ないのは、その前に彼が止めてくれるからだ。

 もちろん、戒律に反しない範囲に限られてはいる。それでも、子供たちにとっては彼の存在がどれだけ救いとなっていることか。


 彼は初めて訓練に入る子供たちには必ず、他の組織員には聞こえないようにこっそりと話して聞かせる。


 後にも先にも一度しか言わねぇから、よぉく覚えとけ。

 いっぺんここに入れられちまったら、残念だが元の暮らしにゃ戻れねぇ。

 極端に言やぁ諦めて死ぬか、なにがなんでも生きるか、どっちかしかねぇんだ。

 訓練の内は辛かろうが、名を受けるまで行くことができりゃ、ある程度自由は利く。

 なにがなんでも……いいか、なにがなんでもだ。

 とにかく自分が生き残るために考え、自分が生き延びるために動け。わかったな?


 秋良は、ここを出たいと思ったことはなかった。

 他の子供達と同じく、出ようにも出られない状況にそうせざるを得なかったというのが大きな理由ではある。

 それが現実ならば。外へ出られぬことを嘆いたり、今の境遇を与える者たちを恨んだりするのは無意味だ。

 焔の言う通り、生きるため――『自分が生きるために他者を殺すための強さ』を身体に叩きこむ。

 昼行灯に教わったとおり、全ての思考は生き残るために、全ての行動は生き延びるために。


 初期訓練から上の段階に上がれば、自分よりも下の訓練を行なっている子供達の処分を任されるようになる。

 脱走に失敗した者、不適合者と判断された者。理由がどちらだろうと、殺さなければならないことに変わりはない。処分を実行することができなければ、自分もまた不適合者として処分されるのだ。

 処分も訓練の一環として利用された。初期の訓練で学んだ急所への攻撃や人体に刃を通す手ごたえを実践で体感する場となるのだ。


【火の名】火影で実績を積み、焔が認めた者だけが授かる。幹部としてある程度の権利や自由を得ることができる。

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