ニューヨーク 1992年 ⑤
そんな状況で臨んでいたリハーサルで、左足首がグキッと音を立てた。
パ・ド・ドゥのコーダを踊っていたときだった。
音はノエルにも聞こえたようで、すぐに踊るのをやめて眞子の足元に跪く。
痛みよりも何よりも、こんなときに…と、眞子は唇を噛む。
「大丈夫だよ。大丈夫…」
眞子に軽く触れてそうくり返すノエルの表情がどうしようもなく曇っていくのを見ているうちに、クリスマスコンサートで自分が踊れないことを眞子は悟る。
無念さとノエルへの申し訳なさと同時に、踊らなくていいのだという解放感が波のように押し寄せてきて、そのことに罪悪感を覚える。
高校に入学した年の終わりに、入院して踊れなかったときの、クラッセンのサマーコースに応募できなかったときの気持ちに、少し似ている。
ふと、公平の顔がうかぶ。
彼は海外のチームで活躍しているのだろうか。
しばらくは2人の間をニューヨークと日本で、そしてニューヨークとオランダで、その後またニューヨークと日本で手紙が行ったり来たりしていたが、いつの間にか連絡がとだえて久しい。
もともと捻挫癖のあった左足首だが、今回は少なくとも1ヶ月は踊れないとの診断だった。
全幕ものとちがい代役は立てていなかったのだが、急遽、2年下の新入生がノエルと踊ることになった。
赤毛でエメラルドグリーンの瞳を持つ彼女が、眞子には海の女神のように美しく見える。
メドゥーラは海の女神の役ではないけれど、と眞子は頭の中でつけ加える。
その新入生の名前はキャロルかキャロラインかキャリーかケリーか何かなのだが、これらCやKやLやRを組み合わせた名前が眞子にはややこしく、「海の女神」として眞子の頭では情報処理される。
海の女神は入学してすぐの洗礼ライブ(これも眞子の頭の中での呼び名だが)でメドゥーラのソロを踊ったのだが、その時の記憶が今回の舞台監督の印象に残っていたうえ、彼女は今学期のパ・ド・ドゥクラスでも《海賊》を練習していたので、眞子の代役に抜擢されたらしい。
不運な者の裏にはいつも幸運な者がいるのだ。
自分はクリスマスコンサートに出られないばかりか、今学期はもう絶望的だ、と悲観しながらもその夜から、眞子はまとまった睡眠がとれるようになった。
クラッセンのステージをいつかゆっくりと客席で観てみたいと、眞子は入学以来思っていた。
早くもそれが実現するのだから、けがが原因というのは不本意だが、とにかく楽しもうと心に決める。
「リアムとヘイリーを離したほうが安全ね」
本気で喧嘩することなどない2人だが、ちょっかいを出し合ったりすると周囲の迷惑だからと、眞子とナタリーの間にリアムが座り、ナタリーとダレンの間にヘイリーが座ることになった。
「サンドイッチだ!大人で子供をはさんだ子供サンド!」
と、言うヘイリーにダレンが、
「静かな声で話しなさい。それから幕が開いたら、話さないほうがもっといい」
と注意する。
先ほどまでは、
「けがして踊れないんでしょ?痛い?」
などと眞子にずばずば質問しては、やはりダレンになにやら小声で窘められていた。
しかし、眞子をより落ち着かなくさせるのは、けがをして踊れない眞子の足首を見ないように意識しながらもつい見てしまう、といったようすのリアムだった。
眞子とノエルがバス事故に遭った後、
「ノエルとマコが自分と留守番などせずに予定通り帰っていれば」
とひどく気にしていたらしいリアムは、このけがは事故で負ったものではないとわかっているはずだが…
自分が元気だとリアムにアピールしようとした結果、不自然なほどの笑みを貼りつけた状態のまま、眞子の顔面はかたまっている。
入学以来ずっと一緒に練習している仲間たちの晴れ舞台を、自分一人だけ客席で眺めるのは不思議な気分だった。
元気に踊っているクラスメイトたちがうらやましく、わたしもけがさえしていなければ、という悔しい気持ちが大きいのだが、思いがけないほどの感慨もおぼえる。
あらゆる苦楽ーーーつらい練習や厳しい教師の指導も、できなかったことができるようになったときの達成感も、つい吹き出してしまうような、くだらなくて笑える瞬間もたくさん共有してきているからだろうか。
「苦労してたあのリフト決まった!」
とか、
「ギビンズ先生にボロクソに言われていたあのステップかっこよく踏めてる」
とか、心の中で叫んではいちいち感動してしまう。
先ほどまでのとってつけたような笑顔ではなく、心からの笑顔で眞子は拍手を送る。
それなのに―――
自分が踊るはずだった音楽が流れ出し、舞台奥から現れたノエルが胸に手をあてたポーズで跪き、後から出てくる海の女神(の役ではなくメドゥーラなのだが)を迎えるのを見ただけで、いとも簡単に眞子の瞳からは涙があふれてくるのだった。
眞子が着るはずだったターコイズのチュチュは女神によく似合っていた。
まるで彼女のために選んだかのようだ。
それにしても…
足さばきが少し乱暴ではないか?
と眞子は思うのだがすぐに、
リフトされている背中はいかにも強そうだ、
とも思う。
ノエルも眞子より女神の方が、取り扱いが楽なのではないか?
見つめ合い触れ合うノエルと女神を見ているうちにだんだんと、2人がお互いにこの上なくふさわしいパートナーに見えてくる。
「マコ」
隣に座っていたリアムに、ナタリーが渡したのであろうタオルをさしだされて眞子は初めて、頬を濡らし続ける涙をぬぐいもしていなかったことに気がついた。
眞子はトイレで入念に鏡をのぞきこみ、目や鼻は赤くないか涙の跡がないか確認しながら、踊り終えたノエルと女神にかける言葉を頭の中でシミュレーションした。
“It was a great performance.” や
“You were both amazing.”あたりが無難か。
fantastic
fascinating
phenomenal…
アメリカ人が惜しげもなく使うこれらの形容詞は、日本人の眞子にはどれもこれも大げさに感じられるが、慣れてしまえば元々の言葉の意味はもはやどうでもよく、ネイティブもただその場の雰囲気や響きで気前よく口にしているだけとしか思えない。
若者が乱用するawesomeというのもあるが、眞子はなんとなく気恥ずかしくて使っていない。
舞台裏から控え室への通路は踊り終えた出演者でごった返していた。
通路の奥にいるノエルと女神は眞子に気づかない。
何を話しているのだろう。
女神は舞台での余韻をひきずったまま頬を紅潮させ〝best ever!″のような最上級で自分たちのパフォーマンスをふりかえっているにちがいない。
そしてノエルは女神を見つめかえし、大役を果たした彼女を称えているのかもしれない…
同級生の何人かが眞子に気づいて声をかけてくれる。
“It was a great performance” や
“You were amazing”が、難なく眞子の舌をすべりおちる。
踊り終えた1年下の男子たちがどっとステージ裏から引き上げてきて眞子にぶつかった。
“I’m sorry‼ Are you OK?”
けがをしている眞子を気づかって、ぶつかった下級生が勢い込んであやまり、何事かと周囲の視線が集まる。
なぜアメリカ人はこんなにも声が大きいのだろうと、ふだんは気にもならないことに急に辟易しながら眞子は
「大丈夫だから」
と答えて視線をおとす。
ノエルの出番が終わったら楽屋裏へ行くと約束してしまったが、やっぱり引き返そうかと再び顔を上げると、いつの間に駆けつけてきたのか、目の前にあったのは心配そうなノエルの顔だった。
眞子はあわてて
“It was…”
‟ You were…”
と用意していたフレーズを押し出そうとするが、強く抱きしめられて続きが言えなくなる。




