東京 2012~2015年 ①
志望校に合格した葵は充実した中学生活をエンジョイしている。
成績は全教科10段階評価で常に9か10を維持し、友達も多く先生からの信頼もあつく、勉強や友達づきあいだけでなく部活や学校行事にも忙しい。
その反面、家ではしょっちゅう小鳥の世話を失念したり、眞子が早起きして作った弁当を持たずに家を飛び出しそうになったりもする。
そのたびに眞子は腹が立ったり悲しくなったりするのだが、心身ともにバランスよく健やかに生きていくにはそのぐらいのゆるさが必要なのかもしれないとも思い、なるべく小言をのみこんでいる。
14歳の誕生日にスマホデビューしてからはラインのやり取りに気をとられているようすも見られるが、使用はリビングでのみ、食事中の使用は禁止、寝る前にはリビングの充電器に置いていくというルールを遵守させ、今のところ問題は起きていない。
テスト前にも忙しくスマホをいじる姿を見かけるが、クラスメイトとテスト範囲を確認しあったり、たのまれてノートやプリントを写メして送っているとのことらしい。
スマホに限らず、テクノロジーの進化と時代の変化で、色々なことを注意すべきか認めるべきか、判断が難しい。
「ママもスマホにすればいいのに」
と葵には言われるが、眞子にはガラ携と、このうんざりするほどスローなパソコンがあれば十分だ。
Jリーガーだった公平に関するニュースなどを検索するまでもなく目にするといつも、誇らしさと羨ましさと焦りが綯い交ぜになった複雑な心境を味わうというのに、いつでもどこでもあらゆるサイトやSNSにさくさくアクセスできる環境を手に入れてうっかりノエルを検索してしまったら最後、ネットストーカーにおちいらないという自信がない。
葵から「テニス部に入る」と聞いたときは、「なんでまたそんな日焼けしそうな部活!?」と心の中で叫んだが声には出さなかった。
バレエをやっていた自分とはちがい、葵は日焼けしてもいいのだ。
とは言え、日焼け止めの重要性だけはくり返し提唱しているが。
学校までは片道約1時間かかるため、部活のある日は帰宅が夜7時を過ぎる(校則で部活動は5時半まで、となっているから、速やかに帰ってくればもっと早いはずだが…)。
部活のない日も友達と教室でお喋りしたり図書館で勉強したり学食でアイスクリームを食べたりして帰るので、葵が6時より早く帰宅することはまずない。
二年生になってからは生徒会にも加わり、学校にいる時間は長くなる一方だ。
休日も部活の練習や試合の予定が入ったり、そうでなければ友達と遊びにいくので、家で昼食を一緒にとることなど稀だ。
重度のアレルギーを持つ葵が、友達と外食する際に万が一アナフィラキシーショックを起こした場合に備えて、頓服薬とエピペン注射を肌身離さず持たせている。
原料に卵が含まれる食物を小さなころから避けてきた葵は今も、ケーキ、デザート類やオムライスなど、完全に火が通っていないものは食べられないが、パンや揚げ物や麺類などは卵が入っていても、アレルギー反応を起こさなくなった。
少量ずつ毎日アレルゲンを摂取することによってアレルギー反応を起こしにくくする、経口減感作療法という治療を中学生になる春休みに受けたおかげだ。
経口減感作療法については数年前からテレビや新聞で耳にするようになり、何度も調べてみたことはあったが、限られた医療機関でしか行われておらず、一番近い病院でさえ家から片道1時間半もかかるということもあり、なかなか治療に踏み切れないでいた。
葵のアレルギーが成長とともによくなってくれることを願いつつ見守ってきた眞子が、まだ一般的には普及していないこのような治療を受けさせようと決心するきっかけとなったのは、6年生になった葵の目の前で近所の皮膚科医が無神経に放った
「思春期になってもよくならなければ一生よくなりませんから」
との一言だった。
家にも外にも無神経な男がいることにうんざりしながらも、ますます宿泊行事や友達との外食が増えるであろう中学生活に備えて治療を受けてみてもよいのではないかと、葵本人と話し合って決めた。
しかし病院のホームページでは、アレルギー患者全員がこの治療の適用に当てはまるわけではないと記されていたため、葵が当てはまるのかを電話で問い合わようとしたところ、
「まずは受診してください」
の一点張りで、
「アレルギー科は毎月1日に翌月分の初診予約を朝8時半から受け付けますので」
との情報しか得られなかった。
翌月のカレンダーに印をつけ、その日の8時半になると同時に電話をかけてみたが何十回かけても繋がらず、予約が埋まってしまうのではないかと、受話器を握りながら眞子はハラハラ(そして言うまでもなくイライラ)した。
10時半を過ぎてようやく繋がった電話でなんとか診察の予約を入れることができたときにはほっとしたが、本当に大変なのはそれからだった。
小学生の葵をつれて慣れないラッシュ時の電車やバスを乗り継ぎ予約に間に合うよう到着してみても一向に名前を呼ばれず、確認してもマダソノママオマチクダサイのくり返しで結局4時間以上も待たされた(謎だ!)あげく、ようやく問診や検査を受けたのだが、後日には再度来院してアレルギー教室なるもので家中にはびこるダニの映像をこれでもかというほど見せつけられる必要があり、入浴や保湿の仕方などなど、葵が幼少の頃から既にうんざりするほど耳にしてきた情報にも殊勝な面持ちでうなずく必要があり、それら忍耐と持久力をともなう努力の末にやっと春休みに入院できるよう予約を入れることができた。
入院中は医師立ち合いの下、固ゆで卵の白身0.1g(うっかり鼻息で行方不明になりえる軽さ小ささだ)を食べさせ、アナフィラキシーを起こさなければもう0.1g、というのを3回くりかえし、一晩入院した後、体温や血圧、呼吸などに異常がないか診察を受けて退院した。
その後は自宅で正確に計量したゆで卵を徐々に量を増やしながら、
「卵ってまずーい」
「のどがかゆい」
と言う葵に、毎日毎日食べさせなければならなかった。
半年以上かけて、葵が丸1個のゆで卵を食べられるようになったのは中学一年の秋だった。
それまでの間、2ヶ月に1度はこの遠くて激混みの病院に往復3時間以上かけて通院し、主治医に途中経過を報告して指示を受けなくてはならなかった。
夫に車でつれていってもらえたらどんなに助かるだろうと思わずにはいられなかったが、健一はもちろん「仕事だから」病院に付き添うことがないばかりか、「病院どうだった?」などと1度たりとも尋ねることすらなく、お気楽な調子で、
「ゆで卵食べてるのぉ?いいなぁ」
「え、卵食べられるようになったの葵ちゃん!?」
などと何度も何度も何ヶ月にも及んで元気いっぱいに言い続けるので、眞子は熱々のゆで卵を夫のまぬけ面に投げつけてやりたい衝動と戦わねばならなかった。




