東京 2011年
東京で体験した東日本大震災は、京都で感じた阪神淡路大震災の揺れよりも激しかったし長かった。
こわかった。
ノエルから電話はかかってこなかった。
当り前だ。
転居に次ぐ転居で、定期的に連絡をとったり毎年欠かさず年賀状を交換している人以外とは、音信不通になって久しい。
いやーーー連絡先云々ではない。
ノエルから連絡がくることなど、もう一生ないのだ。
余震のたびにまた来たかと身構えていたせいか、地震が起きていなくても揺れているように感じることがある。
立ちくらみやめまいを地震だと勘違いすることもあれば、本当に揺れているのに、またいつもの貧血かとのんびり構えていることもある。
いっそ、この地震で家族や愛する人を残して亡くなってしまった誰かのかわりに、自分が死んでしまえればよかったのになどと考えている自分に気づき、自己嫌悪におちいる。
塾での最高学年(塾においての学年は都内の中学受験が始まる2月頭に切り替わるので、実際はまだ小学五年生なのだが)になって一番上のクラスに上がった葵は、それまでの月水金土のクラスに加え、日曜の志望校別クラスにも通うようになった。
夫も子供もますます不在がちな今、眞子が家にいて喜ぶのは飼っている文鳥だけなので、葵のスケジュールと調整しながらも積極的に講師の仕事を引き受けている。
葵が塾にいかない日は夕方に帰宅できる昼間の講座を教え、塾にいく日は逆に塾弁をつくってから夕方に出かけていく。
夜の講座を教える日のスケジュールはこんなかんじだ。
仕事を始める前とかわらず午前中に掃除洗濯をすませて、午後には夕飯を作って娘が塾で食べる弁当を詰める。
帰宅した娘を車で駅に(時間に余裕があれば塾まで)送った後、一旦帰宅して車を停めてから自転車で駅まで行き、電車で丸の内にある企業や御茶ノ水にある大学などに英語を教えにいく。
5時または5時半から始まる1時間半の講座を教え、満員電車に揺られて帰宅し、半狂乱で眞子の帰宅を喜ぶピチュの相手をしながら―――と言ってもカゴから出す余裕はないので「ごめんね、さびしかった?」「明日遊ぼうね」などと話しかけるだけなのだが―――出かける前に準備しておいた夕食をかきこむ。
飼育本には「文鳥は人間の言葉を理解できない」とあるが、ピチュは決して返事するタイミングをはずさない。
何を言っても絶妙のタイミングで
ピチュッ!
と気持ちよく相槌を打ってくれる。
子供のころに飼っていたピーコに比べて体つきも鳴き声もずいぶんと貧弱なピチュだが、臆病なわりに気は強いという性格は同じだ(文鳥共通なのだろうか?)。
ピチュは健一を敵とみなし、葵を友と認め、眞子にべったりなついている。
この地球上でもっとも自分を愛し必要としているのはこの文鳥だと思ってまちがいない。
食べ終わる前に「ママ、今塾終わった」と葵から電話がくると、口の中で咀嚼していたものを麦茶で流し込み、マンションの地下駐車場に向かう。
立体駐車場から騒々しく引っぱり出した車を運転して、3~40分ばかり前に電車で戻ってきたばかりの駅に着くと、我が子の姿を見逃さないようロータリーに停めた車の中から目を光らせる。
肩にかかる髪をはずませ車へと小走りにやってくる葵を目にするたびに眞子は、また一日長く母親でいられたことにほっとする。
帰りの車で葵は、塾でこんなことを習った、先生がこんなことを言ってみんなを笑わせたと楽しそうに話す。
狭い空間に並んで座っているせいか、車の中では心なしか、家にいるときよりも娘との距離が縮まるように感じる。
母親はこの年齢の娘とどのように接して、どのような会話をするものなのか、どのぐらい世話を焼いてどのぐらい本人に任せるものなのか、眞子にはよくわからない。
自分が母親を亡くした年齢を葵がとうに超えてしまったからだろうかという思いが頭をよぎるたびに、親子関係など人それぞれで正解などなく、さらに世界規模で見れば「普通」もクソもないのだから自由にやればよいと自分に言い聞かせるが、自信がもてない。
専業主婦でいた生活が長かったせいか、それとも専業主婦のときと変わらぬ家事の負担に仕事の負担が加わったせいか、週に数日、しかもほんの数時間外で働くだけで、くたくたに疲労する。
朝、なんとか夫と子供を送り出した後、気分が悪くて横になることも少なくない。
もっとも多い講座依頼の内容は、ALLでは担当するのを避けていたTOEICなどの資格取得講座だったが、この年齢で大した職歴もなく雇ってもらえるだけでありがたいことなのだからと考え、スケジュールさえ合えば引き受け、準備にも時間と労力をかけている。
眞子は手を抜けない性分なのだ。
しかし、何をこんなにがんばっているのだろう、と白けた気分になることもある。
ある夜、英語を教えて帰宅し、子供を車で拾い、一緒に風呂に入り、湯船で居眠りしそうなのをこらえて娘のお喋りを聞き、ヒールのせいか古傷なのか痛む足をさすり、洗った髪を乾かして、ようやく床に就けると思ったときに、娘の中学受験の願書が目に入った。
我が子の学校や塾に無関与なわりに書類記入だけは積極的に引き受けてくれる夫が、早々にいつものミミズがのたくるような文字で記入をすませていたが、家族構成欄の「父」と書いた横にはご丁寧に会社名まで記してあるのに、「母」の「職業」は「主婦」となっている。
仕事を始める際には了解を得たし、講座のある日は伝えてあるが、眞子が仕事へ向かう時間も戻る時間も夫は家にいないことが多く、収入もあてにされていないのだから、健一にとって眞子は主婦以外の何者でもないのだった。
フルタイムで働きながら子供を育てるのはどれほど大変なのだろうと考えると、眞子はシングルマザーになる決心がつかないまま、コミュニケーションもスキンシップもなくなって久しい夫との結婚生活に甘んじている。
夫との関係修復は何度も試みてきたが、関係を修復すべきとの認識もない健一を相手に何を言おうが、どんなに一生懸命手紙やメールを書こうが一方通行なのだった。
眞子はいつの日からか、自分は「経済的援助を受けるシングルマザー」なのだと自分の気持ちに無理矢理折り合いをつけてやりすごしている。
英語を教えて受け取る時給は3700円(当然それは授業時間に対してのみ支払われ、講座の準備や、生徒の評価などの書類作成にかかる時間には時給が発生しない)、一枠1時間半の講座が多いので、1週間に講座を3つ教えれば、月の収入は7万円前後。
しばらくは夫の扶養に収まるこのペースで働き、子供が中学生になって塾弁作りや塾の送迎が不要になれば、労働時間も収入も増やしていきたいと考えている。
夫の収入には遠く遠く及ばないが、一日も早く経済的に自立することをめざしている。
生き急ぐように突き進んだ若い頃とちがい、年齢を重ねて成長したのか、母親になった責任感からか、内側から死んでいくような毎日を送りながらも、衝動的に家を出たり離婚したりしてはいけないと自覚している。
長いスパンで物事を考えられなかった頃の、今が未来に続いているとは信じがたかったあの頃の眞子と比べれば、成長した部分もあるのかもしれない。
失くしたものの方がはるかに大きいと感じるけれど…
葵の塾通いと自分の仕事で忙しくなってから眞子は、久しくバレエに通っていない。
このまま辞めてしまえれば、それでかまわない。




