東京 2001年 ①
特別な予定がない限り、金曜日は毎週のように子供たちのお昼寝の後、同じ社宅の隣の棟に住む島田さん親子と家を行き来している。
葵が眠っている間に米も研いでおこうと台所に立ったとたん、春らしくうららかな陽気だというのに寒気がして、眞子は大きく身震いをする。
1歳7か月になる葵は人見知りだった自分とはちがい、社交性が生まれながらに備わっているのか、どのような子供とでも、あるいは大人とも仲良くできる。
この日も、月齢が3か月年長の弘くんに、
「はいっ、はいどうじょ」
と、しきりに自分のおもちゃを手渡し、平和にやっている。
弘くんの母親、島田さんは、
「うちの子、すぐお友達を泣かしちゃうんだけど、葵ちゃんとは仲良く遊んでくれるから」
と目を細めている。
そして、おいで、と手を差し出す島田さんに、葵はあっさり抱っこされる。
葵はまったく人見知りをしたことがない。
赤ちゃんモデルになれるよ、と近所の人にも言われるぐらい、機嫌も愛想もいい。
顔もだが性格も自分とは似ていない、と眞子は改めて思う。
子供たちには白いサクサクしたおせんべいとリンゴジュースをおやつに出し、島田さんと自分にはダージリンを丁寧に茶葉から淹れた直後だった。
寒い。
「暖房入れる? なんか寒くない?」
ときいてみるが、
「入れなくていいよ。ぜんぜん寒くないよ」
と島田さんは言う。
子供たちも元気に遊んでいる。
誰の奥さんは草むしりに出てこないとか、どこどこの子は3歳を過ぎたのにまだオムツが取れないとか、島田さんの棟に住む誰々さんの奥さんは新興宗教の信者だとかである日いきなり玄関先に現れ、
「子供はみんなで育てましょう」
と宗教に勧誘されたとか、そしてその奥さんはペット禁止のこの社宅で猫を飼っているなどと話す島田さんの豊富な情報量に感心しながら、会話もままならない乳幼児が仲良く遊ぶ姿を見ているうちに、眞子はいよいよ具合が悪くなってきた。
島田さんがタイミングよく、
「そろそろ買い物に行かなきゃ」
と立ち上がり、野菜室には大根、冷蔵庫には牛乳とチーズ、冷凍庫には保冷剤しかない、と詳しく食品の在庫を報告してから近所の小さなスーパーにおもむくのをほっとして見送る。
おやつを出した食器を流し台に運び、熱を測ると37度5分だったが、これから熱が上がってくるような悪寒がする。
動けなくなる前に、と炊飯器のスイッチを入れ、普段はつけっぱなしにしない方針のテレビをつけて、子供番組にチャンネルを合わせ、機嫌よく歌に合わせて体をゆらす葵のうしろ姿を見守りながら、眞子はソファーに体を横たえる。
ご飯が炊けたのを知らせる炊飯器の甲高いメロディーが鳴り響き、ふわふわとした眠りから覚める。
改めて耳を傾けたこともなかったがこのメロディーは、バレエを始めたころにバーで使用していたアマリリスではないか。
あの頃は熱を出せばお母さんがおかゆを作ってくれたのに、大人になった自分はこんなに具合が悪くても、自分は食欲などなくてもごはんを作らなくてはならないのだ。
窓の外を見ればもう日が暮れていることに焦る。
心細い。
「ごっはん」
と台所を指差し、炊飯が完了したことを知らせる葵は一瞬眞子を見やるが、体はテレビの画面に向いたままだ。
子供番組にチャンネルを合わせておいたテレビは、葵がリモコンをいじったのか、いつの間にか大相撲中継にかわっている。
眞子は娘と、あるいは一人でも、大相撲を観たことなどほとんどないのだが、テレビの前に立ちはだかった葵は四股をふみ
「はっきょーいいっ」
と声を出す。
テレビをつけっぱなしにする習慣のある夫と一緒に何度も見たことがあるのだ。
葵の四股はさまになっている。
だるい体を起こして、眞子は湯気を上げる白米をしゃもじでかきまぜる。
今夜は鶏もも肉の照り焼きを作る予定だったが、ラップでおむすびをこしらえるのがやっとだ。
調理せずに食べさせられるものはないかと冷蔵庫を覗き、一人前分ずつ小分けになっている豆腐を見つける。
普段は土台に組み立ててダイニングテーブルの高さで使用しているテーブル付きのベビーチェアーを床に置き、葵を座らせてからおむすびと豆腐を並べる。
焼きのりを皿に取り出し、海苔は自分で巻きながら食べてね、と言いながら再び横になる眞子に、葵は、は~い、と右手をあげて元気に答え、
「やったぁ!おにぎい」
と、楽しそうに海苔を巻いて、おむすびにかぶりつく。
同年代の子供がいる家族と食事をしても、遊びに気をとられてろくに食べものに手をつけずに食卓を離れたがる子供も多い中、葵は食欲旺盛なことで近所でも有名で、食べることに圧倒的な興味(執着といっても過言ではないほどの)を示した。
特に離乳食後期、スティック状に切ったトーストや白身魚、湯でたブロッコリーや蒸したかぼちゃなどを手づかみで自ら口に運べるようになった頃の葵は「飢餓に苦しんだ子供の生まれ変わりでは」などと思わせるほどのアグレッシブな食べっぷりだった。
しかし今では、
「よーく噛んで飲み込んでからね」
と声をかけると、
「はーいっ」
と素直に返事して、スプーンやフォークを器用に使い、文明人らしく食べてくれる。
首もすわらない乳児の頃から絵本を読み聞かせ、言葉も発せない0歳児の頃から、していいこといけないことと更にはその理由までをわかりやすく丁寧に説明して育ててきた(紀伊國屋で見つけて買ったアメリカの育児書を参考にしたのだった)成果か、1歳を過ぎる頃から我が子がほぼ何でも言葉で伝えれば理解してくれることに、眞子は満足し誇らしさを感じている。
「プチダノンも食べる?」
醤油すらかかっていない豆腐まできれいに平らげた葵に声をかけると、
「やったあ!プチッノン」
と言ってベビーチェアーから立ち上がり、目の前にあった皿や豆腐の容器を床にぶちまける。
あ!と言う声さえかすれるほど、眞子は自分の体が衰弱しているのを感じる。
もうダメだ―――ひとりで対処できる限界を超えている。
そう思った眞子は結婚して初めて(結婚前にも当然したことはないのだが)、夫の会社に電話をかけることにした。
健一のデスクに置いてある電話とはいえ、他の人、たとえば上司などが出たら嫌だなあ、と不安を覚えつつ名刺を片手に番号を押すと、幸いにも、すぐに電話に出たのはものすごく腰の低い口調の夫だった。
眞子はほっとして、具合が悪い旨を伝え、なるべく早く帰宅してもらえないかと頼んで電話を切り、そのまま自分の意思とは関係なく、再び重苦しい眠りにすべり落ちていった。




