京都 1995年 ②
眞子が講師を務める大手英会話学校には、アメリカのオフィスでリクルートして日本に送り込まれるネイティブ教師を除いては、圧倒的に若い女性スタッフが多く、華やかな雰囲気だ。
眞子は萌黄色のニットに焦茶色のフレアスカートを合わせ、薄く化粧をして家を出た。
観光客の多い京都の市バスはラッシュアワーでなくても混んでいることが多い。
その上、後方から乗る際に整理券を取り、降りるときに前方でその整理券の番号の横に表示されている運賃を確認して支払う、というシステムに慣れていない観光客がもたつき、この日もバスを遅らせている。
中年女性の肉々しい腕からいくつもぶら下がっている、土産物が入っているのであろう紙袋が自分のストッキングを伝線させないよう神経をすり減らしながら眞子は、京都でのバスの乗り降りの仕方を観光客にビシバシ指導している自分を想像して苛立ちをやり過ごそうとするが、よけいにイライラしてくる。
四条河原町駅に到着し、普段利用している阪急電車の急行が運休中だと知って改めて、眞子は地震の影響を肌で感じた。
震災の規模の大きさや被害の深刻さはテレビで知ったつもりになっていたが、同じ関西でも神戸の方に足を伸ばすことがめったにない眞子は、どこか遠くで起こった災害だと捉えていたのかもしれない。
各駅停車で出勤するのは初めての経験だった。
いつもより時間がかかるものの、座席に座っていればいつもの駅に着くのだし、授業の準備をするために早く家を出ているので遅刻の心配もない。
それなのにだらだらと進む電車の中で、眞子の心はどんどんふさいでいく。
広告のポスターには、
「ALL(がAmerican Language Laboratoryの略だと知っている生徒がどれほどいるだろう?):駅から徒歩3分のアメリカ」
と書かれているが、普通に歩くと5分はかかる。
今日はのろのろ歩いたので7分かかった。
ガラスの扉を押し開けると、受付からスケジュール管理から営業まで一人何役も担うマネージャーの田口さんが、
「あ、先生、地震びっくりしましたねー」
と、目を見開いて元気に笑う。
自分の教室に入った眞子は、本棚に収めてあった教材が床一面に散乱しているのを見て、早朝に目覚めたときからすでに揺れていた気持ちが、いっそう激しく揺れだすのを止められない。
非力な子供だったのは昔のことで、今は成人した大人だというのに、ちょっとしたきっかけで気持ちが不安定になり、家に一人で置いていかれた子供の自分が顔を出す。
今回の地震と子供の頃に起こったことはまったく無関係なのに、母親の死や泥酔した父親や自分を不要な荷物のように扱っていた姉が、走馬灯のように頭の中をぐるぐると巡る。
不毛で無意味なこの走馬灯を止めなくてはならないとわかっているのに止められない。
まるで自虐行為だ。
これ以上なにも思い出さないように黙々と教材を拾って本棚に並べていたら、生徒たちの拙い英語が漏れ聞こえてくるエディーの教室からドッと笑い声が響いてきて、眞子の体をびくんと震わせた。
その日のレッスンはすべて通常通りに行われ、欠席者もいなかった。
8時から始まる最後の枠は中級の少人数クラスだった。
生徒は3人、腰が低くて調子のよいビジネスマンの健一と、阪大の三年生で建築を学ぶ長身の玲子と、顔が暗いが人なつっこい大学一年生の雄太というメンバーだ。
大学に入学したばかりの雄太とビジネスマンの健一では年齢が一回りほど離れているが、玲子も含めて3人ともノリがよく、毎週勝手にもりあがってくれる。
授業が終わると、クラスでは禁止されている日本語で世間話をしながら教室を出ていく生徒たちを見送るために、眞子もロビーに出る。
「ここは地震、大丈夫でしたか?会社のオフィスが35階にあるものでデスク周りがぐちゃぐちゃになっていて、いやあ、びっくりしましたよ」
と健一が言い、
「私なんて苦労してチケット手に入れたコンサート、中止になるみたいでショックー!先生のバレエは中止にならへんよね」
と、玲子が眞子に尋ねる。
京都の私大に通う雄太が、
「会場、京都ですよね。まだ再来月だし大丈夫じゃないですか?」
と自信ありげに言う。
父親が転勤族で、幼い頃から日本各地を転々としてきたと言う雄太は、高校からは大阪だがまったく関西弁を話さない。
眞子は数ヶ月前から白川通りにあるバレエ教室に通っている。
オープンクラスを週に1度、そのうちすぐに2度、と受けていたら、発表会に参加しないかとマダム風の教師に誘われたが断っていた。
しかし、今年に入ってすぐに、キトリを踊るはずだった生徒がケガで踊れなくなったとの事情で、
「水鳥さん、これまでのバレエ経験あまり話したくないみたいだから聞いたことないけど、本格的にやってたでしょ。キトリ踊ったことない?あるでしょ」
と、せっぱつまった様子で代役を頼まれたのだった。
小作品としてプログラムに入れていただけなら省くこともできるが、今回の発表会はメインがドンキホーテなので、最後に主役の踊りがないと格好がつかない、と心底困った顔で言う。
東京のバレエ団で踊っていたというマダムは、
「私も老婆とか魔女とかの役ならやってもいいんだけどキトリはもう、ちょっと、ねぇ」
と苦笑いしてから、
「水鳥さんなら今から練習しても本番にじゅ~~~うぶん間に合うと思ってお願いしているのよ~。パ・ド・ドゥじゃなくてソロだけだから」
と、熱心に言うのだった。
「英会話学校でのお仕事は午後からなんでしょ?だったらスタジオの空く時間に来てもらって、あ、お金は取らないから」
帰国してから1年以上踊っていなかったのに、1度踊ってしまったら最後、週に1~2度、たった1時間半のレッスンを受けるだけでは物足りなくなっている眞子には、魅力的な誘いだ。
しかし密室でならともかく、今の自分が人前で踊れるのだろうか?
頭ではそう考える一方で、体も心もうずうずしてくる。
鮮やかな赤いチュチュ。
髪に挿す大輪の薔薇。
バルセロナの強い日差しを思わせるドンキホーテの陽気な音楽。
音楽が最高潮にもりあがるのを合図にライトを浴びて舞台に登場する主役は、一番大きな拍手で迎えられる。
踊っているときにだけ体中に走る喜び。
映画を見たり、おいしいものを食べたり、ぐっすり眠ったり、ゆっくりお風呂に入ったり、友達と長電話したり、本を読んだり、そんなことでは得られない快感を、眞子の体が欲している。
目の前のグラスにワインを注がれたアルコール中毒患者のように、欲求にあらがえない。
雄太が言ったとおり、3月の発表会は震災の影響を受けることなく行われ、つつがなく終わった。
踊る前にも衣装姿で散々写真に納まったのだが、終わると出演者たちが今度はロビーに出て、観にきてくれた家族や友達と記念撮影をして盛り上がっている。
涼子は
「眞子ちゃんが踊るとこだけ観て帰るわな」
と、今朝家を出るときに言っていたから、ロビーにはいないだろう。
高校のときには毎回発表会を見に来てくれていた和歌や福美には今回の舞台のことを知らせていないし、昔のバレエ仲間には帰国したことすら連絡していない。
しかしALLの生徒が待っているかもしれないと思い、眞子もロビーに出る。
自分のことを話すのが苦手な眞子だが、「会話」クラスをしかも英語で教えていると個人情報を気前よく公表しがちで、発表会のことも生徒に隅々まで知れ渡り、いくつもの花が楽屋に届いた。
一人ひとりにお礼を言わなくてはならない。
混雑の中でも身長2メートル近いエディーは目立つ。
そのエディーを目印に人ごみを進むと、
「先生だ」
と雄太が言い、周りにいた英会話学校の生徒やスタッフに取り囲まれる。
「先生めっちゃきれいやった!」
「一緒に写真撮りたいー」
「次こっちも」
とカメラを向けられるままに笑顔を作っていた眞子だったが、
「プロのダンサーになれますよ」
と言う雄太の言葉で、心臓が凍る。
ALLの生徒やスタッフに、アメリカに留学していたことは話しても、踊りを学ぶためだったとは話したことがなかった。
自分はそもそも何故クラッセンに留学したのだろうと、今更ながら考えることがある。
中二の夏休みに参加した特別レッスンがきっかけで、高校生になったらクラッセンのサマープログラムに参加しようと努力したが、高一の冬は体調を崩して翌夏の選考に応募できず、高二の冬は準備万端で応募したのに不合格で、結局サマープログラムには参加することができなかった。
それまでの努力を無駄にしないためにも、そして家から遠く遠く離れるためにも、何が何でも高校卒業後はクラッセンに合格しなくてはと必死だったが、その先に見ていたのはダンサーとしての人生ではなく、目の前の留学だけだったのかもしれない。




