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ずっとおぼえてる   作者: ことり あきこ
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京都⇔大阪 1997年 ④

 先月から始まった翔とのリハーサルはおおむね順調に進んでいるが、アダージョの最後に決めるフィッシュダイヴが安定しない。


 発表会で翔と踊ることには、不満も不安も感じていないし、このリフトもそのうち呼吸が合うだろうと、特に心配していない。


 それなのにふと、眞子が床にずり落ちるたびに「すみません」と顔を赤らめる翔を見ていると、クラッセン留学中に耳にした

「それぞれが優れたダンサーでも、相性が悪ければお互いの良さを殺してしまう」

 という言葉が頭にうかぶ。


 組み誤った相手とでは、お互いの良さを発揮できない。

 組み誤ったまま踊り続けなくてはならない二人は、できるはずのこともうまくできない。

 悲劇。

 


 リアムとの《海賊》は翔との《眠れる…》ほど難しいリフトを入れていないせいか、それとも夏からリハーサルを重ねているせいか、気持ちよく息が合う。


 リアムと踊っているときの体中がざわつく感覚が、ノエルとリアムのささいな特徴の類似から来るものなのだと、今や眞子は理解している。


 遺伝的な要因か、それともノエルをしたって大きくなったせいか、ノエルの面影をリアムが備えていても不思議ではない。

 むしろ自然なことだ。

 そう自分を納得させてみても、ちょっとしたことで心は簡単にかき乱される。


 変に意識することはない。

 普通に、アメリカにいた頃と同じようにリアムと接すればいいだけだという眞子の心構えがリアムの告白であっけなく揺さぶられたのは、2人きりの練習を終えた後のスタジオでクールダウンのストレッチをしていたときだった。


 最初は、リアムが通う京都の大学の話を楽しく聞いていただけだった。


 興味のある講義をすきなだけ聴講できるほか、留学生には必修となっている日本語や、ジャパノロジーという、日本の社会や文化や習慣を学ぶ授業のおかげで、リアムは今やすっかり日本通だ。


 感心する眞子にリアムは、

「でもまだ、ぼくは眞子が英語を話すようには日本語を話せない。知らない言葉や使えない表現がたくさんある」

 と言う。


 留学生仲間たちともなるべく日本語だけで話す努力をしているのだが、一時ふざけて

「~なんか~たくなかった」

 というフレーズを乱用するのが留学生間で流行ったということで、何がおもしろいのかまったくわからないが眞子も参戦し、2人で順番に例文をあげていった。


 そのうちにネタがつきたリアムが、

「納豆なんか食べたくなかった」

「ナマコなんか食べたくなかった」

 と、口に合わなかったらしい日本の食べ物を連呼し始めたので、眞子は思わずふき出し、

「ずるいです。もっとちがう例をあげてください」

 と教師の口調で命じた。


 すると、リアムはしばらく考えてから、それまで笑っていた表情をかすかに強ばらせて、床に視線を落したまま、

「眞子は、ぼくと、《海賊》なんか踊りたくなかった?」

 と呟いた。


 そんなことないよ何言ってるの、と軽く受け流そうと思うのに言葉が出ない。


「~なんか~なかった」の例文さえ浮かんでこない。


 口ごもってしまった眞子にリアムは、

「ぼくは眞子と踊りたかった」

 と言い、押さえていた気持ちを吐き出すかのように、英語でその先を続けた。


「マコとノエル、クラッセンに入学してすぐにバッテリーパークで踊ったことがあったよね。あのとき母親と、ノエルを見にいったんだ。ぼくはまだマコを、マコがノエルのパートナーであることすら知らなかった。それなのにマコから目が離せなかった。空に向かって飛び立とうとしている鳥のように見えた。野生の鳥じゃなくて、飼い主に置き去りにされた小鳥が、かごから自由に飛んでいっていいと知ったような…」


 リアムは何を言っているのだろう。


 ずいぶんと詩的ではないか。

 クリエイティブライティングなどを学んでいるからだろうか…


「ノエルがマコを家につれてきたときは驚いたよ。マコが来るたびに、ノエルと親密になっていくのを見て嬉しかったけど、さびしく感じている自分にも気づいてた。ぼくはどうやったって、決してノエルにはなれないんだから」


 誰か… 

 誰かここに来てくれないだろうか。


 忘れ物をした生徒とか、用事を思い出した今日子とか。スタジオの上階に住んでいるこの建物の、遊び人風のオーナーでも、誰でもいいから現れてくれないだろうか。


 眞子はそう願いつつも、当時を呼び起こすリアムの話を聞きながら、タイムスリップした気分に今こそとっぷりとひたってしまっている。


「よく家で食事をしたあと、眞子とノエルが後片づけを買って出ると、ぼくとヘイリーも手伝うよう母親から言わてキッチンに皿を運んだりしてたけど、あるとき、眞子と並んで皿をディッシュウォッシャーに入れていたノエルが、『あとはぼくらでやっておくからもういいよ』って言ったんだ。『リビングに行ってていいよ』って」


 眞子は、リアムたちと食事をしたことや、なぜアメリカの人形はこんなにもかわいくないのだろうと思いながらも、食事の前に誘われるがままヘイリーの人形遊びの相手をしていたことや、そのヘイリーの人形たちが大型トラックを乗り回している設定だったことは覚えていたが、食事の後片づけのことはよく覚えていなかった。

 それなのに、

「キッチンからぼくたちが出ていくのを待っていたように、ふたりの唇が重なったんだ。吸い寄せられるように」

 と言われたとたん、そのキスが鮮明によみがえり、体中の細胞がざわざわとする。


 皆との楽しい夕食の間も、並んで座ったノエルに触れたかった。

 早くふたりきりになりたいという衝動を抑えながら、皿の上にのった食べ物を租借していた自分。

 デザートの皿を回すときに触れたノエルの指先から、彼も自分を求めているのを感じた。


 たった今、リアムが自分を求めているように。



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