ニューヨーク 1990年 8月~ ②
コンテンポラリーのクラスで、リリカルをペアで振りつけて踊るという課題が出た。
「リリカル」が何なのかも知らず、しかしその場で質問できずに眞子は辞書で調べてみるが、辞書には「叙情的な」とあり、例えばそれはどういう曲なのか、結局わからない。
パートナーのノエルに聞いてみようと思ったが、リリカルのどの部分がLでどの部分がRだったか混乱して口ごもっているうちに、
「使いたい曲ある?一緒に色々聴いて選べばいいよね。今週土曜の午後なんかどう?」
と提案され、リリカルが何なのか尋ねるタイミングを完全に逃す。
教師の都合で珍しく休講になることが前もって決まっていた土曜の午後を利用しようと約束して、眞子はノエルの背中を無力に見送った。
前々日になって眞子はノエルに、
「マコって、子供好き?」
と突然尋ねられた。
どうしてそんなことを訊かれるのかわからないまま、
「好きだけど…?」
と答えると、
「ブルックリンに住んでる叔母に土曜日の夜ベビーシッターを頼まれて… ベビーシッターって言っても4歳の女の子と11歳の男の子と留守番してればいいだけなんだけど… ほら、土曜の午後、学校に残って曲選んでから行くつもりだったんだけど、マコがブルックリンまで一緒に来てくれれば、ゆっくり時間かけて打ち合わせできるかなと思って… 嫌じゃなければだけど…」
いつも余裕ありげなノエルにしてはめずらしく躊躇いがちな口調で、語尾が心細く消えていく。
今回の曲選びもだが、ふだんからノエルに助けてもらうことの多い眞子は、ブルックリンまで同行するぐらいお安い御用なのだが、スタジオの外で2人きりになることを想像しただけで、緊張せずにはいられない。
なぜなら…
ノエルは人気者だ。
男子にも女子にも教師にも。
眞子が受けたノエルの第一印象は「国籍不明」だったが、ダークな色素もエキゾチックな顔立ちも痩せているけど鋼のような体つきも、多くの人が受けるノエルの印象は
“Really good looking”
そして
“So hot!”
らしかった。
お父さんはイギリス人とドイツ人のハーフで、お母さんはアメリカ人だがドイツやフランスや中南米やインドだかインドネシアだかの血も混ざっているとか、とにかく頭が混乱しそうなほどハイブリッドな血筋のノエルは両親のどちらとも似ておらず、外国から迎えた養子ではないかなどと憶測されることが小さい頃から日常茶飯事だったらしい。
「正真正銘、血の繋がった親子なんだけど。たぶん」
と苦笑いする本人は、嫌な思いをしたこともあったのかもしれないが、
「人の顔というものはまぜればまぜるほど均整がとれて美しくなるのです」
との研究結果をTOEFLのリーディング問題で読んだことがあった眞子は、なるほど、と、ノエルと組んで踊るたびに、その適例のような顔を至近距離で盗み見てしまう。
入学後しばらくの間は何人かの相手と組ませ、バランスや相性を見てから教師が正式なパートナーを決めるのだが、眞子はノエルと初めて踊った瞬間から「しっくりくる」のを感じていた。
「しっくり」くるのが音のとり方なのか感性なのか技術的なことなのか身体的なことなのか説明できないのだが、圧倒的な安心感を覚えると同時に、他の人との間では経験できない調和と化学反応に酔いしれる瞬間がある。
それなのに音楽が止まり普段の自分にもどると、ノエルの前で眞子はなんとなく気おくれしてしまうのだ。




