東京⇒大阪 2003年
山の上幼稚園に入園を決めて手続きまで済ませていたのに、年が明けてから健一の大阪転勤が決まった。
幼稚園に通うのを楽しみにしていた葵は、
「よーちえん、おーさかにもある?」
と、しきりにくり返した。
すごろくの「ふりだしにもどる」の気分だ。
大阪で幼稚園探しをまた一から一人で(夫の協力はあてにできないのだから)しなくてはならない眞子は、2年保育で十分ではないかと改めて思い、
「葵、幼稚園じゃないお教室いってみない? ほら、弘くんみたいにスイミングとか、ようちゃんがいってたような音楽教室とか」
バレエ、というワードは避けつつ、2年保育の幼稚園に入るまでは習い事で満足してもらえないかと誘導尋問にかけるが、葵はなびかない。
「うん!スイミングも音楽チョーシツも楽しそう!だけど、よーちえんはもっと楽しいと思うよっ」
と言い切る。
葵は素直で聞き訳がよく、夫に似たのか物事にあまり頓着せず屈託ないが、ここぞという場面ではしなやかに自分の意思を通した。
ふだんから、たとえば母子で立ち寄った本屋で、眞子が雑誌などを手に取ると、
「ママ、それおもしろい? そのご本、買ったら?」
などと言うので、そうだね、と軽い気持ちで相槌をうつと、
「葵もっ、買うご本持ってくる!」
と早足で、しかし決して走り出すことはなく、絵本などを手に満面の笑顔で戻ってくるものだから、つい葵のペースに乗せられてしまう、というようなことがあるのだった。
大阪に引っ越して早々、眞子は覚悟を決めて新たな社宅妻仲間から幼稚園情報を収集し、
「すくすく園だけが社宅の敷地前まで幼稚園バスの送迎がある」
という情報をもとに、とうに園児募集の時期など過ぎているのを承知で問い合わせの電話をかけた。
あらかじめ頭の中で用意した言葉を並べ、急な引越しで幼稚園が決まっていないこと、我が子が幼稚園に通うのを心待ちにしてきたこと、同園に通う子供が同じ社宅に何人かいることなどを伝えたところ、電話を切ってしまいたくなるほど長く待たされた末にようやく、
「お子さんと一緒に一度お越しください」
と言われた。
面接だ。
面接に当たったのは温厚そうな年配の、60歳前後だろうか、副園長の女性一人だった。
(あとから判明するのだが、初老の園長(♂)と瓜二つだ。)
親子別々の部屋に離された状態で親が質問をされている間に子供は簡単な知能検査をうけた、と秋にこの園の面接を受けた社宅妻からは聞いていたが、この日はただ応接室に副園長と眞子と葵の3人が集い、
「どちらから引っ越してこられたんですか? ああ、東京?」
「えっ? アレルギーあるの? かわいそうに」
などの会話が数分交わされただけで終わった。
かろうじて面接らしい質問といえば、
「どうしてこの園を選ばれましたか?」
だったが眞子は、社宅の真ん前まで幼稚園バスの送迎があるからです、との言葉を飲み込み、
「こちらへ通っている同じ社宅のお友達からのびのびした園風だとお聞きして」
と答えておいた。
実際は、のびのびしていようが厳しく躾けられようが、葵はどちらでもうまくやっていくように思われた。
3歳児にして葵はゆるぎない自己を確立しつつあり、周囲の子供たちの野蛮な振る舞いやわがままに、あるいは、時として理不尽で愚かな大人たちに甘んじながらも、ここぞというときには決して自分を曲げない。
それは今回の幼稚園入園に関してだけではない。
あれは、葵が3歳になるかならないかぐらいの頃だったろうか。
もっとも苦手な季節、夏の暑いさなか、休日ぐらいは家族で出かけるべきだと自分をふるい立たせて遊びにいった大きな自然公園で、園内を一周する電車に乗ろうと並んでいた時だった。
もうすぐ順番がくるというタイミングで、葵はもじもじと体を動かし始めた。
夫が、
「ほぉら、もうすぐだねぇー」
とのんきな声を出すかたわらで、娘が用を足したいのだと気づいた眞子は急いで葵の手を引き、トイレを探して太陽の照りつける園内を奔走した。
トイレ(というよりは公衆便所)は思いのほか遠く、戻ってみると夫は列から外れており、
「もう順番きちゃったのに戻ってこないんだもの」
と口をとがらせた。
また最後尾から並んでいたのではいつになるかわからないと眞子はむしょうに苛立ち、
「もう帰ろうっ」
と娘の手を強く引いてしまった。
しかし、葵は小さな体のどこにそんな力が宿っているのか、根がはったように動かず、
「葵、帰らないよ」
と、静かに宣言した。
間髪入れずに夫が、
「だよねー。もう1回並べばいいもんね。葵ちゃん、並ぼー」
と言って、眞子をその場に残し、葵の手を引いて列の最後尾へと向かった。
葵はちょっと気まずそうに母親の顔色をうかがいながらも再び列に並び、いよいよ番がまわってくると満面に笑みを炸裂させて乗りこみ、
「ママーーー!」
と手を振って、あっという間に眞子から遠ざかっていった。




