第五話
しかーし翌日。
俺のそんなアホウドリみたく単純な考えは床に転がっているゴミのように掃き消される始末となった。
「…………」
その光景に頭が痛くなった。
教室のドアを開け放ったまま室内の奇妙なる珍技を傍観して、俺は動かぬ石像と化した。
どこをどう間違ったらこういった状況になるのか、誰でもいい、教えてくれ。
「イエイ! これが鳥類の超ダンスだぁ!」
「ガッハッハ! うまいうまい!」
「その踊り……どこの民族のかしら」
「愉快なヤツだ! お前もクラスの一員になるか?」
「あたしだって負けてらんないわよ! そりゃあ!」
「〈パシャパシャッ〉うーん、いい腰の動きだねぇ。〈パシャパシャッ〉」
机の上に乗ってフラダンスみたいなステップを踏んでいるおふー。その横で対抗するかのようにフラフープを回してヘビみたいに滑稽な動きをしている梅松(どこからフラフープ持ってきたんだ)。二人の周りを囲むように見物するその他の方々。旧式の二眼レフカメラを構えてシャッターをきりまくっている変態は後で縛り首にしよう。
そろそろ腹が空いてきた時間帯の休み時間にちょっとトイレに行って戻って来たらこうなっていた。
何、これ? ダンス祭り?
俺が数分間目をはなした隙にずいぶん人気者になっちまったなぁおふー。
もう分かりきっていることだが、生徒諸君は梟が言語発声機能やら二足歩行機能やらを持ち合わせていることに対して疑惑はないみたい。
「ねえねえ、どこから来たのー?」
「わあ、しっぽがかわいい!」
「趣味とかあるの?」
「ええと……」
踊る梟の横にはキャアキャア騒ぐ女子生徒に囲まれて困った顔をしているみけの姿が。
……姉妹そろって人気者だあ。
「なんかすごい人気だねー、おふーちゃんとみけちゃん。道也もみけちゃんのこと知ってるんだよねー?」
左耳から聞きなれた声が入った。あまりに愕然としていたので思わず右耳から外に素通りしてしまうところだった。
「まあ、一応知り合いの部類かな」
自分でもそこはよく理解していないんだがな。
「で、このとても教室とは思えないような有様は何だ?」
「さーてねー」
信雄はそういいながらも楽しそうに斜め後ろを振り返る。視線の先を辿ると、おもちゃのサル(シンバル付き)みたいに両手をバシンバシン叩きながら、現在進行形で乱舞中のおふー&梅松をはやし立てる充に衝突した。
……あいつが事の発端か。
「まあまあ、いいことじゃないかー。クラスの明るさが二倍にアップしたよ」
その代わり騒がしさは五倍にアップしたと思うのは俺だけか。
「あ! おーい、みっちゃん!」
熱心にダンスを踊っていたおふーは俺が来たことに今気付いたようで、劇の発表会でステージ上から観客席にいる両親に手を振る幼稚園児みたいに俺に声を掛ける。いや、俺までまきこまないでくれ!
「みっちゃんもいっしょにレッツ・ダンシングだぜ!」
男勝りな語尾で勧誘するおふー。それとともにクラス内の視線が俺に向けられる。
……なーんか嫌な展開になりそうだと思ってしまうのは果たして何が原因かな。
「崎本くん、仲いいの?」
静野さんが早速質問してきた。……無表情で。
俺が軽く答えようとすると、
「仲いいっていうか、あいつ、おふーの飼い主だぜ?」
横から首を突っ込んできた充が代わりに対応し、
「えぇ~!? 道也がこのプリティーキュートなおふーちゃんの飼い主!? 何か良からぬことを教え込みそうで怖いわ」
飽きたフラフープを投げ捨てて愉快そうな笑みと共に駆け足でやって来た梅松(飽きるの早っ!)が得意の妄想でものを語り、
「おいたはダメよ」
静野さんが哀れむような視線を俺によこし、
「飼い主は本人に似るっていうけど、実際そんなことはないんだな」
気配を感じさせずに後方よりヌッと出てきた信雄が納得したようにうなずいて腕組みをした。
……なんか黙って聞いてりゃ言いたい放題言われているんですが、ここで確認しておきたい。
俺は何も悪いことしてないよな?
「みけちゃんが由香の飼い主だってことは分かるけど、これは何かの間違いよ! メロンと納豆みたいにミスマッチだわ!」
梅松が金切り声を上げる。
さっきから俺のこと飼い主飼い主って言うけど、俺も由香も別に飼ってるわけじゃないんだぞ? やむを得ないことだ。むしろ俺としては即刻母国へ帰郷していただきたい。
「おふーちゃんから聞いたけど、毎日一緒の布団で寝てるって本当?」
静野さんがやたら興味深そうに尋ねてくる。
んなわけねえだろ、と俺が否定を示す前に、
「毎晩二人きりでどんなことしてるのかな?」
ガタオがカメラをフロントに構えたまま話を更にややこしい方向に曲げやがった。
「うわぁ、おふーちゃん可哀想……」
「こいつの家が嫌になったらいつでも俺ん家に来てくれて構わんからな!」
俺の意見なんぞ関係なしに、しまいにはそんな声まで聞こえてきた。
完璧俺悪者みたいなんですけど。
このまま良くない方向に話が転がってしまいそうだ。こういう時こそ俺の隠れたパワーを覚醒させなければ! さあ今目覚める時だ、教えてくれ、突破口を……
「〈ガラガラッ〉はーい、それじゃあ授業始めるぞー!」
と腹の中心に気をためて全神経を集中させようとして自分だけ別の世界に入り込んでしまうかと思われたその時、入ってきた担任、山原さんによって会話は途絶えた。……助かったよ、山原さん。
「いつまでもくっちゃべってんじゃねえ、席着けこらー! もうチャイム鳴ってるぞ!」
しぶしぶ席に戻っていくギャラリー軍団(実際まだチャイム鳴ってないし)。帰り際に俺に向けられる目が怖いんですけど。
俺も自分の席について一安心。
おふーも机から机へ飛び移りながらやって来て、指定席(俺の机の横の鞄の中)に入りづらそうに潜り込む。
「じゃ、おふーはまた寝るから」
お前、寝過ぎだろ。
それにしても毎日おふーについての質問が押し寄せてくるかと思うと引きこもりにでもなりたくなる心持だ。極力おふーのことは校内では秘密にしておきたかったのだが、こうなってしまっては仕方がない。
まあクラスメイトの諸君もそのうちおふーたちのことに慣れてくるだろう。いつぞやの俺みたいにな。それまで辛抱していればいいのだ。そう、それだけだ。短い期間だ、我慢しよう。頑張れ崎本道也十六歳独身! この程度で音を上げるようじゃ、先々の苦境も乗り越えられないぞ!
時刻は正午を回り、午前の授業は全て終了して昼休みとなった。
校舎内が様々な雑談で彩られる。
俺の眼前でも、仲の良い者同士が机を寄せ合い箸を動かしながら談笑しているというありふれた情景が繰り広げられている。俺も腹の虫がわめいているので早く昼飯にありつきたいところだ。
さて、ここで問題発生だ。
おふーは昨日みたいに毎日大人しくしていてくれるだろうかと少しだけ期待してみたのだが、あの梟にそれは無謀なことであったようだ。
弁当箱を取り出そうとして鞄のチャックをズルズル開けていくと、そこにいるはずのおふーは影も形もなかった。
…………逃げやがったな。
「なんでご飯食べないのー?」
ここで焦ってはいかん。冷静に考えればおふーが仕出かしそうなことなんて安易に想像可能なはずだ。あいつの単細胞な脳みそから発想できることなんて、大体決まってる。
別のクラスに乱入して暴れる……それなら間もなく他の教室から喚声が轟くはずだ。他人の弁当を横取りする……あの強欲な性格ならやりかねん。中庭辺りが出現スポットだな。
「ねえー、ご飯食べないかい?」
その程度の軽い被害規模ではないかもしれん。校長室、もしくは進路室に乱入……ありえる。奴なら十分考えられる。あの梟は特に理由もなしに敢然たる行動に走りかねん。あいつが起こした騒動の責任はすべて俺に降りかかるだろうから、そうともすれば俺は…… 即急に捕獲せねば!
「ねえねえ、なんで無視すんのさ~?」
いや待て、別の可能性も考えられる。
何もおふー自身の意思で動いたとは断言できない。例えば、誘拐された可能性もゼロじゃないわけで——
ガンッ!
「無視すんなぁー!!」
俺が呆然として本日二度目の硬直状態でいると、後ろから椅子を蹴られて体勢がガクッっと崩れる。
「目が見えないはずの何かを見ているみたいで屍みたいになってるけど、大丈夫? 天の川でも見てるのかい?」
たいして安否を気遣う様子もなく、にこやかに笑みを浮かべている爽やか少年。右手に箸、左手に弁当箱を装備し、その箱の内部は既に半分くらい空になっていた。
「道也はただでさえ食べるの遅いんだから、早く食べ始めないと時間なくなるよー?」
信雄が口をモゴモゴさせながら言う。
「おふーが消えた。ちょっと探してくる」
腹が減っては(勉強という名の敵との)戦はできぬが、心配事のせいで落ち着かないのでおふー探しを優先しよう。
「おやおや、道也も大変だねー」
これ以上詮索しようとしないところが信雄らしい。
さっそく俺は席を立ち、教室を飛び出した。
…………とはいえ、これといって当てもないので、どこを探せばいいのか分からん。
あのやんちゃ梟の行きそうなところといったら、何か面白い物があるところ……美術室、音楽室、体育館あたりか。
ある程度考えがまとまったところで、まずは一番近い場所にある美術室へ行こうとし——
——行こうとして、
「…………」
背筋に悪寒が走った。
なんか、究極にヤバイ予感がする……。
俺の目に今映っているものは、どこかの部屋の開ききったドア、廊下に転がっている丸底フラスコ。この二つ。
この二つの位置関係から察するに、おそらく丸底フラスコ(かろうじて割れてない)は開かれたドアの内部から出てきたものじゃないかね。
恐る恐るドアの上部に目をやると、そこには『科学準備室』とゴシック体ではっきりと書かれたプレートがあった。
続いて、その『科学準備室』と書かれた札の下の通行口から透明な液体が流れ出てきた。
「……まさか」
おもむろに近づき、ヘビの巣の中を垣間見るように『科学準備室』の室内を覗くと、
「これ、しょっぱくてあんまりおいしくないなぁ。こっちのはどうかな?」
「…………」
末恐ろしい(色んな意味で)光景を見てしまった。
床一面に科学の実験で使う器具や薬品が撒き散っていて、ビーカーや試験管はもはや原型をとどめている様子はなく、ハンマーでぶっ叩いたかのように見事に細かい欠片となっていた。
科学床に広がる液体状のものは、面積の八割以上を占めていた。
棚を見ると、数えきれないほどギッシリ並んでいた実験用具があった場所のほとんどが穴抜け状態になっていた。
それらを咲かせた張本人であろう生物は、今持っている『す』と書かれたビーカーと、床に置かれている『塩酸』と書かれたビーカーとを取り替えようとしている……!!
「おいちょっと待ったあぁ!!」
俺は可能な限りマックススピードでおふーの持っている液体入りガラスケースへと手を伸ばしでダッシュ! 身長の三分の二くらいある本人からしてみれば巨大なビーカーを、滑る床に転ぶこともなく二ついっぺんに奪い取ることに成功! 二兎を追って二兎ともゲットだぜ!
「わっ! あ、みっちゃん!」
「なにやってるんだお前はぁ!!」
「だってー、おふー何もやることなくてじっとしてるだけじゃつまんないもん」
この大バカは遊び心でなんてことをしてくれたんだ! 今夜は家族会議だな!
「そうだ! みっちゃんもいっしょに遊ぼ——」
「ふざけるなぁ! 今すぐ全部もとに戻せこのバカ!」
罵声を片っ端から浴びせたくなる。
……なんて厄日だろう。やっぱりこの梟はろくなことをしない! 精神年齢は幼稚園児以下か?
「えー……」
「えー…… じゃない! いいからやる! 俺も手伝ってあげるから!」
おふーが遊びで散らかし、俺が片付けを手伝う。……これでは俺の部屋での騒動の二の舞じゃないか……。
「いいか、もう二度とこんなことしちゃ駄目だぞ!」
「はーい!」
「約束だぞ!」
「うん!」
「…………」
「……?」
……俺は知っているのだ。俺はもう過去の経験から悟っているのだ。……そう、この梟が素直に返事をした場合、それは全て良からぬ未来の前兆だということを。
次からは、この梟は鞄に縄で縛り付けておこう。
「まったく……」
「……ゴメンなさい」
急におふーの声がナメクジに塩をかけたみたいに段々と小さくなる。しかも上目遣いだ……そんな目で見ないでくれ。俺の性格上、簡単に許してしまいたくなる。
「まあ分かればいい。さっさと掃除するぞ」
「おっけー!」
再び急に元気を取り戻すおふー。……ついて行けん。
「てかお前、魔法使えるんなら掃除くらい一瞬で片付くんじゃないのか?」
「おふーはまだ物を自在にあやつることはできないからムリ!」
そういうものらしい。
教師に突きつけられる請求書が目に浮かぶ。うわぁ、ゼロがやけに多いなあ。
「地道に頑張るしかないか」
「がんばろーう!」
こいつ、少しは反省してるんだろうな?
「ふぅー、疲れた」
「けっこうキレイになったね!」
昼休み終了五分前を告げる予鈴が鳴り終わった頃には科学準備室はほとんど復元されたのだが、あと五分で終了させることができるかと言えば答えはノーだ。まだ細かい破片が散らばっていたり、こぼれた液体類がまだ残っていたりである。てか今まで教師に見つからなかったのは幸いだ。
おふーが壊した物の被害総数は、ビーカー二個、試験管一本、三角フラスコ一個。……これでも俺が思っていたよりはずっと少ないんだけどね。 てっきり片づけを放棄して逃げ出すかと思っていたが、意外にも真面目にやってくれた。少しだけ(米粒一個程度)見直したぞ。
辺りを一望すると、飛び散っていたガラスの破片はきれいさっぱり姿を消し、床もピカピカに輝いていた。最初の状態より美しいんじゃないか?
我ながら満足感に浸っていると、
「あ、こんなところにいた…… って、何やってるの!?」
声がした方角(すなわち科学準備室入口付近)を見ると、そこには……誰もいなかった。
……と思われたが、よく目を凝らして見ると廊下に何か浮遊物体があった。
空中でピタッと静止しホバリングしている。
「みけこそ何しに来たの?」
おふーの一言は頭の構造がナマケモノ並にひらめき能力に欠ける俺には意味が通じなかった。どこにみけがいるって?
体内の電波信号をフル活動させて数秒間考えて、目の前の浮遊物体の正体をようやく把握した。
しっぽを器用にプロペラの原理で高速回転させ、手足を重力まかせにたらーんと垂らして一驚した表情で目を白黒させているみけだった。
みけのしっぽの様子は、もはや器用ってレベルじゃないと思うんだが。物理的に不可能なのでは? というような愚問はこの種の生き物には通用しないことは重々悟っていたので俺は口には出さなかったが。
「お姉ちゃんを探しに行った道也さんが戻ってこないって聞いたから、心配になってみけが探しに来たの!」
みけは光沢を持った床に着地すると、腰に手を当てて怒ったようにかわいらしく頬をぷくっと膨らませる。
「なーんだ、そんなことなら心配いらないさ! おふーたちは見ての通り遊んでるとこだよ」
おふーよ、おまえは片づけまで遊びだったのか。
「じゃあこの破損物の山は何さ!?」
と言って、みけは俺の後ろに積み重なっている原型はビーカーやら試験管であるガラスの破片を指差した(いや指なんてないんだが)。
「えっと、これは…………別に……その……」
おいおふー、目が泳いでるぞ? どうも嘘は苦手らしく、下手に白を切るような真似はしない。
散乱していた破片はや濡れた床を拭いた雑巾は後で片付けようと一つにまとめておいたのだが、確かにそいつを見られて心配するなと言うほうが無理があるってもんだ。今の俺たちを客観的に見ると生徒同士のいざこざ乱闘の後始末をしている雑用どもだろう。
さぞもまた問題を起こしたに違いないという視線をおふーに送るみけ。そこに俺が含まれていないことからして、俺の好感度は悪くないらしい。
「道也さん…… 姉がまた何か迷惑をおかけしましたでしょうか?」
「……別にいいさ、気にしちゃいない」
おふーに関することをいちいち気にかけることをしていたら心配ゲージが頂点を突き抜けて神経が正常に作動しなくなって狂人化しかねないのでね。
「本当にすいませんすいません」
ペコペコ頭を下げるみけ。……いい子だ。とても姉妹とは思えないな(外面的にも内面的にも)。
「何か手伝えることはありませんか?」
「そうだな、じゃあ箒で軽く掃いてくれるか?」
せっかく手伝ってくれるというのだから遠慮なくお願いさせてもらう。正直、ナマケモノの手も借りたい気分だからな。
「おまかせを!」
そう言って掃除ロッカーに操り人形のような足取りで走るみけ。
こちらはおふーと違って見るからに期待できそうだ。予期せぬ救世主の到来のおかげで、この作業は案外早々に終わらせることができるかもしれない。これなら、この後の授業にも間に合いそうだ。
フェノールフタレイン溶液を拭き取った雑巾を青バケツの上で絞りながらみけの活躍ぶりを想像していた俺は心から安心感に浸っていた。
だから、これから状況が悪化するなんて、その時はこれっぽっちも考えていなかったんだよな。
「わっ!」
カツンッ
鉄パイプがぶつかり合ったようおな金属音が聞こえた。
みけが箒を持ってきたのかなあと思って見てみると、
………………黄土色の木箱がいくつか、空を飛んでいた。
その木箱の中にはたしか大変高価で丁重に扱わなければならない光学顕微鏡という精密な装置が入ってたような……
……一瞬、俺の思考の流れが停止した。
「ぬふぁああああ~~~!!!!」
絶叫しても五秒前に戻ることはできないが、俺は反射的に絶叫!
ガラガラドッシャアァン
俺の叫びと効果音が調和し共鳴して鳴り響いた。
「…………」
「あわわわ……」
「……えっと、みっちゃん、……ドンマイ(俺の肩に手を置きながら)」
声にならぬ声と、戸惑いの声と、慰めの声(?)、それらを発している者が共通して目撃しているのは……
……顕微鏡の箱が作り上げたタワーであった。
「………………」
この事故の発端を調べようとして鍵つきオーカーケース集団を観察したところ、顕微鏡が先ほどまで鎮座していた棚に何か緑色をした物干し竿くらいの長さの棒みたいな物が当たっていた。
その根を辿ると、目をまん丸にして立ったまま気絶したみたいに硬直しているみけの姿があった。
そして棒の最下部には毛が凝縮されてまとまって付いている。
それが塵を掃除するための道具……つまり箒であることをやっとつまびらかに知った。
「……やっちゃったよぅ……」
みけはその大きい二つの目に涙をためて、今にも泣き出しそうだ。
これらの情報を複合させて得られることは、つまりみけが箒を持って走ってきたら顕微鏡コーナーがある棚にぶつかり(かなり勢いよく突っ込んでいったと思える)、その衝撃でいくつかの装置がヒュ~ンドサッってなったってわけか。あのパチンコの球が軽く当たったような音でここまで大事になるとは。
俺の本意ならば現実逃避型な思考転換に持っていきたいところなんだが、…………これ、スゲーやばいんじゃないか?
この場合、みけによる器物損害も俺が賄わなきゃいけないよな?
しかも顕微鏡って言えば金額は目が点になるくらいの額だってことはあたりまえで更にそれが膨大な量だって話となると、俺も若くして将来どうやって飢えをしのいで生きていくか考えなければ———あああ………
「みけったらドジだなー!」
おふーは無作法にも笑っている。お前は事の重大さを少しは学べ!
「……うぅ………ぐすっ……」
とうとうみけは両目から大粒の涙を流し始めた(この種の動物は涙も流すらしい)。おふーとみけのこの性格の過度相違は一体何なんだろうね。
「覆水は盆には返らないよぅ……うぅ……」
みけは相当肩を落としている様子。
「おい、泣くなよ。わざとじゃないんだから仕方ないって。誰にだって失敗はつきものだ」
みけは俺たちを手伝おうとしてくれたんだから、こっちが感謝したいくらいだ(しかしながら弁償金は何とかならないものだろうか)。
「それより、どこも怪我してないみたいで良かったよ。ほら、涙を拭いて」
「………うん………」
たまたまポケットの中に手頃なハンカチがあったのでみけに差し出し、客観的に見れば紳士的な行動かもしれない。
「なんかおふーに対する態度と違くない?」
おふーがすねたようにぼやく。俺はお前の日頃の行いでどれだけ素晴らしい壊滅をやってのけてくれたか知ってるからな!
でもこれ、どうしようかね。泣いているみけの後方で倒れこんでいる大量の木箱の中の物質はパーツがバラバラになって大破しているんだろうなあ。
「みけちゃん、こんなところにいた! あちこち探したんだから! ……うわ、なんか凄いことになってる……」
校長室で先生に囲まれて青い顔している自分を想像していると、何やら第三者ならぬ第四者の声が入ってきたようなので、鬱然とした気分でうつむいている顔を上げて入口を見ると、幼馴染女子生徒の姿があった。
「なんで道也とおふーちゃんもいるの?」
俺はお前みたいに小動物を探索しにやってきたのだ。所存の意図を問いたいのならそこでガラスの欠片を積んで遊んでいる梟殿にどうぞ。
「由香、見つけたの? ……って、この台風でも通り過ぎた後のような部屋は何?」
「わーお、道也、派手にやったね~」
梅松、信雄が現れた! お前ら来なくていいから! この学校の生徒は他人事に首を突っ込むのが好きだねえ!
「おい、そこで何している? もうすぐ授業始まるぞ!」
我らが担任、山原さんの叱咤の声が鼓膜をつんざいた。たまたま通りかかった科学準備室前の廊下に群がりができていたら様子を見にくるわけも分かる。
そこでこの現場を目撃したら、どういうリアクションとってくれるかは大体予測はついており、
「………ぉぃォィおいオイ何なんだこれはぁ!?」
その予測どおり、山原さんは国語教師のくせに無駄にデカい音声を発せられる声帯を響かせた。
「えーと……」
おふーやみけをフォローするための単語やら言い訳やらを考えてもこういう時に限ってなかなか思いつかない。
「きっちり説明してもらおうかねぇ!!」
目の前の巨体は牛乳瓶の底のような眼鏡を光らせ、目の色を変えて怒り狂っている。こうなったらもう彼を静めるすべはないだろう。
いつの間にか俺らの珍騒動の見物客が急激に増えていて、廊下が騒がしくなっている。ここからでは全員を確認することはできないが、十人以上はいそうだな。その中に明らかに聞き覚えのある声(充とかガタオとか)が混ざっていたんだが。
「みっちゃん、このいかついオッサン、だれ?」
「しーっ! 黙れこのマヌケ!」
「そこの三人! 俺について来い!」
俺とおふーとみけを一人一人ビシビシ指差して怒鳴り、大股でづかづか歩き出す巨体。言われるがままに後を追う俺たち。
部屋を出るときに、顔にしわを寄せて笑いをこらえている信雄と梅松が目に入ったのには腹が立つなあもう!
「なんか面倒なことになっちゃったね」
「……誰のせいだと思ってるんだテメェはよぉ」
「ごめんなさい、ごめんなさい~(涙を拭きながら)」
「みけはあんまり自分を責めないで……」
「こら! 三人ともうるさいぞ! 静かにしろ!」
やっぱり山原さんも梟と猫が会話&二足歩行という不思議光景については全く触れず、相も変わらず不機嫌そうに前進している。
その先には、『職員室』と書かれた部屋が。
チャイムの音が、嫌に不安げに聞こえた。
「失礼しました」
「失礼しましたー」
「しっつれーいしまー…ムグ……」
〈バタンッ〉
俺は職員室という名の監獄から無事生還することができたようだ(おふーは余計なことを喋らないうちに嘴を手で封じた)。
その監獄で聞いた話から判断すると、奇跡的にも(本当に奇跡としか言いようがない)落下した顕微鏡の全てはかすり傷一つなかったらしく、破損はガラス類のものだけで被害総額は予想を遥かに下回る値であった。
説教の途中で科学準備室に戻って片付けの続きをやらされていたこともあって、開放された今は既に下校時刻を過ぎていた。
「やっと終わったんだ。けっこう遅かったね」
昇降口に行くと、いつからそこに立っているのやら、由香が鞄を両手で抱えて寂しそうに待っていた。
「みけちゃんと一緒にいないといけないと思って」
うつむき加減で呟くように言う。
だよな。待つ相手は猫だよな。なんか寂しいような……。
「見てーあの梟、今日科学室で暴れてたって子じゃない?」
「本当だ、あの子猫もだよねー」
「あれが噂の暴れ梟か!?」
「部屋一つを丸ごと壊滅させたっていう怪獣かい?」
なんかあちこちから様々な真実と虚偽の声を浴びてるんですけど(本人たちには聞こえてないようだ)。一日でどれだけ有名人になっちまったんだよこの二匹は。しかも誰か一人怪獣扱いしてる人もいたぞー?
ま、俺に迷惑がかからない程度なら、いくら珍獣が校内で有名になろうと俺には関係ないね。俺は学校でもいつも通りの振る舞いで何も問題ないさ。ノープロブレム。
……今日は大迷惑だったけどな!!
「じゃ、帰ろっか」
おふーはみけの手をつかんだままぴょんと俺の鞄の中にダイブする。
「うわぁ!」
それに吊り上げられてみけも俺の鞄の中に収まる。
「みけも今日はみっちゃんのバッグの中にいようよ!」
「え…… でも…… いいんですか?」
「俺は別に構わんぞ?」
「それなら、お言葉にあまえて……」
そう言うと、みけはモゾモゾと鞄の中に(とても入り辛そうに)潜って行った。おふーも後に続く。おふー一匹入れるのにも苦戦したってのに、よくそう容易く入れるなあ。
さて、ヒソヒソ話してる学生達は放っておいて、さっさと帰りますか。
帰り道、俺と由香の会話。
「みけちゃん、とっても大人しいよ。家で手伝いとかもしてくれるから大助かり」
「ああそうかい、ウチのおふーは人に迷惑ばっかかけて、まさに疫病神って感じだ」
「おふーちゃんが? けっこう素直でいい子に見えるけどなあ」
「ぜんっぜんダメ。うるさいし邪魔はするし、何一ついいことない。お前のとこのネコと代えてほしいよ」
「でも上手に面倒見てあげなきゃ。あの子もまだまだ子どもなんだし、道也に甘えてるだけなんじゃないかな」
「……なんか立場が逆転してないか?」
「別におふーちゃんのこと嫌いってわけじゃないんでしょ?」
「そりゃそうだけど」
「もう少し経てばもとの世界に帰っちゃうんだし」
「そうだといいけどね。 ……はぁ」
そんな内容を延々と話して、段々ブルーになっていく俺でした。
同時刻、鞄の中にて、おふーとみけの会話。
「みっちゃんち、たのしー! ゆっかーんちはどう?」
「楽しいとかそういう問題じゃないんじゃ……」
「なんか、押入れからいろいろ出てきてねー」
「道也さんに迷惑かけちゃダメだよ」
「遊園地に行ったような気分だったなー」
「……お姉ちゃん、一応みけたちは監視役なんだからね。そこちゃんと分かってるの?」
「もちろん! みけも、ゆっかーに迷惑かけてないかい?」
「みけは大丈夫だよ」
「おふーはもっとみっちゃんの部屋散らかして困らしちゃおー!」
「だから、迷惑かけるなっつーの!」
二人とも(いや、二匹とも、か)声が大きくてこちらまで会話内容が筒抜けだった。
………なんか、俺の寿命が縮まってる気がするよ。
「じゃあ、また明日」
「おう、じゃあな」
T字路で由香は右、俺は左に分かれるのが通常帰路である。
由香の後姿を何となく見つめて二つ目の曲がり角を左折したのを確認した後、俺は思い出したかのように歩き出した。
家まであと数分もかからない。
さて、明日も学校だ。朝快調に起きられるように早く寝ることが大切だ。良い子は夜更かししないで早く寝ましょうってやつだ。
家で待っている夕食のためにも真っ直ぐ家に帰ろう。
そう決心したその時、
突然、視界がぼやけた。
「?」
焦点が定まっていないカメラのレンズのように、目から入る映像がゆがんで見えた。と同時に、頭がずぅんと重くなったように感じた。なんか水中で目を開けているような、妙な感覚だ。
あれ? ど、どうしたんだ?
日々積み重なった疲れのせいで貧血を起こしたか?。 いや、貧血の症状は小学校の時に経験したことがあるが、それとは違う気がする。
力が抜けていき、ぐらっ、と身体が傾くのを感じた。
目の前の虚像の世界が真っ暗になり、意識が次第に薄れていく。
「わっ! ちょっと、みっちゃん!?」
おふーの声がどこかから聞こえた。
直後、突然身体全体に激痛が走る。
コンクリートのザラザラした冷ややかな感触が頬から伝わってきた。
……俺は倒れたんだろうか?
「だいじょうぶ!? ねえ、みっちゃん!? 社長、応答して下さい! 〈ペシペシ〉大変だ、救急車呼ばなきゃ! でもどうやって? 分かんないよ! おいみっちゃん、起きろ! この世界ではどうやって救急車呼べばいいの!?」
そんな頼りなさそうな声が最後に頭をよぎった。
そして、俺の意識は完全にシャットアウトした。
★
その頃。
暗い部屋に男が一人座っていた。
辺りを照らすものは、ろうそく一本とパソコンのディスプレイのみ。
彼はキーボードの上で手を滑らせ、液晶画面を食い入るように見つめていた。
左右には精密機械が置かれていて、ケーブルが中央のパソコンへと繋がれている。
パソコンの蒼い光が、彼の怪訝な顔を照らす。
しばらくすると彼は指の動きを止めた。
画面上に、棒グラフのようなものが並ぶ。
「なんだこれは……」
男の眉が片方上がり、
「こんな反応は今まで初めてだ。何かあるとは思っていたが、まさかこれまでとは」
顔に驚愕の表情が浮かぶ。
「あの無機情報隔離体にこんな要素が付加されていたなんて。じゃあ今頃彼は…… いや、考えるだけ時間の無駄だ。すぐに処置しなければ」
立ち上がると、剣を手に取り腰につける。
「間に合ってくれよ……!」




