東京 2012~2015年 ⑤
眞子は留学中、バレエをテーマにした映画《愛と喝采の日々》(この邦題は日本に帰ってから知ったのだが)のエンディングにかかっていたショパンの曲を龍にピアノで弾いてもらい、踊りをコピーしたことがあった。
「いま私たちが知っていることを、あの頃の私たちが知っていたら…」
映画のラストで、シャーリー・マクレーンとアン・バンクロフトががっしりと肩を組み、遠い目をしてそのようなことを言っていた。
2人の視線の遠く遠く先で、今まさにバレリーナとしての、そして女性としての人生を歩み始めたばかりの娘役が、ショパンのエオリアンハープの旋律にのってポアントで細かくステップを踏む―――眞子がコピーしたのは、その踊りだった。
あの映画を観たとき、眞子の人生もまた、ダンサーとして、そして女性として始まったばかりだったのになぜか、道が閉ざされていく中年女性二人の放ったこの言葉がずっと、頭の隅に残っていた。
そして今、実感をもってこの言葉の意味をかみしめている。
あれから20年以上たった今、眞子は人生で何一つ成しとげず、なにもかもがまちがいだったような気がして無力感におそわれることがある。
すべてを、葵をこの世に送り出したことは別としても、他のすべてをやりなおしたいと、生まれた日から、いやせめて父親が死んだとの連絡を受けたあの日からやりなおしたいという衝動で、頭がおかしくなりそうな瞬間がある。
仕事もバレエもない朝、夫と娘を見送ったあと、シンクにあふれんばかりの汚れた茶碗や皿やフライパンを前にして、この洗い物と、部屋とトイレと浴室と玄関の掃除と窓の結露取りにどのような手順で取りかかればよいのかと、とほうに暮れることがある。
毎日やっていることだというのに、きれいにすべき食器と衣類と風呂釜と床とトイレと、更には、もう何年も前に夫の口から発せられた「どうせきれいにしてもまたすぐ汚れるのに」という言葉―――それでは、と夫の部屋を掃除するのは週末の前後だけになり、やがて今では週1回掃除機をさっとかけるだけにしているけれど―――が頭のなかでうず巻き、家事に手が出せない。
眞子は洗い物から後ずさりして白ワインのコルクを引き抜き、グラスになみなみと注いで、からからののどに流し込む。
どうしようもないこの倦怠感と絶望感に抗って皿を洗い洗濯機を回して家じゅう(夫の部屋以外!)の掃除をして洗濯物を干して乾いたら取り込んでたたみ、通常営業的な自分と家を取りつくろった状態で、学校から帰ってくる娘を迎えるには、アルコールの力が必要だった。
父親もこういった心境で酒に溺れていき、最後には海で溺れて死んだのだろうかと考えるとこわくなるが、自分は仕事やバレエのある日は飲んでいないし、一気にワインボトル1本は空けないように、たとえグラス1/2杯分でも残すようにと、本来のストイックさをなんとか発揮して、酒に飲まれないよう制御できている。
今のところは。
アルコールの力を借りて家事をやっつけて夕飯の下ごしらえとその後片づけまで終わらせてしまえば、あと一がんばり。
だらだらと流れてくる涙でぐちゃぐちゃになった顔を洗って腫れぼったい目を冷やし、それなりに身ぎれいにした状態にとりつくろい、夕飯のおかずや弁当の中身ぐらいしか考えることのない気楽な主婦の声で「おかえりー」と、学校から帰ってくる娘を迎えればよいのだ。
あと何年か、母親でいればいいだけのことだ。
帰宅した娘に、今日寒かったねー、お弁当の肉じゃがきんきんに冷えてなかった?
やっぱり今更だけど保温のお弁当箱買う? でも重いよね、
などと話しかけながら母子二人きりで夕食をとる。
カレンダーに「×」がついている日は夫が外で食べて帰るという印だが、それらが仕事がらみの接待かプライベートの飲み会か英会話かアイドルのイベントか、眞子はもう何年も前から把握することをやめている。
入浴後はテレビの前のソファに座り、娘と順番にドライヤーで髪を乾かす。
笑い声や喋り声がリビングで踊る夜もあれば、話すこともなくドライヤーとテレビの音だけが空虚にこだまする夜もある。
髪が乾くとすぐさまスマホを猛スピードで操作してから充電器につないで部屋に引き上げていく娘とおやすみの挨拶を交わし、自分も寝室―――マンションを購入してからも引き続き夫とは別室で寝ている―――の戸を閉めて床に就き、まぶたが重くなるまで小説などを読み、このまま何も考えずに寝てしまおうと灯りを消すけれど、ドスンとかゴトンとかいう衝撃音が上階から響くととたんに意識はさえて体はこわばり、眠気はするりと逃げてゆく。
上階の住人の趣味はプロレスかDIYかあるいは夫婦喧嘩か、と想像をめぐらせると神経がさえてしまうから、ただ無心で横たわろうとがんばるのだけれど、がんばっている時点ですでにリラックスとは対極の状態なわけだから、耐えきれず眠りを追いかけるように寝返りなど打ってみたりしているうちに、自然災害的な無力さで今夜も記憶の洪水にのまれたら、嗚呼、最後に夢想することはひとつ。
もしも今この瞬間、手を握って眠ってもいいかときいたら、彼はあのときと同じように手をさし出してくれるだろうか。
その手を握って彼の隣で目を閉じることができのなら、そのままもう目覚めなくていい。
あいたい。
ノエルにあいたい。
ノエルにあいたくてしかたない。
あいたくてあいたくてどうしようもない…




