ニューヨーク 1992年 ③
12月に入って最初の土曜日の夜、リアムとヘイリーが出演する《くるみ割り人形》を観るために、眞子とノエルはクラスを終えてから大急ぎでブルックリンまでかけつけた。
プログラム送ったからね、とナタリーから電話がかかってきたのは、先月チャリティーイベントで踊った日の夜だった。
「毎年じゃ飽きるとかで1年おきにやるんだけど、ダンススタジオに通ってる生徒以外にも出演者を募集するのよ。ヘイリーが興味を持たないかと見学につれていったらリアムも誘われて。男の子は習っている子がほとんどいないから良い役をもらいやすいんだけど、それにしてもリアムがやるって言うなんてちょっと意外だったわ。あなたたちの影響かしらね」
愉快そうに、ナタリーはそうノエルに話していたらしい。
「久しぶりに泊まってけば?最近ぜんぜん泊まっていってくれないってヘイリーが拗ねてるわよ」
アメリカ人の多くの家庭がそうであるように、ナタリー一家も眞子が驚くほどオープンで、いつでも遊びに来て、ご飯食べてって、泊まってって、と気軽に迎えてくれる。
生徒の大半が家に帰る感謝祭やクリスマスにはもちろん、夏休みさえ日本に帰ることもなければ、帰ったところで家族の団らんなどない眞子にとって、ナタリーの家はアメリカで、もしかするとこの世で、もっとも里帰り気分を疑似体験できる場所かもしれない。
開演のベルが鳴って序曲が流れ出し、幕内から現れたリアムがクララ役の女の子や両親役の大人たちと並んでステージの端に立つ。
招待客役の出演者たちがホール後方から客席の通路を通って次々と舞台に上がり、リアムたち演じるパーティーのホスト役と握手や抱擁を交わしては幕内へと吸い込まれていく。
クリスマスパーティーに招待した客を主人公の一家がそろって迎えるこのシーンに、眞子はいつもそわそわとした気分を味わう。
自分とは縁のない、だからこそ焦がれてしまうシチュエーション。
序曲が終わり、幕が開く。
眞子の座ったステージ下手の前方席からは時おり、舞台袖にスタンバイする出演者の腕や足元が見え隠れして、わくわくと出番を待つ子供たちの息づかいが聞こえてくるかのようだ。
出演者を募って集めたエキストラの子供たちはマイムが中心であまり踊らないが、クララ役の女の子は覚束ない足取りながらトゥシューズでステップを踏む。
目のぱっちりとした、とてもかわいらしいクララだ。
いたずらっ子のフリッツ役を演じるリアムがクララの人形を取り上げてこわすシーンでは、眞子もノエルも我が子を見守る親のような気持ちでかたずを呑む。
お菓子の国のシーンでは、ジンジャーおばさんの巨大なスカートの中から次々に飛びだしてくる子供たちの中に、ひときわ元気いっぱいのヘイリーを見つけた。
おそろいの衣装とメイクでぴょんぴょん跳ねる子供たちの中でも、ヘイリーが一番の笑顔ではないか、と感じたのは身贔屓だろうか。
閉幕後はあわただしく帰り支度をすませる子供たちを待って、ナタリー一家行きつけのレストランで食事をした。
甘いバーベキューソースのかかったTボーンステーキにサワークリームののったベイクドポテト、カリカリベーコンが入ったBLTサンドイッチ、ハムやターキーやチェダーチーズやきゅうりの角切りを金魚鉢ほど大きいボウルに放り込んだようなサラダなど、メニューはどれもボリュームたっぷりだ。
朝から会場入りしていた子供たちは疲れているはずだが、まだ舞台の興奮冷めやらぬようすで、肉やら芋やらを次々にフォークで突き刺しては口へと運んでいる。
メイクを完全に落とし切れていないのか、顔つきが妙に色っぽい。
「マコ、今日は泊まっていくんでしょ?」
ヘイリーが確認する。
これですでに、今日3回目だ。
「うん、泊まるの楽しみにしてきたよ」
と眞子が答えると、ヘイリーは満足げにハハッと笑い声をあげる。
「せっかく泊まってってくれるのに朝から出かけなきゃいけなくてごめんね」
とナタリーが謝るのは今日2回目だ。
家族で招かれている友人の結婚式が来週末だと思っていたのだが、今週末だったらしい。
「マコと遊ぶから、結婚式へ行くのはやめとくわ」
と言いだしたヘイリーも、
「ドレス着るの楽しみにしてたじゃない。ケーキを食べて生バンドの演奏でダンスするのよ。楽しいわよー」
と、ナタリーに説得されて、
「家に帰ったらマコにドレス見せてあげる」
と、それが重大な秘密であるかのように、眞子の耳元で囁いた。
「冬休みはふたりそろってドイツに行くんだって?」
ダレンがヘイリーにステーキを切り分けながら、ノエルと眞子を順番に見る。
「クリスマスマーケット見られるわね」
BLTサンドイッチにかぶりついていたナタリーが、口元をぬぐってから言う。
「クリスマスマーケットは見られないかな…ドイツに着くのは26日だし」
そう答えてノエルは、ステーキを口へ運ぶ。
以前から、たまにはドイツに帰るように(と言われてもそこに住んでいたことなどないのに、とノエルは少しさびしそうに話していた)母親から催促されていたノエルが、父親からも電話で
「ガールフレンドもつれてくればいい」
と訪問を促され、それも悪くないと思ったとかで、急に眞子を熱心に誘いだしたのは、つい先週のことだった。
迷惑ではないかと躊躇する気持ちがありつつも、フランスとの国境沿いにあるドイツの家の話や、年末年始をすごす予定だという、フランスにある海辺の街の話を聞いているうちにだんだんと眞子もその気になり、タイミング良く格安の航空券を見つけたこともあって、ふたりそろって行くことを決めたばかりだった。
「デザートは?」
とダレンが皆を見回し
「ここはアップルパイアラモードがおいしいんだよ」
と言う。
「う~ん、もうすぐクリスマスコンサートだし」
と眞子はノエルの方を見ながら
「高々とわたしを持ち上げなきゃならない人に悪いから」
と辞退したが、
「食べてもいいのに」
とノエルは笑い、
「おいしんだからっ。ほら」
と言うヘイリーに、たっぷりひとくちパイを分けてもらった。
驚異的な食欲を見せていた子供たちも家に着くころには水を打ったように静まり返り、眞子にドレスを見せることなどすっかり頭から抜け落ちたようすのヘイリーは、うっすらとメイクが残った色っぽい顔のままベッドに直行した。
リアムも、
「なんかお腹痛い」
と言いながら、早々に寝室に引き上げた。
のどが渇いて目を覚ました眞子は、寝息もほとんど立てずにぐっすりと眠っているノエルを起こさないよう足音を忍ばせて、水を飲みにキッチンへと向かった。
階段を降りたところで人の気配を感じ、こんなに早くから出かける支度をしているのかと驚きながらも、おはよう、と声をかけようとして、いつになく不機嫌なナタリーとダレンの話し声が耳に入り、足を止める。
「リアムが腹痛なんて珍しいね。食べすぎとか?それとも昨日の疲れが出たのかな」
「私残るからヘイリーと行ってくれる?もともとビルはあなたの友達なんだし」
「キミも楽しみにしてたのに…リアムは熱もほとんどないんだよね?」
リアムが寝る前にお腹が痛いと言っていたのを、眞子は思い出す。
「でも一人で置いていけないでしょ」
と、微かに苛立ちを含んだナタリーの声と、過去の記憶がまざりあうーーー
土曜日の午後の酔っ払った父親と着飾った姉のにらみ合い。
妹の預け先を探して玄関脇の黒電話をかけまくる姉の涙声。
親戚の家から親戚の家へと渡り歩く年末年始。
長い長いひとりぼっちの週末。
ほとんど無意識に、眞子はリアムとの留守番を申し出ている。




