第十五章 銀星号事件 (五)
ロス伯爵には、良い噂と悪い噂がある。
良い噂は、馬への愛情の深さだ。
馬を家族のように扱っている。
そのため、劣悪な環境にある他の調教場を公然と非難し、改善させてきた。
「馬伯爵」とも揶揄されるが、彼のおかげで、レベルの高い競走馬によるレースが行われるようになった。競馬ファンからは絶大な信頼を得ている。
だが、彼は軍と近すぎる。
軍と貴族をつなぐパイプ役になっている。
大議会。
貴族たちが、その権勢を示す場所だ。
それぞれがさまざまな派閥に属することで、権力を維持している。
その中で、軍の立場は弱くなっている。
問題を改善するためには、貴族勢力を取りまとめる必要があった。
ロス伯爵は、その中心人物だ。
面倒だな。
それが、ワトソンのロス伯爵に対する評価だった。
軍の関係者には、融通が利かない者が多い。
右と言ったら右なのだ。
勝手に左へは行かない。
上の人間が命令を変えるまで、それが一つの問題になったとしても、たとえ間違っていたとしても突き進むのだ。
「何かわかったのかね」
ロス伯爵は、シャーロットが無断で厩舎を歩き回っていることを咎めない。
むしろ、楽しんでいるようにも見える。
「何もわからないわ。ただ、これが落ちていた」
シャーロットは、何かをハンカチに包んで見せた。
「どう思われる?」
ロス伯爵はシャーロットに尋ねる。
「内部犯行の可能性が高い。一番怪しいのは調教師。でも、何も証拠がない」
「申し訳ないが、捜索を手伝ってくれないか?」
ロス伯爵は頭を下げる。
「や、やります」
ステラの声が聞こえた。
「絶対に犯人を見つけます」
ステラの捜査魂に火がついた。
「いや、ちょっと、ステラ」
ワトソンは面倒事に関わりたくなかった。
軍と強いつながりのある場所には、あまり関わりたくない。
ワトソンが軍で働いていた頃、ロス伯爵はすでに退役していた。それでも、なぜか戦地を慰問しており、ワトソンはそこで彼を見かけたことがある。
貴族が戦地の最前線まで来ることは、ほとんどない。
誰も止めないのか、それとも止められないのかはわからないが。
ロス伯爵を戦地で見かけたあと、支援物資が届いた。
武器ではなく、衣料品や食料だった。
貴族の財力から見れば、大した量ではない。
ただ、それだけのものでも、戦地では何よりも助かった。
そのときの借りがある。
少なからず、救われた命があった。
シャーロットは、いつもどおりだった。
いつの間にか《円》を発動し、魔法が使用された形跡を調べている。
何かに違和感を覚えた。
魔法。
いや、魔法を使用したものか。
何かが揺らいでいる。
なんだろう、これは?
見たことがない。
魔法なのか?
シャーロットは、《円》による解析結果に満足していなかった。
シャーロットの固有魔法《円》。
魔法を解析、分析することで、その仕組みと効果を観測する。
だが、今回は解析がうまくできていない。
魔法は、常に新しく生み出される。
新たな観測者が生まれ、その者が魔法を観測することで、新たな魔法が生み出されるのだ。
魔法は、人がいる限り無限に存在する。
シャーロットは、そう考えている。
それは、人の可能性と未来につながるものだ。
魔法は公平でも平等でもない。
観測できる者にしか生み出すことができない。
それでも、すべての人がいつの日か、何かしらの魔法を観測できるようになると感じていた。
そのためには、魔法を観測し、安定させることが重要になる。
人は火も鉄も制御してきた。
きっと、魔法も制御できる。
シャーロットは、新しい魔法に触れるたびに楽しさを隠せない。
ただ、今回の魔法は何かが違う。
根本的な何かが。
魔法の源である核が動いていない。
不思議だ。
シャーロットの口元が、わずかに上がった。
「まずは足跡をたどるのが一番だけど」
昨日の大雨で、足跡は消えていた。
「どうしますか?」
ステラはシャーロットに尋ねる。
「大丈夫。モフモフ、お願いね」
「ワン」
モフモフは、ゆっくりと歩き始める。
草原は広大だ。
優しい風が草の上を走る。
何かを探すには適さない場所だ。
「何かわかったの?」
ワトソンは、先ほどからシャーロットの表情が冴えないことに気づいていた。
お腹が空いたのかしら。
そういえば、魔導列車でもあまり食べていなかった。
「わからないわ。まったく」
そう言っているのに、シャーロットの目は輝き始めた。
考えすぎかもしれない。
いつもどおり、事件を楽しんでいる。
「すてきな景色ですね」
それは、人それぞれだ。
自然の景色をすばらしいと感じる者もいれば、街中の雑踏に居心地の良さを感じる者もいる。
シャーロットが好きなのは、机の上に雑然と置かれた本の隙間から見える窓だった。
その窓から差し込む月の光が、部屋の一部だけを色づける。
光と闇の境界線こそが、シャーロットの好きな風景だった。
「そうね」
ワトソンは軽く息を整える。
モフモフが、ある一点を見つめている。
シャーロットも何かをつぶやいていた。
「あれ、何かしら」
シャーロットは指を差し、その場所へ歩き出した。




