東京 2006年
健一は仕事が忙しく平日は母子家庭状態なので、週末ぐらいは家族そろって出かけたり遊んだりするよう心がけている。
出かける日は、朝早くから眞子は掃除洗濯をすませ、弁当を作る。
生後6か月で葵が卵アレルギーだと診断されたときにはショックを受け、
「3歳ぐらいには治るみたいだよ」
となぐさめる近所の人の言葉に、3年間も完全に卵を除去しなくてはならないのか!と逆にショックを受けたのだが、それですめばどんなによかっただろう、と今になって思う。
3歳になっても5歳になっても小学生になっても葵は、微量でも卵が、あるいは卵由来の原材料が加工食品に含まれているだけでもアレルギー反応を起こし、更には果物や魚介類など他の食材にもアレルギーがあることが後から後から判明した。
卵のようにまったく口にできないアレルゲンもあるが調理法によっては食べられるものもあり、その詳細を父親である健一に何度説明してもなぜか把握してもらえない。
外出の際には、「昼は弁当、夜は家で」を心がけていたが、外食することになればアレルギー対応をしてくれる店を探さなくてはならず、その際に説明や交渉をするのは眞子の役目なのだった。
夫をあてにできない眞子は娘に、本人が自らのアレルギーに関して正しく理解し他人にも説明できるよう教育してきたため、葵は2歳になる頃には、他人からお菓子などを手渡されそうになっても、
「これ、たまご入ってる? ああい、たまご食べられないの」
と自己申告できるようになっていた。
葵はパッケージに書かれている原材料を自分の目で確認する習慣も身についている。
言葉も十分に話せないような小さな頃から文字に興味を示し始めた葵からせがまれるままに読み方を教えていたら、2歳半になる前にはひらがなカタカナだけでなく、数字やアルファベットまで読めるようになっていたため、それなら、と漢字の「卵」も、お絵描きをしていた葵の画用紙に大きく書いて見せたら、自分で読めるようになったのだった。
しかし小学校入学をひかえて心配なのは、なんといっても給食だ。
同じ社宅の先輩ママから、給食も今やアレルギー対応をしてくれる時代だと聞いていたが、眞子は事故が起こらないか心配で、引っ越してすぐに、通う予定の公立小学校に足を運び栄養士と面談した。
おかっぱ頭の小柄な栄養士が、この道大ベテランといった貫禄をにじませ、
「ご心配なさらなくて大丈夫ですよ。他にもアレルギーの子がいますけど元気に給食たべてますから。毎月メニューが決まり次第、毎日の献立と原材料をすべて記載した用紙を持ち帰らせますので、除去が必要なものにはご家庭で印をつけてください」
と、てきぱき話すのをきいて、眞子は「よろしくお願いします」と頭を下げた拍子に、涙がこぼれそうになった。
ゴールデンウィークに、神奈川にある夫の実家を訪れた。
大阪に転勤になるまでは毎年正月に日帰りで顔をだしていたのだが、葵はまだ小さかったため、祖父母の家に行ったことをよく覚えていないようだ。
義父母はにこやかに迎えてくれたが、駅前のホテルに昼食の予約を入れてあるからと、淹れてくれた煎茶を眞子が飲み終えるや否や、すぐに健一の車で移動する段取りだった。
店に到着し、注文をすませると義父母は、
「葵ちゃん、大きくなったねぇ」
「眞子さんはお変わりなく」
「いつまでもおきれいで」
「葵ちゃんもべっぴんさんねぇ」
「葵ちゃんのお母さん、いつまでも若くてきれいなままねぇ」
などと同じような文句をくり返してはゆらゆらと微笑んでいたが、やがて、
「ケン、あんた、野球やってたお迎えのよっちゃん、覚えてる?阪神にいったらしいよ」
「え、あのいつも鼻たらしてた!?」
「鼻垂らしてたのはよっちゃんの弟じゃない?」
「いや、ケン、お前が鼻たらしてた」
などと、内輪ネタで盛り上がり始めた。
アレルギーのある葵でも肉なら平気であろうと、予約してあったのは立派な構えのしゃぶしゃぶ店で、健一が、
「うまい!やわらかいね。いい肉だな」
と、ばくばくと食べるかたわら、眞子は鍋から肉や野菜を引き上げて、食欲旺盛な葵の小鉢に入れるのに忙しい。
平日は母子二人だけで食べているのだから、休日に鍋を囲むときぐらい子供に気を配ってほしいと(ついでに自分のことも労ってくれないかとのわずかな希望もあり)かつて夫に訴えたこともあるのだが、
「言っておくけど、鍋の時にぼくは」
と、選手宣誓を誓うアスリートのような潔さで、
「父親に肉を取ってもらったことなんてないからね」
と唱えられてからは、期待するのも頼むのもアホらしくなってあきらめている。
前々からお友達がこぞってお祖父ちゃんお祖母ちゃんの家に泊まりにいくという話を耳にして、自分もそれを体験してみたい葵が、
「こんど葵一人でお泊りしていい?」
と、緊張したようすで切り出すが、
「ええ~~~!!!お祖母ちゃん、ごはん何作っていいかわからないわ~。葵ちゃんアレルギーあるでしょ」
と姑が言い、話はそこで終わる。
子供好きで料理好きだった自分の母親が生きていたら、と考えずにはいられないが、死者や失くしたものを美化するのは簡単で、いくらでも良いように想像できるし、だから想像してはいけない、と眞子は、あらゆる思いをゆですぎた肉と一緒に飲み込む。
今いる現実に満たされないからと言って、妄想に逃げてはいけない。
そんなことはわかっている。
ただ…
ただ、思い出せなくて気になるだけだ。
何がおかしくて、テーブルを囲んであんなにたくさん笑っていたのかを。
フランスに滞在していた間、毎朝ノエルかノエルのお父さんが買ってきた焼きたてのフランスパンやクロワッサンをほおばりながら、どんな会話をしたのか、内容など思い出せないのに、みんなで声を上げて笑っていた記憶だけが残っている。
食べ終わっても誰もすぐには席を立たずにお喋りを続けるのが、普通の家庭には普通のことなのかもしれないけど、なんてステキなことだろうと、あこがれを通り越して感動すらしていた。
それなのに、食後にゆっくり談笑するような家庭を、眞子は築けていない。
一刻も早くその日の家事を終わらせたいあまり素早く皿を下げ、ちょっとした刺激でもすぐにアトピー肌がかゆくなる娘に手や口を洗うよう急かし、早食いのくせにあとほんの一口で片付きそうなデザートなどをちびちびと味わっている夫に苛ついている。
ソロソロイキマショウカ、と誰か、姑だろうか、が言う声が遠くから聞こえてきて、眞子の意識はホテルのしゃぶしゃぶ店に引き戻される。
支払いは例のごとく、先ほど手洗いに立った舅によって、手際よく既に済ませられている。
ゴチソウサマデシタイツモスミマセン
と頭を下げた拍子に立ちくらみがして、眞子はその場に一人しばらく立ちつくす。




