ニューヨーク 1990年 8月~ ①
グレイハウンドバスの窓から見える夏のマンハッタンは、3月にオーディションで訪れたときのよそよそしくて冷たい表情とは別の顔をしていた。
聳え立ち、高圧的に挑みかけてくるかに見えるこの街で、ついに本番が始まるのだという興奮に、眞子の胸は高鳴った。
クラッセンに到着し、寮に入る手続きをしていると、
「日本からさっそく手紙が届いているわよ」
と、事務の女性に封筒を手渡される。
手紙はバレエ雑誌《コッペリア》の編集者、町田からだった。
クラッセンでのようすを雑誌に載せたいと渡米前に言われていたとおり、このようなことが書かれていた。
「眞子ちゃんの留学生活をレポートする、というコンセプトで新しいコーナーの企画が出ているのですが、やってみる気はありますか? コーナーのタイトルは《眞子のとことんバレリーナ生活》が有力候補ですが、他に良いアイデアがあったら聞かせてください」
1年目の授業料は免除されることが決まっている眞子だが、卒業するまで奨学金が保証されているわけではないから、モデルの収入が細々とでもあるのは心強い。
それにしても、《眞子のとことんバレリーナ生活》とは、例の《勝負はウェアから♪》を上回る恥ずかしさではないか。
眞子はすぐさま、
「留学生活のレポート、やってみたいです。コーナーのタイトルは《Epistle From New York》などはどうでしょうか?」
との手紙を投函した。
寮に入った翌日には、驚いたことに父親から電話がかかってきた。
手足の長いダンスウェア姿の外人が颯爽と歩いている寮の廊下で、父親の京都弁を耳にするのはシュールだった。
幸雄は、昔アメリカ兵にどったらこったらで(周囲がうるさくて聞き取れなかった)英語が少しぐらいはわかるので、電話に出たアメリカ人(公衆電話なので、たまたま居合わせた者が出るというシステムだ)に「マコプリーズ」と言って眞子を呼び出せた、などと自慢した。
用件は特になく、
「元気やったらええわ。またかけるわな」
と言って電話は切れた。
眞子のルームメイトは音楽科で声楽を学ぶ、カンザス出身のボニーというアメリカ人だった。
名前が似ているペンシルヴェニアでのルームメイト、ロニーがすでになつかしく感じられる。
「カンザスってどんな所?」と聞く眞子に、
「なんっにもない所」とボニーは笑う。
「景色を遮る物もないけど見るべき景色もないわけ。楽器もろくにないから歌にしたの」
と言うが、それが事実なのかアメリカンジョークなのか、眞子には判断できない。
舞踏科は男女12名ずつと少人数だからか、一緒に体を動かすという行為が同調性や協調性を生むのか、内気な眞子もすんなりとクラスメイトに溶けこむことができた。
舞踏科では眞子が唯一の日本人だったが、音楽科には何人もの日本人が在籍していた。
「彼はピアノを弾くのよ」
そうボニーに紹介された龍は、眞子に負けないほど色白で、繊細な雰囲気の男の子だ。
「音楽科のイニシエーションライブで彼の弾いた《ラ・カンパネラ》すごかったのよ」
ボニーが興奮気味にそう話すのを聞きながら眞子は、小さなころ百科事典の付録レコードで初めてラ・カンパネラを聴いたときの感覚や風景や、母親の笑顔を思い出している。
新入生は毎年「街の中で突如踊りだす」という課題があり、昨年は駅で、その前の年は美術館の前で踊ったと聞き、眞子は内心、戦々恐々とする。
しかし今年はバッテリーパークで踊るということがわかり、学校が事前に許可を取っているとはいえ、駅や美術館よりも「パーク」のほうがなんとなく無難な気がして、ほっと胸をなでおろす。
音楽科の弦楽器と管楽器の生徒がそれぞれ4人ずつ同行して生演奏で踊るのだが、現地で踊れるのは本番当日のみということで、学校のリハーサル室や劇場でリハーサルを重ねる。
曲の中でパートナーがめくるめく勢いで変わり、いつも組んでいるノエルとだけではなくジャックやブラッドとも組むせいか、知らず知らずのうちに体が強ばっているようで、終わるとどっと疲れが出るし、あちこちが痛む。
当日は快晴だった。
バッテリーパークには偶然居合わせた人たちだけでなく、クラッセン入学前に指導を受けていた先生や自分の家族を呼んだ生徒もいて、眞子の予想以上にたくさんの人でにぎわっている。
クラスメイトのリタが、自分とそっくりな中年女性に大きく手を振ってから、
「あれが私のお母さんなの」
と、嬉しそうに言う。
ぬけるような青い空の下、リタとそのパートナーのジャックが管楽器のチューニングをしている男女の前を通りすぎようとしている。
《I Can See Clearly Now》の演奏が始まるのを合図に2人が踊りだし、弦楽器が演奏に加わるところで、自由の女神を眺めていた眞子を含む男女6人もペアで踊り始める。
ベンチや芝生からそれを見物していた残りの16人が入るところから群舞になり、その後フォーメーションとパートナーをくるくると変えながら踊り続ける。
このような、街中でのゲリラ的パフォーマンスになんとなく怖気づいていたのが嘘のように、眞子の細胞が踊る喜びで満たされていく。
このまま鳥になって、空へと舞い上がれそうな気分だ。
最初は薄笑いで見やっていた通行人や観光客の表情も、どんどんパフォーマンスに引き込まれ、夢中になっていくのがわかる。
音楽が止まると同時に、盛大な拍手と歓声がわき上がる。
生徒たちの何人かが、自分を観に足を運んだ家族や地元の教師と言葉を交わしたり抱き合ったりしている。
自分の踊る姿に心うばわれた観客がいたことを眞子が知るのは、何年も何年も後のことだ。




