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父の事故の真実

深夜の観測課は、昼間とは別の場所のように静かだった。

観測装置の微かな駆動音だけが、部屋の奥で規則的に鳴っている。


夜の管理局は、観測密度が最も薄くなる時間帯でもある。

照明は落とされ、端末の光だけが机を照らしている。

観測ログの自動更新音が、一定の間隔で小さく鳴っていた。

柳端は、その静けさの中で一つのファイルを開いていた。


《事故報告書 管理局内部記録》

数年前の記録だった。

何度も読んだはずの資料だ。

死亡者名。

そこには父の名前が記されている。

事故原因。

局所的構造崩落。

境界付近で発生した空間不安定化により、地面構造が一時的に崩壊。

現場にいた観測員が巻き込まれ、その場で死亡。

事故は数秒で収束し、空間構造は再安定化した。

記録は、それだけだった。

柳端はしばらく画面を見つめていた。


【音声データ復元】

ノイズ

ノイズ

男の声

『聞こえるか』

沈黙

『まだ消すな』

通信終了


柳端は固まる。

その声が父だと分かる。


父は研究者ではなく、境界付近を調査する現場観測員だった。

境界近くの異常を確認する仕事。

危険ではあったが、珍しいものではない。

だが柳端の記憶に残っているのは、仕事の姿ではない。

休日に自転車を直してくれた手。

夜遅く帰ってきて、台所で静かに水を飲む背中。

父は、仕事の話をほとんどしなかった。

事故の日も同じだった。

柳端はまだ学生だった。


深夜、母の携帯が鳴った。

その瞬間、家の空気が変わった。

父が事故に遭った。

説明は、それだけだった。

局所的構造崩落。

境界付近では、ごくまれに起きる現象。

管理局はすぐに補償手続きを行った。

書類も、金額も、すべて整っていた。

不足はなかった。


それでも柳端は、別のログを開いていた。

《事故周辺観測ログ》

事故発生時刻。

23時17分。

その数秒前。

観測装置が、短い信号を記録していた。

《未分類信号》

柳端の指が止まった。

その単語を、彼は知っていた。

自分が現場で経験した消失現象。

そのとき記録された信号と、同じ種類だった。

記録は数秒で消えている。

観測装置には残っている。

だが事故報告書には、その記述が存在しない。


柳端はさらにログを追った。

事故地点の座標。

そこには微弱な観測ノイズが残っていた。

数値は極めて小さい。

通常なら誤差として処理される程度だ。

だが柳端には分かった。

これは誤差ではない。

境界の揺らぎだった。


柳端はさらにログを追った。

事故地点の座標。

そこには微弱な観測ノイズが残っていた。

数値は極めて小さい。

通常なら誤差として処理される程度だ。

だが柳端には分かった。

これは誤差ではない。

境界の揺らぎだった。

その時だった。

ログの末尾に、削除済みデータの痕跡を見つける。

通常画面では表示されない。

だが復元処理の途中で、一瞬だけ文字列が浮かび上がった。

《境界の向こう側より応答あり》

柳端は息を止めた。

記録時刻は二十三時十七分零四秒。

父の事故発生直前だった。

《現場観測員:柳端 恒一》

父の名前だった。

次の瞬間、文字列は消えた。

まるで最初から存在しなかったかのように。


柳端は椅子に深く背を預けた。

父は崩落に巻き込まれて死んだ。

そう記録されている。

だが事故発生の三十秒前、父の生体ログは消えていた。

死亡記録より先に、存在記録が失われている。


二十年前の分離事故。

第三位相が生まれたあの出来事の影響は、今も境界に残っている。

ごくまれに。

空間構造が数秒だけ不安定になる。

その瞬間、世界はわずかにずれる。

父は、その場所に立っていた。

それだけのことだった。


だが柳端には、もう一つ疑問が残っていた。

事故現場の詳細ログ。

それだけが、なぜか閲覧できない。

画面には、ただ一行だけ表示されていた。

《権限不足》

彼の職位で閲覧できない事故記録は、本来存在しないはずだった。

誰かが制限している。

あるいは。

最初から、見せないことになっている。

柳端は、ゆっくりと画面を閉じた。


父の事故。

そして自分が経験した消失現象。

それらは偶然ではない。

境界の揺らぎは、今も続いている。

そして自分は、それを観測できる数少ない人間だった。

観測室の窓の外には、夜の街が広がっている。

いつもと同じ景色。

変わらない光。

だが柳端には、もう同じには見えなかった。


廊下の監視カメラが、柳端の動きを追う。

端末が歩数を記録する。

照明が在席率に合わせて明滅する。

管理局は、どこまでも管理局だった。


そして自分は、その装置の一部としてここにいる。

柳端は静かに立ち上がった。

廊下は、いつも通り静かだった。

父は事故で死んだ。

それは事実だ。

だがその事故は、世界の境界の上で起きた。

柳端は小さく呟いた。


柳端は端末を閉じた。

暗くなった画面に、自分の顔が映る。

その奥に、 父の背中を思い出した。

夜遅く帰宅し、 台所で水を飲んでいた背中。

振り返らないまま、

「まだ起きてたのか」

そう言っていた声。

柳端は小さく息を吐く。

「……待ってろ」

誰に向けた言葉なのか、 もう確かめる必要はなかった。

観測される限り、 世界は消えない。

そして彼は、 まだ見えていないものを見つけるために歩き出した。

自分でも分からなかった。

ただ一つだけ確かなことがある。

境界は、まだ閉じていない。


観測される限り、世界は繋がる。


そして柳端は、その観測をやめない。

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