大阪⇒東京 2006年
3月に眞子は、今日子のスタジオの発表会で《白鳥の湖》の黒鳥を踊ることになった。
王子役は、眞子が結婚前に出た最後の発表会で《眠れる森の美女》を一緒に踊った翔がつとめる。
学生だった翔も今や既婚者。
母親のスタジオでバレエ教師を務めながら、あちこちの発表会やパ・ド・ドゥクラスに呼ばれて忙しくしていると言う。
そもそも、特に日本では、希少動物的存在である男性バレエダンサーのニーズが昨今、大人になってから趣味でバレエを習う女性が増えた影響で、ますます高まっているらしい。
「実はもうすぐ子供が生まれるので…」
などと話す翔は、顔つきも体つきも以前とそんなには変わらないように見えて、しかし、顔や耳を赤くして眞子をバレエ鑑賞などに誘った面影は見当たらない。
パ・ド・ドゥなるものをおそよ8年ぶりに踊る眞子はリハーサルのたび、日常生活に支障をきたす程の筋肉痛におそわれたが、もっと不吉に登場してやろう、もっと性悪に演じてやろう、と黒鳥の役にのめり込んだ。
本番。
花嫁候補を招いたパーティーの華やかな雰囲気が、突如鳴り響くファンファーレで一転し、悪魔に続いて眞子が舞台に走り出る。
あでやかに舞う眞子は王子を翻弄し、あげくの果てに受け取ったバラの花束を放り投げて撒き散らし、高笑いしながら舞台を走り去った。
爽快だった。
「ママ、こわかっっったね~~~」
発表会の帰りの車中で葵はいつになくおとなしく、健一が一人でべらべらと喋っている。
「ママが踊るのは黒鳥で、黒鳥は悪魔の手先だから。ママが踊るのは悪い役だから。役だから」
と説明しておいたのだが、邪悪で妖艶な舞台上の母親の姿に衝撃をうけたのかもしれない。
「あれがママの~、本当~の姿だったりしーてー」
健一だけが元気いっぱいに、不気味な声を出す。
葵の小学校入学を前に、再び健一は東京勤務となった。
この後しばらくは東京にいることになり、当分もう転勤はないだろうということだが、度重なる転居にまた新たな社宅(以前住んでいた社宅には空きがなく、別の社宅に入居することになってしまった)で一から始めるのかと思うと、眞子は内心、辟易している。
至急、バレエによる現実逃避が必要だ。
なるべく近場、できれば自転車や徒歩で通える範囲で、とバレエスタジオを探し始めたが、色々なクラスを見れば見るほど、クラスの内容や教え方など気になる部分が見え、結局選んだのは、電車を乗り継いで通わなくえはならない芳川ダンスアカデミーだった。
健一に行き方を説明してもらったが、
「この改札を入って右に行くと半蔵門線のホームがあるんだけど半蔵門線には乗っちゃダメで」
とか、
「駅からまっすぐ歩くと新聞社があるんだけどそっちには行かないで」
など余計な情報が多く、頭が混乱する。
平日の午前中に週1度通い始めたクラスで眞子は教師から、
「朝のクラスよりもバレエ経験の長い生徒が多くて、もっと難しいこともやるから」
と、週末や夜の枠を勧められた。
しかし小学生になったばかりの娘を家において「趣味」の習い事に通うことには罪悪感をおぼえる。
健一は帰りが遅く、土日は基本的に休みだが、やれゴルフだの出張だの、どこそこの誰が死んだ(社葬をになうのは健一のいる総務部らしかった)だのと言って、あてにならない。
アメリカでは、親が食事や映画やパーティーにと、近所の中高生などにベビーシッターをたのんで出かけていたが、眞子は気軽に我が子を他人にあずける気になれない。
他人でなく、自分の母親にならあずけていただろうか。
それともアメリカ人と結婚してアメリカに住んでいたら…




